豊田勇造 歌旅日記―日本編 (1981年プレイガイドジャーナル社刊) ----------------------------------------------------------------- 青空文庫版まえがき ◆このテキストは、1981年に大阪の出版社・プレイガイドジャーナル社から刊行された豊田勇造『歌旅日記 ジャマイカ―日本』の復刻版です。書名からもわかるように、原本は「ジャマイカ編」「日本編」の2部構成となっています。新たに青空文庫(プレーン・テキスト)版を作成するにあたり、これを『歌旅日記―ジャマイカ編』『歌旅日記―日本編』に分割することとしました。 ◆いわゆるサブ・カルチャーに属する表現活動が、常にコストや人材面での高いハードルを苦心惨憺して越えながら続けられるものであることは、いまも昔も変わりません。そういった事情もあって、原本には誤字・脱字・誤植の類が目立ちます。デジタル復刻にあたり、著者の了解を得て、明らかな誤りと思われるものは修正しました。 ◆なお、原本には、本文中には多数の写真が、またカバー裏には田川律・友部正人・吉田ルイ子3氏による推薦文が掲載されています。デジタル復刻版では、これらをすべて割愛しました。 ◆「歌旅日記」と題された豊田勇造のエッセイは、その後、関西中心に発行されている雑誌『雲遊天下』(ビレッジプレス刊)誌上で再開されました。もしこの電子本をお読みになって豊田勇造や彼をとりまく歌の世界に興味をもたれた方は、ぜひ新しい「歌旅日記」もご覧ください。 (『雲遊天下』の問い合わせは、大阪府吹田市江坂町5―14―7天牛ビル403電話06-338-8355・ビレッジプレスへ) ※テキストの著作権は豊田勇造に帰属します。営利目的の複製・配布は禁じます。 ※『歌旅日記−ジャマイカ編』は、すでに青空文庫に収録されています。 ----------------------------------------------------------------- ◆豊田勇造プロフィール 1949年7月、京都に生まれる。66年、高校2年生のときに自作曲「ヒロシマ」がフォーク・コンテストに入賞。69年に同志社大学に入学するが、後除籍。以後、ベ平連の一員として反戦活動を続けながら、〈MAP〉〈拾得〉など京都のライブ・スペースで歌手としての活動を継続。70年には、『豊田勇造・長野隆ライブ』でレコード・デビュー。76年に開始した全国ツアーは、今日まで続いている。その間、80年代末から約9年間、タイで生活。96年に帰国し、現在京都在住。主なアルバムに『さあ、もういっぺん』『ホールドオン』『センシミーナ』『チャオプラヤ河に抱かれて』『満月』『マンゴーシャワーラブレター』(いずれもビレッジプレスよりカセットもしくはCDで発売中)。 ----------------------------------------------------------------- 海の始まり ◇1980年8月30日 京都〈近畿放送ラジオ〉→東京〈『プレイガイドジャーナル名古屋』対談〉  今日からツアーに出る。今年のツアーの正式なタイトルは、〈ジャマイカ録音盤『血を越えて愛し合えたら』発売記念全国縦断コンサートツアー〉。朝、KBS近畿放送ラジオ「桂枝雀のモーニングサークル」に出演。『ジェフ・ベックが来なかった雨の円山音楽堂』と『チーズケーキが食べたいな』をうたう。生放送。スタジオから見送ってもらい、タクシーで京都駅へ。  名古屋駅で名古屋プレイガイドジャーナル社の脇田君と待ち合わせ、羽田空港ロビーで、白竜と対談。名古屋プガジャ10月号「今、血は玄界灘を超えるか?!」に特集。白竜から「歌聞いて学校の先生みたいに思てた」と言われる。「日本人が、朝鮮の春、と歌うてる」と奥さんが言ったそう。「『殺そうと思うだけで良かったのに』を、ホンネで、この歌はええと思うた」と言われる。俺「喜納昌吉よりええ。喜納君はビートルズ、白竜はローリング・ストーンズ」と例える。  その後、田川律さんとこへ脇田君と行き、留守やけどシャワーを浴びる。写真家の鈴木路子さんが猫をもらいに来る。田川さんと同居のグリコに、津山の染めもの集団「うき草」に取材に行った時、直ちゃん〔※1〕に会うたといわれる。がんばっているようす。  田川さん、うまい鍋料理作ってくれる。腹へってたので3ばいもめしを食う。 〔※1〕佐藤直子。俺が20歳頃からの友人。染色家で豪傑。 ◇8月31日 東京→喜多方(移動日)  田川さんとこから上野へ出て喜多方へ向かう。プガジャの脇田君見送ってくれる。酒とえだ豆買ってくれる。記念写真をとる。  長い旅の始まり。  4時頃喜多方着。主催者の1人渡部律君、迎えてくれる。前後喜平君の家に行き久しぶりにひろ子さんと息子の翼に会う。翼は、ほんのちょっと大きなった。もう五歳? この何年か苦しんでるぜんそくも今年はましなよう。食いものを自然食に近いものにしてから良うなったと言う。  山里の前後君の家に喜多方の町の方から車で人が集まってくる。明日の会場の喜多方ダンススクールの遠藤先生と娘さん来て、前後君一家と俺に〈サンバ〉を教えてくれる。夜中にテープかけて山の中の一軒家で。「誰か知らん人が来たら新興宗教みたいに思われる」と誰かがいい、皆笑う。 ◇9月1日 喜多方〈喜多方ダンススクール〉  朝、ゆっくりとめしを食わせてもらい、前後君とこを昼すぎに出る。喜多方ダンススクールが今夜の会場。  東京からマネージャー係の伊郷君が時間になっても来ないので、東京にTEL。お父さんが出て「乗りおくれたかな」と言う。しばらくして予定の次の電車で着く。  今年のプログラムは、俺の歌と映画。映画は、中島洋監督、大和田保撮影、ジャマイカ・レコーディング・ツアー・ドキュメント『万事快調』(8ミリ、27分)。ツアーでのリハーサルの順を決めておく。1、カラオケ音決め、2、VOCAL音決め、3、VOCAL+生ギター音決め、4、8ミリテスト。  本番は、俺3曲→フィルム→10分休憩→俺60分の構成。 1、憧れのジャマイカ 2、ワルツを踊ろう 3、レゲエを踊ろう ――フィルム―― 〈10分休憩〉 1、ゆりかもめ 2、台湾 3、沈むなジャマイカ 4、殺そうと思うだけで良かったのに 5、背中 6、チーズケーキが食べたいな 7、ジェフ・ベックが来なかった雨の円山音楽堂 8、大きな自由(カラオケで) 〈アンコール〉 9、黒いパンタロン 10、海の始まり 11、北海道の朝  終わって、少し打ち上げ。前後君とこへ帰り、しばらく話して寝る。 ◇9月2日 喜多方→水戸〈サントピアホール〉  前後君とこから駅へ行き、喜多方→郡山、郡山→水戸。郡山→水戸は水郡線で走る。  水戸は2年ぶり。前回はかなりひどい入りやったので今回はどうかと思っていると、ほぼ150人ほど入り、サントピアホールが8割の入り。俺の前に2人地元の人が歌い30分、映画30分、俺、という順で行く。  俺のって、『海の始まり』を本番で、今までの2/4拍子のフォークっぽいのと違い4/4拍子のロックっぽいやつでやる。キーもDmからEmに上げる。初めての試み。本番で歌が変わっていく。  終わって、シャワー浴びて、〈たちばなや〉で打ち上げ。シャワー浴びると体がとても楽になる。今年から時々宿をとることにしたけど(自腹を切っても)、とても良い。  打ち上げは盛大。2年前は同じ店で明かりも暗う感じたけど、今年は皆よう笑う。カラオケで『大きな自由』うたう。となりのおっさんがどなり込んで来る。気にせず続ける。店のおばさんも気にするなと言う。水戸、今年は会えた。 ◇9月3日 水戸→東京〈小室等の音楽夜話(FM)録音〉→酒田(夜行)  昼、水戸から東京へ。木彫りの店の細井正博君夫妻、主催の川又敏一君、歌い手ら送ってくれる。  小室等の音楽夜話。東京・目黒にあるパイオニアのスタジオ。昔はここでさんまがとれたのかと思い出す。「目黒のさんま」。小室さんとしっかり会うのは初めて。五日分を録音。俺より先に録音してた矢野顕子に会う。「ジャマイカでレコード作って来た人でしょう。新聞で見ました」と彼女言う。スタジオにスタインウェイの古いピアノがあり、俺はちょっと弾いてみる。  さて、録音。1、憧れのジャマイカ、2、台湾、3、北海道の朝、4、殺そうと思うだけで良かったのに、5、大きな自由。4は生でうたう。5日分を2時間ほどで録音。毎回「こんばんは」と言う。3日目の録音では、北海道で、車のラジエーターのひび割れを一味とうがらしで止めてくれた自動車修理屋のおっさんの話をする。  小室さん、なかなか良い仕事をする。化学で言うと触媒の役割。ただ、コーヒーを残したのとラーメンを残したのには、「ちょっと違うなあ」という感じ。小室さんの書いた『出会いは旅の中で』を読むと、残すという感じでは全然書いてへんのに。  上野駅、〈大蔵映画〉〔※1〕を2本見て時間つぶし、酒田行きの寝台夜行に乗る。 〔※1〕ピンク映画専門の映画会社。 ◇9月4日 東京→酒田〈丸本ビル4階ホール〉  3日夜の夜行で朝8時すぎに、酒田の隣町飽海郡遊佐に降りる。佐藤専一氏迎えてくれる。とりあえず、もう一人の主催者那須三郎さんの自宅(酒屋)の2階でしばらく休ませてもらう。  昼すぎ酒田の会場へ出発。車中、稲の話になる。  今年は冷害で皆とても困っている。  減反はそのまま続けさせられる。  有機農法の稲は冷害でも逆に強かった。  佐藤さん自身の出稼ぎの話になる。  「まず稲刈りを終わって冬場の五カ月、そして一旦帰ってきて種まいてから春にもう1カ月、計6カ月、これで失業保険が出る。家族と離れても都会は面白いし、こっちの冬は正直言って寒いし」と専一さん。  丸本ビルの4階ホール。40人ほど。立見が何人か出る、という感じ。  終わって、2年前はラーメン屋やった阿部さんがやってる寿司屋で飲む。なんと、伝説のサックス吹き阿部薫と同姓同名。那須さん、2年前のコンサートのショックの方が強かったと手厳しいこともフッと言う。 ◇9月5日 酒田→秋田(移動日)  朝、寿司屋の阿部さんが旅館に来てくれ、那須さんとこの2階に行く。スタッフとか集まって俺のレコードをガンガン大きな音でかけて、皆「ええ、ええ」と言う。  汽車の時間まで間があるので鳥海山の近くまで行こうということになる。十六羅漢という、海に突き出た岩に彫られた仏群を見て、鳥海山観光道路の突きあたりまで行く。そこから徒歩で展望台へ。頂上(2237メートル)はまだまだ上。スケールが大きい景色。アメリカでグランド・キャニオンに行った時のことを思い出す。今度来る時はてっぺんに登ろうと思う。登り3時間、下り1時間という。  月山が月で、鳥海山が火という。鱒の養殖場をみてから、秋田寄りの象潟駅まで送ってくれる。芭蕉の「奥の細道」の最北端の町という。別れしなに、佐藤さんが「コンサートの構成は、フィルムを1部に、歌を2部にしたほうが良い」と言ってくれる。  鈍行で秋田へ。向かいに座ったおっさんが話しかけてくる。秋田弁。  無明舎〔※1〕の移転中に着く。ここもまた「海の始まり」。今年秋田は、移転で忙しいのでコンサートはない。 〔※1〕『中島のてっちゃ』『最後の狩人』『樺太の出稼ぎ』など、秋田に根ざした出版活動を続けている。71年、発見の会との東北の旅で出会う。76年以来、秋田でのコンサート主催者。 ◇9月6日 秋田→大槌〈大槌中央公民館〉  朝、無明舎の安倍甲さん、駅まで送ってくれる。車中、早川義夫〔※1〕の話をする。今は神奈川県で本屋の主人として頑張っているという。  秋田から、北上、花巻、釜石と乗り継いで大槌に着く。2年ぶりの大槌。地元の人は「おおづつ」と発音する。  コンサートは藤原利春さんの挨拶(まるで結婚式の仲人の口調)で始まる。釜石や陸前高田から来てくれた人もいる。楽屋に缶ビールがいっぱい。  酒田の佐藤さんのアドバイスを受けて、1部映画、5分休憩、2部俺が80分、という構成にする。コンサート、ラストの『大きな自由』は釜石からの連中が、舞台でコーラス。花束も届く。  終わって、2年前最後に飲みに行ってチークダンスした店で打ち上げ。壁の俺の目玉ポスター(『越えて行け優しさを』のポスター)に「ウニを生まれて一番ぎょうさん食った日」と書いてある。今年は「ウニを全然食わんかった日」と書く。聞くと、春までがウニの季節で、今は時期ハズレ。カレイとうまいイカ刺しが出る。  釜石の連中が、来年釜石でやりたいと言ってくれる。そのうちの一人、後藤君が「ディランのLPのうちでもし1枚選ぶとしたら何にする?」と聞く。『ブロンド・オン・ブロンド』と俺答え、2人とも同じ。  エル・アミーゴの菊池拓二さん、ケルンの藤原さんら、しっかりした人たちのいる町。 〔※1〕関西フォークに、ロックの方向から強いインパクトを与えた東京のバンド〈ジャックス〉のリーダー、ボーカリスト。俺自身、初めて『からっぽの世界』を聞いた時の震えを、今も憶えている。 ◇9月7日 大槌(空き日)  駅前のビジネス・ホテルで眼が覚める。ヨガして、食堂でコーヒー飲む。岩手県上閉伊郡大槌町の朝。中学生4人が、日曜日にすることないのかビジネス・ホテルの食堂でテレビを見てる。ピンク・レディの解散インタヴューをやっている。客は俺と中学生のみ。彼らが帰ったあと、ギターを持って来て歌をつくりだす。タイトルは『さいなら!! ディラン』。  めしを食い、ブラブラ、といっても20分も歩いたら一巡りする大槌の町。本屋で立ち読みしていると、2年前、夜中まで踊った女の人が「久しぶり」と声をかけてくる。  ホテルに帰りテレビを見る。都はるみショー。歌い方がとてもくずれている。くずしているのか。客とベタベタしすぎる。額にシワが目立つ。  夕方めし屋を探す。数軒しかなく、そのせいかどこも高い。中華丼650円。ケルンでコーヒー飲み、エル・アミーゴで主催の人らと少し飲む。打ち上げ会場のママがとれたてのアワビ差し入れ。大槌にしかない食い物、ハチミツ入りのダンゴや、太いうどんのあんかけの話を聞く。  時雨の中、ホテルへ帰る。 ◇9月8日 大槌→青森〈だびよん劇場〉  朝大槌発、盛岡で乗り換え青森へ。青森駅の手前で送電線故障で特急がとまり、30分ほど遅れる。  例年は5月くらいに来る青森。今年は9月のせいか空が明るい。  だびよん劇場。  マイク・テストの時「ジャマイカの野獣をきょうは1匹紹介する」と牧良介さんが俺をあおる。  体は、7時間近く汽車に揺られたせいでボーッとしている。頭はハッキリしてて体はボケた感じ。8時開演に合わせ、店の外に出てウォーミング・アップに道で歌ってみる。  『ワルツを踊ろう』の「おまえとしあわせに くるいたい」のフレーズ、いつもは「くるいたい」を強調するが、今夜は「しあわせに」も強めて歌おうとやってみる。  客はバラバラと七時半頃来はじめる。毎年来てくれる小塚君夫妻も来る。はじめは5人ほど、最後は20人ほどで満員の観。しっかり聞いてくれる。  終わって皆満足してくれた様子。飲み会になり、昔京都に居たという高坂君、林さんら、踊り出す。牧さん、三上寛や友川かずき、ねぶた音頭のレコードを次々とかけてくれる。「レコードをかけること」がひとつの「演奏」となる。  ひとまわり年上の牧さん、「24年生まれの人間がなんでこんな歌(天皇とか台湾のことか?)歌えるのか?」と聞く。  2時過ぎにホテルに帰る。門限過ぎてて、入口のドアを開けるのに一苦労。 ◇9月9日 青森(空き日)  昼前眼が覚める。函館でまたホテルを探すのが面倒なのと、民謡酒場に行きたいのとで、もう1日青森にいることにする。  きのうのだびよん劇場のテープを聞き、『さいなら!! ディラン』に手を加える。  テープで、ギターの弦が切れた時、客の打ち鳴らしたリズムに「ねぶた」のリズムを聞く。「はねる」とこっちの人は言う。  夜、高坂君、林さん、伊郷君、俺の4人で津軽三味線を聞きに甚太古に行く。  「昔牧さんが、安田南のジャズ・ボーカルが聞きたいけれど店にピアノがないので呼べん、と言うた」という話が出て、それなら「だびよんへ一口5000円の会員集めてピアノを贈ろう」との話が生まれる。  駅前へ、友川かずきが好きというラーメンを食いに行く。青森駅前に、ビルとビルにはさまれて古びた食堂が今だにあってびっくりする。 ◇9月10日 青森→函館〈WAITING ROOM〉  10時50分発の青函連絡船で北海道へ。少し風邪気味。船の中でしっかり寝る。  下船口へ今夜の主催者、WAITING ROOMのマスター伊藤文人さん来てくれている。  リハーサル始める頃には激しい雨。沖縄に台風が近付いているという。雨でも7時頃には人でいっぱい。70人以上、暑い。ブルース・コバーン〔※1〕も歌ったという店。以前「かけおちして来た人がいるのやけど」と相談を受けて、俺のアパートの隣りの部屋の木尾さんとこへ居候の世話をした小林さん夫妻も来る。新聞に載ったので知ったという。高校生がグループになって来てくれたりする。  初めて『さいなら!! ディラン』をやる。 昔 おまえは見張り塔のてっぺんで 激しい雨にうたれながら ミスター・タンバリンマンと 自由の鐘をついてくれた 16年 時代は変わり 犬のように自由に走った ビリー・ザ・キッドさえ 今 天国のとびらを叩く ハイウェイ61を転がった石は 神の足元で風に吹かれてる ああ!! すべてが終ってしまった 汽車が近づいて来た時 グッドバイ!! ディラン グッドバイ!! 白いアメリカ さいなら!! ディラン さいなら!! 白いアメリカ 俺は神に近づくよりは 引きずり降ろす方がいい 『悪魔を憐れむ歌』を叫ぶほうがいい 見たのはジョアンナの幻 吹き荒れる白痴風 ナッシュビル・スカイラインで 戦争の親玉が飛ぶ 北国の少女は廃墟の街で 今だにくよくよしてる いつまでも若くはない 新しい朝でさえ 『アウトロー・ブルース』歌った頃の お前が欲しい ああ!! すべて終ってしまった 汽車が近づいてきた時 グッドバイ!! ディラン グッドバイ!! 白いアメリカ さいなら!! ディラン さいなら!! 白いアメリカ 俺は神に近づくよりは 引きずり降ろす方がいい 『悪魔を憐れむ歌』を叫ぶほうがいい 俺は神に近づくよりは 引きずり降ろす方がいい 『悪魔を憐れむ歌』を叫ぶほうがいい  終わって、マスター、ものすごう喜んでくれる。やろうと決めてからレコードを聞いた。そして、きょうやって良かったと言う。寿司を御馳走してくれる。  雨の中旅館に帰る。夜中、寝汗で何度も眼が覚める。 〔※1〕カナダのシンガー・ソングライター。ギタリスト。カナダの自然を思わせる、透明感のある、歌とギターを聴かせる。 ◇9月11日 函館→札幌(移動日)  朝の特急で札幌へ。朝、ちゃんとヨガやってから出る。ヨガやったら体がハッキリしてくる。  函館駅で駅弁買う。この駅は、幕の内だけやなしに、色々珍しい趣向を凝らすさかいええ。ニシン弁当を買う。500円。身欠きニシンを砂糖と醤油で甘辛う煮たやつがめしの上にのっているだけやけど、幕の内なんかより、ずっとええ。ただ、豪華(というよりは日本では普通)なプラスティックの折りに入っていて、ジャマイカを思い出してしまう。  キーボードのパブロが、ギターの絃をパックしたビニール袋さえ欲しがったことを思い出した。  札幌。エルフィン・ランド〔※1〕へ向かう。エルフィンに荷物をおろして、元はちみつぱいのベーシスト和田君がやってるバナナ・ボートへ。ジャマイカの写真展やってくれてる。天鼓〔※2〕と中島洋君の撮影した写真が店内いっぱいに展示してある。  古池君のやってる異間人にも行く。古池君に、ローリング・ストーンズのキース・リチャードの開放5絃チューニングの仕方を書いてもらう。  ストーンズの『ハーダー・ゼイ・カム』を聞く。あいつらのレゲエをやっとる。  夜、洋君のジャマイカで撮った16ミリフィルムに、俺が日本へ書いた手紙の吹き込みをする。映画のイントロに使うという。改めて読むと、実に名文。俺が書いたのやのうて、ジャマイカが書かせた。情況が人に良いものを書かせることがある。  2時間ほどかかり、疲れる。ウィスキーのお湯割を飲み、風邪気味の体をだます。  札幌の常宿、梅本彰君の家で、何とかいう四角の色の組み合わせゲームをやる。できひん。アール・チナ・スミス聞いてから寝る。 〔※1〕中島洋君が経営する料理のうまい飲み屋。札幌のはみ出し連中の溜まり場。札幌市中央区南3西4。(011)231-9775 〔※2〕上野天鼓。カメラウーマン、ライター。『血を越えて愛し合えたら』のジャケット写真等を、ジャマイカで撮影。パンクバンド、『水玉消防団』のボーカリスト、ギタリストでもある。 ◇9月12日 札幌→小樽〈色内漁籃館〉  朝、ちょっと早めに札幌市内へ。昨夜梅本君の書いてくれた似顔絵をほかすのも悪いし、雁来のバス停に貼る。幼稚園の子供の絵の隣りに。  昼過ぎ『北海道新聞』のインタヴュー。ちょっとピントはずれの記者やさかい、こっちからいっぱいしゃべる。どれだけ記事になるものやら。  エルフィンの表で昼めし。ええ雰囲気で食える。カレーの大盛りと生野菜。  小樽。色内漁籃館。ビショップ山田〔※1〕の新しい「場」。3階建ての古いビル。  着いてすぐ控え室にロープ張って、昨夜梅本君とこで洗うた生乾きの洗濯物を部屋一杯に干す。旅してると洗濯するタイミングがむずかしい。  舞踏派の人が「旅が生活ですね」と笑う。  1階の、普段はレッスン場のところに客席造ってやる。ビショップが客として聞くので普段より緊張する。  終わって、少し外で飲む。札幌から浜田君(ジャマイカ編の浜田君とは別人)夫婦ら来てくれる。「前よりええ意味で軽なった」と言う。主催の渡辺真一郎君、大滝真寿美さん、喜んでくれる。  漁籃館に帰って、ビショップ、奥さん、渡辺君らと飲む。 「演奏に〈引き〉が出てきた」 「広い舞台をどう使うか、と思うたが、使いこなしてた」  と言うてくれる。俺も、舞踏の場所やからうたう姿が踊りになるように、と念じてやったのが良かったのか。  ビショップ「関西弁のイントネーションがちょっと気になった」と言うけど、俺「朝鮮の春」のイントネーションの例〔※2〕を話して、「今は関西弁にこだわりたい」と答える。  舞踏派の小島さんから「泰ちゃん〔※3〕に顔が似てきたね」と言われ、「好きな人に顔が似るというので」と心の中で言う。 〔※1〕舞踏集団『北方舞踏派』の主宰者。座り姿まで、絵になる人。 〔※2〕9月17日本文参照。 〔※3〕高瀬泰司。『話の特集』に連載の『イノチのせんたく』は、今時珍らしく、カラダから発する言葉で書かれたエッセイ。 ◇9月13日 小樽→滝川〈滝川文化センター小ホール〉  久しぶりに日本酒を飲んだせいで、頭がちょっと痛い。ジャマイカから帰って、日本酒が苦手になり酒の量が減った。  ビショップのところで朝めしをよばれ、駅まで見送ってもらう。車中、ビショップの体がこの1年ほど悪くて「酒をほとんど飲まんので、きのうは先に失礼しました」との伝言を奥さんから聞く。昨夜のビショップが白湯を飲んでたわけがわかった。「また来年是非来て下さい」と言われる。  小樽12時発鈍行、札幌からこの汽車が急行になる。  札幌までしばらく窓を開けたまま海を見ながら走る。汽車に乗ったら、海の方に俺はいつも座ってしまう。  滝川に2時に着く。主催の大和屋喨君、出迎えてくれる。伊郷は札幌によって後の便で来る。  滝川みたいな小さな町で(人口5万)コンサートが初めて2つ重なったというので、新聞もとりあげてくれたという。そしてその相手は、なんと高石友也とナターシャ・セブン。かたや文化センター大ホール、かたや小ホール。  まず滝川映画サークルのインタヴュー。そしてリハ。リハを終えて食堂に行くと高石氏とこのスタッフらしき人がいて、食い終わってから高石氏に会いに行く。  まず、榊原と変名した元京都フォークソング連盟の平井さん、ランニングをしてるとのことで一時よりやせていた。そして、いろいろなこと話しかけるけど、何か雑な聞き方。例えば「どこに泊まってるの?」と聞き、答も待たず次のことを聞く。  高石氏、はにかみながら握手。自分の生まれた滝川で俺に会うのは奇遇と言う。以前と変わらず、一つのことを大ゲサに言うクセはそのまま。もっと自然に欲張ったらええと思う。  コンサートの方(俺の方)は風邪がまだぬけず体がぼてっとした感じやったけど、途中何とかペースあがってやりとげる。  終わって、高石氏の方へジャマイカ録音のLPを持って行き、平井さんに渡す。「どんなサイン書くか見たい」とまた大ゲサなこと言う。高石氏のコンサートの方は思いのほか声が出てた。ただ、「敵」が何なのか、果たして知ってるのか、わからん。  ホテルでシャワー浴びる。良いホテルを奮発してくれて有り難い。シングル・ルームやと気が楽。シャワーで体がとても楽になる。  打ち上げへ行く。飲み屋の入口にまだ入れんかったスタッフやら10人ほどいる。  高石氏のコンサートでものすごうこっちの客集めがやりにくうなったこと、こっちの学生¥1200をみてからむこうは、学生¥900と付け加えたという。ホールのキャパ1100対100を比べたら、俺らの方が入場者率多かったという。むこうは実質300。  聞きに来ていた人の男が「実は昔京都にいて、元ラリーズ〔※1〕の水谷といつも一緒にいた人間です」と言い出し、びっくり。俺、名前何やったろ、とボンヤリ考えてて「昆野さんとちゃうか?」と言うと、今度はむこうがびっくり。  昆野さんちゅうたら、元同志社でバリバリと先頭に立ってたものすごう怖い人やったさかい。  きょうは人に出あう日。  今こっちで国語の教師やっているそうな。穏やかな人柄の美人の奥さんのお腹には子供がいる。皆調子づいてのり出し、俺『青函連絡船』『ブルーズをやろうぜ』『大文字』を手拍子でうたう。  昆野さんに関しては、何か言葉にするよりただ懐しく、こうして逢いに来てくれたのが嬉しい。高石氏より、こういう人に逢うのがなんぼ嬉しいことか。  ホテルに帰っても少し興奮気味。洗濯して気を鎮め、カセットでローリング・ストーンズの『エモーショナル・レスキュー』を聞きながら寝る。 〔※1〕「東のジャックス、西のラリーズ」と並べられた、水谷孝率いるロック・バンド、〈裸のラリーズ〉。 ◇9月14日 滝川→旭川〈空想旅行館〉  朝、大和屋君らと車とばして玉ネギ畑を見、畜産試験場へ行く。コンサート終わって「酒でも飲むように」と2000円置いていってくれた人と畜産試験場で逢う。2年ほど前に岡林信康を呼んだ人。「久しぶりにコンサートらしいの、聞きました」と言ってくれる。  松尾ジンギスカン本店で名物ジンギスカン鍋食い、大和屋君の家でコーヒー飲む。大和屋君「やって本当に良かった」と言う。最近よく絃が切れるので、彼のマーチンのギターを北海道のツアーの間中貸してもらうことにして、俺のハミング・バードと計二台ギターを持って滝川を出発。  車中、ギターを弾いている間に旭川着。ジャズ・グループ(?)生活向上委員会をやった北海道東海大学の大野仰一さんと喫茶四面楚歌の千島さん、迎えに来てくれる。大野さんの家で休む。日本茶が嬉しい。  空想旅行館へ。76年に歌った時に比べ実にキレイになってる。マスター小川恵弘さん。マイク・テストしているところへ京都で以前一緒に遊んだタカユキがブラッと来る。  コンサートは、きょうから取り替えたエンド・ピンが不調で、調絃がすぐに狂う。3曲目の『台湾』の途中でうたうのをやめて、「もういっぺん出てくるところからやらして下さい」と言い、『憧れのジャマイカ』『ワルツを踊ろう』『台湾』と初めからやり直し、終わりまでもっていく。  終わって大野さん、けさの試験場の人と同じく「久しぶりに言葉の重みのある奴を聞いた」「あんな風にうたうのを聞いたのは久しぶり」と言ってくれる。タカユキは「40歳すぎてから、勇造もいっぱしの歌い手になるよ」と言う。  大野さんと郊外の温泉で汗を流し、帰ってしばらく飲む。「来年は是非バンドで来て下さい」と言うてくれる。 ◇9月15日 旭川→北見〈北見林業センター〉→別海  旭川8時48分発の特急で北見へ。特急の中で眠とうて寝る。着いてもきょうのコンサートは昼間やし(敬老の日で祭日)めし食うヒマないと思い、カニの駅弁を車中で食う。ハズレ。  北見林業センター。馴染の池田晃四郎が主催。50人ほど。先に共演のバンド二つ。「のりたけチャイナ」という高校生のグループがおもしろい。俺の方は、声が出んのと、ギターがうまいことマイクにのらんのとで、今回のツアー今までで一番苦しいリハーサル。  コーヒー飲んだりビール飲んだりして、心と体をのせてやっとやり切る。逆にこんな時の方がせっぱつまって良いことがある。歌が鋭くなる。  晃四郎の店・異邦人でちょっと休み、別海の主催者で別海農協に勤める中塚孝浩君の車で夕方の北見から別海へ。車中、中塚君が話す。 「オーストラリアからの乳製品買いつけが増えた結果、今年から牛乳の買い入れをメーカー側が10%減らすと言い出して、北海道の酪農家は、今年とても厳しい」 「農家は設備投資などで、どの家も農協から1000万から2000万、多いところは1億ぐらい借金してる。それも自己財産1000万ぐらいしかない家が」  2時間で別海に着く。