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青空文庫アンソロジー―10

走る人たち


 誰かが走り出す。歩くのではなく、走る。それには理由がある。
 小説の世界にも、走る人たちがいる。走り出す瞬間にドラマが収斂してくることもある。
 人が走る情景が織り込まれた小説を5編まとめてみた。

◆目次
放浪(織田作之助)
●車掌に揺り動かされて眼を覚すと、難波ア、難波終点でございまアーす。早う着いたなアと嬉しい気持で構内をちょこちょこ走り、日射しの明るい南海道を真っ直ぐ出雲屋の表へかけつけると、まだ店が開いていなかった。
秋風記(太宰治)
●宿を出た。走った。
 橋のうえで立ちどまって、下の白い谷川の流れを見つめた。自分を、ばかだと思った。ばかだ、ばかだ、と思った。
橡の花(梶井基次郎)
●私は母の鏡台の前まで走りました。そして自分の青ざめた顔をうつしました。それは醜くひきつっていました。何故(なぜ)そこまで走ったのか――それは自分にも判然(はっきり)しません。
渦巻ける烏の群(黒島伝治)
●松木は、息切れがして、暫らくものを云うことが出来なかった。鼻孔から、喉頭が、マラソン競走をしたあとのように、乾燥し、硬(こわ)ばりついている。彼は唾液(つばき)を出して、のどを湿そうとしたが、その唾液が出てきなかった。雪の上に倒れて休みたかった。
春の夜(芥川龍之介)
●相手はNさんの声と一しょに、抑えられていた手を振りもぎろうとした。同時にまたNさんも左の手を離した。それから相手がよろよろする間(ま)に一生懸命に走り出した。

