青空文庫アンソロジー−2
青の小詩集
青は不思議な色だ。
青空、青い海……これらは明るさそのもの。青まさしく開かれたイメージ。
これに対して、一度人間の内面に沈むと、青は
鬱屈とした心模様を表す色に変転する。
この小さな詩集には、
宮沢賢治、石川啄木、萩原朔太郎、この三人の詩人の
「青をめぐる詩」を集めた。
◆目次
●宮沢賢治『疾中』より
眼にて云ふ
〔わが胸いまは青じろき〕
〔そのうす青き玻璃の器に〕
〔わが胸はいまや蝕み〕
〔その恐ろしい黒雲が〕
〔丁 丁 丁 丁 丁〕
〔こんなにも切なく〕
●石川啄木詩集より
隠沼
年老いし彼は商人
げに、かの場末の
●萩原朔太郎『月に吠える』より
酒精中毒者の死
干からびた犯罪
くさつた蛤
宮沢賢治『疾中』より
眼にて云ふ
だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。
〔わが胸いまは青じろき〕
わが胸いまは青じろき
板ひとひらに過ぎぬらし
とは云へかなたすこやけき
億の呼吸のなべてこそ
うららけきわが春のいぶきならずや
〔そのうす青き玻璃の器に〕
そのうす青き玻璃の器に
しづにひかりて澱めるは
まことや菩薩わがために
血もてつぐなひあがなひし
水とよばるゝそれにこそ
〔わが胸はいまや蝕み〕
一九二八ヽ一二ヽ
わが胸はいまや蝕み
わがのんど熱く燃えたり
おとづれてきみはあれども
あゝきみもさかなの歯して
青々とうちもわらへる
その群のひとりなりけり
〔その恐ろしい黒雲が〕
その恐ろしい黒雲が
またわたくしをとらうと来れば
わたくしは切なく熱くひとりもだえる
北上の河谷を覆ふ
あの雨雲と婚すると云ひ
森と野原をこもごも載せた
その洪積の大地を恋ふと
なかばは戯れに人にも寄せ
なかばは気を負ってほんたうにさうも思ひ
青い山河をさながらに
じぶんじしんと考へた
あゝそのことは私を責める
病の痛みや汗のなか
それらのうづまく黒雲や
紺青の地平線が
またまのあたり近づけば
わたくしは切なく熱くもだえる
あゝ父母よ弟よ
あらゆる恩顧や好意の後に
どうしてわたくしは
その恐ろしい黒雲に
からだを投げることができよう
あゝ友たちよはるかな友よ
きみはかゞやく穹窿や
透明な風 野原や森の
この恐るべき他の面を知るか
〔丁 丁 丁 丁 丁〕
丁 丁 丁 丁 丁
丁 丁 丁 丁 丁
叩きつけられてゐる 丁
叩きつけられてゐる 丁
藻でまっくらな 丁 丁 丁
塩の海 丁 丁 丁 丁 丁
熱 丁 丁 丁 丁 丁
熱 熱 丁 丁 丁
(尊 々 殺 々 殺
殺 々 尊 々 々
尊 々 殺 々 殺
殺 々 尊 々 尊)
ゲニイめたうとう本音を出した
やってみろ 丁 丁 丁
きさまなんかにまけるかよ
何か巨きな鳥の影
ふう 丁 丁 丁
海は青じろく明け 丁
もうもうあがる蒸気のなかに
香ばしく息づいて泛ぶ
巨きな花の蕾がある
〔こんなにも切なく〕
こんなにも切なく
青じろく燃えるからだを
巨きな槌でこもごも叩き
まだまだ練へなければならないと
さう云ってゐる誰かがある
たしかに二人巨きなやつらで
かたちはどうも見えないけれども
声はつゞけて聞こえてくる
(モシャさんあなたのでない?)