スタッフと顔合わせして、町はずれの温泉に連れていってもらい、農協の独身寮の中塚君の部屋で話す。  NHK・FM(79年、森永博志担当「豊田勇造ライヴ・イン・サウンド・ストリート」)を聞いて「北海道の端の端で聞いてくれてる人もいるし」と言う俺のしゃべりを、中塚君は別海にあてはめて考えた。「『北海道の朝』はここらに住んでる人間のペースに実に合うてる曲や。『台湾』を聞いてから、農協の(台湾に女を買いに行く)上役とマズイことがあった」と話す。  きっかけとしては、ラジオとかマス・メディアでしか情報を受け取れんとこで生きてる人も、確かにいる。 ◇9月16日 別海(空き日)  久しぶりにイヤというほど寝る。農協独身寮の空き部屋と、寮の人と同じめしを用意してくれる。昼めしよばれて、町でコーヒー飲みながら『私は瞽女――杉本キクエ口伝』を読む。彼女らも旅の唄うたい。  夕方寮に帰る。勤めから帰ってきた寮の人らが、めいめいガンガンとステレオをかけまくる。隣りとはベニヤ1枚、という感じやさかい、とにかく響く。軽いニュー・ミュージック、それも女性ボーカルが多い。こんな北海道の遠い町でも、部屋の中は都会。それを聞く男たちの心の中も都会か?  2時間ほど経つと、あたりは急に静か。  中塚君の部屋にだけ、手造りのスピーカー。ニュー・ウェイヴやロックのポスターが貼ってある。  昔、台湾のランイ島(船で五時間の離れ島)に行った時を思い出す。もし俺が、仕事もなしに、このまま寮におかれるとしたら、それはまた別の意味での牢獄。  好きな女が手を伸ばせばいることがどれほど大切なことか。  俺の歌を金を出しても聞きたいと、遠くまで呼んでくれる人がいて、歌うて稼いだ金を大切に使い生活する俺がいる。けれども一方では、京都をこんなに遠く離れて何をしているのかと、頭が聞く。 ◇9月17日 別海(空き日)  農業指導員の加藤公夫さんに別海のあたりを案内してもらう。  まず山岸会の実顕地(験やのうて顕を使う)で、荒木靖さんの案内で鶏と牛を見る。鶏はウマそうに身がしまってて大きい。牛もなにか強そう。 「生まれた日から3日で、その鶏の性質が決まる」 「鶏舎の設計は、何気ないようやけど、ちゃんと計算してある」 「鶏舎ごとに担当があるので、誰がどの鶏舎を担当したか、鶏の性質でわかる。担当者の性質がその3日間で鶏に移る」 「夏に子供の合宿をやった。2週間経って、子供が鶏にさわれることを迎えに来た親に見せようとすると、親が危ないからやめろ、と言う。次の問題は親がどう変わってくれるか」 「鶏を育てるやり方を、自分らの生活の仕方に移している。食事は2食。できるだけかまず、早く食う」  この最後のめしの点だけはどうもわからん。しかし、胃の方が1つのシステムを受けつけるようになれば、逆に胃の方が強うなって、それでええのかもしれん。  荒木さん、実に丁寧な人。冬でも上半身裸で仕事することもあると言い、「北海道の冬はあったかい」と笑う。  牛乳を御馳走になり、卵を土産にもらい、別れる。  それから、海の方へ向かう。海岸線を走る。ハマナスの花が咲いている。伊郷君が野生のキツネを見つける。尾岱沼へ足をのばし、加藤さんの家へ帰る。  加藤さんの出版する『砂金採り』の本を見せてもらう。この小さな町にいて、何か自分の世界をしっかりと持つこと(自分で自分を刺激する)が典型的な有効な時間の使い方、生き方。  夕めしを食う。(この寮に来てから、昼、夕と必ず食うので体がちょっと重い。いつもは昼過ぎにいっぱい食い、リハ終わってうどんかラーメン、終わって打ち上げでビールとつまみ)  大阪「おなら」社〔※1〕の遅れている原稿を書く。  「再び〈朝鮮の春〉の歌い方にこだわって」  ――〈朝鮮の春〉を京都弁風にうたうと、その歌い方をいやがる朝鮮の友人がいる――という大阪プガジャ(80年9月号)への鴛海由美子さんの投稿に対して、俺はやっぱり自分が一番素直に心をこめられる京都弁のイントネーションでうたう。それをイヤやと感じた人から文句が出て、話し合う場ができるようになればよい。こういう答しか今は考えつかん、と書く。  寮の夕方は、ものすごいステレオ・ラッシュ。15人ほどのどの部屋からも、別々の音楽がガンガンかかる。アナーキー〔※2〕をかけている人がいて、ジャズを聴いてる人がいて、歌謡曲を聴く人がいて、聴く人ばっかり。「東京」が夕方の寮を満たす。2時間ほどして、ピタッとやむのがまた面白い。  車とステレオが楽しみ。まわりは一面の牧場に拡がる闇。NHKラジオも、AMはうまいこと入らん。  「町(ちょう)」としては日本で一番広い面積の別海町の夜。 〔※1〕大阪猪狩野にあって、日本人と朝鮮人の交流を通して正直に生きようとする人達の集まり。『おなら新聞』、読んで見るべし。 〔※2〕歌、ステージ、活動の姿勢も面白いロック・バンド。 ◇9月18日 別海〈別海福祉会館(公民館)〉  朝ゆっくり起きて、西別川に沿うた散歩道を走る。  とてもええ散歩道がある。こんな道こそ大切。走ったらほんの5分ほどの道やけど、池あり、林あり、緑の野原あり。時にはまっすぐ、時には曲がり、時には坂になる。この道には〈うた〉がある。  久しぶりに走ったせいで、体の使うてへんとこが痛い。ええ天気。太陽。  コンサートは大ホールで、舞台も高い。舞台うしろに「豊田勇造コンサート・イン・別海」と手書きの看板。PAは、共演者で酪農をやっている小野謙治君のもの。ミキサーは、小野君のサイド・ギター松田祐二君。照明も小野君の友人、大橋清一さん。手作りのコンサートのとても良い例。  「別海町で初めての、プロのニューミュージシャンのコンサート」ということで、俺も「プロの面目にかけてやります。不足やったら金返すさかい」と言う。60人くらいの人が一人も帰らんと聴いてくれた。初めての俺の歌、初めての俺みたいな音楽。  終わって、寮に帰ってひと風呂もらい、打ち上げ。駅前の炉ばた焼屋の座敷。小野君やらの子供の頃の話が出る。 「ランプから電灯に変わったのは中学生ぐらいの時かな(今、小野君26歳、1970年頃にランプ!)」 「朝起きたら、窓から吹き込んだ雪が、風の通る線に沿うて一列に部屋の中に積もってた」 「弁当を教室のストーブであっためるのやけど、おかずがタクアンの奴は、あったまるとくそうてねえ」 「子供の頃、白米を炊いたのはお客が来た時だけ。残さんかなァと、ジッと待った」 「朝五時頃には起きて乳しぼる。毎日しぼらなあかんので、今日の分も昼3時頃までかかりしぼって、それから会場に来たのや」 「プロの歌い手になるより、自分は酪農をやるのやともう決まってたし、自分でも決めてた」  冬は俺の想像つかんような寒さのところやのに、人がものすごう明るい。2時頃終わる。小野君「まあ、2時間半ぐらい寝られるし」と言って、車で真っ暗な道を帰っていく。 ◇9月19日 別海(空き日)  根室へ向かう予定を1日延ばし、気にいった別海にいる。午前中、例の散歩道をランニングする。つい調子にのって2往復する。ラジオでは「20度を越えるのやないか」と言う。  この4、5日別海にいて広い景色を見ていると、眼が良うなっていく気がする。気のせいか、メガネをかけている人が少ない。この町に住んでみたらどんなんやろう、とフッと思う。  昼めしの時、中塚君が「人が生きていくのに必要なものは、そんなにないんですよね。この小さな町で十分間に合うんですよね」と言う。  信号が10に満たん町、汽車が上り下り合わせて10本に満たん町。パチンコ屋が2軒、喫茶店が3軒。文房具屋が本屋を兼ねていて、雑誌と文庫本しかない町。市外局番が5ケタの町(01537)。秋に、秋アジが上ってくる町。車なら1分ほどで通りすぎてしまうメイン・ストリート。ガソリン・スタンドではハード・ロックがかかる。そんな別海。  寮のおばさんも〈内地〉から来た人。  昭和9年に北海道へ来た。小樽で2カ月準備して、そしてこの別海に来たという。  初めは開拓者用の雑居家屋に住み、そこから通ってカヤ葺きの家を建て、鍬で土地を開いたという。米はできず、イモ、ソバをまき、ヨモギからデンプンをとって食べた。次の年にまく分の種さえとれんかった年もある。開拓した土地を役所の人が見にきて、「よし」(開拓したと認める)となったら、自分の土地になったという。役所が馬を3頭くれた。その頃の写真を出してきて、見せてくれた。開拓に入った人の半数以上がやめて去ったという。  夜、加藤さんとこで、中塚君も入っている別海町チャレンジの会の人たちと飲む。手作りのコケモモの酒。おとなしい、おとなしい別海の女が2人。月給(農協)は5万円ぐらいという。  1人は「コンサートでまず豊田さんの体を見て、それから声が出た時、あんな体からあんな声がよく出る、とびっくりした」  もう1人は「フォークと思うて行ったのに、初めて聴く音楽で、何か心が妙な感じになった」という。  加藤さんからコンサートの写真と、馬の種つけの写真をもらい、霧の中を寮に帰る。 ◇9月20日 別海→根室〈根室市民会館視聴覚室ホール〉  朝7時半に起きて、霧の中ジョギングする。寮のおばさん、寮の人らと記念撮影。  8時31分の汽車で、厚床乗り換え、根室へ。なんべんか北海道へ来て汽車に乗ったけど、今まで見んかった景色。原生に近い姿で木が茂ってる。そんな中にポツンと駅が立っている。  初めての根室。どんな町か全然想像つかんかったけど、汽車が町に入るあたり新興住宅があって、びっくり。  主催の平川洋一君ら迎えてくれ、まず平川君の家で、カニを腹いっぱい食わせてもらう。O・V・ライト〔※1〕を聴きながら。  そのあと、納沙布岬へ連れていってくれる。霧で、岬の先から3、4キロメートル先にあるはずの貝殻島も見えず。 「岬の先端の塔に登って、ソ連の監視船が捕まえに来るのを見つけると赤旗をふった。その合図が出たら、ソ連領内に入っている昆布採りの船が、国境線を越えて戻ってきた。そんなふうにして昆布を採ってたんや」と平川君、教えてくれる。 「今は操業できる海が狭く、採れる分が少ないさかい、地元の漁民だけが船を出してる。島が返ってきても、レジャー・ランドになってしもたり、内地の大企業の大型船が入ってくるやろう。島が返っても地元の漁民は逆に苦しなる」とも言う。  ここへ来て初めて、国後(クナシリ)、択捉(エトロフ)が両方沖縄より大きい島と知る。  「北方領土を返せ」と書いた記念館の中では、あのイヤラシイ三波春夫の〈北方領土返せ音頭〉のレコードが響く。馬鹿な奴。  根室の町へ帰ると、しばらく別海にいたせいで、〈町〉やなあと思う。  リハーサルして、ラーメン食て、コンサート。  なぜか妙に煮つまり、押しまくるだけのコンサートになってしまう。〈引き〉がない。一本調子。  終わって、LUCKという店で飲む。ソウルの好きな男たちがいる。O・V・ライトが又かかる。  12時頃まで飲み、幼な馴染の庸子ちゃんとダンナの津田さんの民宿〈ともしり〉で飲ましてもらおうか、ということになり、「むこうがOKやったら白旗(ハンカチ)を振る」と昼間の話をシャレてみる。4人乗りのタクシーに5人。それを認めてくれる運ちゃんが嬉しい。ちょっとしたことやけど。  津田さん、起きててくれる。「きょう聞いたけど、骨太うなってた」と言ってくれる。  俺「きょうはいっぱい飲まして!!」と言い、津田さん、どんどんバーボンを注いでくれる。サカナもうまし。スタッフも喜ぶ。  途中まで覚えてるけど、そのあとアカン。 〔※1〕黒人サザン・ソウル・シンガー。79年、京都磔磔のステージで、彼のステージを見た時、ソウル・シンガーとしての〈ひたむきさ〉と〈熱っぽさ〉に惚れた。80年惜しくも他界。 ◇9月21日 根室→釧路〈ティー・ボーン〉  朝、二日酔いで眼が覚める。ヨガやって、「散歩に行くし」と言って、外に吐きに行く。  北海道の朝に、太平洋を見ながら吐く。何も出てこんで胃液ばっかり出る。10分ほどかけてしっかり吐く。  帰って朝めし。朝風呂に大急ぎで入り、又大急ぎで汽車へ。始発の根室と違い1つ先の花咲へ送ってくれたさかい、駅に着いたら20分ほどある。これまたポツンと立った駅長兼駅員1人の駅。「水、飲まして」と言い、汲みおきのポリバケツからヒシャクで水汲んで飲む。単線が原野を走っている。コンサート・スタッフと記念撮影。見送りの皆、ノッてコーラス。中川君、アフリカを描いたTシャツをくれる。  汽車の中、頭、二日酔い。体、メチャメチャで寝る。本もロクに読めん。  釧路、ティー・ボーン。  開演前に、飛び入りで歌いたいと平井君来る。根室の平川君らの同級生という。泉谷しげるみたいな風貌。歌は、言葉が多く1曲が長い。面白いけど直球ばっかり。直球でも、今はまだ打たれてしまう球。  俺、メチャメチャの二日酔いでやる。三浦敏幸君、ハープやらせてと開演前に来たり、6年前から聴いててくれた渡辺さんがいたり、マスターの須藤明さんの〈きっぷ〉が良く、ええ音楽を店でかけてることなど、主催の方の雰囲気、ものすごうええ。二日酔いでも、俺のる。  終わって打ち上げ。旅館で風呂を浴びてくるのを待っててくれる。体がとてもほぐれる。  飛び入りの平井君に「曲を4分の3に縮めて、そのほかした歌詞の痛みを知ってうたうか、バンドをつけるか、してみたら」とアドバイス。  ブレイク・ダウン〔※1〕のテープかかり、米語のままブルーズとしてやるのか、日本語で曲をつくりリズムをブルーズにするのか、俺は後の方が好き。やはり、言葉、日本語にこだわる。  須藤さん「黒人は曲の並べ方なんか考えへんのと違うか?」と聞く。  俺「いや、考えるやろけど、その〈考え方〉が日本人の〈考え方〉と違うのやろ」と答える。  シビアな話やけど、ええ雰囲気で話しあえる。こんな打ち上げが、ええ。音楽が好きな人たち。「来年も是非!!」と言われる。俺も「是非来たい」と言う。 〔※1〕京都の四人組ブルーズ・バンド。ブルーズ・バンドとして、日本一の実力とスピリットを持つ。レコードは、ヴィヴィド・サウンドからLIVE(VS5001)が出ている。聴かな損やで!! 日本語でも歌って欲しい!! ◇9月22日 釧路→札幌(移動日)  北海道南部をひと廻りして札幌に帰り着く。  「都会や!!」と思う。  5年前にツアーを始めた頃は、町と町との間に田舎があると思うてたけど、2年目あたりから、田舎と田舎の間に町があるのやとわかった。札幌など、このことの一番ええ例。  洋君と札幌の2日後のコンサートの打ち合わせ、後マルサデパート1F催物会場に場所を移した、ジャマイカ写真展を見る。そのあと定宿梅本君の所へ行き、ツアーの最中読んだ本等を京都へ送る。ツアーの日の経過と共に、荷物が増えて重くなる。  『北海道新聞』夕刊に、10センチ×15センチ程の俺の記事、写真入りで出る。同じ夕刊に、「カルメンマキ大麻と覚醒剤で逮捕」と出る。マキは覚醒剤まで行ったか。  久しぶりに11時頃寝る。 ◇9月23日 札幌→苫小牧〈ライブハウス・アミダ〉  朝早目に起きて、『狂い咲きサンダーロード』(石井聡互監督)を札幌東映へ見に行く。客席は、高校生位の若い暴走族風の男達が〈のってる〉。  かなりきっちり作ってる映画。変に老成したり、円熟してず、ストレートさがあって面白い。難を言うなら、もうちょっと「ドロドロした恐さ」が欲しい。  昼過ぎの汽車で苫小牧へ。主催の伊藤衛宇(まもるう)君、ホームまで来てくれてる。ホームまで来る人は珍しい。駅前にとてもきれいな女の人2人。スタッフという。今晩はのらなあかん。  会場はライブハウス・アミダ。京都、渡辺楽器店に勤めてた人の兄貴がやってる。  リハまでに、王子製紙の工場の大煙突の近くまで散歩しながら話す。 「東京で浪人して1年。苫小牧へ帰るという飛行機の飛び立つ時、友人が吉田拓郎のレコードをくれ、ジャケットをあけて見たら、豊田さんの『さあ、もういっぺん』の手書きの歌詞が入れてあった。それが知ったきっかけ」と言う。  知らんとこで俺を聞き、伝えてくれてる人達がいる。そして、それがきっかけになって、今日のコンサートが出来る。  先にフィルム、次にアミダ・ロックンロール・バンド、そして俺。  コンサートは久しぶりに野次が入る。「さいなら!! ディラン さいなら!! 白いアメリカ」とうたうと、「白人を人種差別するのか!!」とか、うまい具合に入る。張本人は、実は、アミダのマスター。大塚まさじが、野次られて、コンサートを中断した店。というのもうなずける。  悪気やのうて、問いかけの野次。答えなあかん。「白いアメリカ人でいることだけでも罪やと、今はあえて言いたい」という風に、俺、なんとか答える。  『大きな自由』で、お客が踊り出す。伊藤君のお母さんも踊り出す。アンコールに、アミダ・バンドと久し振りに、俺、エレキでロックンロールやる。5絃のGチューニングのギター。  札幌から古池君、ギターを持って来る。ゲストで『黒いパンタロン』『海の始まり』に、リード・ギターをつけてくれる。  アミダのマスターやら、ロックンロール・バンドが本当に好きな人間。「4、5人のバンドのパワーを、何千人もの人間へぶつけることがとてもうれしい。生ギター1本でうたうのに、ストーンズのマーク〈唇〉のTシャツ着てるのやね、豊田君は」と生き生きして話す。  久しぶりに「醒めながらのってる奴ら」に会うた。  伊藤君「ギターのリズム、どうしたら上達する?」と聞く。「練習すること、ワン・コードの長い曲の入ったレコードかけて一緒に弾くこと」と俺。  シャワー借りて、ふかふかの蒲団で寝させてくれる。この部屋、実はマスターが借りてるのやけど、今夜、自分らはアミダで寝袋で寝ると聞く。 ◇9月24日 苫小牧→札幌〈4丁目プラザホール〉  朝ヨガして、アミダで特大のオムライスを注文。本当に2人前位の特大が来て満腹。特大と言うて、本当に特大が出るのは珍しい。言葉通り、うれしい。  店にかざってあるレコードがほとんど黒人のレコードやのを見て、「ここも白人を人種差別してるやないか」と俺冗談を言い、マスター笑う。店の表まで見送ってくれる。  さて、札幌。今年は気を入れてやらなあかん。4プラホール。百貨店の7階にある催物会場。  金取ってやるのやし、会場のセッティングに気を遣い、黒幕を出してもらい、舞台が生きるようにする。  人は100人位入って盛況。(100人で盛況というのも、実はさびしいけれど。せめてどこでも200人入ったら、俺も主催者も、制作者も楽になる。)  コンサートの〈のり〉も良く、77年に、洋君が初めて主催してくれた時の感じで、スタッフも〈のる〉。滝川から大和屋君も来てくれたり、なじみの顔が舞台から見える。古池君、エレキで2曲やってくれる。俺にないフレーズを持ってる男。  「ジャマイカへ行ったことがあります」という中年の婦人や、「中南米へ行ったことがあって」という人など、多分新聞読んで〈ジャマイカ〉ということで来た人も沢山いる様子。  終わってまず風呂へ。風呂屋のラジオから「日本政府は、金大中のことで文句言うなと韓国政府が言うてる」と流れてる。  エルフィンで打ち上げ。狭い店内、25人程度集まり盛況。洋君も喜んでる。  4プラ宣伝部の飯塚さん、「久しぶりにホールを使い切れた夜」と言ってくれる。  五年目の札幌。この五年間で知り合うた人達が一杯いる。梅本君夫妻、大和田君、リュウ、黒川君、佐藤さん、佐々木君、堤さん、古池君、和田君、三上君、そして洋君。  札幌のタウン誌『DIGGER』も今日発売とのことで、俺の打ち上げに合流。エルフィンで、2つの打ち上げが混ざる。  洋君「海の始まりやなあ」と言う。  梅本君の家へ帰り、羽幌町から来てくれた宿のない岸田君ら、男5人で2つの蒲団で雑魚寝。俺、念の為にジョギングウェア着て、風邪ひかんようにして寝る。 ◇9月25日 札幌→八雲〈嵯峨〉  イラン・イラク全面戦争始まる。俺のツアーは続く。  1年振りの八雲。『北海道の朝』を作らせてくれた八雲「嵯峨」。 長距離トラックの 走るのが見える 北の海ぞい ハイウェイ もうすぐ初めての 朝日があがるはず もし、約束通りなら (中略) 通り過ぎ、運ばれて行く 荷物のように 感じた朝に あいつのくれた しぼりたての 牛乳一杯 ありがたかったこと (後略)  嵯峨の店内、もうずっと前から待ってました!! と用意万端。軽くリハして、夕めしごちそうになる。ここはいつもうまい御馳走。今年はイクラ丼となめたけ汁。  めしの前にしておいた洗濯物を、2階の居間に干させてもらう。今年で4年目、主人の成田順一さんと陽子さんの家、何故か気安くて親戚みたいに感じる。  旅の途中「洗濯機貸して下さい」と言える所と、どうしても言いだせん所がある。「洗濯機を越えて愛し合えたら」。  アール・チナ・スミス聞きながら、軽くウォーミング・アップ。  半谷広志君、3曲、俺に先だち歌うてくれる。ものすご素直なギターと歌。  『北海道の朝』、実にうれしく歌える。  打ち上げになり、『大文字』『ある朝、高野の交差点近くを兎が飛んだ』を初めてピアノでやる。  嵯峨のママ「ジャマイカでレコーディングした『北海道の朝』にこれからどう答えて行けるか?」と真剣に受けてくれる。  『北海道の朝』を大きな音で3回かけて、みんなで踊る。 ◇9月26日 八雲→青森(移動日)  消防車のサイレンで目が醒める。店の前の国道を、何台も何台もサイレンを鳴らして消防車が走る。マスターも同じように、素足につっかけで店の表に飛び出してくる。すぐ近くかと心配したけど、割と遠くということで安心。  ヨガして、「山へ行こう」ということになり、マスターとママと俺の3人で、ママの実家に牛乳ととうもろこしをもらいに行く。マネージャー係伊郷君は、打ち上げで遅かったのか寝たまま。  ママの実家は農場。FORDのトラクターを運転させてもらう。  「牛にはそれぞれ名前(横文字で、サリーとかなんとか)をつける。牛は鼻に紋があり、人間の指紋みたいに1匹1匹違う」とお父さん教えてくれる。お父さん、又、ごぼうの根を見たことない俺に、50センチ以上も土を掘って見せてくれる。トウモロコシ、ゴボウ、絞りたての牛乳を一升びんにもらい帰る。  12時過ぎの汽車で発つ予定やったので、半谷君や昨夜の人達、店に集まって来る。  内海圭子さん、同人誌『帆(PAN)』を、「旅のつれづれに読んで下さい」とプレゼントしてくれる。内海さんの詩作『鳥のかげ』の中に、 「路上におちつづける鳥のかげ」  という、ええフレーズ見つける。  ここにもちゃんと自分の〈うた〉を持って生きてる人達がいる。  汽車の中でと土産に寿司もらい、ママや半谷君らに見送られて函館に向かう。北海道最後の汽車。  函館五時発の青函連絡船。九時過ぎに青森に着く。  改札口に高坂君と林さん来てくれてる。  ホテルでシャワー浴び、駅前の民謡酒場へ津軽三味線と津軽民謡を聴きに行く。1時間半程いる間、三味線、民謡、手踊りが出る。  荒谷みつさんという、盲人の女の唄い手に出会う。ビッグ・ママ・ソーントン〔※1〕を思い出す。年取って、あれだけの声の出る人を見たら、〈俺も40過ぎても歌える〉と希望が湧くというか勇気付けられる。  〈他人と違うものがある〉というのはどういうことかとふと思う。荒谷さん、他の唄い手と全然違う。  京都からたまたま酒場に来てた人を誘い、だびよん劇場へ行く。又、たまたま、だびよんライブ終わったばかりの古川壬生君に会う。挨拶交わしてるところへ、又、又、西岡たかしさんと長野たかし君姿を現わす。長野君とはLP1枚一緒に作った仲。五つの赤い風船を解散してもう何年になるのか? 今でも時々、西岡さんと長野君、2人で組んでコンサートツアーしてる。  西岡さん、牧さんらのリクエストで歌おうとするけど、チューニング合わせられへん。ギターをマイクにあてたりする。べろんべろんに酔うてしもてる。1曲とにかく歌い出すけど、途中から進まず、「ワシ、こんなとこで何してんのやろ」と言い残して帰る。〈だびよん〉というひとつの場所を、心をこめて作ってる人達がいるというのが完全に見えてへん。牧良介という〈眼〉があるのも知らん。  新芸術協会の人から「市民ホールでいつかやってみませんか?」と言われる。けど俺は、それよりまず、だびよん劇場で立ち見の出るコンサートをやりたい。  「だびよんにピアノを入れる会」の会費5000円を、高坂さんと林さんに渡して今年の青森に別れを告げる。 〔※1〕黒人女性ブルーズ・シンガー。プレスリーが歌って有名になった『ハウンド・ドッグ』を、最初に歌った人。 ◇9月27日 青森→仙台〈ライブスポット・ジャム〉  昼過ぎの汽車で仙台へ。車中、林さんの勤める北の街社刊の、三上寛著『津軽野郎』を読む。本文にも、あと書きにもあったけど、〈やめないこと〉が本当に大事。寛の書いた文章のうちでも、ええ文章の集まったエッセイ集。寛が好きになる。  雨の仙台駅に降り立つ。いつの間にか土曜日。飲み屋街の路地にある店〈ジャム〉。  東京、北条君からTELあり。TBSラジオ〈パック・イン・ミュージック〉を十年続けて来た林美雄さんが遂に辞めることになるので、電話で番組途中にメッセージ欲しいとのこと。29日夜中の生放送とのことで、秋田県角館町から送ることにする。東京でのお別れパーティーには残念ながら出られへん。  仙台、東北大でのコンサート以来、1年半ぶり。8ミリの終わりで拍手があったりして、俺が出るまでに盛り上がってる。俺の歌をよう知ってて、自分から今日のスケジュールを捜し当てた人らのよう。店内30人程の人らが、体をゆすりながら楽しんでくれる。ラストの『北海道の朝』では、舞台上まで人が踊り出す。  終わって、マスターの佐藤覚寿さん「久しぶりにLIVEを聞いた!!」と感激してくれる。  東北大のコンサートのスタッフ、新川君らと飲む。  岩渕さんから、「自分らのレコードのルートを作ることが、発見の会と豊田君のやろうとしたこと違うの?」とツアーに出てから初めてワーナーとのことをシビアに問われる。  近頃、男より女の方がタフ。  ホテルに入り、ボブ・マーレイのカセット聞きながら風呂に入り寝る。カセット・テープレコーダーは重いけど、自分の好きな時に好きな音楽が聞けて疲れがとれる。体と心が休まる。 ◇9月28日 仙台→角館〈かくれが〉  朝、ジャムで昨夜のテープのコピーをもらう。「来年はまず一番に声をかけて」とマスターに言われる。  仙台→盛岡→角館と乗り継いで、初めての角館に着く。「かくだて」とも言い、「かくのだて」とも読む。  2年前、秋田の田中屋のライブに、角館から車を1時間とばして見に来てくれてから、「いつか角館でもやりたかった」と言う加納芳隆君らが主催。この町で、呼び屋でなくふつうの人がコンサートを主催するのは初めて、とのこと。フレッシュさと緊張が伝わってくる。  加納君の家、時計屋の2階で、日本茶をもらい、ライトニン・ホプキンスのレコードを聞く。〈ブルーズ〉が流れてきて、本当に〈ブルーズはひとつのこと〉やと感じる。きょうのコンサート会場は、かくれがという店。窓に暗幕張って光の洩れ入るのを防いだり、舞台用に、高台持ってきてあったりして、スタッフの入れ込みがわかる。  『大きな自由』をうたうと、拍手が起こる。リハで拍手、初めて。  親子そば食い、本番。  ギッシリ立見も入って暑い。汗。  俺もノる。舞台から見える女の顔が、だんだんええ顔になっていくのがわかる。こっちも嬉しくなる。  加納君の家の風呂に入れてもらい、打ち上げ。  打ち上げでは、秋田甚句や憂歌団などいっぱい出る。役者がそろてる。俺、リクエストに応え、『松風』と『大文字』をやる。女の人らがおとなしいのだけ不満やけど、皆それぞれ、ええ雰囲気。年に何回か、ギターを持って山へ行き、即興でブルーズをうたうという。〈文化〉みたいなものを感じる。  秋田甚句。歌詞はほとんどわからん。今までのツアーの中で一番方言の強い町。ジャマイカに着いた頃を思い出す。 ◇9月29日 角館(空き日)  昼過ぎ、スタッフの1人池田さんの習ってる白石焼の師匠のところへ行く。  濃い茶色、水色、白色をもとにした焼物。色の沈み方、よし。  池田さんがロクロを廻すところを見る。皿を何十枚作っても、1枚1枚違うのがええ。  近くの禅寺に行く。『ドンパン節』の作者の手に成る仁王が山門にいる。秋の青空が気持良い。寺の裏の墓場も見る。墓石の大きいの、小さいのあって、死んだあとまで差がある。  車で田沢湖に行く。大塚まさじのカセット、聞きながら。  10年程前から歌われている歌が流れる。  「僕は 君の見せてくれたものが 見えなかったんだ」――ディランの『スーナー・オア・レイター』のワン・フレーズ。〈I couldn't see what you could show me.〉  これが、まさじの歌では〈リフレイン〉になってる。ディランを〈薄めること〉で自分の歌をつくることをやめなあかん。俺自身に言えること。まさじ、歌、うまい。  田沢湖、日本で一番深い湖、火口湖。半周して角館へ帰る。  角館で、小柳幸太郎君の家を訪ね、樺細工の工程を見せてもらう。30年ほど使うたタバコ入れなど、実に味が出てええ。桜の樹皮を丁寧にコテでのばし、ニカワで貼り付けて、タバコ入れ、硯箱、茶筒を飾る。  樺細工では最高の腕を持っている、おとうさんの小柳金太郎さんから話を聞く。  