放浪

織田作之助




       一

 大阪は二ツ井戸「まからんや」呉服店の番頭は現糞(げんくそ)のわるい男や、云うちゃわるいが人殺しであると、在所のお婆は順平にいいきかせた。
 ――「まからんや」は月に二度、疵ものやしみつき[#「しみつき」に傍点]や、それから何じゃかや一杯呉服物を一反風呂敷にいれ、南海電車に乗り、岸和田で降りて二里の道あるいて六貫村へ着物(べべ)売りに来ると、きまって現糞わるく雨が降って、雨男である。三年前にも来て降らせた。よりによって順平のお母が産気づいて、例(いつ)もは自転車に乗って来るべき産婆が雨降っているからとて傘さして高下駄はいてとぼとぼ辛気臭かった。それで手違うて、順平は産れたけれど、母親はとられた。兄の文吉は月たらずゆえきつい難産であつたけれど、その時ばかりは天気運が良くて……。
 聴いて順平は何とも感じなかった。そんな年でもなく、寝床にはいって癖で足の親指と隣の指をすり合わせていると、きまってこむら返りして痛く、またうっとりした。度重なるうち、下腹が引きつるような痛みに驚いたが、お婆は脱腸の気だとは感付かなかった。寝いると小便をした。お婆は粗相を押えるために夜もおちおち寝ず、濡れていると敲き起し、のう順平よ、良う聴きなはれや。そして意地わるい快感で声も震え、わりや継子やぞ。
 泉北郡六貫村よろずや雑貨店の当主高峰康太郎はお婆の娘のおむらと五年連れ添い、文吉、順平と二人の子までなしたる仲であったが、おむらが産で死ぬと、これ倖いと後妻をいれた。これ倖いとはひょっとすると後妻のおそでの方で、康太郎は評判のおとなしい男で財産も少しはあった。兄の文吉は康太郎の姉聟の金造に養子に貰われたから良いが、弟の順平は乳飲子で可哀相だとお婆が引き取り、ミルクで育てている。お婆が死ねば順平は行きどころが無いゆえ継母のいる家へ帰らねばならず、今にして寝小便を癒して置かねば所詮いじめられる。後妻には連子があり、おまけに康太郎の子供も産んで、男の子だ。
 ……お婆はひそかに康太郎を恨んでいたのであろうか。順平さえ娘の腹に宿らなんだら、まからんやが雨さえ降らせなんだらと思い、一途に年のせいではなかった。云うまじきことを云い聴かせるという残酷めいた喜びに打負けるのが度重って、次第に効果はあった。継子だとはどんな味か知らぬが、順平は七つの頃から何となく情けない気持が身にしみた。お婆の素振りが変になり、みるみるしなびて、死んで、順平は父の所に戻された。
 ひがんでいるという言葉がやがて順平の身辺をとりまいた。一つ違いの義弟(おとうと)と二つ違いの義姉(あね)がいて、その義姉が器量よしだと子供心にも判った。義姉は母の躾がよかったのか、村の小学校で、文吉や順平の成績が芳しくないのは可哀相だと面と向って云うのだ。兄の文吉はもう十一であるから何とか云いかえしてくれるべきだのに、いつもげらげら笑っていた。眼尻というより眼全体が斜めに下っていて、笑えば愛敬よく、また泣き笑いにも見られた。背が順平よりも低く、顔色も悪かった。頼りない男であったが、順平には頼るべきたった一人の兄だったから、学校がひけると、文吉の後に随いて金造の家へ行くことにした。
 金造は蜜柑山をもち、慾張りと云われた。男の子がなく、義理で養子にいれたが、岸和田の工場で働かせている娘が子供をもうけ、それが男の子であったから、いきなり気が変り、文吉はこき使われた。牛小屋の掃除をした。蜜柑をむしった。肥料を汲んだ。薪を割った。子守をした。その他いろいろ働いた。順平は文吉の手だすけをした。兄よ、わりゃ教場で糞したとな。弟よ、わりゃ寝小便止めとけよ。そんなことを云いかわして喜んでいた。
 康太郎の眼はまだ黒かったが、しかしこの父はもう普通の人ではなかった。悪性の病をわずらって悪臭を放ち、それを消すために安香水の匂いをプンプンさせていたが、そんな頭の働かせ方がむしろ不思議だとされていた。寝ていると、壁に活動写真がうつるようであった。ある日、浪花節語りが店の前に来て語っているから見て来いといい、順平が行こうとすると、継母は呶鳴りつけて、われも狂人か、そう云って継母はにがにがし気であった。その日から衰弱はげしく、大阪生玉前町の料理仕出し屋丸亀に嫁いでいる妹のおみよがかけつけると、一瞬正気になり、間もなく康太郎は息をひきとった。
 焼香順のことでおみよ叔母は継母のおそでと口喧嘩した。それでは何ぼ何でも文吉や順平が可哀相やと叔母は云い、気晴しに紅葉を見るのだとて二人を連れて近くの牛滝山へ行った。滝の前の茶店で大福餅をたべさせながらおみよ叔母は、叔母さんの香典はどこの誰よりも一番沢山(ぎょうさん)やさかいお前達は肩身が広いと聴かせ、そしてぽんと胸をたたいて襟を突きあげた。