返事がなくて
ぽろんと一音ハープが鳴る
石川啄木詩集より
隠沼
夕影しづかに番(つがひ)の白鷺(しらさぎ)下り、
槇(まき)の葉枯(か)れたる樹下(こした)の隠沼(こもりぬ)にて、
あこがれ歌ふよ。――『その昔(かみ)、よろこび、そは
朝明(あさあけ)、光の揺籃(ゆりご)に星と眠り、
悲しみ、汝(なれ)こそとこしへ此処(ここ)に朽(く)ちて、
我が喰(は)み啣(ふく)める泥土(ひづち)と融(と)け沈みぬ。』――
愛の羽寄り添ひ、青瞳(せいどう)うるむ見れば、
築地(ついぢ)の草床、涙を我も垂(た)れつ。
仰(あふ)げば、夕空さびしき星めざめて、
しぬびの光よ、彩(あや)なき夢(ゆめ)の如(ごと)く、
ほそ糸ほのかに水底(みぞこ)に鎖(くさり)ひける。
哀歓かたみの輪廻(めぐり)は猶(なほ)も堪へめ、
泥土(ひづち)に似る身ぞ。ああさは我が隠沼、
かなしみ喰(は)み去る鳥さへえこそ来めや。
年老いし彼は商人
年老いし彼は商人(あきびと)。
靴(くつ)、鞄(かばん)、帽子、革帯(かはおび)、
ところせく列(なら)べる店に
坐り居て、客のくる毎(ごと)、
尽日(ひねもす)や、はた、電燈の
青く照る夜も更(ふ)くるまで、
てらてらに禿(は)げし頭を
礼(ゐや)あつく千度(ちたび)下げつつ、
なれたれば、いと滑(なめ)らかに
数数の世辞をならべぬ。
年老いし彼はあき人。
かちかちと生命(いのち)を刻む
ボンボンの下の帳場や、
簿記台(ぼきだい)の上に低(た)れたる
其(その)頭、いと面白(おもしろ)し。
その頭低(た)るる度毎(たびごと)、
彼が日は短くなりつ、
年こそは重みゆきけれ。
かくて、見よ、髪の一条(ひとすぢ)
落ちつ、また、二条、三条、
いつとなく抜けたり、遂(つひ)に
面白し、禿げたる頭。
その頭、禿げゆくままに、
白壁の土蔵(どざう)の二階、
黄金の宝の山は
(目もはゆし、暗(やみ)の中にも。)
積まれたり、いと堆(うづた)かく。
埃及(エジプト)の昔の王は
わが墓の大(だい)金字塔(ピラミド)を
つくるとて、ニルの砂原、
十万の黒兵者(くろつはもの)を
二十年(はたとせ)も役(えき)せしといふ。
年老いしこの商人(あきびと)も
近つ代の栄の王者、
幾人の小僧つかひて、
人の見ぬ土蔵の中に
きづきたり、宝の山を。――
これこそは、げに、目もはゆき
新世(あらたよ)の金字塔(ピラミド)ならし、
霊魂(たましひ)の墓の標(しるし)の。
げに、かの場末の
げに、かの場末の縁日の夜の
活動写真の小屋の中に、
青臭(くさ)きアセチレン瓦斯(ガス)の漂(ただよ)へる中に、
鋭くも響きわたりし
秋の夜の呼子の笛はかなしかりしかな。
ひょろろろと鳴りて消ゆれば、
あたり忽(たちま)ち暗くなりて、
薄青きいたづら小僧の映画ぞわが眼にはうつりたる。
やがて、また、ひょろろと鳴れば、
声嗄(か)れし説明者こそ、
西洋の幽霊(いうれい)の如(ごと)き手つきして、
くどくどと何事を語り出でけれ。
我はただ涙ぐまれき。
されど、そは、三年(みとせ)も前の記憶なり。
はてしなき議論の後の疲れたる心を抱き、
同志の中の誰彼(たれかれ)の心弱さを憎みつつ、
ただひとり、雨の夜の町を帰り来れば、
ゆくりなく、がの呼子の笛が思ひ出されたり。
――ひょろろろと、
また、ひょろろろと――
我は、ふと、涙ぐまれぬ。
げに、げに、わが心の餓(う)ゑて空(むな)しきこと、
今も猶(なほ)昔のごとし。
萩原朔太郎『月に吠える』より
酒精中毒者の死
あふむきに死んでゐる酒精中毒者(よつぱらひ)の、
まつしろい腹のへんから、
えたいのわからぬものが流れてゐる、
透明な青い血漿と、
ゆがんだ多角形の心臓と、
腐つたはらわたと、
らうまちす[*「らうまちす」に傍点]の爛れた手くびと、
ぐにやぐにやした臓物と、
そこらいちめん、
地べたはぴかぴか光つてゐる、
草はするどくとがつてゐる、
すべてがらぢうむ[*「らぢうむ」に傍点]のやうに光つてゐる。
こんなさびしい風景の中にうきあがつて、
白つぽけた殺人者の顔が、
草のやうにびらびら笑つてゐる。
干からびた犯罪
どこから犯人は逃走した?
ああ、いく年もいく年もまへから、
ここに倒れた椅子がある、
ここに兇器がある、
ここに屍体がある、
ここに血がある、
さうして青ざめた五月の高窓にも、
おもひにしづんだ探偵のくらい顔と、
さびしい女の髪の毛とがふるへて居る。
くさつた蛤
半身は砂のなかにうもれてゐて、
それで居てべろべろ舌を出して居る。
この軟体動物のあたまの上には、
砂利や潮(しほ)みづが、ざら、ざら、ざら、ざら流れてゐる、
ながれてゐる、
ああ夢のやうにしづかにもながれてゐる。
ながれてゆく砂と砂との隙間から、
蛤はまた舌べろをちらちらと赤くもえいづる、
この蛤は非常に憔悴(やつ)れてゐるのである。
みればぐにやぐにやした内臓がくさりかかつて居るらしい、
それゆゑ哀しげな晩かたになると、
青ざめた海岸に坐つてゐて、
ちら、ちら、ちら、ちらとくさつた息をするのですよ。
■電子テキスト化スタッフ一覧
●宮沢賢治『疾中』より
底本:ちくま文庫版『宮沢賢治全集 2』(筑摩書房 1990年6月25日 初版第四刷 )
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テキスト校正:浜野 智
●石川啄木詩集より
底本:日本文学全集12『 国木田独歩・石川啄木集』(集英社 昭和47年9月10日9版)
テキスト入力:j.utiyama
テキスト校正:八巻美惠
●萩原朔太郎『月に吠える』より
底本:現代詩文庫1009『萩原朔太郎』(思潮社 1975年10月10日)
テキスト入力:福田芽久美
テキスト校正:野口英司
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