柳宗悦〔※1〕から励まされ、40年続けて来た人。「日本のゴッホ」と言われた棟方志功と一緒に、仕事をしていたという。皇太子に樺細工の工程を見せた時は、事前に身体検査を受けたという。  酒を出して下さる。俺、『松風』と『桜吹雪』をうたう。おとうさんもうたう。秋田甚句、きのうよりわからん。着物の裾をはしょって、踊りも見せてくれる。大正10年生まれの職人。色紙に「風に吹かれて」と、一筆もらう。友川かずきが年とったら、こんな風になるのかな、という顔。ええ顔してる。おかあさんもノッて歌い出す。嬉しい角館の夕方。  小柳君、自作の樺細工を「ピック入れにでも」と土産にくれる。  スタッフと銭湯に行き、〈きりたんぽ〉で飲む。普通の米(モチ米と違い)を炊き、練って、野菜をスキヤキ風に煮た鍋に入れる。  食いながら、毎年9月8日・9日・10日に催される角館祭りのビデオを四時間分見る。  〈神サン〉に挨拶に行く。〈山車(だし)〉が、角館の幅四メートルほどの道の途中でハチ合わせすると、〈仁義〉を切って、お互い、通してくれるようにと頼む。それが交渉分かれになると、また、〈山車〉を正面衝突させて、力づくで通っていく。〈山車〉の上では秋田おばこが舞い続け、〈山車〉の中には(戦車の中の操縦者みたいに)囃し方がいて、正面ぶつけ合う時にも、囃しをやめん。1台の〈山車〉に乗る人、引く人、多い時には200人もの人が群がるという、えらい迫力のある祭り。「来年、来いや!!」と皆から言われる。きのうの夜の打ち上げといい、きょうのビデオといい、〈祭り〉が残っている町。  終わって、加納君の家で一時間ほど寝、一時頃起こされ、TBSラジオ〈パック・イン・ミュージック〉林美雄さんへ、電話でメッセージ。受話器の向こうでは、『大きな自由』がかかってる。 「今、秋田県角館から電話してます。なんでやめるんですか?」 「10年やってきて、一つの区切りのようです。未練二分というところですか。きょうあたりますます(未練が)強くなってきてますけれど……」 「古い歌のタイトルやけど、『終わり始まる』というのもあるので」 「これからも、骨太い歌をうたって下さい」  角館のスタッフの皆、2階でラジオを聞いてる。 「ここから電話してて、その話が東京からラジオで流れてくるというのは、不思議な感じや」と言う。  「豊田さんは、前から知ってたような気がする。すうっと溶け込んでくる。来年、必ずまた逢おう」とも言ってくれる。 〔※1〕日本民芸運動を始めた人。鶴見俊輔著『柳 宗悦』(平凡社選書)に詳しい。 ◇9月30日 角館→陸前高田〈ジョニー〉  朝、歯ブラシと椿油を買いに出る。  サケ、卵、漬物(ミョウガ)の朝ごはん、御馳走になり、昼前の汽車に乗る。  盛岡→一関→気仙沼→陸前高田と乗り継ぐ。このところ盛岡をよく通る。初めて買うた『小説新潮』、ほとんど読む。面白いモノなし。グラビアの野坂昭如の写真に一番興味ひかれる。  同志社で、野坂の講演を舞台裏から見て、「うしろ姿の泣いている、男たちが輪になって踊っている」というフレーズを作ってから、10年経った。  駅に、照井顕さん、菅野有恒君、下斗米正光さん、迎えてくれる。78年5月以来久しぶりのジョニー。  チャージ制〔※1〕ではやらん俺やけど、ここはこっちから歌いたいところ。  日本でただ1軒、「日本のジャズしかかけん店」。ということは、世界でただ1軒なんや。ジョニーズ・ディスクというレーベルつくって、レコードも出している。  五木寛之の『海を見ていたジョニー』の主人公が、〈ケン〉と〈ユキ〉。照井さんのところが〈ケン〉と〈ユキ〉。五木寛之が「今一番行ってみたいところ」として名前を出した店。  7時頃の町を歩く。ほとんどの店がもう閉まってて、人口3万、角館と同じやけどえらい違う。15人ほど来てくれて、前回に比べるとノッて聴いてくれる。  打ち上げで、皆から「この間よりぐっと親しめた」と言われる。  菅野君「『さあ、もういっぺん』を吉祥寺のがらん洞でやっと見つけてかけてもらい、いつもはコーヒーやのにビール頼んで、聴いて喜んだ。そして高田に帰ってきて、マスターに話を持ち込んだ。それがキッカケ」と言う。  2時頃まで飲む。〈ユキ〉さんの作ってくれたビーフシチュー。なかなかツアーでは手料理が食えんので嬉しい。最後にそうめんを食って別れる。 〔※1〕当日の聴き手の数×入場料を出演者と店とで分ける、というシステムで非常に不安定。ライヴ・ハウスの多くが、このシステムを採っている。 ◇10月1日 陸前高田→花巻〈花巻市文化会館〉  朝、ジョニーへより、記念撮影。車で遠野まで、マスターと菅野君送ってくれる。マスター、もう10回近う事故してるとのこと。両手放したり後ろを振りむいたりしながらの運転中に話す。  ジャズの秋吉敏子トリオ(ドラム、ベース、ピアノ)が、10人分ぐらいの荷物を持って(ドラム・フルセット、ベース・アンプ、スーツケース)駅に降りたった迫力の話とか、大船渡線(一関←→高田)は強制連行で連れてこられた朝鮮人の手でつくられ、朝鮮人殺害もあったとか。遠野駅でソバ食い、別れる。  50分ぐらいで花巻。ライムライトの藤館敏雄君ら、かなり若い人たち出迎えてくれ、坂の多い道を、まずはライムライトへ行く。リハまでの時間、花巻の繁華街へ出て、金子光晴の『どくろ杯』を買う。  コンサートは文化会館小ホール。スッキリした会場。楽屋では藤館君「歌1曲聴いて」とうたってくれる。  20数人。できは良し。最後には踊り出す人もいる。  終わってから、車で30分ほど郊外の大沢温泉へ連れていってくれる。川のそばの露天風呂に男三人。近藤君「鳴門市から来て土方やってるけど、キツい仕事で日当5000円、カルめやと3500円。男と女では、同じ仕事でも女は1000円安い」と教えてくれる。  スタッフら、旅館へ集まってくる。  「もっと人が来てほしかった」と近藤君。  「久しぶりにきょうみたいなコンサートを見た。声がよう出る。人を波みたいに覆ってしまう。立ち姿がキマる」と変人の昆岳丸君。  明かりを消した部屋に川のせせらぎが聞こえる。 ◇10月2日 花巻→日立〈休みの国〉  八時起床。2、3日ゆっくり温泉、という訳にいかん。  花巻→仙台→日立と、約五時間の汽車。仙台からが長い。急行というのによう停まる。日立に近づくにつれて、「日立ナントカ」という看板の工場が目立つ。日立の歌い手、宮川豊君の歌「煙突ばかりの町」というフレーズを思い出す。  田崎道明〔※1〕と奥さん、迎えてくれる。前回はホールでやったけど、今回は道明の店・休みの国でやる。  高校生が学校でタバコ喫うてて見つかり、そのうちの1人、休みの国へ出入りしているヤツが罪ひっかぶった。学校はそいつを自宅謹慎さすという。それに道明がちょっと文句をはさんだら、2日目から、学校の朝礼やホームルームで「あの店へは行くな。コンサートの手伝いはするな」と注意しだし、店へも、父兄、先公、おまけにポリが来た。「高校生をコンサートの手伝いに不当労働させた」ということで、何回か取り調べられたともいう。大手のコンサート・メーカー、音協や音鑑は、道明の〈れぢたぶる企画〉をツブしたがっている。おまけに、先日追突されてムチ打ち、とかなり参っている様子。  コンサートには、水戸の川又君、FM東京の〈音楽夜話〉を聴いて来た人とかで、店内は満員。  映写機準備不足で、急遽、1部対談、2部コンサートとなる。  高校生が質問者。  「ジャマイカには犬と猫と、どっちが多かった?」  「ジャマイカの人はほとんど土人ですか?」  珍妙な質問も出るが、俺「〈楽しめる力〉を、ジャマイカの人らは俺ら日本人より持ってる」と話す。  コンサート終わり、汗流しに風呂へ。風呂屋の雰囲気がどっか工場の寮の風呂みたい。暗い。140円と安いのは、日立という町全体が一つの大きな工場やさかいか? そういうと、入っている人もじいさんとか居ず、働き盛りをちょっと過ぎた男たちが多い。  帰って、まず店で打ち上げ。  滝君から「2年半前にサインしてくれたTシャツ、そのまま部屋のハンガーに架けて吊ってあるのや。それを見た人が『誰や、豊田勇造て?』と聞くたびに、レコード聞かせるのや」と嬉しい話。  道明の家に帰り、刺身と鍋で正式な打ち上げ。  例のタバコ事件の高校生の風間君に「きょう面白かった歌は?」と聞いてみる。「『兎』が一番」と答える。  道明から「柳ジョージのコンサートやった時、ドイツのビールを楽屋に用意せなアカン!! と言うので、車でわざわざ30分離れた町まで買いにいった」という裏話も聞く。 〔※1〕10年来の友人。どっしりとし、めんどう見の良い男。日立という、遊び人の少ない街でがんばっている。発見の会との東北の旅で知り合う。 ◇10月3日 日立→東京〈『話の特集』対談〉  道明と別れ、東京へ。  まず、上野で宿とって(素泊まり4000円、安いところは満員)原宿へ。『話の特集』12月号用の対談。宇崎竜童、友部正人、俺、司会に岩永正敏〔※1〕。『なぜ俺たちは自分でレコードを出さねばならなかったのか』がタイトル。  宇崎「レコード会社が『網走番外地』『チューチュータコカイナ』をレコ倫〔※2〕にひっかかるのを予測して発禁にしたのがきっかけ。ポルノでも、毛のみえるもの、売り始めてるのに、歌でもそんなのあってええやないか。このやり方で五年みてみようと思うてる」  友部「『びっこのポー』の「びっこ」というフレーズがひっかかり、発禁になった。それに会社はレコード作るだけで、全然宣伝してくれへん。レコード作ることも曲作りの延長や」  豊田「エレック・レコードでLP1枚作ったけど、宣伝してくれへんかった。発見の会と映画作ってわりと簡単に作れたさかい、次はレコード作ろか、ということになった。けど、自主制作レコードで儲けなあかん。儲けるというのは、百姓が種まいて、その年食えて、次の年の種が残るという意味やけど」  ミュージシャン同士が情報を交換することから始めよう、ということで終わる。  終わって友部と岩永君とめしを食う。  友部「今回のレコード〔※3〕3000枚プレスして、2500枚は手売りで売った」という。  岩永君「NHKテレビ『若い広場』に自主制作レコード特集のアイディア、持ち込む」と言ってくれる。  ちなみにリストを挙げてみる。  秋田・古川壬生、陸前高田・ジョニーズ・ディスク、東京・ALMレコードとヴィヴィド・サウンドとアケタズ・ディスク、名古屋・ELLレコードと自由巣レーベル、京都・古川豪〔※4〕、大阪・田中研二〔※5〕、益田・マルフクレコード、下関・TOMOレーベル、沖縄・マルフクレコードとマルテルレコード、それに宇崎、友部、俺。他にも、ニュー・ウェイヴ、パンク系レーベルがいっぱいあるはず。  俺、上野に帰って宿で風呂に入り、100円入れな写らんテレビを、ギターの絃差し込んで写るようにして『荒野の7人』見る。  上野駅はとてもええ。東北弁が歩いてる人たちから聞こえる。  京都に電話するが、自分の声の聞こえる留守番電話が出るばかり。 〔※1〕77年、東京国際見本市で開かれ、俺もうたった、『鯨とイルカのコンサート』、ドルフィン・プロジェクトの一人。LP『さあ、もういっぺん』制作以来の、アドバイザー。 〔※2〕レコード倫理規定協議会。発売されるレコードの歌詞を前もってチェックし、場合によっては、修正、発売禁止を勧告する。レコード業界内部の自己規制機構。 〔※3〕友部正人『なんでもない日には』。鋭い詩人の感性が光るLP。 〔※4〕京都在住のフォーク・シンガー。マスメディアに左右されない豊かな人間関係を願いながらうたい続けている。代表曲は『ホーボーズ・ララバイ』『トカ・トントン』『原発に未来なし』。 〔※5〕大阪在住のフォーク・シンガー。博学。自主制作LP『チャーリー・フロイドのように』は、年月を経てもなくならないレコード。代表曲は『おめこ汁事件』。 ◇10月4日 東京→新発田〈新発田文化会館練習室〉  上野駅で伊郷君とおちあい、特急で新発田へ向かう。金子光晴の『どくろ杯』読みながら。車内販売、700円もする駅弁に腹が立つ。去年は車でのツアーのせいで駅弁買わず。  窓の外は取り入れの済んだ田んぼが続く。田を焼く風景もみえる。  4時前に新発田着。2年半ぶり。主催の冨樫和人君、2年前、酒に酔いながらアンテナを直してて、4階の窓から落ちたけど、足の骨を折っただけで、今は車を運転している。  リハーサル。PA鳴らず、映写機もうまいこと動かず、6時半開演のところ1時間半遅れて8時から始まる。今回のツアー初めて開演時間が遅れるトラブル。機材のセッティングなどに冨樫君の〈丁寧さ〉があまり感じられない。コンサートの客集めに関しても、準備を始めたのがものすごう遅かった様子。  それでも心待ちにしてくれてた人たちがいて、俺、心こめてうたう。  終わって高校生のスタッフも含め、めしを食う。彼ら、面白かったのは『殺そうと思うだけで良かったのに』『チーズケーキ』『大きな自由』と言う。今までこんな歌を聴く機会がなかったし、初めての経験と言う。  京都を出てまる一月以上。にぎやかな飲屋街を見て〈ああ、きょうは土曜日か〉というふうに、土曜日になってから気がつくというほどに、曜日にはぼけてしまった。  京都に久しぶりに電話。「金持って帰ってきて」と言われる。 ◇10月5日 新発田→新潟〈灯(ともしび)〉  朝、Tシャツ、パンツ、靴下をひとつずつ手で洗濯して干す。天気がええので。  冨樫君に「テレビを見て育った世代に対して俺らができることは、例えば地元の人が先にうたうのなら、その人たちに、冨樫君が自分の前で3日ほどうたわせてみて、助言したりするというやり方をとってみること。多分、そんなふうに、しっかり助言されることは何回もないはずや。ただ、その日うたわすだけやない、〈丁寧さ〉のあるコミュニケーションが今、必要なのとちゃうか」と俺、言う。  テレビの入っている町で、無名に近い人間のコンサートをやるしんどさは俺も十二分にわかるけど、何かのやり方を見つけだしていかなジリ貧になる。  俺ももっと魅力的になり、主催ももっと魅力的になること。裏切らんこと。  年に1回と違うて、2回俺が来てうたう。1年に1回ではサイクルが長すぎる、という案も出る。  冨樫君の車で新潟・灯へ。主催は高橋正博君と灯のマスター・木村広さん。  ここでもまた映写機のリールが小さくてフィルムに合わん。トラブルは続くもの。2人、映写機を探してくれるけど、見つからず。日立と同じく、映画のかわりに木村君と対談。  灯は満員。50人ほどの人が入り、後ろは立見。暑い。  コンサートは熱気あるものとなり、Tシャツもズボンもパンツもグショグショ。  『大きな自由』では、タンバリンを客席に放り込む。『北海道の朝』では、タンバリン・ウーマンが即興でええリズムを叩き出す。レコード、よう売れる。  今年は東三条市、やらんさかい、77・78年の主催者・佐藤正敏さんら、わざわざ車で2時間近くを駆けつけてくれた。ありがたい。20歳前の女の子たちがサインをせがむ。  終わって灯でしばらく飲み、車で高橋君の家のある亀田へ。車中、高橋君「何かフッきれたねえ」けど、「歌に扱う世界が広がっていくさかい、泥沼やねえ」と言う。  レナード・コーエン〔※1〕の『パルチザン』という歌の「フロンティア・イズ・マイ・プリズン−前線が俺の監獄や」というフレーズを思い出す。  高橋君の家で〈菊の花〉の軽い塩漬食いながら、色々話す。社会党のこととか。奥さんが洗濯してくれる。ありがたい。この家は相変わらず煮物がうまい。  新しく出逢う人たちもええけど、昔からの友人(高橋君とは小西誠裁判闘争〔※2〕の頃からの付き合いやし、そろそろ10年)もええ。  夜、寝しな、電気消して弟の和博さんと布団同士しゃべる。  「新発田駅近くの被差別部落に解放同盟の支部をつくる仕事を10年やってきて、やっとメドがついてきた。けど、部落の人から『おまえはやめようと思うたらやめられるさかいにな』と言われるのが一番つらいし、『まず部落へ入って何とかしようとしにくること自体が差別やないか』とも言われる」と話す。  俺の方は、京都で見た京都在住の黒人差別を扱った『車に轢かれた犬』の話をする。  家の真横を信越本線が通るので、そのたびに寝床が揺れる。 〔※1〕カナダ出身のシンガー・ソングライター。詩人。代表曲に『電線の上の小鳥』があり、20歳ごろ、ディランの次に好きだった歌い手。 〔※2〕自衛隊内部から隊員にサボタージュを呼びかけたのを、罪として逮捕された、小西誠氏の反軍裁判闘争。 ◇10月6日 新潟→小出〈リスボン会議室〉  昼、新潟駅前で高橋君と逢い、古川豪の歌を新潟で聞きたい人がいるというので、京都に帰ったら古川に話、伝えることにする。  2時間ほどで小出。新潟県小出町。2年半ぶりの荒井一彦さん、32歳。本業は散髪屋、景気はまあまあと言う。  陸前高田と、この小出はチャージ制。小さい町で、人口1万5000ほどという。ものの30分もブラブラしたら、もう一周するという。  コンサートは電気屋の二階、会議室兼貸会場で、20人ほどの聴き手。覚えててくれた人とかいる。それに、旅の途中で(多分ポスター見て)来てくれた人もいる。  体がどうも参ってて調子良うないけど、やり切る。  やっぱり1カ月過ぎたあたり、この1週間ほどが〈ヤマ〉という感じ。  終わって行きつけの店で打ち上げ。スパゲティの大盛り、食う。男ばっかり。新聞社に勤めてる岩見君がプロレスをまねる芸を出し、店の床を転げまわる。  そのあと荒井さんともうちょっと飲む。何しても20人から30人で、キツい。手伝うてくれるやつがほとんど居ん。今回は1万円カンパしてくれる人がいてやれた、と言う。  俺は「せっかく俺の並べた一番前の椅子を持っていって、出入口のとこで酒飲んでた人に腹立った」としっかり言う。歌てる最中に、俺、怒りそうになったさかい。  夜の早い町。12時過ぎにはひっそりしてメイン・ストリートにも車は走らない。 ◇10月7日 小出(空き日)  1日空き日。雨も降るし、別の町へ行き宿を探すのもしんどいので、もう1日小出にいることにする。  町を見下ろす元朝山という小山のてっぺんに登る。30分ほどの山登りでも体に汗がにじんで気持ええ。走っていく特急に「オーイ」と呼びかけてみる。  そのあと町でただ1軒の映画館に入る。まんが映画、劇映画、ポルノ映画と週替わりする。きょうはポルノ。  タイトル――『縛りナントカ』『蒸発妻すすり泣き』。  1300円やさかい、ほぼ俺のコンサートと同額。定員150人ほどの映画館に客は5、6人。確かにポルノが必要な男たちがいる。旅先の俺も含めて。俺も2本見ている間に1回〈出て〉しまう。  映画館から出ると夕方。珍珍亭というラーメン屋で食い、宿へ帰ってちょっと寝る。『日本の百名山』(新潮文庫)を読みながら。  外へぶどうを買いに行ったら荒井さんと道で逢う。荒井さんの家に行って、アール・チナ・スミスのテープ聞く。他にサード・ワールド、ヴァン・モリソン、上田正樹、ラビ。  キー坊(上田正樹の愛称)は歌は本当にうまいけど、曲のつくりがむずかしい。ラビは、バックはキー坊のより荒いけど、歌詞はええ。それでも二人とも使う言葉がむずかしい。アール・チナ・スミス聞いたあとでは、簡単な言葉でしっかりした歌がほしくなる。  久しぶりに心がゆるんできて、嬉しい夜。こうして、主催してくれた人とゆっくり話すのも楽しい。  宿に帰ると、国会のテレビ中継やってる。中山千夏は国会から何をしてくれるやろう。電気を消すと、かすかに隣りから、男と女が〈やってる〉声が洩れてくる。それも2回分。  ポルノ見た夜に、できすぎている。 ◇10月8日 小出→郡山〈郡山商工会館大ホール〉  寝苦しかった夜、明けて、小出→会津若松→郡山と移動。主催の佐藤敏之さん、大越啓一さん、迎えてくれる。まず、橋本左都さんの店で休み、会場へ。  佐藤さん、コンサート初めてとのことで、PA、照明など用意なし。会場の壁に備えつけの演説用スピーカーとライト一個だけを使い準備する。  「限界芸術」〔※1〕の最たるものや、と自分でも感心。ジャマイカへ行ってから、PA、照明にこだわらんようになった。  そば一杯食い、寒いのでウィスキーのポケットびん買うて、景気つけてからやる。前に進めんぐらいの嵐の中を、50人ほどの人が来てくれる。反応あり、久しぶりに『桜吹雪』やる。  終わって出口で「いい歌たくさんありますね」と言ってくれた女の人、ありがたい。レコードよく売れる。  終わって風呂に行く。225円!! 体はクタクタ。風呂屋の戸が重い。  風呂屋で、まだ方言の聞ける町、郡山。  終わって、左都さんのところで打ち上げ。20人ほどの人が座敷いっぱいに。俺、挨拶がわりに『大文字』うたう。住所録回したら、「涙が出ました。5年後のあなたにお逢いしたい」と書く女の人あり。主催の佐藤さん、マジメな人で、喜納昌吉との『日本読書新聞』の対談読んで喜んでくれた人。市役所をやめて、今は家で農業をやっているという。この2、3年、農業に転業した人に逢うことが多い。  会津から馴染の焼物師・一重孔希(いちじゅうこうき)さん来てくれて「ギターがとても良かった」といってくれる。  2時過ぎまで打ち上げして寝る。 〔※1〕鶴見俊輔さんの著書『限界芸術』によれば、民衆が表現し民衆が受け取る芸術のこと。他に、専門家が表現し、専門家しか楽しめない芸術を純粋芸術と呼び、専門家が表現し、大衆が受け取る芸術を大衆芸術という。 ◇10月9日 郡山→会津若松〈栄町教会〉  朝、ヨガするけど頭がボーッとしてる。顔もひどい。ちょっと自己嫌悪。  昼めし、御馳走になりながら、なんやいつもと感じが違うと思うたら、いつも今時分は汽車の中で、食うものといえば駅弁。〈あったかいめし〉が〈いつもと違う感じ〉をおこさせたよう。つくづく、長い間あったかいめしを昼間に食わんかった、と思う。  朝、めし食わず、昼過ぎ車中で駅弁、リハーサルと本番の間に麺類、そして打ち上げでビールと肴というのが食事のパターン。  「うまい、うまい、いつも駅弁食うてるさかい」と言うと、料理してくれた人たち「駅弁と比べられたらかなわんね!!」と笑う。俺も笑う。  車で(一重さん運転)佐藤さん、大越さん、伊郷君と俺、会津へ向かう。約40キロメートル。  安達太良山が見え、次に磐梯山。前者はなだらか、後者はそびえる、というふう。色づき始めた山はとてもええ。  猪苗代過ぎたところで車停め、ニシン、イカの天プラを食う。食わんかったけどまんじゅうの天プラもある。〈ニシンの天プラ〉は、身欠きニシンを水で戻したものの天プラ。さすが、山奥の会津らしいアイディアの食い物。  会津若松。去年夏に1週間ほどうろついていたせいで、他の町より馴染深い。  栄町教会でやる。3回目。  ピアノで初めて『ワルツを踊ろう』をやってみる。コンサートのラストで、「喜多方から来てくれた渡部君」と言うべきところを「――目黒さん」とトチッてしまう。人名の紹介は正確に。  終わって、打ち上げ始まる前に風呂に行くが、グッタリ。京都を出て40日、26回のコンサート、ラジオ1本、対談2本。この2、3日、風呂屋の入り口の戸を開けるのさえ大変。このまますぐ寝られたら、とつい思ってしまう。  寒い夜の会津。革ジャンのホックを全部はめても寒い。ビール飲んでたら冷えてあかんので、日本酒にして体暖める。  あんな高橋牧師さんみたいに気軽に場所を貸してくれる人がいたら、主催する人も会場費に出費が少なくて、コンサートやりやすい。どんな気軽なとこでも、借りるには、主催の人の苦労あると思うけど。  一まわり自己紹介したとこで、磐梯山の歌と踊り、出る。テンポも本当はもっと早く、踊りも激しいという。  去年の9月22、23、24日の祭りの時、若松の大企業の踊り手(実は会社の宣伝のために踊る)に、酒気帯びて踊らんように、と通達があったという。バカな話。祭りが死んでいく。  前後君のおとうさんの丸喜屋旅館に宿とってもらう。  しばらく前後君と皓子さんと3人で話す。MAP〔※1〕の頃の話とかする。  「喜多方、会津の町での、前後君の存在の大切さが今年になってやっとわかったよ」と俺。皓子さんも同じと言う。  こんなふうにのんびり生きてる男は、これから世の中が、忙しくなればなるほど、大切になってくるはず。なんせ、バス会社から中古のバスを買い、その中に親子3人住んで自分の家にしてしまう男やから。 〔※1〕京都下賀茂一本松にあったロック喫茶。70年の、京都ロック・ムーブメントに活躍した人間、各地から流れて来た人間、何処へも行くところのない男達や女達が出入りした。マスター和東君が俺に与えてくれた、4年間・毎土曜日のライブの機会がなかったら、歌を止めていたかも知れない。 ◇10月10日 会津→加茂〈オータ〉  昼、春日須美子さんの店・れもんで〈いも煮〉を食べさせてもらう。店中にはってある俺のポスターにサインする。  いも煮食えばうれしいれもんの 秋の始まり  大阪新音からTELあり。〈関西フォークの20日間〉への出演依頼。81年2月のコンサートという。来年は、どんな主催者の依頼でもやってみようかと思う。与えられた場を、こっちが使い切れるかどうか。勿論、一方では、自分にとって一番良い状態でできるはずの場・自主コンサートもやらなあかんけど。  昨夜のスタッフ、れもんに集まって来る。春日さんの妹の秀子さん(この姉妹は、重いことでも軽うやってしまう〈軽み〉と〈馬力〉がある)も来る。俺には、ものすご近う感じる姉妹。  「陣痛なしに子供産んだんやろ」と、俺、秀子さんをからかう。  「まるでチャックおろして子供産んだみたいに思うてる」と須美子さん笑う。  去年は黒字になったんやと、主催名「ぱっちわーく」の貯金通帳見せてくれる。1万少し黒字。嬉しい。  れもんの前で、絃とり替えギター弾いてたら、前後君「去年よりも細かい音がはっきり出るようになったね」と、ちゃんとしたことを言う。ジャマイカで、チナの天才的なギターを、何十日も目の前に見て来たさかいやろう。  郡山から一緒の佐藤さんと駅で別れる。  新津で乗り換え加茂へ。  初めての加茂市。オータという店。  コンサートは、客席の後の方に妙にコンサート慣れした男達がいて、変なとこで笑うたり騒いだりする。それもまあええのやけど、ちゃんとした野次の方が欲しい。場のフンイキ、乱れるばかりで、歌と歌とが積み重なって行かん。俺、チョット腹立つ。  『さいなら!! ディラン』で「いつまでも若くはない 新しい朝でさえ」を、「いつまでも若くはない 笑ってる男でさえ」と変えてうたう。  新潟から、灯のコンサートに来てくれた19の女の子がわざわざ来てくれる。ありがたい。「10月5日以来、灯のコンサートの評判とても良い」と伝えてくれる。彼女の為に『桜吹雪』を特別にうたう。  今夜は打ち上げなし。久しぶりに12時前に布団に入る。外は雨で、宿が駅の近くなのか汽笛が流れて来る。  明日佐渡、1日休み、能代。そして、やっと京都に2日間帰れる。 ◇10月11日 加茂→佐渡〈佐和田町中央公民館〉  加茂から新潟に出て、駅前からタクシーで佐渡汽船乗り場へ。新潟からは、佐渡行の船と、敦賀から来て新潟に寄り、小樽に向かうフェリーとの2種類が出ると運ちゃんに聞く。  万代橋のほとりから佐渡汽船二等に乗って初めての佐渡へ出発。2時間半、1200円。自動切符販売機。  船室にギターとリュックを置いて甲板に出る。新潟の海に流れ出す信濃川にそって船はまず20分ほど走る。両側に中小の造船所があって、溶接の火花が散る。〈大繁盛〉という感じとは違う。船客は観光客や佐渡に帰る人。年寄りが目立つ。  佐渡両津港。岩崎ちひろ君迎えてくれる。  25、6歳で男前。俺の兄貴〈よっちゃん〉に似てる。改札口を出て2、3分歩き、左に曲ると両側に土産物屋が30軒ほど並んでる。その名も〈仲見世〉。東京は浅草の観音様前の商店街の名。ピカピカした土産物屋街にびっくり。〈金山の佐渡〉として有名なせいか、土産物に金色のものが多くてピカピカするのか? 本当にまぶしい商店街。  両津から約30分、まず佐和田の公民館へ行き、機材を確かめて、AGAINというジャズ喫茶で休む。  スタッフに美人が多い。鳥取県倉吉市、埼玉県熊谷市、新潟市などから来てくれた人たち(女ばっかり)がいてうれしい。岩崎君がコンサート案内とチケットを送ったと聞く。それに弁当の差し入れ有り。重箱の中に、今まで見たことないような〈きれいなにぎりめし〉。おかずも有り。客数も130以上。こう嬉しいこと重なるとノラんと嘘!!  先にうたった岩崎君もアンコールあって、手拍子あって。聴き手は岩崎君で既にノッてる。  「荒れる、荒れる、日本海が荒れる」というフレーズとメロディー。地元の人間やないと作れん歌。久しぶりに、地元にしっかり根をおろし、かつ、力量のある歌手に会うた。  俺もようノる。9月1日からのツアーのうちでも、5本の指に入るか? 体はまいり切ってても心は緩む。緩む心が夢をうたわす。  終わって、AGAINでゆっくり風呂に入れてもらい打ち上げ。新鮮なハマチの刺身を、俺と伊郷君中心に食べさせてくれる。門限のある宿をキャンセルしてもらい、明日は空き日やからゆっくり打ち上げしたいという俺の気持、当たる。  20人以上の若い男と女が、佐渡の夜に騒ぐ。岩崎君うたい、俺、エレクトーン弾く。ベース、パーカッションも響き出す。  古いローリング・ストーンズのLPかけて、照明暗うして踊る。音楽ずれしてへんし、人間ずれしてへん人らが居る。決して〈田舎や〉言うてんの違うで。  踊る打ち上げがええ。ええコンサートのあとでは、歌のことしゃべらんでもええ。  岩崎君と店の外に出て、連れションしながら〈女〉について意見交わす。  2時半頃まで、俺、飲み、食い、うたい、踊り、そしてAGAINに泊めてもらう。 ◇10月12日 佐渡(空き日)  朝、10時頃起き、ヨガして洗濯機借りる。最近では、京都に帰る前に洗濯するようになった。ツアー5年目。  全自動洗濯機が止まり、洗濯物を出してみると何やらよれよれになった紙が出て来た。開いてみると、1000円札。ああ、サイフをポケットに入れたまま洗うてしもたとわかっても後の祭。酒が残った頭でやったさかいや。  半分にち切れた1000円札が2000円分に500円札が1000円分、ち切れてへん1000円札が1枚、計4000円。それでもひろげてみたら、みな、うまいことつながる。なんと日本国紙幣の丈夫なこと。10円玉なんか、ピカピカになっている。  ところが、明朝8時半両津発の高速艇、ジェットフォイルの指定乗車券が見つからぬ。水に溶けてしまったようす。それらしいものの残骸が、ごみくずみたいに洗濯物についてるだけ。港に電話すると、「再購入して欲しい」と言う。岩崎君や瀬戸さん(今日の案内役で、タウン誌『佐渡国』編集長)、手をつくしてくれたけど駄目。  「もうちょっと、ええ紙使うて下さい。佐渡汽船さん!!」  昼過ぎ、岩崎君にイカの土産もらい、瀬戸さんの車でAGAINを出発。相川町、金北山、金山の跡、七浦海岸、二見、と廻り佐和田に戻る。途中、岩崎君の実家、魚屋に寄ってみる。岩崎君、既に、かっぱの前掛けして働いてる。佐渡では日曜日でも働く人が多くて、月に2日休みというのが普通らしい。〈漁師町の魚屋〉とは、これいかに?  久し振りに、ものすごええ男に会うた。光ってる。  倉吉に帰る米田さんを港に送り、瀬戸さんと伊郷君と俺、3人で両津で寿司食う。3人で飲んで、上を5人前食って8000円ちょっと。安いし、新しい。えびなんか、勿論生。  店のTVは具志堅が辛い試合してるのを生で中継してる。そら今まで25回試合をやり、十何回世界チャンピオンの防衛戦に勝って来ても、試合前眠れん夜もあったやろう。  瀬戸さんの勤めるディスコへ行く。ひと昔前のスタイルのディスコ。初めての客は20歳(はたち)位の女が2人。俺らがかけてた、『ウェイラーズ・ライブ!!』に対して、「踊れるレコードかけてくれる?」と注文。次の客は中年のカップル。瀬戸さんに「カラオケでうたいたい」と言い出す。カラオケになるまでさっきの女達の踊りを見てる。  ミラー・ボールから出て来た星が、ディスコの中をぐるぐる飛ぶ。佐渡の10月の夜9時。 ◇10月13日 佐渡→能代〈バークレー〉  朝8時半のジェットフォイルで両津港出る。切符のこと、窓口で尋ねるが、再購入(4800円)ということになる。  1時間で新潟。新潟→新発田→秋田→能代と乗り継ぐ。きょうは、船を入れて計4本の乗り継ぎ。これしかないという不便な国鉄。秋の編成替えで、特急中心にダイヤが組まれてしもうてる。ますます忙しなる日本。「最近みんな忙しすぎて、最近みんなおとなしすぎて」  初めての能代駅。今夜の会場、バークレーのマスター西城崇さんと店の人、迎えてくれる。  今年は大きな会場でのコンサート、無理やけど、とにかく聴きたいという。〈仕掛け人衆〉という30代後半の人たちのグループがあって、今年、山下洋輔さんを呼んだ実力がある。まあ言うたら、その人らとの、次回のコンサートにむけての、〈見合い〉ということか。  俺の旅の中では、久しぶりの小雨。リハ終えて町をぶらつく。能代の町は太い道路の商店街。その1 軒1 軒が大きく重い感じの建物。夜は早い。6 時過ぎたらもう店は閉まり始める。町の人口、6 万のわりには、大きなパチンコ屋。ほとんど客は居ん。青信号やのに車は通らず、赤信号で車が3台ほどしか待ってへん。  そんな町で、バークレーには40人近い男と女。店の外、人通りは皆無。  スタンバイの間、店の中で練習したら来た人に聞こえてしまうので、店の外でギターなしで練習。映画『ハーダー・ゼイ・カム』の、ジミーのスタジオ・オーディション風景みたいに、こぶしを握り、腕でリズムをとって、『憧れのジャマイカ』を歌うてみる。 1、歌に、言葉に、少しのニュアンスの違いを出す。 2、単語1つ1つをハッキリ発音し、フレーズの尻が流れてしまわんように。 3、それでも、重くならぬよう。  この3点ができればよい。  終わって、店で飲む。仕掛け人衆の唐津勲さん、浜屋巧さん、佐々木伸悦さん、「来年は大きな会場でやろう」と言ってくれる。ありがたい。唐津さんはカメラマン。無明舎(秋田)の出版してる『樺太の出稼ぎ』の著者の野添憲治さんと一緒に、来年南米へ行くという。どっかで面白い人間同士、つながっている。  それから、寿司を御馳走になる。京都の平八で修行したという人の店。西城さん、ノッて握り出す。  能代の人間は腰が重いし、新しいことを自分から動いてなかなかやらん、と聞く。そういうたら今晩も、演奏はかなりええはずやのに、拍手のボルテージが昂まっていかん、と俺が思うてたのと、話が重なる。  明朝6時34分、能代発ということで、いっぺん寝てしもたらやばいと思うて、朝まで起きてることにする。『ゴルゴ13』とかふとんの中で読むうち、思いのほか早う時間が過ぎる。伊郷君と別れ、ボーッとした頭と体、青森発の特急白鳥で40日ぶりに京都に運ぶ。能代6時34分発→京都18時25分着。 ◇10月14日 能代→京都  特急白鳥は、思いのほか混んでる。こんな朝早うから汽車で動く人がぎょうさんいるのや。寝てへんさかい、缶ビール買うて、とにかく寝る。12時間の汽車というのは本当に長いけれど、ジャマイカに何べんも飛行機乗り継いで行ったせいか、久しぶり京都に帰れるせいか、気が重うない。  寝たり、『スパイになりたかったスパイ』を読んだり、食堂車でめし食ったりして、時間をツブす。  秋田を過ぎたあたり、波打ち際に、いわゆる〈苫屋〉(船とか漁具を入れておく小屋)が、コケむした様子で並んでいるのを見て感激する。  眼を開けていたら見えるものがある。  新潟、糸魚川、富山、金沢、福井、敦賀と、それぞれに思い出のある知り合いのいる町を過ぎていく。  夕方6時25分、京都着。ホームの階段の位置が変わってる。それにまた、キレイになってる。  帰り、久しぶりに恵子ちゃんに逢う。家の様子やおとちゃんの具合、ちょっと心配で電話するけど、変わりなし。  人の家に泊めてもらい、その人の部屋を見たせいか、本当にうちは物が少ない家やと思う。  旅の途中毎日風呂に入ってた習慣がついて、今夜も風呂屋に行く。2人でお好み焼き食い、帰ってちょっと料理つくって、酒飲む。耳が疲れてるせいか、つい大きな音でステレオかけてしまう。  オーティス・レディング、ジミー・クリフを聴く。久しぶりに、自分の枕で寝る。 ◇10月15日 京都  ゆっくり寝る。久しぶりに玄米を食う。本当は玄米持って旅したいけれど、それが無理で駅弁ばっかり食うてたさかい、うちで玄米を食うとものすごうまい。  1日ダラダラ部屋にいてよか、と思うけど、体は外へ出たがる。本屋とレコード屋をのぞく。  ジミー・クリフ『I Am The Living』(このタイトルでさえ、ジャマイカでは初めの頃、聞きとれんかった)と、サミュエル・チャーターズ著『ブルースの本(The Legacy Of The Blues)』を買う。  ブラブラ下鴨神社歩いて、皿うどん食いにいく。「もっともっと気軽に行きたいとこに行きたいさかい、ものを持たんようにする」と恵子ちゃんが言う。  歩いて歩いて、家まで帰る。  電話もそんな、かかって来んで、静かな夜。 ◇10月16日 京都  昼から、大阪新音の三好さんと、来年2月の〈関西フォークの20日間〉の打ち合わせ。10年前、マルビナ・レイノルズ〔※1〕の前座に出た時も、この三好さんが担当。その時のパンフをコピーして来てくれて、今をときめく、もんた&ブラザースのもんたの名前も並んでる。大阪厚生年金大ホール、東京(どこやったかな?)のコンサートを思い出す。  もんた、もうちょっとハードな曲で、ヒットしてほしかった。  恵子ちゃんと待ち合わせして、三条の河原に座り、鴨川の流れるのを見ながらサンドイッチ食い、祇園会館へ映画見に行く。  『自転車泥棒』  『汚れなき悪戯』  『第三の男』  どれも、俺の生まれた1948〜9年頃のもので、もちろん白黒。  『自転車泥棒』自転車1台を盗むのに3人の男が組んだり、自転車1台無くなって仕事をとりあげられてしまう、貧しい時代。  そういうと映画『ハーダー・ゼイ・カム』では、ジミー・クリフ扮するアイバンが、自転車1台のことで男を刺した。  ラストの場面で、主人公が息子に先に帰るようにと言いつけ、立てかけてある自転車を盗もうかどうか、行きつもどりつ迷う場面のジリジリした心の伝え所など、実に見事。  『第三の男』今の刑事モノみたいに、自動車ぶつけたり大仕掛けとは違うけど、面白い。ラストの下水道の追いかけあいもええ。  映画終わって外へ出ると、〈物〉が溢れてる。白黒のスッキリした映画の世界から色のゴチャゴチャした世界に出てきて、今の日本、逆に貧しいと思う。 〔※1〕1900年生まれの、女性シンガー・ソングライター。アメリカの、うたう市川房枝。関西フォーク運動の高まりの頃よくうたわれた『小ちゃな箱』の作者。74年、バークレイで訪問し、歌で交歓をした。78年他界。 ----------------------------------------------------------------- みんなの顔が輝き出す ◇10月17日 京都→館山〈ねむ〉  11時頃の新幹線で東京経由千葉県館山へ向かう。車中、『ブルースの本』読む。  ブルーズのええとこは、歌詞が、行が変わる時、辻褄があわんでもどんどん進んでいくこと。サイケデリック。  東京駅地下ホームで岩永君から、『話の特集』対談〔※1〕の校正のため、コピーを渡してもらう。  NHK-FM〈サウンド・ストリート〉のパーソナリティの森永博志君と、ディレクターのわたりのぶひろさんも、俺と同じ特急さざなみで館山へ。FM〈サウンド・ストリート〉の録音。車内でまず短いインタビュー録る。  偶然、同じ汽車に、発見の会の芝居のスタッフ、橋本佳子さん同乗。ダンナの和夫さんが胃かいようで入院してるという。俺「いっぺんぐらい病気になった方が、自分の体大事にする」という。佳子さんから、映画『サード』の原作書いた人が岡山にいて、30代前半の実に面白い人で、一度逢ってみたら、と勧められる。  館山4時25分着。会場は駅から近くのねむ。主催の馬場修君は、以前俺が、諏訪でテープを聞いたブルーズ・バンドの〈地盤沈下〉のメンバーとわかる。  一部で、せっかく森永君が来てくれているので、2人で対談をやる。森永君、いつもはスタジオでマイクを前にしてしゃべっているせいか、FMの夜10時の時間帯のDJのせいか、しゃべり方、話の持っていき方、わりと地味。ライブでしゃべる時には派手さがあった方がええ、と思うたりするけど、俺の方は派手やさかい、その組み合わせでええのか。  コンサート、熱いものになる。  終わって、馬場君の勤める浜田屋旅館で打ち上げる。FMの録音用のテープ回しながら。  森永君「きょうは取材で来たけれど、実にいいコンサート、聴かせてもらえた。『桜吹雪』『背中』の世界をうたうと同時に過激なこともうたう。一見、実に穏やかな人間が過激であることが実は過激なんだよね」と話す。  馬場君の奥さん「歌がむずかしい」と言う。  今まで俺みたいな歌を聴いてへんかったさかい、と俺思う。同時に、簡単な歌に聴こえながら、しっかりした内容をうたえたら、もっとええ。一番むずかしいこと。  馬場君、うたう。ええブルーズ。俺も、うたう。『さいなら!! ディラン』。  森永君、「1日分のつもりで取材に来たけれど、2日分に延長しよう」と言ってくれる。  打ち上げ終わって、森永君、わたりさん、「きょうみたいなコンサートが――主催、歌、打ち上げ含めて――まだ日本にあると知って、ビックリした」と洩らす。  窓を開けると、夜中の気持ちええ風の音が聞こえてくる。 〔※1〕10月3日本文参照。 ◇10月18日 館山→浜松(移動日)  昼前の特急で東京へ。馬場君、駅まで送ってくれ、ミカンを買ってくれ、他に何かいるものない? と聞いてくれる。土産にしょうがの佃煮持たせてくれる。  東京経由浜松へ。浜松はあした。きょう中に着いたらええので新幹線をやめ東海道本線で、東京→静岡は急行、静岡から鈍行で浜松に向かう。  浜松に着くと、駅前がガラーンと空地になってて、別の町に来たよう。主催の米塚友司君の店・婆娑羅(ばさら)へ行く。逢う早々、「別れたのや」と言う。去年あんな仲良かったのに、わからんもんや。  俺だけ先に家に行き、テレビを見ながらちょっと寝るうちに、米塚君、新しい女(ひと)と帰ってくる。土産に寿司を買ってくれて、それで少し飲む。バンドで来てほしかった、と言われる。 ◇10月19日 浜松〈天竜パビリオン〉→京都  雨。昼前に浜松駅に出、国鉄で、1つ東京よりの天竜で伊郷君と待ち合わせ。  天竜パビリオンで、BLACKと金藤カズバンドの間にはさまれてやる。  榛原から例年の主催者〈胎動〉の須藤典夫さん、村松寛通さん夫妻と妹さん、来てくれる。妹さんがジャマイカへ来れんかったのは、やっぱり父親の猛烈な反対にあい、「行くのやったら親子の縁を切る」と反対されたため、と聞く。  金藤君がレコード自主制作するためのアドバイスをする。  コンサートは、俺、なんかいれこんでて、一つの波を出せずじまいで終わる。  バンドでやりたかったコンサート。〈バンド〉自体が〈一つのこと〉。  ラストに出たサージェントが面白い。パンタ〔※1〕の歌をコピーするバンドが出てきた。  『ロックン・ロールが最高!!』と言い切り、へんな重さのないとこがええ。久しぶりに自分のやっている音楽を自省させられるバンド。単に一つのショーでなしに、ちゃんとコミュニケーションできてるバンド。  浜松駅前で、米塚君とめしを食い、土産にまんじゅう買うて、最終新幹線で京都に帰る。  帰ると、木尾さんが引っ越して空いた隣りの部屋を、恵子ちゃんが、山田さんという人に貸してしもうてて、俺、怒る。10月末から11月にかけては、ちょっとは京都にいるし、その間、1人になれる部屋がやっと手に入ったと思うてた矢先のことで。  明朝、貸すのを断ることにする。 〔※1〕もとロックバンド、頭脳警察のメンバー。 ◇10月20日 京都  朝、山田さんに、悪いけれど部屋を貸せぬ旨伝える。恵子ちゃん、俺ばっかり勝手にすると、時計を投げつける。山田さん、町へ部屋探しにいき、何とか見つけてきたとのことで、荷物取りに来る。しばらく、山田さんと話す。  「3年ほどニューヨークに行ってて、2週間ほど前に帰ってきた。日本を発つ前は、漫画原作者の小池一夫のマネージャーをやってた。ニューヨークでは、カメラやってて、日本版『PLAYBOY』のニューヨーク特集にも関係した。ブルーズのレコード出す友人について、シカゴ行ったこともある。ニューヨーク、行ってみたら面白いですよ」と言う。  夜は2人、ちょっと仲直りして、一緒にお好み焼き食いに行く。 ◇10月21日 京都  隣りの部屋へ、ギター、ギター・アンプ、ステレオ持っていき、ガンガン鳴らす。70年からしばらく住んでいた高野の頃の生活を思い出す。重いもの運んだせいで、腰を少し痛める。 ◇10月22日 京都→伊賀上野〈マルグレッド〉  奈良線でまず木津へ。奈良線、なんともゆったりした、ええ雰囲気で走る。めったに乗る方向やないこともあるけど。久しぶり(昔、山岸会へ行った時以来)に、京都の南を国鉄で走る。木津で関西本線に乗り換え、上野へ。途中、月ヶ瀬温泉など通り、京都の南に温泉のあることを知る。  伊賀上野。こっちの人は、単に「上野」と言うらしい。中島己佳君、出迎えてくれる。会場はマルグレッド。PAが鳴らんかったりしたけど、やっとセッティングが終わる。客はボツボツの出足。千葉から、北条君〔※1〕来てくれる。  映画が、フィルムの回転数速かったりして、キチンと終わらんかったり、俺前半ノリきれんかったりで、全体に中途半端になってしまう。こんな夜が一番つらい。  けど悪気ない聴き手で救われる。実は救われたりしてはいかんのやけど。浜松、上野、とちょっと調子悪い。  風呂に行ってから、マルグレッドでしばらく話したり、中島君が『アイ・シャル・ビー・リリースト』うたうのにハーモニカつけたりしたあと、中島君の家へ帰る。  急に冷え込む上野の夜。昨夜の腰痛がひどくなる。ガチガチ震えて寝る。 〔※1〕北条 孝。80年全国ツアーの、各地主催者を訪ねての先廻り(下ごしらえ)をしてくれた。もともと、千葉県市川市でのコンサートの主催者。今日の主催者、中島君と友人。 ◇10月23日 伊賀上野→京都  朝、中島君の家の養鶏を見せてもらう。ケージ飼いと違い、地面に遊ばせて飼っている。ひと月に、一羽で1000円ぐらいの純収入を得るという。  サロンパスを腰に貼ってもらう。  FMの〈小室等の音楽夜話〔※1〕〉の録音を車で聴きながら、伊賀上野の中心街へ向かう。放送の方、イントロに朗読される詩がひどい。  伊賀名物のミソ田楽食う。1人前400円。竹の串にトーフの焼いたのが刺してあり、それに田楽ミソがかかっている。日本酒の熱カンでもやったらうまいやろうけど、きのうの酒で頭がボケてるので、やめとく。  近鉄で伊賀神戸から京都へ。大阪から来てくれた武村君夫妻同乗。立ちながら車内で話す。「豊田さんは、歌聴いてても話聴いてても、他の人と違うてて、自分の権利をちゃんと主張してると思うた」と言うてくれる。  京都駅からバスでよしや楽器へ。後半のツアーに向けて、絃を買いに行く。「PTAの集まりに行くと、テレビを持たんことに関して、1対1の時は皆同調してくれても、集団になった時は、『テレビなかったら、アカンのとちゃう?』と意見が変わってしまう周囲の人らに不信を感じる」と女主人の嘉世さん言う。  ジミー・クリフの初期の頃のLP買い、風呂に行って、あしたからの名古屋のために早く寝る。 〔※1〕9月3日本文参照。 ◇10月24日 京都→名古屋〈七ツ寺共同スタジオ〔※1〕〉  新幹線で名古屋へ。去年は名古屋プガジャが「血を越えて愛し合えたら」というタイトルで壮行コンサートをやってくれた。それが一つのきっかけとして、レコードのタイトルが決まった。2日間ということで、きょうは人数25人ほど。まず、師★団〔※2〕の北村想さんと、8ミリを見ながらしゃべる。「勇造さんがジャマイカに行っても、言葉を大切にしているという点で、全然変わらんことがええ」と感想。  2部でうたい始めて、ノリがなんかおかしい。なにか、1年前のコンサートのノリという感じ。終わって風呂に行き、簡単に打ち上げる。あれこれ話したあとで、「贅沢言わしてもらうけど、あしたは、PA、森君が貸してくれるの使い、舞台もきょうと逆にセッティングして、やりたい」と俺、言う。  照明の吊り込みとか、舞台セッティングとか、又、〈一からやりなおし〉やけど、スタッフ、「よし!!」と言うてくれる。心おきのう、やりたい。これは、ええ欲やと思う。 〔※1〕名古屋市大須にあって、二村利之さんらが自主運営するスペース。演劇、舞踊、映画、コンサートなど、使い方次第であらゆる表現の催し物に使える。スタジオ自体が、1曲の歌、と俺には感じられる。 〔※2〕Total Produce Organizer師★団。七ツ寺共同スタジオに拠点を置く演劇集団。主宰者北村想さんは、戯曲作家でもあり、80年度岸田戯曲賞の最終決定投票で、惜しくも次点。 ◇10月25日 名古屋〈七ツ寺共同スタジオ〉  朝、ヨガして、外でコーヒー飲み、七ツ寺の2階で、師★団の看板女優日田詮子さんが作ってくれためしを食う。ソーセージ、野菜いためとまぐろ、野菜シチュー、300円ナリ。外食よりずっとええ。  テレビに、京都在住の随想家大村しげさんが出てて、京都の菓子屋の話をしてる。予約せなあかん、とか、つくる数には限りがある、とか言うてるけど、詮子さんと俺は「食いたい時に食うのが一番」「たかが菓子に、予約やなんて」「京都て、こんな風にしてたいそうに売るのや」とか、けなして楽しむ。ツアーを始めて五年。それまで気づかんかった、京都の〈いやらしさ〉が見えてきた。  逆の舞台にしてセットアップしたのが開演の6時半すぎ。聴き手はバラバラと集まってきていて、外で待っていてくれた。  8ミリの時のゲストは、詮子さんと北村さん。詮子さんよく笑う。コンサートには、伊藤たかお〔※1〕、元キャラバンの犬塚君らパーカッションで入ってくれる。一曲目『沈むなジャマイカ』を、俺のタンバリンとたかおのボンゴだけで初めてうたってみる。ギターでやる時より曲のアレンジがええ。言葉が生きる。 『沈むなジャマイカ』 「この七年で オイルは10倍 人の心の すさびは100倍 昔天国 今このジャマイカは 沈没寸前」と運ちゃんが言う 街角に立てば レコード屋から 悲しそうな声で 男が歌う 「12月の太陽 顔にまぶしい ところで家には 食うパンがない」と 正月元日 道で男が 「どうかお前の はいてる靴を くれないか?」と 呼びかけてくる そんな国やで ジャマイカは 四国程の島に 京都程の人口 そのほとんどが 満足に食えない 日本の大使は プール付きの家で眠り 「黒ん坊は駄目だ」と 言いやがった 何が「黒ん坊は駄目」なもんか お前より何億倍 立派な人達が 欲しいものを堪え 捨て子を育て 歌い笑うのが 見えない馬鹿者 断水停電 キングストンの夜 道端に佇む 人達がいて 日本の忘れた 貧しさとのどかさ そんな国やで ジャマイカは IZO(アイゾウ)と仇名を パブロはくれた SIMPLEに生きろと ギビーは言うた 吟遊詩人 ドラムのサンタ アール・チナ・スミス 俺のギターを変えた キングストンの街 離れた朝 この胸痛い 締め付けられて 『大きな自由』が 言葉だけでないように 死ぬなよジャマイカ 沈むなジャマイカ 『大きな自由』が 言葉だけでないように 死ぬなよジャマイカ 沈むなジャマイカ  コンサート、ラストには七ツ寺いっぱいの60人ほどが総立ちになって踊る。ホコリと熱気が舞い上がる。パーカッションが入ると全然雰囲気が違うてくる。主催のプガジャのスタッフ(小堀さん、脇田君、犬飼さんら)、七ツ寺のスタッフ、師★団の人たち、たかお、犬塚君、詮子さんらの顔が、〈輝き出す〉。  聴き手、スタッフ、俺の顔が〈輝く〉ようなコンサートをやりたい。  終わって、七ツ寺の2階で打ち上げ。ジャマイカに行った鈴木さん、豊橋からの長坂さん、名古屋の(元・発見の会の)長谷川君らとスタッフで2階がいっぱいになる。PAを用意してくれた森君、喜んでくれる。名古屋で山下洋輔トリオをプロデュースしている久保則夫さんも、「ジャマイカ行って良かった」と言ってくれる。プガジャの柴山洋一さん「ワン・パターンからそろそろ脱け出そうなムードではありますねえ」と書いてくれる。  打ち上げ終わってから、アール・チナ・スミス聴き、脇田君の勧めるスティービー・ワンダーの新しいLP『マスター・ブラスター』のカセット聴いてみる。B面1曲目のレゲエ・ナンバー『ジャミング』がええ。脇田君、音楽を知ってる男。 〔※1〕名古屋在住のシンガー・ソングライター。愛称〈ペケ〉。深いリズムのギターを弾き、優しいが鋭い言葉をうたう。見ているものが同じなのか、俺は波長が合う。 ◇10月26日 名古屋→京都  早めに京都に帰るところが、きょうは七ツ寺で、〈高校生のための演劇ゼミナール〉をやるというし、そのプログラムに、東京の舞踏団、ダンス・ラブ・マシーンの田村哲郎さんの〈体を動かすこと〉も入っているので、今の高校生を見たいのと、体のことに興味あるので残ることにする。  企画者の二村さんから「久保さんの講演の時にうたってほしい」と頼まれ、『大きな自由』『殺そうと思うだけで良かったのに』『チーズケーキ』をうたう。  田村さん、フッきれていて、俺より頭やわらかい。高校生にも、俺が「親不孝するのやったら(親の)若いうち」と言うたのに対し、田村さん「生きてたら、ええのと違う?」とバッサリ言う。  終わって、講師の久保さん、田村さん、演出家の鈴木さん、それに二村さん夫妻、たかお、俺で飲む。  「『チーズケーキ』の歌が、最高やった」という女子高校生に、俺が「チーズケーキ、何やわかった?」と尋ねたのに対し、田村さん、「俺やったら、あのこをこっち側にひっぱり込む。ありがとう、ありがとうと手を握りにいく」と言う。  〈教育よりも、今生きてるもん同士楽しむこと〉をやってる男。久しぶり、こわい男に逢うた。遠慮せず自分を出す。そして、言葉に自分の考え方をしっかり直せる。えらい。  しかし、きょう集まった高校生はオモロない。皆、顔が似てる。まあ、今、演劇をめざす奴より、暴走してる奴とか、ナンパはってる奴の方が、面白い人間が多いやろ。  2泊3日の名古屋の旅。名古屋で頑張っている人の〈場〉に逢えた、という感じ。これ以上いると、名古屋に引きこまれそう。最終の新幹線で京都へ帰る。 ◇10月27日 京都→大阪〈島之内教会小劇場〉  AZ福祉工場設立準備委員会のチャリティー・コンサート。  出演は俺の他に、タンクス、舞鶴のくずわのり、和田グループ。PA村尾、照明山本で、久しぶりに馴染のスタッフ。  西原牧師さんに、会津若松の栄町教会の高橋さんの挨拶を伝える。  コンサートは、ええノリ。聴きに来ていた田中研二が、『チーズケーキ』をデュエットしてくれる。ラスト、半分以上の聴き手が立って踊る。出演者総出でパーカッション叩く。『大きな自由』をカラオケで2回うたう。聴き手の数も、今まで大阪最高の180人ほど。教会いっぱい、立見も出る。  反省。聴き手に馴染の人が多いせいか、新しい歌を聴きたがっている雰囲気が会場から伝わってくる。別に誰も何も言わんのに。  新しい歌が欲しい。  終わって、枚方の中屯君「ギター、ようなったなあ!! きょう初めて、お前聞いてて酔うたわ」と喜んでくれる。  おなら社の伊藤順、Aさんをさそって来てくれる。 「最近、韓国からの密入国者に対しての締めつけがえらく厳しなってる。先日も、Aさんと同じように、夫婦とも密入国者で、それがバレ、1カ月ごとの在留延長許可証で日本に住むことを認められてきた人たちのうち、Bさんという人が強制収容された。 日本人の父を探しに密入国し、父と対面し認知され、もう大丈夫、これで日本に住めると思い、警察に自首した人や」  そして「〈○○さんを守る会〉というふうに応援の〈会〉ができた人は今まで強制送還されんかったけど、今回のBさんは初めてのケースやという。金大中(キムデジュン)のことで、日本政府側は騒がんかわり、日本に来た密入国者を韓国政府はもっと受け取るという密約でもついてるのかも知れん」  ――と順が言う。  Aさんは「いつ、どうなるのかわからん。気が気やない」と、まだイントネーションの違う日本語でしゃべる。それを聞きながら、俺、どうしたらええのか、とあせる。  自分が歌うてられるのは、眼に見えん、俺の知らんとこで、頑張ってたり、しっかり遊んでたりする人たちがいるおかげやと思う。近いうちに、猪飼野にあるAさんの家を訪ねる約束をして、別れる。  最終電車で京都に帰る。三条京阪の改札口を出たとこで、くずわ君、ジャマイカに行ったター坊と、佳子さんと逢い、カウカウへ飲みに行く。  ブレイク・ダウンの連中、来てて、できたてのLP〔※1〕かけてる。ええブルーズや。レコード買う約束する。  本当に俺の1日、いろいろある。 〔※1〕9月21日注参照。 ◇10月28日→30日 京都  久しぶりに京都で3日間休む。  「京都にいる時何してるの?」と、よう人に聞かれるけど、やっぱりレコード聞いてるか、ギター弾いてるか、うたってるか、曲作ってるか、散歩してるか。  映画に行くこともあるし、ライブを聞きに行くこともあるけど、この五年一番寂しいことは、京都の友達やらとうだうだ言いながら酒飲めんこと。特に今年は、四月までジャマイカ、メキシコ、ロス、帰ってレコード・プロモーション、9月からツアーと、目まぐるしい。  京都のミュージシャンともっとセッションしたい。〈住むこと〉と、〈うたい廻ること〉、来年あたり〈ひとつの転機〉のような気がする。  ラジオで「中核と革マルの内ゲバで、4人以上死んだ」と言うてる。  力を失った方向と 方向を失った力よ  仲間割れを起こすな 暗い部屋の中 ----------------------------------------------------------------- 俺をネタに遊んでる人がいる ◇10月31日 京都→帯広(移動日)  朝8時頃起き、伊丹から1時の日航でまず札幌へ。札幌で東亜に乗り継ぎ、帯広へ夕方着の予定で出発。  発見の会のプロデュースではないけど、11月1日、帯広畜産大学学園祭、三日、東海大学札幌教養部学園祭でうたう。  札幌から帯広への便が悪天候の為飛ばず、汽車で帯広に向かうことになる。札幌駅からの急行までの時間があるので、エルフィンにめしを食いに行く。カウンターの中の三上君「勇造さん札幌に住んだら?」と笑う。それもそのはず、今年3度目の札幌。玄米定食と、にしんの煮たの食うてるとこへ、主催の真柳敦夫君から電話来る。「空港まで行ったけど、飛ばんということで、連絡とれてよかった」と言う。コミュニケーション良好。  帯広まで5時間。さすがさぶい帯広駅。宿にまずギターを置き、念の為に持って来たセーターを革ジャンの下に着て、明日の打ち合わせへ。炉ばた焼き屋で、子持ちにしん、ほっけ、さんま、いか、それにいくら丼食いながら打ち合わせ。  「昨日の内ゲバの件で学内がピリピリしてる。今回のポスター、170枚町張りしたうち、100枚以上がはがされた。柳ジョージの方はそのままということで、多分、大学祭と帯広の人らとを近づけない為に、公安がはがしたのやろう」と聞く。「コンサートの方にも、私服が入るやろ」と言うので、ちょっと緊張。  ステーション・ホテルに早目に帰る。名の通り駅の上のホテルと実感する眺め。窓を開けると、北海道の冷たい空気が気持ええ。 ◇11月1日 帯広〈帯広勤労福祉センター〉  朝、大学に行き、今春、韓国南部で起こった〈光州事件〉のフィルムを見る。見てて、苦しなる場面が続く。軍隊に追われ逃げまどう人達がいっぺん倒れたあとに、脱ぎ捨てられた何十足ものクツのシーンが目に焼き付く。  空挺部隊が光州市に突入する前2日間は、断食させて禁欲状態にしておいて、突入の際には、麻薬を打って興奮させた、と知る。  アンケートが出る。難しい。「光州の今回のこと知ってるか?」という質問の答えに〈YES〉の方に丸をしたけど、よう考えてみたら〈NO〉やと思う。  このフィルムをやることになったC君と話す。「自分が韓国籍のこともあって、今までは何も動かん方がええと思うてたけど、光州のこと知ってからは、何かせなあかんと思い出した」と言う。〈始まり〉がここにもある。「又何か上映したい」というC君に、俺、「『朝鮮通信使』〔※1〕やったら?」と勧める。  さて、コンサート。PAの具合悪かったり、詳しい人いんかったりで手間取るけど、ええやつが出来る。  俺の前に、大阪生野出身の金秀法(キムスホン)君うたう。アドリブでうたった猪飼野のフレーズ、良かった。俺、『大きな自由』の前に、ピアノで『行方不知』やる。俺がこの歌書いたのは、大学に行ってた頃で、親とのことでなかなか止められんで、毎日が辛かった。学園祭に呼ばれた時は、いつもこの歌やりとうなる。  100人ほどの聴き手が熱い。スタッフも喜んで、舞台の上でパーカッション、手拍子やる。前回の帯広は、主催の人の事情で同じホールで15人程やったので、今回挽回。  終わって、『ふるさと十勝』のインタビュアーが、「ワタナベ・サダオの時より良かった」と言う。主催の連中も、「ナベサダのコンサート、ジャズのコンサートやなかった。今日の方がよっぽど〈生きてる〉」と言う。  真柳君、なじみの井上準君、梅津一孝君、池田史郎君ら、畜大碧雲寮のスタッフと町に住んでいるスタッフと、パブハウスで飲む。学校の先生してるという長谷さんが、店長に頼んで、今夜買った俺のレコードをかけてくれる。  明日は札幌。出発まで、帯広を案内してくれるとのこと。今夜もステーション・ホテル。眺めが本当にええ。歌になるかも知れん。 〔※1〕江戸時代、将軍の代替わりに際して送られた朝鮮からの交歓団。旅中将軍に等しいもてなしを受けるほど重視された。進んだ文化を吸収しようと、沿道に住む日本の文化人達は、競って面会を求め、一般庶民は、こぞって行列見物を楽しんだ。 ◇11月2日 帯広→札幌(移動日)  朝、まず寮に行き、アール・チナ・スミス聴き、次にディランの『SAVED』をかける。ゴスペル・スタイルのディラン。どうも、ピンと来ん。  スタッフが、俺のLPをみんな持ってくれてるのを改めて知る。嬉しい。  車であたりを走ってくれる。何分走っても「まだ校内」と言う。山も野も、しっかり生きてる。空気もええ、景色もええ。本当に北海道はええ。  焼肉食うて、空港まで送ってくれる。しっかりした連中。今の大学生のうちでは、ものすごええ連中。今の時代にめずらしい〈不良さ〉を楽しめるとこが、ええ。土産に馬の蹄鉄くれる。さすが、畜産大学。  東亜航空で札幌へ。機中の新聞に、ジャマイカは、JLP(右系、労働党)が選挙に勝ったという記事。写真があって、〈JLPの首相候補が、銃を抜いて腰低く構える警備のなかを、自分の車に走り込む〉シーンが写っている。  佐々木紀章君迎えてくれる。まず大学へ行き、明日のコンサート会場を下見して宿へ行く。エルフィンの近くのホテル。3300円。それはもう、思い出すのもつらいやろうという位、狭くわびしい。初めて、自分で何から何までやる、佐々木君にしたら仕方ない。  エルフィンでちょっと飲み、すすき野名物〈ストリップのコマ劇場〉に行ってみる。  外人白黒ショー、放尿ショー+アワ踊り+本番、外人ショー+本番。勿論、全員特出し。  まだ色々あって、3000円。客は300人位が、舞台の上まで座り込んで、えらい熱気。俺のコンサートも負けそう。チラホラ、女の客も見える。ジャンパー姿の中年が多い。顔色は悪い。「本番です。お客様の御協力を!!」と言われても、俺、とてもそんな勇気ない。それに本番ショーなんか見るの初めて。  一時間程いて出る。頭、醒めて来たら、〈やっぱり音楽の方がええ〉と〈頭〉で考える。  宿に帰って風呂に入り、又、エルフィンへ行って、ちょっと飲んでから、帰って寝る。 ◇11月3日 札幌〈東海大学札幌教養部〉  エルフィンで昼めし食い、東海大へ。3時から本番。8ミリの方は、監督の中島君が解説。  「きのう来た時、大学に来たはずやのに、高校に来たと思うた」と俺、ちょっと挑発する。大講堂に100人ほどの大学生。初めは手応えないけど、ラストは、しっかりノる。  終わって、主催の忍者同好会の人らと打ち上げ。「高校みたいやと言われて、つくづくそう思うた」と言ってくれる人もいて、反応あり。  エルフィンへ行き、佐々木君、異間人の古池君と飲み、古池君の家へ行く。ギター弾いたり、ジャズ聴いたりして、気持のええ夜。佐々木君、「きょう、やり終わって、初めて自分の手で何かした」という実感をしゃべる。古池君のバンド・EXPがプレイする『黒いパンタロン』と『越えて行け優しさを』を聴いて、本当にうまなったと思う。他人が、俺の曲やってくれるのは、嬉しい。 ◇11月4日 札幌→京都  昼、ギャラもらい、エルフィンでめし食い、来年3月21日に異間人でEXPと共演しようと決める。冬の札幌、待ち遠しい。次回はエレキを持ってくることにする。  札幌14時45分発日航。スープとクッキーしか出ん。サービス悪い。アッという間に大阪。京都に帰れば、夕方。風呂に行き、お好み焼き食う。ジャマイカで、ものが高くていろいろ買えず、キャベツ、メリケン粉、卵でできるお好み焼きばっかり食てた習慣が今も残ってる。  NHK-FM〈サウンド・ストリート〉森永博司君担当で、40分間俺を特集〔※1〕。全国放送。俺の歌と旅のしかたを中心に。  番組構成のしかたにもうひと工夫ほしい。流されるのはレコードからの歌、話されるのは館山ライブのやりとりで、歌から話、話から歌につながるとき、無理がある。わたりさんの持ってきたテープレコーダーが、音楽録音用でなかったのが残念だ。俺をネタに遊んでいる人がいるというのは、番組を聴いている人にようわかったと思うけど。  これから廻る各地の人らが聴いてて、少しでもライブの聴き手が増えるように。主催者も楽になる。  ラジオから流れる自分の歌を聴くのは〈ある距離〉ができて、冷静に聴ける。もっとわかりやすい曲がええ。 〔※1〕10月17日本文参照。 ◇11月5日 京都  昼頃起き、スティービー・ワンダーのLP『ホッター・ザン・ジュライ』を買い、帰って聴く。  スティービーのLPを買うのは初めて。レゲエの『ジャミング』、バラードの『レイトリー』がええ。『レイトリー』のベースがアコースティック・ベースやと思うてたのが、シンセサイザー・ベースやと知ってびっくり。  吉田ルイ子さんが「アメリカの黒人は、アメリカ人になった」と話したのも、このLP聴いててわかる。ジャマイカの黒人のやる音楽と全然違う。  直しに出してたウェスタン・ブーツ、1万1000円で直る。ええ仕事してくれるおっさんがいて嬉しい。「変わった奴ばっかり店に来るのや」とおっさん。「それは、おっさんが面白いしや」と俺。  またあしたから、信州のツアー。  寝しな、金子光晴『西ひがし』を読み終える。 ----------------------------------------------------------------- 鼻水タラタラ ◇11月6日 京都→甲府〈茶話室8時07分〉  京都→三島→甲府と乗り継いで、初めての甲府。鈴木清・富士子さんの店、8時07分でやる。20人ほどでいっぱいの店。  俺の着くちょっと前に近所のおじいさんが死んだとか、隣りの家の受験生の親がよくどなり込んでくるとかが重なり、PAなし。〈生〉でやる。  仕込み終わって、近所の公園、亀遊公園で今夜歌うてくれる坂田ひろしさんと散歩する。店で大きな声でリハーサルできひんかったので、公園の中にある野外音楽堂で『海の始まり』を足拍子でうたい、ウォーミング・アップ。  坂田君、先にうたう。歌聴いてて、自分の中からいくつかのフレーズが生まれて、嬉しい。触発される歌い手。  俺の時は、最前列にようしゃべる人が2人いて、とても気をつかいながらやる。なまじ、へんな酒飲み、いやがらせと違い、7年も前から俺のことを知ってる人がちょっと飲みすぎたというのやから、俺、怒るとこまでいかず。静かに聴いてくれる人と、前列の人と、同時にうたいかけていかんならんので、2本の映画をいっぺんに見るみたいで疲れる。  終わって、レコード売る。坂田君の友人で「初めて聴いたけど、LP3枚とも欲しい。それに、録音した年も書いてほしい」という女の人いて、嬉しい。うとてる時に、眼を見張って聴いてた女の人。15人ほどの聴き手で、LP3枚が3セット売れる。  『山梨日日新聞』の西室健さんのインタビュー。ジャマイカに行ったきっかけを話してから、「ジャクソン・ブラウンの『ホールド・アウト』聴いて、かわいそうや、と感じた。ディランのLP『セイブド』はアカン。今はレゲエとブルーズ、そしてパンクがええ」と言う。  少し飲み、鈴木さんの家に向かい、風呂に入れてもらい、野口整体の話を聞いて眠る。 ◇11月7日 甲府→屋代〈西友上山田店内プリンベック〉  甲府から屋代へ。1年ごぶさたの、『チーズケーキ』をつくるきっかけになった屋代の諏訪美喜さんが主催。屋代の隣り町にある西友上山田の中にある諏訪さんの喫茶店でやる。リハーサルでうたうすぐそばで、パンとかサラダとか野菜とか売ってる。買い物客が、こっちを見てる。  スーパー閉店後開演。子供連れの人とか多かったけど、うたい出したら聴いてくれて、最後には踊り出す人もいる。『チーズケーキ』を諏訪さんらと合唱。フランスから来たピエールが喜ぶ。  終わって、屋代の方の店〈森〉へいって、打ち上げ。「来年はバンドでおいで」と諏訪さん言ってくれる。弟さんの方は、静かな人。でも、何か感じるものが伝わってくる。  諏訪さんの家にやっかいになっているピエールが話す。 「フランスは北回り、西回りと便があるけど、アラブを飛ぶ西回りは荷物がなくなる」 「ソビエトでは、今でもGパン1本3万円出して、それのためにホテルまで来る女の人がいる」 「フランス人は、日本人みたいに外食に金使わん。レストランの料理はもっともっとうまくて、もし肉が堅くて、店に不満があり喧嘩になって、ポリスが来て、客の言い分が正しいと判断したら、その場でレストラン、閉めさせられる」  ピエールは「人生はいっぺん、楽しい方の芽を伸ばせ」という意味のフランスの格言と「大きな自由」のフランス語訳は〈Une Grande Liberte(ユンヌ グランドゥ リベルテ)〉と教えてくれる。 ◇11月8日 屋代→戸隠〈十輪〉  諏訪さんの車で長野市まで送ってもらう。もちろん、日本一うまいチーズケーキ御馳走になってから。車中、国道沿いに「未解放部落を解放しよう」という看板が眼につく。きのうも眼についた。  バスでバードラインを通り、戸隠へ。1時着。荒れてへん自然。バスを降りると、雪がかすかに降ってる。俺の初雪。リュックから手袋を出し、今年初めてはめる。  1年ぶりの十輪。横倉英起さん。  ここも〈生〉でうたうので、カラオケのセッティングだけする。気温が低いせいか、声がなかなか出にくいので、カラオケで3回ほどうたい体をあっためる。  〈気温のせいで声が出んのを、自分の調子が悪い〉と勘違いせんようにせないかん。  落合宏さんをたずねてみる。村の青年団にも、そろそろ面白い動きが出てきたことを聞く。本2冊、『二人の分校』と落合さん著(ペンネーム・林恭吉)の『遠い道』をもらう。  コンサートは、しっとり、はっきりしたものができる。横倉さんも落合さんもうなずきながら聴いてくれる。ただ、十輪に親しみのある遠来の人が多く、もっと地元・戸隠村の人にも聴いてもらいたい。たまたま東京から来てた身体障害者の人が、コンサートの最後で、手拍子して、体動かして喜んでくれたのが印象的。  「きょう長野から来る時、バスの中で、隣りに座ったストリッパーのねえさんから教えられた」とつくり話して、『練鑑ブルース』のメロディーで『特出しブルーズ』やる。来しなのバスの中でつくった。こないだの札幌・すすきのコマ劇場の〈あの世界〉をうたいたかった。 『特出しブルーズ』 町にネオンが灯る頃 ミラーボールが廻り出す きょうも出ていく 楽屋から 男が金を持ってくる 1曲踊ってじらせておいて 2曲ゆっくりホックをはずす 白黒 放尿 泡踊り 指で開いて私を見せる 知らぬ男に入れさせて 歌う口笛 本番ブルーズ ルルル・・・・・・・・ 男が子供に見えてくる 昨日すすきの 今日伏見 南へ下って天文館 年に三度は 刑事の手入れ 次の手錠はどこの町 手入れ手入れを乗り越えて 7つは若く踊ります 本番悪いというのなら もとの娘にしてみせろ もとの娘にしてみせろ  『戸隠かわら版』を出してる極意利雄さん、1973年に、アメリカのロック・グループWARがレゲエをやってた、と聞かせてくれる。「奥社のひと気のないとこに1人で住んでたら、こいつを持ってることだけで落ち着く」とモデルガンを5挺ほど持ってきて、見せてくれる。  峠を越して、また峠を越したところに、生きてる人らがいる。 ◇11月9日 戸隠→長野〈ゆいまある〉  昼頃起き、戸隠名物手打ちそばを食い、近くの山に登る。冬はスキー客で混む山も、今は誰も居ん。冬の初めの戸隠連山が一望。眼を閉じると風の通っていくのがわかる。久しぶりに音楽のない世界で耳の疲れをとる。いつも戸隠に来る時は、山伏の歩くという〈蟻の戸渡り〉に挑戦しようと思うけど、今回も無理。  極意さんの出している『かわら版』のインタビュー。「戸隠の大きな古い家見てたら、この家の下で生きてる女の人は大変やろ」と感想言う。  落合さんに逢いに戸隠茶屋に行く。きのう来てくれた地元のグループ〈あんちゃん元気かい〉の人が、もっと地元の人に聴かせたい、と言ったと伝えてくれる。ももよさんの打つ手打ちそば、御馳走になる。  夕方前に、県道を通って長野へ。観光ルートのバードラインと違い、戸隠の人の生活がちょっと見られる道。  長野・ゆいまある。去年の6月以来。主催の吉本隆生君、この日婚礼が二つ重なって夕方から準備のため、せわしいセッティング。PA、音出んかったりして、ちょっとあせる。  コンサート、雑なものになってしまう。なんでか、聴き手に照準を合わせられん。セッティング終わって、俺がうたうまで、きょうは8ミリの時間分30分。もうちょっと時間が欲しい。  終わって焼肉屋で打ち上げ。むかいに座った大学生が、なんかピントはずれな質問ばっかりして疲れる。  吉本君のとこへ帰り、久しぶりに〈泡盛〉。吉本君は沖縄の出身。71年の沖縄で、右翼になぐり込まれた時からの知り合い。『海の始まり』の「お前ら日の丸焼いたやろ 殺すと囲まれた 沖縄の夏」の共同体験者。奥さんの千恵子さんの里・長野に住みだして、逢う1年ごとに、吉本君の話、部屋に貼ってあるポスター、ひとつひとつから、吉本君の〈沖縄〉の中に、〈日本〉が入り込んできていると感じる。それは一つの〈混じり合い〉という〈愛し方〉やから、その現場で吉本君がどうしていくかが、課題。 ◇11月10日 長野→諏訪(移動日)  ゆっくり起きて、ゆいまあるの2階の座敷でヨガする。コーヒーと大盛カレーを御馳走してもらい、前田一郎君のバイクでディスク・オリバーに行く。  長野で、ロック&ジャズだけで頑張っているレコード店。ジャマイカ・スカのLP買い、自己紹介すると、知っててくれる。  自分の夢を実現させてる人ら、という感じ。オリバー出てすぐのところに、大きなレコード屋があり、毒にも薬にもならんレコードをいっぱい売っているのを見て、改めてそう思う。  そのあと、千石映画劇場へ。ウィリー・ネルソン主演の『冬忍(すいかずら)の花のように』とクリント・イーストウッド主演の『ブロンコ・ビリー』。両方共、二流のストーリー、カメラ、演出。客は5人ほど。  ただ、ウィリー・ネルソンのギターの音色、フレーズの独自さにびっくりする。サウンド・ホールの下に、ピックがあたってできた穴があいている。初めて、こんなギター弾く奴を見た。  ゆいまあるへ帰り、急いで仕度して急行で上諏訪へ向かう。  上諏訪・セロニアスで主催の小穴正幸君、清水節男君らとおちあい、ミスター・ボブこと鈴木義則君の家へ。かやぶきの古い家。鈴木君の好きなカントリー・ロックを聴かせてもらう。俺のレゲエみたいに、ひとつのリズムを楽しんでいる人。鈴木君が送ってくれた手紙と〈水色のバンダナ〉が『大きな自由』のフレーズになった。 けさ手紙が着いた 北の街から 哀しいことが重なって 今年は雪が憎いという そんなお前に送りたいものがある (中略) 水色のバンダナ  ゆっくり酒飲みながら、鈴木君の店、Gパン屋に来る近頃の若い人らは、自分の方から何もつくり出さん、カタログ文化に浸っている、という話などする。 ◇11月11日 諏訪(空き日)  小穴君と由美ちゃん(中島由美子)の案内で、諏訪太鼓の小口大八さんのとこへケニーを訪ねて行く。ロスの日系三世が中心になったロック・バンド、ヒロシマの元ドラマーで、今、和太鼓の勉強に日本に来てるケニー。Kenny Koji Endo。あすのセロニアス・ライブで、ドラムを頼むので、その打ち合わせのつもりが、小口さんの〈説明会〉になってしまう。  気になるのは、諏訪太鼓が有名になるのは、小口さんが〈一日一善〉の笹川良一と近づくころから始まっていること。〈太鼓をたたくこと〉と〈権力を憎むこと〉の、一方は簡単やけど、人間一人の中でそれを両立させて行くのは難しい。  「力を失った方向と 方向を失った力」  そのあと3人で阿弥陀寺という紅葉の名所の尼寺へ行く。  そして、長野から来る伊郷君を迎えに駅へ。そして小穴君の家の近くの、町内会管理の共同温泉に入る。各家が温泉入り口の鍵を持つというシステム。1軒いくらと会費が決まっている。  たまたま、小穴君の友人でアメリカに5年いた人に、風呂で逢う。俺が、「日本ではカーター有利と報道されてた」と言うと、「アメリカでは、今年出た百科事典に既に〈レーガン大統領〉と印刷されてた」と答えられ、日本とアメリカの報道の食い違いに、改めて気づく。  鈴木君の家で、鍋をしながらNHK・FM〈サウンド・ストリート〉の俺の特集の2回目を聴く。放送では禁句になっているはずの〈「朝鮮」の春〉がかかるかな、かからんかな、と皆でワイワイ言いながら、『大きな自由』を聞く。森永君、頑張ってくれたのや。〈天皇陛下〉は良いけど、〈天皇〉とだけとり出せんのと同じように、〈朝鮮〉だけでは放送にひっかかるという。  鈴木君の歌を、俺、リードをつけながら聴く。『ジム・クロウチに捧げる歌』など、ええ歌がある。最近の人には欠けてる、人の細やかな心の動きをうたう。俺、久しぶりに、ええリード弾ける。 ◇11月12日 諏訪〈セロニアス〉  朝、ヨガする。きのう温泉に入ったせいか、このところ痛かった腰の痛みがゆるむ。なめこおろし、味噌汁の昼めし御馳走になり、コーヒー。陽子さんの入れるコーヒーは絶品。俺の入れたのよりうまかった。  諏訪神社・上社へ散歩。写真では知ってた〈御柱(おんばしら)〉を見る。いろいろ想像する。  帰ってテレビをつけると、南正人とカルメン・マキのニュースをやってる。ヘロインを売り買いしてたという。  それと、『朝日新聞』で白竜の『光州シティ』が発禁になったというニュースを知る。白竜の「在日韓国人・朝鮮人という存在自体がマイナーな世界に閉じ込められがちだから、今回は是非、どこのレコード店でも買えるという形で出したい」という言葉が載ってる。メジャーのレコード会社が発売禁止にした時、どうするか? 1、その歌のレコード化を捨てるか、2、自分らでレコード作るか、しかない。  4時半から仕込み。なんかバタバタする。ラジオのFMの放送を聴いてくれたのか、60人ほど。セロニアスが満員。主催者が顔知らん初めての人、多い。松本から中川八平(かっぺい)君、百瀬範明さん来てくれる。百瀬さん、今月結婚すると、ニコニコ。  コンサートは、初めはよかったけど、途中、一番前の女に眼を定めたときからペースがくずれる。いつもみたいに、ノッてる人からみていくようにせなあかん。一番前にいて、体動かさず、手も叩かず、面白なさそうにしてる人がいたら、なんかこっちが悪いことしてるみたいな気になる。(あとで聞いたら、ケニーめあての人やった)  なんか、全体にアセリ気味のコンサート。  ケニーと『沈むなジャマイカ』『ジェフ・ベック』ほか6曲やる。セッションの曲数としてはちょっとやりすぎ。『沈むなジャマイカ』は、聴き手がリズムを出すようにまず持っていき、地元にパーカッションの人がいたら、そのあとで登場、というふうにすること。そやないと、客は聴く側に回ってしまい、自分でリズムを打ち出さん。  終わってちょっと打ち上げて、ケニーにお礼を渡す。「来年は岡谷でやろう」と洗濯船の木下君、言ってくれる。鈴木君とこへ帰る。この3日間の諏訪、もうちょっとピリッとした諏訪にしたかったけど。体が風邪気味なのにもよる。「『ワルツ』のピアノの弾き語り、良かった」という鈴木君の言葉に、ちょっと安らぐ。鈴木君、陽子さんに感謝。 ◇11月13日 諏訪→金沢  9時頃起きて、歯をみがき、顔を洗い、ノドをゆすぎ、20分かけて体を起こし(よじり)、コーヒー2杯とパンを一切れ、ギターケースに手を伸ばし、タンバリンと着替えの入ったバッグをつかみ、送ってくれる車に乗り込む。ここは信州諏訪湖のほとり、山はまだらに色づいて、田んぼは稲刈りすんだあと。ここらあたりは寒天の名所。海から来たテングサ、干されてる。  こんな風にして、もう何年もツアーの朝が始まった。  鈴木君の店、茅野駅前のキングに寄って、まずは朝刊を見る。  ヘロインの密売ということで南正人が、それを買うてステージ前に使うたということでカルメン・マキが捕まった。南正人、カルメン・マキの顔写真が載ってる。南正人、ヘロイン8グラムを50万円で買い、0.8グラムをカルメン・マキに5万で売ったらしいが、南正人が手数料とって儲けてへんかったことに感心したりする。  レコード屋で俺のレコードにサインする。「この人は大丈夫やろね」と鈴木君、言われる。「南正人が来た時、やっぱりサインに連れていった。あのレコード、もう売れへんと思うてるのやろなあ」と鈴木君。  11時の汽車で、茅野→松本→金沢と乗り継ぐ。松本からの急行が暖房きかず、糸魚川へ抜ける峠を越えるあたりから、急に冷えこんだので、体の風邪っぽさが増す。鼻水。ノドがいがらっぽい。革のズボンにはきかえても、携帯カイロを使うてみても、寒い。  車中、白竜に「できることあったら自腹で行くし」とのハガキ、書く。  金沢、夕方着。あさっての主催者、JO-HOUSEの松田豊さんに逢い、8月の時の内灘海岸での「海といのちの祭」の主催とのもめごとの説明をしておく。  体が寒くて、だるい。鼻水がずっと出る。久しぶりに京都にTEL。JO-HOUSEの淑子さんに久しぶりに逢う。ますますキレイになっている。松田さんも果報者。  ギター・リペアマンの田中記代志さんの家で、携帯カイロを腰の下に入れ、松田さん差し入れの日本酒飲み、あったまりながら、寝る。 ◇11月14日 金沢→輪島〈漆器会館3階ホール〉  朝、ヨガして、10時発の急行で輪島へ。鼻がグズグズいう。30分ほど車中で眠り、ちょっと楽になる。体の調子が悪い時は、新聞見ても、人の〈死〉に眼がいく。嵐寛寿郎、越路吹雪、スティーヴ・マックィーン。  途中、穴水の手前から、輪島へ行商にいくおばはんが乗り込んでくる。座席を簡易ベッドみたいにして、ゴローンと仰向けに2人のおばはんが寝てる。車掌もなれたもので、おばはんと冗談言うてる。窓から見える景色、貧しい風景。一軒の家が小さい。おばはんが窓際で、パンをかじる。  輪島に着いて、主催の広瀬恒基さんと打ち合わせ。それからめしを食いにそばやへ入るけど、行商のおばはんの注文はかけそば。俺はおろしそば。300円。ひっそりとした輪島の町。電信柱の俺のポスターと俺を見比べて、子供が指さして笑う。  コンサートは漆器会館3階ホール。普段は食堂のところのテーブルをのけた会場。  輪島、3回目。  76年「さあ、もういっぺん」  77年「さあ、もういっぺんのもういっぺん(地元でくれたタイトル)」  80年「血を越えて愛し合えたら」  開演前まで、体調、最悪ではないが、かなり悪い。3分おきに鼻をかむ。それに下痢。ズボンのジッパーのあたりがタテに裂けたのを繕う。コンサート本番とは妙なもの。そんな体が本番になると鼻水もとまり、体もちょっとしなやかになる。20人ほどの人やけど、レベルの高い聴き方。20人でも寂しないコンサートができる。体調悪く、めいってた俺、元気とり戻す。  終わって、スタッフらと話す。 1、内容が良かったので、これであと30人、人が入ったら……。 2、歌の内容について。いまの若い中・高校生には、豊田君の使うシンボルがわからんやろう。たとえば、『さいなら!! ディラン』の「ディラン」とかは知らんのちゃうか。 3、輪島で3回目やけど、今回一番良かった。 4、今の時期になると、輪島の人間、コタツから動かんさかい、7月〜8月、夏にやった方がええ。  いろいろ言うてくれるけど、本当に2はあたってる。〈シンボル〉が一部の人にしかわからんようになってきているのは確か。ディランはもう象徴になり得ん、今の日本。同時にディランを象徴にして生きてた人が、今はおとなしすぎる世の中。ディランにさいならを言うより先に、さだまさしをやっつけないかん。  宿に帰り、風邪で風呂に入れんので、足だけ湯につけて体暖め、寝る。 ◇11月15日 輪島→金沢〈小立野地下広場〉  朝、宿の前がざわついている。なにかと思えば輪島の朝市。300軒ぐらいの出店が並んでいる。  「にいさん、買うてえなあ」と声かけられる。  昼過ぎの汽車で金沢へ。車中、大阪から旅行で来たという20歳ぐらいの女の子のグループが、俺の方をジロジロ見て「輪島の町でポスター見た」と言うので、大阪プガジャに連載していることを言い、12月23日の枚方のコンサートの案内を渡す。  金沢・小立野地下広場。ひどい風邪をひきながらリハ。鼻水タラタラ。寒気がする。  コンサートは、どうもスピード感が出んで困る。初めてステージで『兎』をピアノでやる。終わってレコード売ってたら、「子供が生まれて〈勇造〉て名をつけようとしたけど反対されて」と嬉しいことを言うてくれる人あり。JO-HOUSEで打ち上げ。松田さんともう1人の主催者・不思議屋の渡部知久君らと乾杯。来てくれてた女の人が「勇造のギターの音色、とても綺麗になった。私が生きていくために、勇造の歌が必要です」と言うてくれる。それから、同志社の頃の友人、石川君のところで少し飲み、早めに寝る。 ◇11月16日 金沢→京都  昼前に起きて、石川君のすごいステレオ、大きなスピーカーで、俺の3枚のLPを聴く。『さあ、もういっぺん』『走れ、アルマジロ』は今聞くと、いやに粘っこいうたい方をしている。それに〈スピード〉も遅い。  自分のスピードと時代のスピード。  古いブルーズのLPとかは今聞いてもそんな感じがせんのはなんでやろ。年代を越えて、ピタッとするスピードが欲しい。  JO-HOUSEに寄り、チーズケーキを御馳走してもらい、4時過ぎの汽車で京都へ。途中、原子力発電所反対のデモするから寄ってほしい、と言われてた敦賀の中川高志君に「風邪がひどうて無理」とTELする。  夕方、久しぶりの京都へ。帰ってまず風呂に行き、ゆっくりする。 ◇11月17日 京都  昼までゆっくり寝て、散歩。レコード、ズボン、本を買う。ツアーから帰って行ってみたい店は、レコード屋、本屋、楽器屋。 ◇11月18日 京都  これからの冬のツアーに向けて、セーターを買いに四条河原町へ。帰り、よしや楽器店に寄り、絃を4ダース買う。それから、朝3時頃まで、よしやさんと飲む。 ◇11月19日 京都  昼、植物園を散歩。夕方、何カ月ぶりかでバンドの練習。ベースの石井君、学園祭でよう練習したのか、前より音が出てくる。それでもスタミナが足りん。ギターの正垣さん、よし。  夜、栢下君〔※1〕と、来年3月の京都のコンサートと、来年のことについて相談。「1年間、ニューヨークに行ってみたい」と言うと、賛成してくれる。 〔※1〕栢下芳郎。豊田勇造ファンクラブ会長。10年来俺の歌を聴き続け、アドバイスを続けてくれている。誉める人の多いなか、悪いところは悪いと、ハッキリ言ってくれる貴重な人。枚方市役所勤務。 ◇11月20日 京都  久しぶりに家に帰る。皆、元気。「近くにまた大きなスーパーができて、その開店の時に小売店の反対デモ対策として、暴力団がガードマンに雇われてた」と兄貴〔※1〕が言う。 〔※1〕豊田政雄。豊田 勇・よしの長男。京都中京区で食料品店を営む。ちなみに俺の兄弟は、年順に、政雄、清、重雄、義治、俺と、男ばっかりの5人兄弟。 ◇11月21日 京都  一日、家にいて、来年1月から3月のコンサート主催者と連絡をとる。高知、徳島、高瀬、舞鶴、敦賀、鳥取、紀伊田辺。  夕方、例の山田さん〔※1〕が遊びにくる。10月27日の大阪のコンサートで聴いて、『大きな自由』の「朝鮮の春」のとこだけが浮いてる、と言う。山田さん、自分の生い立ちを話す。子供の頃、両親が別れ、陶器職人やった父親に逢いに行った時の話とか、する。  夜、1時頃までかかって、ツアーの途中の絃の補給のために、絃を小包にする。長崎に送る。寒くなるので、靴はブーツに決め、油を塗って、手入れする。  明日から、1カ月のツアー。11月22日から12月22日まで。 〔※1〕10月19日本文参照。 ----------------------------------------------------------------- さだまさしをけなすブルーズ ◇11月22日 京都→津〈水平線〉  昼過ぎの近鉄で津へ。連休前日のせいか人が多い。駅前にも、電車の中にも。1時間半で津へ。  水平線ヘ。25歳までの若いバンド仲間が集まって店をやってる。リハーサル終わって、河口の近く、防波堤まで行く。満月の光が海を照らす。  コンサートは、風邪が治り切らんかったり、子供が騒いだりでちょっとしんどい。曲順を変えたり、新しい手もやってみる。  終わって、おでんとうどんと魚で打ち上げ。主催の岩佐均君ら、古びた旅館まで送ってくれ、「また是非!!」と言って別れる。 ◇11月23日 津→山口〈山口大学大講堂〉  朝8時起き。津駅前で2時間ほど、『月刊TOWN』の浜地秀雄さんと話す。  津労音の話。「今売れてる長淵剛のコンサートの切符が欲しいという人に、斎藤哲夫の切符を抱き合わせやないと売らん。実際、哲夫のコンサートの日は客が50人くらい。哲夫のには行きたない人でも無理矢理哲夫の切符を買わされた、というのがようわかる」と言う。  津→名古屋→小郡→湯田温泉。  去年はごぶさたの山口。きょうは山口大の学園祭。プロデューサーの香原詩彦君、迎えてくれる。本当は、南正人も来るはずやったけど、例の事件で来んという。  フル・ノイズ、源之助〔※1〕、吉田さん(舞踏)、山崎君(ジャズ・ピアノ)、そして俺の順。  リハなかったけど、俺、けっこうスピード感出せる。2年前の山口がようなかったので挽回できて、良かった。香原君、喜んでくれる。別に何も言わんけど、そう感じる。ラストに源之助と、南正人の『横須賀ブルース』うたう。レコード、よう売れる。ええコンサートができるとすっきりする。  源之助がガンと聞いてたけど、キンタマにできたガンが転移する前に手術したので、命助かったという。「キンガンになったんや」と源之助、笑う。ブルーズを知ってる男。 〔※1〕小檜山源之助。山口のトム・ウェイツと呼ばれる、ブルーズ&バラード・シンガー。実力派、好人物、なまけもの。歌うたいと女、のことを歌った『はなし』は秀作。 ◇11月24日 山口(空き日)  昼頃から紅葉を見に、長門峡(ちょうもんきょう)に行く。京都でいうと保津峡みたいなところ。久しぶりに歩いて、汗が出る。  源之助とこでテレビ見ながら、お好み焼で晩めし。〈夜のヒットスタジオ〉見て、面白い〈歌〉がないなあ、と皆こぼす。ただシーナ&ロケッツが出てて、リード・ギターの鮎川君が、テレビに出ててもよそ見ばっかりしてておもろい。  ホテルに帰って寝る。むかいの路地の角から、アルサロの客ひきの声がし、しばらくして、仕事の終わったホステスをとりあおうと喧嘩する男同士の声がする。  あしたの益田、源之助もうたうことになって楽しみ。  夜中、ベッドからかけぶとんがずり落ちて困る。 ◇11月25日 山口→益田〈石西市民会館〉  昼前に山口を出発。源之助が運転。約2時間。車中、アメリカ南部のブルーズ・シンガー、トニー・ジョー・ホワイトのカセット聞きながら。  途中、津和野に寄ってちょっと町を見物して昼めし。コイ定食1500円で、結構量もある。コイコク、うまい。これが京都のナントカ茶寮やと、4000円ぐらいするはず。山口県ちゅうのは、どうも2割ぐらい物価が安い。めし食いながら、源之助が話す。 「山口県は物価も安いけど、賃金も安い。日雇いのおばはんの日給なんか、一日800円やった。それも2年前やで。俺は、自動車の免許持ってて、日給4000いくらもろてたさかい、おばはんやらに『いくらで働いてるのや?』と聞かれても、答えられんかった」と言う。  3時頃、益田入り。石西市民会館小ホール。駅前のマルフク・フルーツパーラーの主人で、ジャズのレコードも出してる池野鷹廣さんが主催。3年目。ようやってくれる。  PAの音出しに手間どる。  「例年、コンサートの切符をよう売ってくれてた西本君が昨日、バイクでツーリングしてて死んでしもた。今日のコンサートでは、是非『ブルーズをやろうぜ』をやって欲しい」と池野さんに言われる。  源之助、ちょっと体重く、病み上がりだからか、ぺースが重い。俺、逆に走ってしまう。走ってしまう時は、『憧れのジャマイカ』、2小節目の4拍目を1拍欠いてしまう。1拍欠いてうたわんように気をつけること。  中ほどから、ぺース出てきて、最後には1人、男が高い舞台まで上がってきよる。  終わって、DIGで打ち上げ。西本さんの出入りしてたDIGやさかい、打ち上げ、ちょっと湿っぽい。 DIGのマスター・池野さん、PA担当の高橋さん、なまず屋の大畑君らと飲む。  源之助歌い、俺ピアノ弾く。それから「ここの2本のギターの絃が全部切れるまでやろか」と2人でメチャメチャやる。ラストは、エレキの絃をビールびんに巻いてビュンビュン鳴らして、お開きにする。 ◇11月26日 益田・山口(移動日)  昼過ぎに起きて、池野さんの店でめしよばれ、源之助の運転で山口へ。源之助の『なまけもの』という曲の「光と闇は愛し合えない」というフレーズについて尋ねると、源之助「昼働く人は夜つかれてなまけられへんし、夜働く人は昼をなまけられへん。夜、昼なまけるのは一番ええねんけど」となまけものらしい説明。  萩を通り、いくつか景色を見て、山口に帰る。源之助とこにギターおろして、香原君の店、ラグでジャマイカ・8ミリの上映会。そのあと源之助の家に、インドに1年行ってた国吉君とか、イルカちゃんとか集まってちょっとしゃべる。国吉君から「別府の坊さん、龍宝さんに逢うように」と言われる。  イルカちゃんの持ってた『遊』の松岡正剛とタモリの対談で、先代志ん生の話があった。「志ん生はちゃんとけいこしてたけど、高座の直前には入れ込まず、全然別の考えたり、楽しんだりしてた。咄のスジが途中で変わったこともある」というの、俺にもようわかる。  夜中寝られず、あかりと音の洩れるのを気にしてトイレで手帳に歌を書く。『さだまさしをけなすブルーズ』の出だし。 ◇11月27日 山口(空き日)  一日、山口を楽しむ。焼めしとラーメンで昼めし、両方で300円。ラーメン、具はほとんどはいってへんやつやけど。丘の上の教会、ザビエル教会に行く。パイプ・オルガンのええのが入っている。それから美術館に行き、『近代日本の西洋美術』展を見る。岸田劉生作「草持てる男の肖像」と満谷國四郎作「小憩」が気に入った。前者は、まるで生きてるみたいに描かれてある。後者は、大正か明治の頃の女の裸図やのに、アッケラカンとしているのが気に入った。  山口の町、また散歩して、市場でフグ買い込み、伊郷君作の鍋にうつる。鍋食いながら、〈男と女〉のことについて、〈質問あそび〉をする。「もし源之助が他の女と住んだらどうする?」という質問への、源之助とこの公代さんの答が「その家庭をメチャメチャにする」。うちの恵子ちゃんの「まず、一人になりに外国へでも行く」と対照的。 ◇11月28日 山口→徳山〈山ロ放送〉→広島  10時頃、源之助が雨の中、小郡まで送ってくれる。出発前に、ラグでリッチー・ヘブンスのLPをカセットに吹き込んで、もらう。  山口放送。高橋ヒナ子ディレクター、女屋アナウンサーが担当。30分の番組、なんとコカ・コーラがスポンサーの〈サウンド・イン・コーク〉。30日徳山コンサートのプロモーション。ノーギャラ、ノー粗品、昼めし御馳走になる。  「ジャマイカでのマリファナのこと、しゃべりたい」とディレクターに言うと、「中高生が聴いてる番組やさかい、ヤバイ」とのこと。ボブ・マーレイの『アイ・ショット・ザ・シェリフ』、ジミー・クリフの『アナザー・サマー』、俺の『憧れのジャマイカ』と『殺そうと思うだけで良かったのに』をかける。  終わって、徳山の主催者福屋利信君の家に寄り、福島屋の出しているぺーパー・マガジン『タバコ・ロード』をもらい、広島へ。  遠野ミドリさん(去年までの飯塚のコンサートの主催者)が迎えてくれる。広島の、この3年の主催者・酩酊亭〔※1〕に、長久博子さん、横山郁江さんと同居してるという。遠野さん、キレイな紫を着てる。まず酩酊亭に行き、原信幸君の誘いで寿司を食いに行く。  発見の会とのチーム・ワークの話とかする。そこへ横山さん来て、「2日後の日曜に〈金大中の夕ベ〉が広島であって、豊田さんがロスで逢ったはずの梶岡さんから、是非『大きな自由』を歌ってほしいと言づけされてる」と言う。  夜、酩酊亭で、ジャマイカ・8ミリの試写会してから、眠る。 〔※1〕もと、フリー・スペース『手づくり会館』のスタッフらが集まって住む家の名称。よく、飲み屋と間違われる。酩酊亭の名で、俺のコンサートの他、『小林まり子コンサート』や、映画『女ならやってみな』を上映。俺の中の〈男〉に対し、問いかけられるが、正直に答えて行かなあかんと思っている。 ◇11月29日 広島〈YMCAホール〉  昼、皆が出払った酩酊亭で、久しぶりに1人。大阪プガジャの1月分原稿「道は憧れのジャマイカから・5−ダブ・サウンド・システム・ダンス・パーティの夜」を書き上げる。ヨガしたり、ショウガとハチミツのジュース作って飲んだり、足湯したりして気分ほぐす。部屋にあったウワサのまり子のレコード『朝、起きたら』『男がつかない』を聴いてみる。アッケラカンとしておもろい。新しいタイプの、女の歌い手。   YMCAホール。聴き手は80人ほど。去年よりちょっと少ない。横山さんの希望、『チーズケーキ』は歌わんで欲しい、があって、それにかわる、息抜きの曲やラヴ・ソング(どっちもイメージがはっきりしてて新しい曲)がないので、ちょっとつらい。  「もっと前に来て聴いてほしい」と開演前に言うと、ステージの前、俺の足元まで座り込む人、居る。ゴチャゴチャしてて面白い。席が決まってへんのも面白い。  終わってから、原君の友人が「去年より良かった」と言ってくれたと聞き、ちょっとホッとする。  終わって、ギョーザ屋で打ち上げてから、酩酊亭で〈きょうは飲む〉ことに決めて、飲む。  あした、声が出るかどうかとクヨクヨ考えて飲むよりは、〈きょうは飲む〉と決めて飲んだ方が、その夜も、次の日も、中途半端にならんで良い。人間、いつ死ぬかわからんのやし、ちょっとでも楽しみながら生きな損。  遠野ミドリさん「中川ともこさん〔※1〕と話してて、『豊田さんとこは夫婦やね』と、ともこさんが言うてた。春の東京のミーティング〔※2〕で恵子ちゃんが『豊田君に保険をかけてほしい』と言うたのを聞いて、一人一人が責任とって生きなあかんはずやのに、と思うた」と言う。  けど、去年、2回も大病してみて、ことしツアー始める前、保険かけようと本気で、俺探した。 〔※1〕女性シンガー・ソングライター。透明感のある、自分の声を持っている人。 〔※2〕5月23日の東京での帰国コンサートの後、24日、25日に聞かれた、各地の主催者の人達とのミーティング。ジャマイカ報告、ツアーについて、ワーナー・パイオニアとのことについて、全国ネットワークについて話された。 ◇11月30日 広島〈広島県労働会館〉→徳山〈キーストン・クラブ〉  きのう4時頃まで飲んでたさかい、昼頃眼を覚ます。〈金大中の夕ベ〉ヘの要請の最終調整をする。徳山の主催者・福屋君に「広島でうとうていったら、開演が20分ほど遅れて、7時20分ぐらいになるけど」と電話すると、「何かしなアカンとあせってた自分の代わりにも、うたってきてはしい」とOKあり。  4時から平和公園の〈母と子の像〉の前をデモ出発。俺は、白い囚人服着て、32歳の作家、求刑10年の宋基元(ソンキウォン)に扮する。市内をデモする。デモ隊の歌より、全斗換(チョンドゥファン)役の梶岡君が囚人たちをなぐったりするアピールが通行人の気をひく。40人ほどのデモ。デモに同行する私服にエライ男前がいて「これやったら誰がポリかわからん」と変に感心する。デモは会場の労働会館ヘ。  参加者の少ないことに、俺びっくり。きのうの俺のコンサートより少なめ。デモ隊もいれて。「金大中より豊田勇造の方が人が集まるのか」と真剣に複雑な俺。1つは、酩酊亭の人らがそれだけ俺に頑張ってくれたこと。一つは、金大中のことに日本人が関心持ってんこと。  『大きな自由』、もう1曲をと言われ『殺そうと思うだけで良かったのに』をうたう。「ポリ公と天皇とさだまさしが大キライ」というジョークがとても受ける。  急いで駅へ。新幹線で徳山へ。車中、めしを食い、着いてすぐうたえるように心する。  キーストン・クラブヘ駆け込む。客は満員。既に〈待ってる〉感じ。福屋君が「きょう開演が遅れたのは、勇造が広島で〈金大中の夕ベ〉に出てきたから」とごまかさずに挨拶。コンサートは1曲目の『憧れのジャマイカ』、今回のツアーで一番ええのやないか、というふうに始まる。  夕方に別の町で歌い、リハなし。きのうの酒で声は伸びんけど、ええコンサートできる。マスター・山中栄冶さんのボンゴの飛び入りあり、途中ボンゴが倒れてハミングバードにきつく当たり、客席から「オー、ノー」と言葉が出る。俺、一瞬〈しもた !!〉〈大丈夫かな?〉と気が気やないけど、「きょうのギャラは30万ほどもらわなあかん」と冗談言うと、客席、ホッとして笑う。  ええと、すべてうまくいく。  山口放送の高橋ディレクター来てくれて、客に紹介する。番組が放送された夜に、聴いた人から福屋君へ「コンサートに行く」と電話があったという。『兎(ある朝高野の交差点近くを兎が飛んだ)』のリクエストあり、やる。福屋君もマスターも「また来年やろう」と喜んでくれる。  ニュー・ステーションホテルの2階の窓から、徳山の町が見える。コンビナートの明かりがすごい。まるで軍艦みたい。寝つかれず、胸がムカツキ、トイレであげる。多分、きのうの広島のカキの食いすぎ。2年前は、3日後にあげた。気分楽になり、リッチー・ヘブンスのカセット聴く。〈今年の源之助〉を思い出す。今年は逢えたという感じ。源之助の歌を書き出す。 ガンになったタマひとつとって キンガンになったと 冗談とばす そいつは山口の トム・ウェイツ 小檜山源之助 ・・・・・・・ ◇12月1日 徳山→鳥栖〈島栖中央公民館〉  昼過ぎの汽車で鳥栖ヘ。徳山駅から海が見える。工業港。  博多までの新幹線で、寝られへんので、いっちょう、この間のさだまさしの歌つくってしまおう、とやってみる。広島で聴いた小林まり子さんの『朝起きたら』をヒントに。  乗り換えで、博多駅で降りる。今年の九州の始まり。4年前、初めて九州にうたいに来てから5年目。鳥栖まで普通で。改札口を出たところの右側の立ち食いは今でもやってる。4年前『長崎帰り』で、 いつから2級が 110円になったんやと 鳥栖駅の立ち食い 隣りの2人連れ  と俺がうとうた立ち食い。メニューを見ると2級が消え、200円の1級のみになってる。大石徳彦君、迎えに来てくれ、テムジンに寄りインガルスヘ。テムジンの一番下の妹さん、4年前は高校生、今は20歳ぐらいのええ娘になってる。  インガルスで一休みしながら、皆と顔合わせ。毎年、スタッフは同じでも代表者の変わる鳥栖。今年は黒田博介さんが代表。日本中回ってみて、かなり質の高い主催者のひとつ。共同作業という雰囲気が伝わってくる。主催者名は創風舎。〈風を創る〉と書く。  会場に着き、大石君の車の中で、さだまさしの歌の続きを書く。書き終わったところでリハーサル。高い舞台の手前に、オリジナルな舞台をつくってくれる。グランドピアノを元の舞台からわざわざ降ろしてくれる。「ピアノで1曲、やらなあかんで」とええ意味で求められる。  コンサートはええ感じですすむ。『さだまさしをけなすブルーズ(別名・あげそうになる)』で皆喜ぶ。こんな歌をはっきり待ってる人がいる。  あかんというのは、ハッキリあかんといわなあかん!!  ピアノでは『兎』をやる。11月15日、金沢で初めての『兎』をピアノでやり出して、人前で『兎』をピアノでやれるようになった。『長崎帰り』もリクエストがあってやる。『大きな自由』では、バケツをほうきで叩く奴、全然関係ないプラカードを踊りながらふりあげる奴等、10人程が舞台に上がってくる。面白い。  大石君が「休憩をとって2部が始まる」と言ってしまう。俺の方は、アンコールのつもり。あと2曲ほどのつもりが……。どうしようかと思いながら、『黒いパンタロン』と『海の始まり』やって『桜吹雪』を、フィンガーと違い、ツービートでやる。4番まで歌い、ギターを弾き続けてると、アドリブが出てくる。そして10分ほどアドリブで歌い「結局は人」というフレーズが出てくる。  聴き手の方は、俺のアドリブわかってくれる。  コンサート終わって、ひと風呂浴びさせてもらい、打ち上げの雀のおやどへ。あびるさんとかも来てて、盛大。今年が一番良かった、と何人もが言うてくれる。  九州1日目、新しい歌もできた。広島で「『チーズケーキ』は歌わんように」と酩酊亭の女たちから言われたのが、一つのきっかけ。広島に感謝。  2時前に鳥栖駅前ビルの黒田君の友人の部屋に帰る。6階から見る鳥栖駅の夜景すばらしい。 『さだまさしをけなすブルーズ』 朝目が覚めたら さだまさしが歌てた(「ブー」) 朝目が覚めたら さだまさしが歌てた(「ブー」) やめてくれ  二日酔がひどなる頭に響く あげそうになる(「ブーブー」) お前はとてもセイケツ リンスのコマーシャルみたいに(「ブー」) お前はとてもワイセツ NHKの『君が代』みたいに(「ブー」) 腰から下 歌わんやつ 俺は信用せえへんで(「ブーブーブー」) 日本も落ちたもんや お前が国民的歌手やなんて(「ブー」) 日本も落ちたもんや お前が国民的歌手やなんて(「ブー」) それにしてもお前の客 なんで 同なじ顔ばっかり 死んだ顔ばっかり(※「ブーブー」) 親父の一番長かった日が 娘の嫁入り 決まった日やったて(「ブー」) 親父の一番長かった日が 娘の嫁入り 決まった日やったて(「ブー」) うちのお父ちゃんに聞いてみた 「ビルマで捕虜になった日や」と言うたで  (影の声「えらい違いやな」) ※(「ブー」)と書いたように、歌の合間に「ブー」を入れることと、4番から1番に戻り、エンディングは、歌詞1回分を「あげる」ことが、最大のポイント。 ◇12月2日 鳥栖→福岡(香椎)〈CHAMP〉  明け方からの大雨と風で、何べんか眼を覚ます。ふとんの中でウトウトしながら、この雨が過ぎたら冬やなあ、とボンヤリ思う。インガルスでカレーを食い、黒田さん、大石君、大隅君らに挨拶して、車で香椎ヘ。車中、リッチー・ヘブンスを聴く。運転してくれた人から、タモリも〈オールナイト・ニッポン〉でさだまさしのことケチョンケチョンにけなしてる、と聞く。タモリらしいと思う。雨の中を1時間ほどドライブ。香椎に3時頃着く。マスターの佐藤弘二君ら3人、迎えてくれる。PAをいろいろ用意したけど、どれも一カ所欠陥があるという。ジャマイカに行ってから、あんまりそんなこと気にならんようになった俺は「それでやろう」と言う。同じぐらいのPAで、ジャマイカやったら1000人ぐらいの前でやる。〈PAを使い、音を出す〉ということが、ちょっとわかり始めた。  同時に〈うたう〉ということがどういうことか、ちょっと深う理解でき始めた。  リハ終わって、ハチミツとショウガを買う。広島あたりからずうっと風邪気味。ショウガをすり、ハチミツを湯でといて飲む。体があったまる。  山本シン〔※1〕からTELあり。うたいに来るという。博多で4年間主催してくれてた福沢信孝君、綺麗な奥さんと顔見せてくれて、例年の博多みたいに舞台装置がそろた観。客席も満員。マイクの前に、ゴザ席できる。  CHAMPはブルーズとソウルの好きな連中が出入りするらしく、セミアコのエレキ置いたる。それいじってる間に、オープン・チューニングで、スライド〔※2〕で1曲やろうと決める。『タイガー・ジェット・山本シン』のブルーズ。 『タイガー・ジェット・山本シン』 九州あたりへ 旅することがあったら 勇造は元気と 伝えて来て欲しい 九州一のブルーズマン タイガー・ジェット・山本シン 生まれは折尾 ボタ山の街 育ちは大牟田 炭坑の街 ツルハシ握って 石炭掘る代わりに歌え 九州一のブルーズマン タイガー・ジェット・山本シン 中学さぼって 有明は引き潮の浜 貝拾って リヤカーで売り歩き パチンコ打ったという 生まれついての 遊び人 40まで遊ぼう 40過ぎても遊べよ 50まで遊ぼう 50過ぎても遊べよ 歯の抜けた口で ブルーズ歌えばいい  シンとアール・チナ・スミス聴いて、ウォーミング・アップ。コンサート始まる。シン、20分の制限時間でどれぐらいやるかな、と期待したけど不発。それでも他の人間が音楽やるのを聴くのは面白い。  「Blues Never Betray You(ブルーズは裏切らん)」とシンがうたう。俺も以前つくったフレーズ。同じことを思うとる。  俺、『背中』を「花柳幻舟さん〔※3〕に捧げる」と言うと、拍手くる。そして、「ビルマヘ送った菊の花 煮ても焼いても まだ足りん!!」のとこで、『背中』を78年に歌い始めてから、初めて拍手くる。 『背中』 夕方の風呂屋に 背中が並ぶ その中でとりわけ 曲った背中 手ぬぐい1枚より ちょっと大きめ 72歳の 背中を洗う 思い出す 戦争の話せがんだ夜 「ビルマでヤケドしたんや」と めくった足 思い出す 嵐山へ泳ぎに行った夏 「潜水艦!!」と 俺をのせて潜った これが俺を生んだ背中  殴った背中 あれほど憎んだ背中 逃げたかった背中 今はただ何も言わず 洗いたくなる 今はただ何も言わず 洗いたくなる ビール小瓶半分で まっ赤になり 酔えば短かい 都都逸うたい 「大学を止めて、キューバヘ行きたい」と切り出した夜 黙って店を 終いに出た そんな男の 背中を洗うと この背中の春 4回の春を ビルマヘ送った 菊の花 煮ても 焼いても まだ足りん!! これが俺を生んだ背中 殴った背中 あれほど憎んだ背中 逃げたかった背中 今はただ 何も言わず 洗いたくなる 今はただ 何も言わず 洗いたくなる  コンサート終わってから、シン「頑張ってるみたいやし、体、気ィつけてな」と言うてくれる。俺、「ええレコードつくりや」と言う。DREAM BOATで打ち上げ。伝習館闘争〔※4〕の茅嶋洋一さん、顔見せてくれる。4年ぶり。  博多への高速道路を、車2台並べてぶっとばしながら天神ヘ。名物長浜ラーメン食い、ソウルの好きな有馬君の友人の部屋で寝る。 〔※1〕九州一のブルーズマン。80年より全国ツアー開始。熊のような荒々しさの中に優しさを見る。現在自主LP制作中。 〔※2〕ギター奏法の一つ。指で絃を押さえる替わりに、ガラスコップや、ガラス瓶のネックを切ったもので押さえ、ずらせ(スライド)ながら弾く。 〔※3〕舞踊家。日本舞踊の家元制度に、天皇制度と同じ権力構造を見て、80年2月21日、花柳流のピラミッドの頂点、花柳寿輔を切る。保釈中の6月27日、講演会の楽屋に訪ねたが、実に好感の持てる人だった。本気で闘っている人、生きている人。 〔※4〕福岡県立伝習館高等学校で、生徒を点数で一律評価するのはおかしいと、3教諭が問題提起したのに対し、70年6月、偏向教育を理由に懲戒免職の処分をしたのを不服とする闘争。 ◇12月3日 福岡(空き日)  昼、毎原さんと久留米のデザイン・アートの展覧会へ行く。レベルが高いのにびっくり。中央、大都市ばっかりが文化の中心ではない。  夕方、福沢君と飲む。見合いの経過とか、細かく聞く。今は、エリート・コースにある様子。俺のコンサートや、福岡シネアストの上映会に関わることは、エリート・コースからはずされることになるらしい。  さて、どうなるか、これから楽しみ。  ふと、栢下君が、自分のコースのことなど全然気にせんと、枚方市役所で働きながら、市役所へのコンピュータ導入の反対運動にかなりのエネルギーを注いでいることを思い出し、〈違うなあ〉と思う。  勝手にしやがれで、ウィスキー5杯ほど飲み、佐伯君と話し、宿に帰る。 ◇12月4日 福岡→長崎〈CAVEAU(カヴォ)〉  長崎に昼過ぎ着。リハまで時間あるさかい、市電に乗って終点まで行き、そこから長崎市内を歩いて帰ることにする。市電70円と安い。浜町の本屋で泰ちやん(高瀬泰司)が俺について青土社『現代日本の音』に書いてくれた文章を読む。題して「豊田勇造のセクシー」。「勇造は、〈場〉を選ぶ必要がなくなった」と書いてくれる。逆にこの文章を読み、もっともっと〈どんな場でもやる力〉をつけていかな、と励まされる。  1時間ほど長崎を歩く。美人が多い。美人というても、顔の形が面長ではっきりしているタイプ。時々ハッとする。  8ミリ映写機、寸法が合わずCAVEAUのマスター城尾忠明君、市内を走り回ってくれる。  きのうのウィスキーで、声出にくい。体、疲れてる。それでも、泰ちゃんの文章やないけど、やり切れる。  「浜町市場歩いてて、魚屋のニイさんたちがバドミントンして遊んでた。まだ、人の遊んでる町や。それに台湾に近い、と感じた」と歌の合間に言う。ジャマイカで通訳してくれたクマさんの友人の原口さんがザボンくれる。クマさんの兄さん・市来さんから、島原でコンサートやりたいという申し出。  終わって、城尾君、ふぉーくろあの高田さんと、スナック伽椰(かや)へ行く。同志社の頃の友人・黒岩久雄君の連れあい黒岩伽椰さんから「充分飲ますように、と久雄が言ってました」とのこと。心おきなく御馳走になる。黒岩君、今夜は博多へ出張。  城尾君「ブレイク・ダウンと勇造は、やることに決めてる。生ギター1本でうたうやつは窮屈なステージになってイヤなんや。勇造はそうでない」と俺のやりたいことをちゃんとわかってくれてる。  CAVEAUに帰って3時過ぎまで飲む。実にええ店。例年は、黒岩君が打ち上げに〈さろうていく〉ので、ゆっくり話せんかった、とマスター、カウンターの中の吉村君ら、黒岩君の出張を逆に喜んでいるよう。  黒岩君、前日、CAVEAUに来て、「勇造のことよろしく頼む」と言うてくれてたこと、マスターから聞く。ありがたい。城尾君から「〈CAVEAU〉というのは、フランス革命の頃、闘士たちが集まった酒場の名」と、初めて由来も聞く。「伝習館闘争の時、柳川にデモした自分はまだ高校生。校舎の屋上ではゼロ次元のヌード、その下ではセーラー服の女子高校生とデモ、何とも嬉しいエロティシズムやった」と城尾君が言う。  今年の長崎、逢えた!! という感じ。  吉村君の部屋でシャワーもらい、寝る。 ◇12月5日 長崎→博多(移動日)  酒の残った体をゆっくりヨガでほぐし、長崎駅から、特急で博多へ。途中、『現代日本の音』を読む。小野耕生の書いた矢沢永吉についての文章と、泰ちゃんの文章のほか、読むべきものはない。宿で、夕方ちょっと寝る。それからギター出して弾く。ひとりになる時間ができると、ギターを弾く。  夕方、黒岩君と、毎原さんと、勝手にしやがれで飲む。金大中の話になり、日本の処刑反対運動は、韓国にはほとんど伝わってないらしい。韓国内での一般の憶測では、処刑されるのではないか、という見方が強いという。黒岩くんの奥さんが韓国人やから、韓国内の様子が伝わりやすい。  「今、何しようとしてる?」と聞くと、「『柳宗悦全集』を読み続けてみたい」と黒岩君、答える。そして、柳宗悦が、古い民芸品を買い集め始めてから、民芸品の値が上がり始めた、との矛盾も教えてくれる。 ◇12月6日 博多→柳川〈柳下村塾内教室〉  博多の町は給料が出たあとのせいか、人が多い。年々、大きくなる町。  柳下村塾について竹田桂二郎さんに逢う。去年、少し行き違いがあってやれんかったけど、ことしは塾と託児所の忘年会の前に1時間ほど、俺がうたうことになる。4歳から6歳ぐらいの子供、小・中学生が25人ほど、それに、父兄、保母さんら合わせて45人ほどの前でうたう。  今までの俺やったら、大人の方にうたいかけたやろうけど、ことしは子供に歌いかける。いつものライブと同じレパートリー、曲順で。子供がリズムに合わせて体をゆする。『殺そうと思うだけで良かったのに』の「お前のうしろにいる奴がこわい」というフレーズの時に、何と4、5歳の子供たちの多くが自分のうしろを振り向いて、俺の方がびっくりした。聴いとるで!!  『さだまさしをけなすブルーズ』の合いの手の「ブー」では、今までで一番大きな「ブー」が出る。そして最後の『大きな自由』では、俺が別に何にも言うてへんのに、自然と「大きな自由」と子供が合唱する。そして舞台の上に子供が上がってきて踊り出す。子供をバカにしてはアキマヘン。  竹田さんや保母さんや父兄、これを見て、本当に嬉しそう。柳下村塾と俺がつながった。  ひとつ習うたこと。『背中』のフェイド・アウトのところ、子供は聴かん。いつも大人の前なら、聴かせどころ、聴きどころが、子供は聴かん。そんなテクニックが通用せん。一方、もっとフェイド・アウトを磨かなあかん、とも言える。  終わって、竹田さん、しきりに「ことしはコンサートのセッティングできんですまんねェ。毎年必ずやる。ホールでやれん時には、この忘年会がある」と言ってくれはる。  終わって、忘年会。東大安田砦にたてこもったという本多さん、「左翼が歌をうたうのはつらい時代やけど、実によかった」有明海のエビとり漁師古賀さん、「有明海にも各県ごとの領海がある」と言う。  二人とも、民謡うたう。うまい。俺『海の始まり』うたう。古賀さんから「正直言うて、豊田さんのうとうてる歌、わからん」と言われる。こんなふうに、民謡、歌謡曲が歌われる打ち上げの時、自分の歌の位置が逆にようわかる。 ◇12月7日 柳川→鹿児島(移動日)  朝、ヨガしてたら、子供たちが集まってきて「ヒゲのオッチャン、ヒゲのオッチャン」とヒゲを触りに来る。きのうのコンサートのおかげ。  竹田さんに、柳下村塾のやってることのひとつ、有明というアナゴとウナギの料理店に連れていってもらい、せいろ蒸し、御馳走になる。  初め、託児所を始めた時、子供の母親は「行かせてみたい」という人が多かったが、父親の方は「あこはアカがやってるからあかん」という人が多かった。女は良いものは良い、と考え、男は世間に照らして考える。今は託児所、英語塾、有機農法の農場、そこでとれたものの販売、そしてこの有明、というふうに手がひろがりすぎて忙しい。ところで、70年がますます遠ざかるね。80年代はどうなると思う?−と竹田さん。  俺「(『北海道の朝』のフレーズ)〈これからもっと寂しなる〉でしょうね、絶えんとは思いますが」と答えると、竹田さんの断固とした声が「絶やしたらあかん」と言う。  西鉄柳川駅まで、店に着いてから15分ぐらいしか時間がないので、話すと同時に、せいろ蒸しかき込む。店の人の車で送ってもらいながら、遠ざかる竹田さんの姿見て、〈不良〉やなあ!! と俺、洩らす。55歳の〈不良〉。こんな人が全国各町々に、大学のない町も含めてせめて一人ずついたら、面白いと思う。  柳川→大牟田→鹿児島と乗り継ぐ。  途中、水俣を通る。今年は水俣に寄らず。かわりに、来年1月8日、砂田明さんの一人芝居を枚方で見る予定。  鹿児島までさすが遠い。特急の中でゆっくり寝る。  鹿児島に夕方着。吉冨友啓君、迎えてくれて、ギターをあしたの会場、コロネットに置き、軌車馬にある茶倉に行く。何曲か、吉冨君のハーモニカで俺、ギターを弾いてうたう。初めはゆっくり気持ちのええ夜やったけど、ギターの持ち主、赤星君、帰ってきて、もっとやれやれと俺に求める。それより、赤星君の「ギターはこんなふうに置かんのや」という意味の言葉に、俺、ガクッと急に疲れ出る。店の人に断わって借りた彼のギターやけど、えらい俺とギターの扱い方が違う。俺は、ハミングバードを一つの頑丈な道具とする。富山のボロのライヴでは、酔うて野次とばし続けた男の、顔のすぐ横の壁を、ネックで突いたりした。まずギター、頑丈でなかったら面ろない。  まあ、京都を出て20日。ぼちぼち疲れが出てきたんやなあ。  突然、MAP時代のクロが店に来た。今、屋久島にいて、生活保護受けて生活してるという。働くのが嫌いなクロらしいやり方。  吉冨君、今夜の宿を友人、知人にあたってくれる。その間、俺は人と話してなあかん。そういう疲れがツアーにはある。自分で金出してどっか泊まったら良かったと後悔。心と体の疲れが、今夜も早う休みたい、と言う。結局12時前までかかって何とかなり、吉冨君の友人の家に着き、寝る。 ◇12月8日 鹿児島〈コロネット〉  11時頃起き、ヨガして、コロネットに向かう。電車待ちながら、不動産屋の張り紙見ると、ここも長崎と同じで土地が限られているせいか高い。電車も120円と、今までで一番高い町。ただ、買物時間帯割引(昼前〜昼過ぎ)があって、面白い。  コロネットヘ行き、昼めし食い、マスターの川添晃さんと話す。「正直言うて、コンサート主催するの、キツイ。交通費がかかるのでギャラ、入場料が割高になるのはわかるけど(入場料2000円で、今年も鹿児島の入場料、一番上)。何かいい宣伝のしかた、ないか? 豊田君ぐらいしか、物真似でないのやってる人は、もういないのだが」。  俺「主催者の赤字が一番苦しい。せめてトントン、黒字が出るようになりたいけれど」と言う。あと30人、聴き手が多かったらと思う。そしたら、6万のプラスやさかい、主催者楽になるのに、とつくづく思う。  散歩に出る。天文館の交差点で、昔別府、今長崎にいるはずの黒田清造君が車イスで来たのと出逢う。俺の出したハガキを見たのと違い、新聞の告知を見て来たという。逢えるもの。港へ2人で散歩に行く。1人は足で、1人は車イスで。4年前の別府以来、毎年どっか顔を出す黒田君、俺、名づけて「車イスの〈不良〉」。変に手貸したり、思い入れするより、ふつうの人間と同じように、今では接しられる。すごいテクニックで車イスをあやつる。桜島を港から見ながら、ジャマイカのこととか話す。  コンサートの準備にコロネットヘ。恵子ちゃんに頼まれてた切り干し大根と、長崎で原口さんにもろたザボンなど、京都に送る。公園で、吉冨君と散歩しながら、打ち合わせ。『山本シン』を吉冨君のハープ、俺のスライド・エレキでうたう。24人ほどの聴き手。あと30人入ったらと思う。   MAPの時の知り合い、福里さん来てくれて、本気で「本当に良かった、本当に良かった」と言うてくれる。ラスタ・カラーの帽子かぶって来てくれた奴もいる。帽子の赤・緑・黄色見て、ジャマイカが懐しい。中山信一郎さん「ピアノが良かった」と言うてくれる。ここでも、『さだまさしをけなすブルーズ』の反応よし。吉冨君「『兎』聴いて、勇造大きくなったなあと感じた」と言うてくれる。今年は吉冨君と逢えた、という気がする。  川添さんのとってくれたホテルに、車で寝るからという黒田君と2人で泊まることにして、1時過ぎに帰る。ベッドを黒田君に譲った伊郷君は、吉冨君のほうへ泊まる。  気温が冷えると体のしなやかさが薄らいでいく。あしたからのリハ、ウォーミング・アップに時間をかけること。 ◇12月9日 鹿児島(移動日)  朝、黒田君が女に手伝われて部屋に戻って来る。俺、眠気まなこ。あとで聞くと、ホテルのロビーでぶつかったのが縁で、朝のコーヒー御馳走になり、別れしなにキスした、という。又もや、不良!!  コロネットに向かう。黒田君の運転する車で。出発の時、「車椅子積もか?」と聞くと、「癖になるからいりません」と、はっきり言う。これでええのや、これでええのや。  コロネットでコーヒー飲み、川添さんに一筆お礼をしたため、鹿児島駅まで黒田君に送ってもらい、別れる。  特急で、鹿児島→熊本、熊本→久留米、久留米からバスで吉井へ。夕刻着。  明日の会場、Be・Be(ベ・ベ)のマスター、尾花伸吉さんとひろ子さん迎えてくれ、Be・Be名物の馬肉ステーキ、御馳走してもらう。なんか一年ごとに、俺、ゆったりできるBe・Be。〔※1〕  京都へ百円玉で電話する。「ジョン・レノンが撃ち殺された」と恵子ちゃんが言う。「メチャクチャヤ」と俺つぶやく。  すっぽん屋の萩尾君の車で、マスターの弟さん、尾花新生(あらお)さんの住む山に向かう。吉井の町から30分弱。冷える。茅ぶきの家で、焼きものと絵をやってる。去年は一年、スペインに行ってた人。会うのは初めてやけど、前からの知り合いのように感じる。  〈ジョン・レノン〉のショックが続く。ラジオのニュースに耳を傾ける。詳しいことはわからへん。NHK12時前のニュースで言う。25歳位の男が撃った、ということ位。底冷えのする九州の山の中で、ラジオ頼りに、ニューヨークのことを知ろうとする。  萩尾君のくれたショウガをおろし、ハチミツを混ぜ、新生さんがくず湯を作ってくれる。新生さん「痩せて帰って来て、これからようなるの違う?」と言ってくれる。  いくつか話を交わす。静かな山の中で、出しっぱなしでもええ、山からの水道と、ニューヨーク・シティのジョン・レノン。  夜、布団5枚程かけてもらい、眠る。 〔※1〕初めてBe・Beで『ブルーズをやろうぜ 三浦ふる』と歌った夜、尾花さんが『この店で働いてたんやで』と教えてくれ、偶然の一致に、俺も尾花さんもびっくりした。近くの筑後川に浮いた、ふるは、自殺か他殺か、今でもハッキリしない。 ◇12月10日 吉井〈Be・Be(ベ・ベ)〉  朝、ぐっすり寝た感じ。雨戸を開け、障子を開けると、川の流れる音が聞こえ、深い山が見える。ヨガするけど、外気がとても冷たい。携帯カイロを出して温める。  コーヒー御馳走になり、おでんと日本酒で昼の腹ごしらえ。洗濯もする。山からの水が少ないので、すすぎは川原に降りて、川の水でする。昔の女は、こんな冷たい水で、毎日毎日、一家の洗濯物を、〈手〉でささえてたのやと、感じ入るほど冷たい水。洗濯機位の〈機械文明〉はええと思う。  新生さん、奥さん、チビさんと柿取りに行き、俺は1人になって林道を歩く。20分も歩くと大分県に入る。せせらぎ。森の匂い。久し振りに〈木〉を〈見る〉。空気がええ。京都の北山を思い出す。  帰って、70年頃の京都のこと(新生さんも京都にその頃来てたという)とか、スペインのこととか話す。車で吉井の町におりBe・Beヘ。まず朝刊を見る。「ジョン・レノンが撃ち殺された」とはっきり出てる。それと「金芝河(キムジハ)が釈放される」とも書いてある。ディランの「いくつものことが同時に起る」というフレーズを思い出す。  コンサートの方は、PAの具合うまいこと行かんで、店も狭いので、〈生〉でやろうということになる。ジョン・レノンのことで入れこんでしもてる俺には、つらい夜。客の高校生が、一番前の席で、カセットに録音することばっかり気が走ってて、コンサートに身が入らん(周りの聴き手も、高校生の動くたびに気をとられてしまう)。俺「テープに録音しても、録音されへんことが、〈生〉の音楽にある」「機械に使われてしまうで」と言う。そして、やっと場の雰囲気がひとつになる。  終わって、輪になって少し話す。地元代表で歌ってくれた、畑伸明さん、好感を感じる人。たまたまマスターを取材に来た朝日新聞久留米支局の宮崎さんに、レコード3枚買ってもらう。高校で教えてる永田さんから、「豊田さんの歌の世界は実にええと感じるけど、さてそれを実際教える場、教室で、どう生徒に具体的に見せて行ったらええのか?」と聞かれる。俺「まず、〈先生本人が楽しんで生きてる〉のを伝えることと違うかな?」と言う。  風呂貰い、髪を乾かして貰い、Be・Beでもう少し話し、店の2階で寝る。  〈生〉でうたうのは、マイク使う日より何倍も疲れる。体がぐったりしてしまう。 ◇12月11日 吉井→佐賀〈ロンド〉  昼前起きて、ヨガして、又ジョン・レノンのこと新聞で見る。サイン気に入らんで、撃ち殺したと出てる。Be・Beにあるジョンのレコード、『Sometime In New York City』をかけて聞く。フォークっぽい(というよりウエスターンぽい)曲より、ロックの曲がええ。昔の俺は、このレコード、逆にフォークっぽい方が好きやった。  昼めしに、尾花さん、せいろ蒸しとってくれる。うなぎが丸ごと1匹のっててうまい。御馳走さま。  昨夜知り合うた、こけしを作ってられる高倉さんを訪ねる。「100年前のフラット・マンドリンを持っている」と聞いて訪ねたのやけど、見せて貰うと、メーカーがKEYのフラマンで、胴奥のラベルの、KEYの会社の創立の年が書いてあり、それが今から100年前とわかり、ちょっとがっかり。それでも、「耳が聴こえんようになって音楽をやめたけど、聴こえんようになったのは、ほんと急で、原因わからんとです」という話、為になった。ちょっと身につまされる。  Be・Beを出て佐賀へ。久留米→鳥栖→佐賀。  ロンドの扉を開けると、マスター池田之一さんの顔が見える。1年と2カ月ぶり。すでに椅子の配置換え終わり、ピアノも弾くようにセッティングしてある。ちょっと町をぶらつきリハ。  今年のツアーではリハの順と曲を決めてある。 1、カラオケの音決め。『大きな自由』で。 2、カラオケで『大きな自由』をうたう。 3、生ギター、ボーカルで『ワルツを踊ろう』と『憧れのジャマイカ』をうたう。 4、ピアノのある会場では『行方不知』か『うさぎ』をピアノでうたう。  リハする順と曲を決めておくと、その日の自分の調子やPAの調子がわかりやすく、早く済み、リハ疲れが軽くて済む。  コンサートは、1曲目の『憧れのジャマイカ』の1番終わったとこから、もう拍手が来る。HOT!! HOT!! 女の人が例年に比べて少ない。皆喜んでくれて、『大きな自由』では、カウンターの中で池田さん踊ってる。  打ち上げ。25人ほどですき焼き。去年も今年も、鳥栖、佐賀と来てくれた阿比留さん「勇造が佐賀でやる時には、朝鮮で何か起こる」と言う。去年は朴大統領が殺された。今年は金芝河が釈放された。  楽器屋に勤める蒲原君がピアノ、俺がギター弾いて、打ち上げに残った人が即興で、1人1人、前に出て来て自分をうたう。  マスターもママも、今夜誕生日を迎えた娘の一美さんも。ほとんど全員が即興で、ブルーズ・コードにのせて、自分をうたう。中には日韓連帯の印刷物を、コードにのせて読み(歌い?)上げる男もいる。俺は「シカゴのブルーズ・シーンは、どんな風やったんやろ」とうたう。こんな打ち上げがええ。すべてよ、歌い手となれ!!  ミュージック・マガジン読んだ女の人が聴きに来てて、「半信半疑で来たけど、ぜんぜん違うた。中村とうように投書する!!」と言う。顔見ると、ものすご輝いている。  佐賀の夜、宿に入る空気が気持ええ。窓辺に椅子持って来て外見ながら、缶ビール飲みながら、今夜のことをもういっぺん想い返す。嬉しい。 ◇12月12日 佐賀→大分(移動日)  朝、島根県平田コンサートに向けての、山陰中央新報、三浦さんから電話インタビュー。ベッドの中から「『さだまさしをけなすブルーズ』を歌います」と送る。  11時頃、マスターが宿に迎えてくれて、ロンドに行く。扉を開けると昨日の酒が匂う。8年前のMAPを想い出す。マスター、風邪気味ということで、吉井の萩尾君から貰うたショウガすり、ハチミツ入れて、2人で飲む。ジョン・レノンの『ダブル・ファンタジー』聴かせて貰う。新聞には、ジョンの遺産が何百億と、もう〈金〉のことが出てる。  デパートでパンツ買う。きんの汗ビッショリかいて、洗わんまま。はきかえ分がなかったさかい。  マスターの車で佐賀駅ヘ。握手して別れ鳥栖を通り大分ヘ。途中、日田を過ぎたあたりで雪の流れるのを見る。車中、隣りの席では、中年の男が乗り合わせた中年のおばはんを、一生懸命くどいてる。おばはん、途中の駅で、恐なったのか降りて行く。  大分駅。百鬼丸ファミリーの松村一哉君出迎えてくれる。山之口貘は、会うたことないけど、こんな人やろと思う松村君。  商店街を歩きながら「いくつもコンサートが重なってて大変やわ。この間、よう君(大庭よう)が、足に竹細工の竹入って大分富士見病院行ったら、外からさわって痛いとこわかるのに、レントゲン撮って写らんというて、全然別のとこ切り開かれて」とボソボソ言う。  松村君のバイト先、ロック喫茶のフリーク・アウトヘ行って休む。ジョンの祭壇が作ってあり、供え物がある。マスターのサーカスさんに紹介される。黙ってしゃべらんかったら黒人に見える。もと、サーカスに居たからこのあだ名。6年振りに、穴ちゃんに会う。32になったと言う。石田ミチルさんも来る。美人。自分に真剣な人。この5年ずっと聴いててくれる。  松村君とめし食いに出る。大分3大悪というのがあって、 1、大分合同新聞 2、大分銀行 3、トキハデパート  と、教えてくれる。  入っためし屋では、カウンターの中で、店の主人と奥さんが喧嘩してる。客の気持が冷える。俺らの後ろでは(モルモン教か?)白い外人が2人、食うてる。俺ら、大分名物の〈だご(だんご?)汁〉食う。  体が冷えるので、早目に松村君とこへ帰り、風呂に入れて貰い、伊郷君と松村君が、落語界の話をしてるコタツの中で、俺は、ジョンのことを歌おうとギターを弾いてみる。テレビでは、マックィーンの『大脱走』をやってる。  1年振りの大分、古くからの友人、広田さんやなおちゃんらにTELしてから、布団いっぱい重ねて早目に寝る。今年一番の冷え込みとかで、とにかく寒い。 ◇12月13日 大分〈労働福祉会館〉  11時頃起きる。松村君と伊郷君は、12時からの会場仕込みで、バタバタと出て行く。  俺、久し振りに1人になる。松村君の作っておいた、ハンバーグ入りシチューにタマゴを割り込み、温かいめしで、久しぶりに外食でない感じで、こたつで暖まりながらめし食う。テレビでは、「免田裁判やりなおし〔※1〕」をやってる。  それから、俺、ジョン・レノンのこと歌いたいと、又、ギターを弾いてフレーズを探る。 めちゃめちゃや めちゃめちゃや ジョン・レノン射ち殺されたて めちゃめちゃや めちゃめちゃや 洋子の前で撃ち殺されたて 人ごとと違う イン ニューヨーク シティ  というフレーズが出てくる。  ブラブラ歩いて会場の労働福祉会館ヘ。車椅子の人も来れるように、エレベーターのある会場にしたかったという松村君の判断。  リハ。照明担当の石田さんから「今年は何色の衣装ですか?」と尋ねられ、俺「黒」とハッキリ言う。  リハ終わってから、控室で、ジョンの歌の続きを書く。 めちゃめちゃや めちゃめちゃや サイン気に入らんで 射ち殺したて めちゃめちゃや めちゃめちゃや 歌うたいに ナマリを5発も 人ごとと違う イン ニューヨークシティ  それから、昨日松村君から聞いた、よう君のことも歌い込む。 めちゃめちゃや めちゃめちゃや 足ケガして 病院行ったら めちゃめちゃや めちゃめちゃや ほじくりかえして たらいまわして 人ごとと違う イン 大分シティ  それに、光州のことも歌い込む。 めちゃめちゃや めちゃめちゃや 軍隊に 麻薬吸わせて めちゃめちゃや めちゃめちゃや 女の乳房 切り落とさせるて 人ごとと違う イン 光州シティ  開演までの1時間位で作る。  アール・チナ・スミス聴いて体ほぐし、本番。作りたての歌やってみる。「イン 大分シティ」のとこで拍手来る。舞台の上からうれしい顔がいくつも見える。佐伯から7人ほど、車飛ばして来てくれる。石田さんから、大きな真赤なバラの花束受け取る。  終わってフリーク・アウトで打ち上げる。コンサートに来てくれた人らで満員で、しばらく入り切れず、佐伯から来てくれたもと甘栗屋さんが、『大きな自由』の踊りを見て、「ジャマイカに行って来たんやなあ!! ボブ・マーレイの踊りと一緒やったもん!!」と言ってくれる。山口で会えと教えられた、別府・長松寺の龍宝さんとシャーリーさん来てくれる。シャーリーさんから「言葉が多い。もっと深いリズムを。言葉に間が欲しい。ディランを思い出した。これからきっと、うまくやって行けるよ。声のエネルギーにはびっくりした」と言われる。俺の方はシャーリーさん見て、久し振りにバイタリティのある、まるでJORA〔※2〕の天鼓みたいな、女を見てびっくり。シャーリーさん、俺をつかまえて、踊りにひっぱり出す。  俺のこと、松村君がやってくれるきっかけになった、もと、キング・ベルウッドレコードの大塚さんが元気でやって行けるようにと話しながら思う。穴ちゃんが言う。「32歳になって、このまま勤め人として仕事(自動車屋)して行くか、自分のやりたいことやるか、今決めなあかんと思う」  すき腹の俺、なおちゃんとかっちゃん差し入れの、六調子の一升びんの焼酎ですぐ酔ってしまう。いっぱい色んな人と話したはずやのに、あんまり憶えてへん。 〔※1〕昭和23年人吉市で起った強盗殺人事件。被告免田栄氏は「自白は拷問によるもの」と主張したが、26年死刑確定。4回目の再審請求が、今日受け入れられた。 (1983年7月15日、熊本地裁八代支部において死刑囚に対するものとしては初の無罪判決がいいわたされた。−編注) 〔※2〕女が自由に生きることを望む女達によって、東京早稲田に作られた〈場〉、表にはスナック、奥にはコンサートにも使えるスペースがある。パンクバンド、『水玉消防団』発祥の場。 ◇12月14日 大分→門司港→下関→門司港(移動日)  よう君の車で駅に向う。サンタナの『Songs Of Wind』が、ガンガンかかっている。駅に、大塚さんと友人と犬、松村君とよう君、石田さん、米谷君と米沢君、横に一列に並んで見送ってくれる。よう君に、リッチー・ヘブンスのテープ、プレゼントする。松村君、焼酎のポケットビンくれる。長くもなく、短かくもなく、ひとりひとりの顔を見られるええタイミングで汽車が出る。〔※1〕  別府の海を右手に見ながら、特急が走る。  小倉で降り、夕方の通勤電車を乗り継いで門司港ヘ。門司からひとつ東、九州東北端の駅、門司港駅。主催のレコード店、びっくりばこの安武一義さん、古めかしいスタイル、綿入れを着て迎えてくれる。びっくりばこに荷物置いて、明日の会場、下関のトモに下見に行く。  トモ、歌い手、田代友也の店。俺にかなり似た風貌、ヒゲづらのはず。着いてコーヒー飲んでたら友也君来て、しばらく打ち合せ。突然、友也君の友人が風邪で死んだと報せが入る。今回のツアーの途中、人がよう死ぬ。  打ち合わせ済ませ、門司港まで帰る。九州と本州を行ったり来たり。今夜の宿、安武さんとこのアパートで、今回のスタッフの集まり、バナナ社の人らの忘年会に合流し、顔合わせする。バナナ輸入の玄関、門司港、その門司港のバナナのたたき売りのレコードを作ったので、バナナ社。  朝大分、そして門司←→下関と、ものすごいスピードでツアーが続く。  俺、早目に寝させてもらう。伊郷と安武さんの話し声高くて、なかなか寝入れず。夜中をとうに過ぎて静かになり、やっと寝入る。 〔※1〕後日、よう君から「後姿がレゲエやなく、ブルーズやった」という便りが届いた。 ◇12月15日 門司港→下関〈トモ〉→門司港  朝起きて、まずバナナ社のたたき売りのレコード聴く。言葉が脈絡なく続いたり、リズムに独特さがあって面白い。数え歌の一形式。  テレビでは、ジョン・レノンの、ニューヨークでの黙祷の集まりをやってる。写るのは白人ばっかり。  安武さんの案内で関門峡を見に行く。すぐ目の前を、大小さまざまな大きさの船が行き来する。この土地独特の風景を見ながら、いろいろ話してくれる。「今、韓国からの密航料は1人50万円。映画『沖縄のハルモニ』に出てくる韓国から連れて来られた女の人(後日、従軍慰安婦にされる)は、まず門司港に着いた」と安武さん。  それから歩いて、丘の上のパゴダに行く。俺の門司港の町の印象は、「灰色で貧しい感じがする所」。関門トンネルが出来、汽車が町の下を素通りしてしまうようになってからは、さびれて行く町か? けど、その町にも、しっかり自分らのやりたいことをやろうとしてる奴らが居る。  下関トモヘ。今回は、トンネルでなしに、関門橋を渡ってくれる。安武さんの心遣い。武蔵、小次郎の厳流島と、日清戦争の講和談判をした建物が見える。  コンサート始まる前に、トモさんから「昨日1人死んで、今日、俺に初めての子供が出来るとわかった。2カ月なんやて」と聞く。コンサートは熱いやつ出来る。レコード3セットを3人が貰うてくれる。小倉から来てくれてた栗林さんから、良かった、とTEL貰う。  終わって打ち上げ。ビールと焼酎。黒テント〔※1〕を呼んだ増永研一さんと、「来ることと受けとめること」の話をする。黒テントを呼んでから、何か〈呼ぶ〉ことにこだわりを感じてると言う。俺「その土地を、その夜を、一生懸命〈見よう〉とする。できるだけ自分の音楽やるのに、ゼイタクな注文出す。めしとかそんなことと違い、PAのええの用意してくれというのでもなしに、主催の人が用意してくれたもの、場所を、できるだけ有効に使う為のゼイタクさ」と言う。  来る方にとってのONE・NIGHT・STAND(一夜興行)と、呼ぶ方にとってのONE・NIGHT・STAND。  店を変えて飲む。安武さん「豊田君の、ステージへの自分のその日の煮つめ方はすごい。えらいよ、あんたは」と、独特の口調で話す。  増永さんに「10年かかると思う、俺、さっきの問題わかるには」と言って別れる。  帰って風呂に入らせて貰い、ブルーズのレコード聞く。ブラウニー・マギー&ソニー・テリーの『アット・ザ・セカンド・フレット・ライブ』。ものすごええ。安武さん、くれると言う。  初めての、門司、下関。ええのがやれると、体も楽になる。すぐ寝入ってしまう。 〔※1〕66/71 黒色テント。68年から黒色テントを持って全国公演を統けている。『昭和3部作』を経て、最近は『西遊記』(佐藤信ほか演出)がある。俺のコンサートと主催者が重なることも何度かある。 ◇12月16日 門司港→博多(移動日)  昼頃起きて、まずびっくりばこに顔出す。安武君の相棒、梶間君、昨夜のコンサート喜んでくれる。30歳位の女の客が、ビートルズのレコードのほとんどすべてを買うて行くのを見て、俺ら複雑な気持。  昼めし。おかずを取りめしを食う。さすが海のある町。おかずに魚類が多い。なまこと鯖の煮付けを食う。隣りで、うどんをすすってるおばはんと若い女がいる。そのすすり方を見て、又もや、金のない人が多い町かな? と思う。  博多へ各停で。右手に北九州工業地帯。宿取り、ゆっくりする。  夜中、FMで吉田美奈子のライブをやってる。バックバンドは、今はやりのフュージョンのスタイル。歌詞の発音、うたわれるメロディーが、話し言葉のイントネーションと全然違う。初めにきまったメロディーがあり、それに日本語をのせて行く感じで、ほとんど言葉が聞き取れん。ようこんなんで聴き手、辛抱してるわと思う。関西フォークの〈話し言葉のイントネーションで歌を作って行く〉ことの大切さを改めて知る。 ◇12月17日 博多→米子〈ホテルわこう大ホール〉  博多→小郡→米子。山陰線が益田→下関間一部不通の為、山口線を使い米子に向かう。今日で九州もしばらくは来ん。北九州工業地帯を窓からしっかり見ておく。  米子着5時20分。主催者、ペンドラム企画の斎藤裕さん迎えてくれる。米子大医学部の先生で、病院の内科の医者。遺伝子の研究してて29歳。76年に倉吉で会って以来、いつか米子でやりましょう、というのが今日実現。  6時開演というので、夕方のラッシュの中を急いで会場のあるわこうへ。普段は結婚式の披露パーティーをする、ホテルの中の大ホールが会場。20分ほどでセッティングと簡単なリハ。早技。  コンサートは、リハなどほとんどなかったけど、だんだん俺、開いて行く。声、出る。50人ほど来てくれる。斎藤さんほぼ1人の動きにしては多い数。新聞で見て、郡部からオートバイで来てくれた人もいる。以前、江尾で来てくれた学校の先生。鳥取県、島根県は聴き手が静か。けど、今日は、内に吸い込みながら受けてくれるような気が、歌うててしてくる。  新聞で読んだことを、ジョン・レノンの歌に入れ込む。隣り町、松江のこと。切実なのか、拍手来る。 めちゃめちゃや めちゃめちゃや 自分の娘に 保険掛けて めちゃめちゃや めちゃめちゃや 「殺してくれ」と人に頼むて 人ごとと違う イン 松江シティ  終わって、斎藤さん行きつけの店、キリマンジャロで打ち上げ。シェリー酒で、ティオ・ペペ(スペイン産)がうまい。  カウンターの隣の医学生が話しかけてくる。俺「今何が一番欲しい?」と尋ねると、「レコードとか…、買う金が欲しい」と答える。冒険の話になっても、「冒険にも先立つものは金やし……」と言う。夢がない。  もう一人の医学生とも話すけど、25歳位にもなって、それもこの先医者になるというのに、はっきり言うて、頭が悪いし、夢に個性がない。知識はあっても知恵がない。  ジャマイカのミュージシャン。例えば、ギビーにしても21歳で、もっと大局的な考え方、生き方をしてる。自分のやってることを知ってる。  日本人の頭の中は煮詰まり過ぎ。  脳ミソのそうじをしなあかん。  それと同時に、俺の歌の言葉も、そういう人らへ、食い込んで行くようなもの(言いたいことはまげんで)が出来たらええ。 ◇12月18日 米子→倉吉(移動日)  朝9時頃起きて、ホテルの屋上に出てみる。大山〈伯耆(ほうき)富士〉が、雪をかぶってスクッと立ってる。なだらかな裾野。  金沢、松田さんからの依頼原稿書いて送る。題材自由。『さだまさしをけなすブルーズ(別名・あげそうになる)』にする。  1時に、斎藤さんと、国鉄に勤める塚田高則さん来て、いくつか見物に出る。  まず皆生(かいけい)温泉街の〈昼の姿〉を見てから、温泉の水が海に流れ込む所に行く。アカで汚れた温泉の湯の成れの果て。海辺では漁師(?)が打ち網をやってる。  ポリ公を川に何回も投げ込んだという、塚田さんの武勇伝聞きながら、境港ヘ。途中、自衛隊の基地を通る。馬鹿広い敷地。それも、平担なええ土地ばっかり。高田さん「豊田君はええよ、(舞台で)好きな事言うても、ポリにつけられへんのやし。俺ら、組合やってるし、すぐつけられる」と運転しながらぼやく。  境港。日本海側の漁港では、指折りの漁港という。そんな大きかったとは思わんかったけど、昼間でも活気、確かにある。イカ・サバ・イワシ・アジ・カニ、が揚がってくる。特にイワシは、大型トラックでどんどん運ぶ。ダンプに砂利積むみたいにしても運ぶ。「いっぺん大阪の冷凍倉庫に入れて、値が上がった時に、又ここまで持って来て、それから本当の出荷というシステム」と聞く。  大根島まで行き、5時前発のバスで倉吉ヘ。別れしなに、塚田さん「俺は障害児の子持ってるけど、そんなことでくよくよしても仕方ないし、うちの嫁さんも、他人からびっくりされるほど明るい」と言う。バリバリやってる人に久し振りに会うた、という気がして嬉しい。  バスで倉吉に向かう途中、又、山口で源之助の言うた、「好きな女の住みたいとこに、住まなあかんと思う。歌うとうてブラブラしてる人間は」という言葉思い出す。なんでかこの2、3日、よう思い出す。  バスを降りると、主催の伊藤泰子さんの妹、キクちゃんが待っててくれる。バス停のとこに、倒れた自転車の脇に、酔っぱらいがションベン垂れて、地面に寝てるというより、倒れてる。側には、土産にでも買ったのか、ふたつ、みっつ、鉢植えが転がってる。誰も側に寄らん。俺、しばらく見てたけど、キクちゃんの案内の声で、車の方へ向かう。  夕めしに、きつね丼とたぬきうどん食い、主催の山根則子さんと泰子さん、佐渡まで来てくれた米田さんとキクちゃんとコーヒー飲む。泰子さん、顔がちょっと小さなり、益々美人になってる。  この人も、この何年間か、運命の変わり行きの激しかった人。弟が自殺し、住職やった親父の死と共に、安楽寺という由緒ある寺を他人に譲って、自分は婦人服店へ勤め、母親の方は以前亡くなってるので今では市営住宅に妹のキクちゃんと、2人で住んでる。  人の死を運命として受け入れるとしても、泰子さん自身は、その度ごとに苦しかったやろけど、きちんと対処した分、はっきり自分の生き方を選んで来れた。そんな気がして、気持がええ。  泰子さんの家に行き、洗濯してもらい、ショウガとハチミツを飲む。実に体が温まる。胸のあたりがスッキリする。コンサートのチケット見せてもらう。赤と緑の2色カラー。レコード、ライナーノートのイメージ。はっきりしたチケット。嬉しい。  12時頃宿に帰り、去年の倉吉ロフトハウスの、豊田勇造バンドのテープを聴く。確かに、『殺そうと思うだけで良かったのに』がええ。リード・ギターに一人必要。俺は、歌とサイド・ギターに徹する方が、今の、俺のリード・ギターの腕なら妥当。  今年の長崎のテープも聴く。倉吉の去年のに比べて、はっきりした歌い方になってる。ハードになってる。恵子ちゃんの言うように、余分な言葉は喋らん方がええ。  さっきの酔っぱらいのこと、今夜ひと晩中悔やむ。なんであの時起こさんかったのかと。万が一、頭でも打ってて、手当が遅れる。ということも可能性としてはあったはず。うちのお父(と)ちゃんみたいに。 ◇12月19日 倉吉〈ロフトハウス〉  昼前起きたら雨。ヨガして、泰子さんとめし食いに行く。今日は1日、ライブに気を入れるので店を休んだと言う。めし、みそ汁、イカとカレイの煮付け、サラダと腹一杯食う。  倉吉を見下ろす公園、椿のなる丘を登る。「今年春、京都礫礫(たくたく)のライブに行ったのは、私に生きる勇気を与えてくれた勇造さんに、お礼を言いたかったから」と言ってくれる。俺こそ、そんな風に俺を受けてくれる人がいることにお礼を言う。  ポツリポツリの雨の中、散歩し終わって、会場のロフトハウスヘ。俺の知ってる店のうちでも、本当に気持のええ店のひとつ。天井に、キレイな鳥が飛んでる。今年は、主人の森本君夫妻が、来年の4月までインドに行ってるので、代理の金谷君達の世話になる。  リハの途中、左右のスピーカーの音のバランスがおかしいことに気付く。原因色々調べてみるに、右の高音用スピーカーから音が出てへんのがわかる。直すには、スピーカー自体を取り換えるしかない。そのままでOKにして、本番。ジャマイカに行ってから、こういうことにこだわらんようになった。  7時前、雨。それでもロフトハウス満員。舞台にしてる台をひとつ減らして、客席を広くするほど。鳥取から、桜星君来て、入口で抱き合い、ふざけてみる。  コンサート。倉吉の人は4年前おとなしかったけど、今年はバラの花くれた女の人、舞台に上って来て踊る。俺が舞台から投げたタンバリンを受け止めた男も踊る。あとで、ジョン・レノンの歌の時、泰子さん、山根さん、涙こらえてた、と聞く。  自然食の料理店、あぜくら、で打ち上げる。具の入った鍋で、そば・うどんを煮て、だいこんおろしで食べる。17人ほどで盛大!! 去年よりグッと良かったと言うてくれる人多い。チケット切った数だけでも88人、実際は100人は来てるとのこと。倉吉の今までの最高。  今日紹介されたもう1人の主催者、谷本裕子さんも御機嫌。桜星君と吉田真由美という女の人が、良く喋る。漫才みたいに。  山根さん「さだまさしの歌みたいに、はっきり良し悪しを言いたいけれど、今の私にはまだ恐い」と言う。俺「いっぺん言うてみたら、次、又言えるし」と言う。何か他人のような気がせん、山根さん。  別の席で飲んでた、去年コンサートに来てたという中年の男の人から、1曲やってくれとリクエストされる。俺、アドリブで1曲うたう。ジャマイカに行って、俺は変わったみたい。うたうことが、特別なことでなくなりつつある。 ビール1本くれたというのが ひとつの心やとしたら 1曲歌い返すのも、又、心やないか  と、フレーズ出る。  俺、久し振りに日本酒飲む。泰子さんも飲む。キクちゃんは運転で飲めんけど、山根さんも飲む。米子から駆けつけてくれた斎藤さんは、今日の録音に合わせて歌いながら飲む。みんなよう飲む。そして、みんなええ顔してる。顔が輝いてる。 ◇12月20日 倉吉→平田〈1MILE〉  朝、雪。雪が窓の外を流れてる。冷える。ブーツの皮が固うて、ブーツに足が入りにくい。ロフトハウスでコーヒーよばれ、金谷君の車で倉吉駅ヘ。途中、泰子さんを店へ訪ねる。「昨夜1時頃、来てくれた友人から、TEL有り、『良かった』と言ってくれたのが嬉しかった」と聞く。兄弟に思える人。又、すぐ会えるような気になる。  山根さんを駅前の楽器店に訪ねる。リズム・マシンを買う。なんかとてもなごり惜しいて、普通の別れの挨拶では足りん気がした。吉田君と金谷君、駅まで見送ってくれる。吉田さん、まんじゅうと漬け物、金谷君、カニ弁当持たせてくれる。  松江で降り、一畑電鉄に乗り換えて平田ヘ。今年は出来んかったけど、松江、MGのあっちゃんに電話する。全然変わらん、元気な声が返ってきた。  平田、1MILE。「今日は土曜日で忘年会のピークやから、人数どれ位になるかわからんけど、精一杯やったから」と、マスターの井上彰さん。マスターの根廻しによる山陰中央新報の記事を見せてもらう。「さだまさしの〈やさしさ〉は受け入れられない」という、俺の、佐賀からのメッセージ、ちゃんと入ってる。俺、「人数関係ない。会場に着いた今からは、俺ががんばる番です」とマスターに答える。  55人ほど。ひどい雪の降る中、来てくれる。俺、普段のTシャツ1枚では寒すぎるので、井上さんの革ジャケット借りてうたう。  実におとなしい聴き手。けど「去年よりずっと良かった」と言うてくれる人多い。山陰中央新報の三浦均さん、のぞいてくれる。記事に『さだまさしをけなすブルーズ』をやる予定と、ちゃんと書いてくれた人。  ツアーに出て1カ月を過ぎた俺の耳は、疲れて来て、自分の声が聴こえにくなったのか、大きな音をスピーカーから出したがる。ツアーは、色々考えてみて、20日が限度かも知れん。  打ち上げは、カレーライスとビールと鳥のカラ揚げ。簡素な打ち上げが、又、嬉しい。  スタッフの1人、日野博さんから、「玄米要るのやったら実費で送るし」と言われる。ありがたい。京都に帰って、必要なら知らせることにする。  明日で今年のツアーも終わる。なんとか、なんとか、やり抜けそう。特に『さだまさしをけなすブルーズ』出来てからは、ひとつ又、脱皮出来そうな気がする。  何も無理することなしに、今の自分を見、聴きして貰たらええのや。無理して、〈きつい演奏〉になるのが、一番悪い。 ◇12月21日 平田→岡山〈ペパーランド〉  一畑電鉄で、平田駅から出雲へ出る。出雲の町へ買い出しに行くのか、主婦と子供の組み合わせが目立つ。  出雲始発、岡山終点の特急やくも。出雲→米子→新見→岡山と走る。車中、体を暖める為、洗面台から出る湯で、ショウガ&ハチミツを作って飲む。12月2日、チャンプライブの前に買うたハチミツの小ビンも、ほとんど空。  岡山駅ヘスタッフの赤堀保洋君と、去年の倉敷の主催者高明哲さん、迎えてくれる。自分らで足捜して会場まで行くのと、迎えて貰えるのとでは大分違う。特に、ツアーに出てかなり経ち、疲れてる頃には。高さんの車でペパーランドヘ。車中、ビートルズの映画『ヤア!ヤア!ヤア!』思い出す。ふと自分に「ものすごいスピードのツアーやな。あの映画みたいに」とつぶやく。  ペパーランドは、喫茶店というよりは、まず小さな映画館が目的で作られた場で、映写室がちゃんと有る。今夜の共同主催者は、高さんと能勢さん。その能勢伊勢雄さんは、『共同性の地平を求めて』という16ミリのドキュメンタリー映画の作者。ペパーランドの成り立ちに、能勢さんの主張が、はっきりしててええ。  仕込みまでの間、岡大キャンパスを能勢さんと散歩する。能勢さん、風に吹き飛ばされてた俺のポスターを拾い、シワを丁寧に延ばしてくれる。ワーナーとのこと、発見の会とのこと、〈場の共同性〉についてのこと、尋ねられる。東京での今春のミーティングにも、高さんと赤堀君の来てくれた岡山あたりだけに、関心が強い。俺「とにかく実際に会うことが、共同の場を作る第一のポイントやと思います」と言う。能勢さんに「何度も岡山に来て下さい」と言って貰える。  コンサートの方は、熱のこもった聴き手で一杯。立ち見も出る。かなりフラフラの心と体でも、ツアー最後と思い、丁寧に、人の眼見ながらうたう。うなずきながら聴いてくれる高校生風の男有り。  全曲うたい終わっても、明後日(あさって)の枚方のコンサートが残ってるせいか、疲れのせいか、くす玉が割れるみたいな、〈終わった!!〉とか〈やった!!〉という大感激は無い。けど、風呂に行こうと自転車をこいでると、静かに終わったと感じ、何んか体が楽になって行くのが分かる。  玉子丼で打ち上げ。ここの人は、あんまり酒飲まんので、俺、ウィスキーの湯割りを、目くばせして作って貰う。  能勢さん、「聴いてる途中何回か涙が出て……」と漏らす。高さん「1人でやけど、夢駆華家と名乗って、これからやって行くつもり」と伝えてくれる。ここにも又、海の始まり。  赤堀君の書いてくれた、チラシの〈コメント〉というよりは、ひとつの〈文章〉に答えられたと思える夜。ぺパーランドの2階で、冷える岡山の夜を、電気ゴタツ抱いて寝る。 ◇12月22日 岡山→京都  朝、1時間ほどかけて、岡山大のキャンパスを散歩する。タテカンなどなく、おとなし過ぎる学生。時計台見て、ふと、ここでも立て籠もったはずと思う。  ペパーランドに帰り、朝のコーヒー。ヨガとコーヒーが矛盾すると言う人も居るやろけど、今の俺はまだコーヒーが旨い。  今年のツアー、9月1日の喜多方から、昨夜12月21日の岡山まで、59カ所。北は北海道北見、南は鹿児島市。丸4カ月120日に59カ所ということで、数の上では2日に1回。けど、ツアー以外に歌うたり、ラジオがあったり、京都に帰ってた日以外の空き日はほぼ移動日やったり。  去年、ひどい風邪(肺炎かと思うほどの)を2回ひいて、それが逆に為になった。今年は、輪島・金沢あたりが一番辛かったけど、寝込まんかった。風呂によう入ったせいもあると思う。それに、ヨガと、ショウガ&ハチミツ。何よりも、ジャマイカから帰って、酒の量が減ったこと、無理するのが一番悪いと自分に言うて来たこと。北条君が先廻りの時、「早目に休ませてやって下さい」と言ってくれたこと。  コンサート終了後、サイン会して売ったレコードの数は、『さあ、もういっぺん』58枚、『走れ、アルマジロ』46枚、『血を越えて愛し合えたら』175枚。計279枚で1カ所平均約5枚。コンサート来て貰うだけでもありがたいのに、その場で、〈2500円払おう〉と決めてくれるのは大変なこと。自分に照らし合わせたらよう分かること。  自分らでレコード作って、ツアーしながら売って廻って丸5年。精神的にも肉体的にも、金銭的にもひとつの意味としても、いっぺんゆっくり、この5年をしっかり省みなあかん。  能勢さん、赤堀君、夕方乗る伊郷君やらと別れ、昼過ぎの新幹線で京都ヘ。  一旦部屋に帰り、1カ月振りに恵子ちゃんとウズラ(猫)に会う。ちょっと休んで、勤労会館での、『スーパー・ギタートリオ・コンサート』ヘ。他人の演奏に飢えてる。  ジョン・マクラフリン、ラリー・コリエル、パコ・デ・ルシア。世界でも指折りのギタリスト3人のセッション・コンサート。10年前、ラリー・コリエルの『トゥモロー・ネバー・ノウズ』のレコードに聴き入ってた俺、舞台に出て来たラリーの頭に、白髪が混じってるのにびっくり。  1人ずつのソロ→ラリー+ジョン、ラリ+パコ、ジョン+パコのデュオ→トリオ、というコンサート運び。2人でなしに、3人という組み合わせが面白い。2人やと、ミュージシャンの正面だけが、3人になると、背中まで見えて来る、という感じ。  パコが一番気に入る。出て来るフレーズの鋭さが好き。よしや楽器のマスターとママが勧めた訳がわかる。パコとチナ(アール・チナ・スミス)がやったら、どんななるやろと、ふと思う。  最後に、2つのコードに乗せて、アドリブで3人が掛け合うとこなんか、言葉の世界とは又違うた、コミュニケーション。正に音楽。  帰って風呂に行き、早速ギター出して来て、さっきみたいに2つのコードでやってみる。いざ、自分でやってみると、あの3人が、どれだけうまかったかが分かる。口で言うより、指の動きの方が早い。 ◇12月23日 京都→枚方〈枚方市民会館小ホール〉  昼前起きて、1カ月振りに、自分の部屋で、ガンガンレゲエをかける。ピーター・トッシュ、デニス・ブラウン、ウェイラーズ、ジミー・クリフ、スティール・パルス。  窓から賀茂川の流れが見える。川原でサックスを練習する音がする。もうちょっとうまなったら、バンドに呼んでみよか?  3時頃枚方ヘ。『コンピューターに愛は歌えないコンサート』。枚方市は、地方自治体の中でも、住民運動のしっかりある市。住民の反対運動が実って、今のところはまだ、コンピューターが市役所に入ってへん。そして、その反対運動の中心スタッフの1人が、かの豊田勇造ファンクラブの会長、栢下(芳郎)君。栢下君は、枚方市役所の職員でありながら、逆にあるからというべきや、市役所幹部の方針に反対してる。  6時半開演。まず、ゲストの渚家栄都(本名小幡栄治)さんの落語で『コンピューターがこわくて、ぜんざいが食えるか』。ぜんざい公社にぜんざい食いに行き、公社に入ってるコンピューターに、さんざんいじめられる噺。小幡さん、本職は枚方市水道局の職員。「市役所にコンピューターが入ったら、料金滞納した家の水は、機械的に止められてしまう。その家の、それぞれの事情に即して応じるのが、市役所職員のそもそもの仕事やないか?」と言う意見を持ってる。  もう1人のゲストに、関西フォーク・ソング運動の中心的スタッフの一人やった、村田拓さん。今は、枚方地域に住んでて、コンピューター導入反対運動の会の代表。「名古屋に生徒を名前で呼ばず、胸につけさせた番号だけで呼ぶ小学校がある。そして、その学校にただ1人だけ、番号で呼ばれることに家族ぐるみ反対してる、生徒が通うてる」と、具体的な話。  俺、「ジャマイカでレコーディングした時、ベースのギビーが『俺の頭には、コンピューターが入ってるので楽譜は要らん』と言うたけど、そのギビーが一番間違うた。間違うて、又初めからやり直し、その度に音楽が出来て行く。間違うことが悪いことやなく、過程を楽しめることも大事やと思う」と言う。  コンサートの方は、体なんか風邪っぽく、語尾が流れてしまうけど、ラストの『海の始まり』で、渚家さんのタンバリン、村田さんのスリコギ、森君のギロで、全員バラバラのリズムやけど、それが又妙にからみ合い盛り上がる。レコード持って行った10枚、みんな売れる。  終わって、赤のれんで打ち上げ。『赤のれん数え歌』の赤のれん。 『赤のれん数え歌』 ひとつ 枚方市駅より ブラブラ歩いて11分 ふたつ 2人は仲のええ お父ちゃんとお母ちゃん みっつ 見かけは古いけど 銀座のクラブにゃ負けまへん (くりかえし) 合言葉を憶えとき 合言葉を憶えとき 合言葉を憶えとき 枚方で飲むなら 赤のれん よっつ ようし今晩は とことん行ってみようやないか いつつ インドの砂浜で 遊ぶ気分になろうやないか むっつ むっつり助平では ここでは女は口説けへん ここでは男は口説けへん (くりかえし) ななつ 泣く酒 笑う酒 踊る酒に 脱ぐ酒 やっつ 焼き鳥もう一丁 隣のつけで出してんか ここのつ これからもう1軒 いや とうに よそは閉まってる (くりかえし) アアア アアアア カカカ カカカカ ノノノ ノノノノ レレレ レレレレ 枚方で飲むなら 赤のれん 枚方で飲むなら 赤のれん  久し振りにお父ちゃんとお母ちゃんの顔見る。2階の座敷一杯に座り込んで終電まで飲み、京都行きの最終に飛び乗る。  疲れた顔のサラリーマン。俺、自分の顔、電車の窓に写してみる。  三条京阪からタクシーに乗りしな、中年の男と若い女の会話が聞こえる。「悪い奴やと思わんといてな。ワシのこと忘れて、これから幸せになってな」。女の方は黙ってる。又、男が女をいじめてる。 ----------------------------------------------------------------- あと書き  1976年から80年までの5年間、俺は3枚の LP『さあ、もういっぺん』『走れ、アルマジロ』『血を越えて愛し合えたら』を制作し、レコードには刻み切れん、生身の俺を聴いてもらう為と、直接コンサート会場でレコードを手渡す為に、北は北海道の斜里町から、南は宮古島平良市まで、延べ500カ所以上の、コンサート・ツアーを続けて来ました。クリエイティブ・アクションズ・発見の会の、瓜生さん、立川君、伊郷君との共同作業で進めてきた、この、レコード制作・販売、全国縦断コンサート・ツアーは、〈売れれば内容は問わない〉とする、レコード会社・プロイベンター=音楽産業の生産者と、ほとんどの場合〈選んだつもりでも実は買わされている〉聴き手=音楽産業の消費者から成り立っている、今の日本の音楽状況のもとでは、細いものだけれど、一本の〈自然に近い流れ〉を作って来たと自負しています。そしてこの〈自然に近い流れ〉は、レコードを買ってくれた人達、ほとんどの場合赤字が出るのを覚悟で、コンサートを主催してくれた人達があってこそ〈流れた〉もので、この意味では、これら全国各地の人達、発見の会、俺との共同作業の5年間だったと言えます。  そんな5年間の1年分の記録がこの日記です。  ジャマイカ編は、ジャマイカヘの旅で日々に出会った〈驚き〉を書き付けました。日本編は、ツアーで〈頭をはっきりさせておく〉為に書き続けました。この違いについて書いておきます。  ジャマイカ、特にキングストンは、俺の予想をはるかに超えたエネルギーとバイタリティーを持ち、日本人と全く価値感の違う人間の住む土地でした。日本では想像不可能な位〈物〉がない上、物価は実質何倍もする、かと言って沈み込んでしまっているかと思えばそうではない。世界に通用する新しい音楽〈レゲエ〉を生んだキングストンの街には、日本人も、かつてはもっと持っていたはずの〈生の感情〉が溢れていました。部屋から一歩外へ出てみたら、必ず何か〈驚き〉に出合う。部屋でラジオを聴いてみるとそこにも〈驚き〉がある。家捜し、レコーディング準備の〈苦労〉さえ、俺には〈驚き〉と受け止められました。ジャマイカに居た毎日毎日が、超A級の映画を観ているようでした。そんな70日の記録がジャマイカ編です。ほぼ毎夜、寝る前に部屋で書き付けました。  一方日本編は、3日〜1週間分をまとめて、移動の列車の中で例年なら眠る代わりに、空き日に入った喫茶店で例年なら雑誌をめくる代わりに書き続けました。  コンサート・ツアーと言うものは、実にハードなものです。目を覚まし、列車か車で移動し、その夜の会場に着いて主催の人達と合流し、リハーサルをして、本番、そして打ち上げ、布団に入るのは深夜、そして目を覚まし又移動、という毎日が何カ月も続くと、いくら、〈自然に近い流れ〉と言っても、身体も心もまいって来ます。一番辛いことは〈ひとりになれない〉ことです。  〈売れてない〉シンガー・ソングライターの割にはきちんとギャラをもらう俺のツアーでしたが、自分達でレコードを作り売るということは、数千枚の売り上げ枚数では、レコードから関係者に収入がないばかりか、売れれば売れる程経費がかさみ、逆に赤字が増え、その赤字を埋め、次のレコードの制作費を捻出する為にツアーを続けるという、俺と発見の会のスタッフのツアーでしたから、宿に関して言えば主催の人達の家に泊めてもらって宿代を浮かすというやり方をとって来ました。  ツアーを始めて3年目あたりから、ひとりになる時間をツアーの間に欲しいと感じ始めてはいましたが、79年、北海道ツアーを終えてのフェリーの中で発熱し、10日間原因不明の高熱が続いたことがあった時、丈夫が取柄やった俺にはこれがショックで、これからはツアーのやり方変えて行かなあかん、身体と心のこと、もうちょっと考えなあかん、と思い始めました。  それで、80年ツアーの先廻りをしてくれた北条君に、「出来れば旅館をとってもらうか、あるいはひとりになって眠れる部屋を用意してもらえれば。打ち上げも簡単に」との伝言を頼みました。そして実際のツアーでは、コンサート終了後打ち上げ前に、風呂に入れてもらうか、風呂屋へ行く時間をもらうことにし、主催者の人達の家に泊めてもらえる場合でも、どうしてもひとりになりたい時は、自腹で宿をとることにしました。  それと同時に、日記を付けてみることにしました。実際付けてみると、付け終わった日付までの記憶(出会った人々から聞いた話、俺の見たこと感じたこと、どれも聞き流したり、見流したりでは済ませられない)の詰まっていた分だけ頭がフッと軽くなり、軽くなった分だけ頭がリフレッシュされ、ツアーということで、つい慣れてルーズになりがちな、演奏、出会う人達とのコミュニケーション、の両方に、緊張感を例年に比べてはるかに長く持続させられました。ツアー中日記を付けることはまるで、頭を風呂に入れてやるようなものでした。だから、この日記は、旅中の観察日記ではないし、出会った人達と話していた時、俺が〈冷めていた〉訳でもありません。そんな4カ月の日本編です。  さて、こうしたハードなレコード制作とコンサート・ツアーを続けて来た理由は、うたうことが好きだから、うたうことで食うと決めたから、と言ってしまうには簡単過ぎます。俺の中には、〈生きることはもっと素晴しいことのはずや〉という気持がいつも在って、生きることがもっと素晴しくなるのを阻む〈力〉に腹がたちます。この、阻む力、を俺は撃って行きたい。俺の外側、内側の両側に向かって撃って行きたい。こう思っているからと言って、音楽が単なる手段と言う訳では決してありません。撃つこととうたうことの両方を楽しみながら、両方の微妙なバランスをとりながら、俺は生きて行きたい。目的と手段の距離を埋めながら生きて行きたい。そんな5年間だったし、これからもそうあり続けたい。  今、この日記を読み返すと、ここに登場して来る人達の顔が浮かんで来、まるで、その日、その土地でのセッションのテープを改めて聴いているように感じられます。俺一人で聴くのは惜しいのとここに登場する人同志が直接出会ってほしい気持が、この日記を本という形にさせました。細心の注意を払いましたが、聴き違えや不都合な個所の責任は俺にあります。  と同時に、ここには登場して来ないけれど、レコードのこと、ツアーのことに力を貸して下さった人達のいくつもの顔がはっきり見えます。コンサートを主催したかったけれど実現出来なかった人達の顔も見えます。これらの人達すべてに、この、『歌旅日記』を贈ると同時に、改めて〈おおきに!!〉と大声で言わせて下さい。  憧れのジャマイカでレコーディングし、ジャマイカ・レコーディング・報告コンサート・ツアーを終えた俺は、今、ひとつの始まり、に立っているようです。レコード制作・販売について、コンサート・ツアーについて、発見の会とのチームワークについて、今改めて問い直してみる時期のようです。問い直してみるのと、5年のツアーの疲れをとるのと、ふたつの意味で一年間ツアーを休み、ニューヨークに行かしてもらいます。今の俺の気持を一番伝えられる歌は、『海の始まり』です。 『海の始まり』 始めは生まれたての 魚みたいに 小さな水 楽しんでた 北の岬の 燈台守りとか 女一人に生きる 男とか 親の夢に重なり 列乱さず 群れたがる自分 嫌になり始め 想えば嬉しく 懐かしい 俺の 海の始まり 身体が変わり 声変わり ひとり濡れる癖 憶えた夕方 紺色に染まった 制服の裾から はみ出し始めた 俺の反抗 焦る想いに カーテンを開けたら 西日の当たる街 京都 干し魚売る 声の向こうへ 広がり始めた 海の始まり 街には不良が 彷徨ってた 風には花粉が 漂ってた 『ライク・ア・ローリング・ストーン』口づさみ 胸まで髪垂らし 歩いた 働き始めた 友達の目付きに 寒気感じ 旅に出た 胸の底まで 真っ青になる 海が見たくて 旅に出た 「漁師の寒さがわかるもんか」と 飲んでくれなかった 函館の酒 「お前日の丸焼いたやろ!! 殺す!!」と 囲まれた 沖縄の夏 俺の歌『ジェフベック、雨の円山音楽堂』 水被り踊ってくれた男に おおきに!! 思えば嬉しく 懐かしい 俺の 海の始まり 81年 ひとつの始まりを告げ 三日月渡る 夜の底 焼き上がり待つ 焼き物師みたいに この歌を 書いている とどまるな 俺の旅心 生きてる間は 楽しんでやれ!! おまえに送り届けたい もの 俺の 海の静けさ 俺の 海の冷たさ 俺の 海の激しさ 俺の 海の高まり おまえに受けとってもらいたい もの 俺の 海の始まり  この本を出すにあたって、沢山の人達のお世話になりました。資料や写真を送って下さった各地の方々、日記を原稿用紙に口述筆記してくれた竹林隆君(彼からは、『さだまさしをけなすブルーズ』のもともとの歌詞、「なんでブスばっかり」を「なんで死んだ顔ばっかり」とうたい改める示唆を受けました。本文では、改めた歌詞が書いてあります)、最後になりましたが、メッセージを頂いた、田川律さん、友部正人君、吉田ルイ子さん、の皆さんにお礼を申し上げます。 1981年2月28日 紀伊田辺にて 豊田勇造 ------------------------------------------------------------------ ●入力者あとがき この小さな本のデジタル復刻は、1997年12月 9日、東京・吉祥寺のライブハウス〈マンダラ2〉で開かれた豊田勇造ライブの終演後、高山玲子さんから入力者の1人、浜野へと原本が手渡されたことに始まっています。あらためて、高山さんに、ありがとうを。