 十歳の順平はおみよ叔母に連れられて大阪へ行った。村から岸和田の駅まで二里の途は途中に池があった。大きな池なので吃驚した。順平は国定教科書の「作太郎は父に連れられて峠を……」という文句を何となく想出したが、後の文句がどうしても頭に泛んで来なかった。見送るといって随いて来た文吉は、順平よ、わりゃ叔母さんの荷物もたんかいやとたしなめた。順平は信玄袋を担いでいたが、左の肩が空いていたのだ。文吉の両肩には荷物があった。叔母はしかし、蜜柑の小さな籠をもっているだけで、それは金造が土産にくれたもの、何倍にもなってかえる見込がついていた。
 岸和田の駅から引返す文吉が、直きに日が暮れて一人歩きは怖いこっちゃろと、叔母は同情して五十銭呉れると、文吉は、金はいらぬ、金造叔父がわしの貯金帳こしらえてくれると云って受取らず、帰って行った。そんなことがあるものか、文吉は金造に欺されている、今に思い知る時があるやろと、電車が動き出して叔母は順平に云った。はじめて乗る電車にまごついて、きょろきょろしている順平は、碌々耳にはいらなかった。電車が難波に着くと、心に一寸した張りがついた。大阪へ行ったらしっかりせんと田舎者やと笑われるぞと、兄らしくいましめてくれた文吉の言葉を想出したのだ。
 叔母の家についた。眩い電灯の光でさまざまな人に引き合わされたが、耳の奥がじーんと鳴り、人の顔がすッーと遠ざかって小さくなったり、急にでっかく見えたり、さすがに呆然としていた。しッかりしよと下腹に力をいれると差し込んで来て、我慢するのが大変だった。香典返えしや土産物を整理していた叔母が、順ちゃんよ、お前の学校行きの道具はときくと、すかさず、ここにあら。信玄袋から取出してみせ、はじめて些か得意であった。然るに「ここにあら」がおかしいと嗤(わら)われて、それは叔母の娘で、尋常一年生だから自分より一つ年下の美津子さんだとあとで知った。美津子は虱を湧かしていてポリポリ頭をかいていたが、その手が吃驚するほど白かった。
 遅い夕飯が出された。刺身などが出されたから、まごついて下をむいたまま黙々とたべ終り、漬物の醤油の余りを嘗めていると、叔母は、お前は今日から丸亀のぼんぼん[#「ぼんぼん」に傍点]やさかいそんなけちんぼ[#「けちんぼ」に傍点]な真似せいでもええといい、そして女中の方を向いてわざとらしい泪を泛べた。酒をのんでいた叔父が二こと三こと喋ると叔母は、猫の子よりましだんがナと云った。ふんと叔父はうなずいて、しかしえらい痩せとるなアと云った。
 さっぱりした着物を着せられたが、養子とは兄の文吉のようなものだと思っていた身に、何かしっくりしない気持がした。買喰いの銭を与えられると、不思議に思った。田舎の家は雑貨屋で、棒ねじ、犬の糞、どんぐりなどの駄菓子を商っているのに、手も出せなかったのだ。一と六の日は駒ヶ池の夜店があり、丸亀の前にも艶歌師が立ったり、アイスクリン屋が店を張ったりした。二銭五厘ずつ貰って美津子と夜店に行く時は、帯の中に銅貨をまきこんで、都会の子供らしい見栄を張った。しかし、筍をさかさにした形のアイスクリンの器をせんべいとは知らず、中身を嘗めているうちに器が破けてはっとし、弁償しなければならぬと蒼くなって嗤われるなど、いくら眼をキョロキョロさせていても、やはり以後かたくいましめるべき事が随分多かった。
 ある日銭湯へ行くといって家を出た。道分ってんのかとの叔母の声をきき流して、分ってまんがな。流暢に出た大阪弁に弾みつけられてどんどん駆け出し、勢よく飛び込んでみると、おやッ! 明るいところから急に変った暗さの中にも、大分容子が違うとやがて気が付いて、わいは……、わいは……、あとの声が出ず、いきなり引きかえしたが、そこは銭湯の隣の果物屋の奥座敷で、中風で寝ているお爺がきょとんとした顔であとを見送っていた。表へ出ると、丁度使いから帰って来た滅法背の高いそこの小僧に、何んぞ用だっかと問われ、いきなり風呂銭にもっていた一銭銅貨を投げ出し、ものも云わずに蜜柑を一つ掴んで逃げ出した。ところが、それは一個三銭の蜜柑で、その時のせわしない容子がおかしいと、ちょくちょく丸亀の料理場へ果物を届けに来るその小僧があとで板場(料理人のこと)や女中に笑いながら話し、それが叔父叔母の耳にはいった。お前、えらいぼろい事したいうやないか。叔母にその事をいわれると、順平はぺたりと畳に手をついて、もう二度と致しまへん。うなだれて眼に涙さえ泛べるのだった。ひやかす積りであった叔母はあっ気にとられ、そんな順平が血のつながるだけにいっそいじらしく、また不気味でもあったので、何してねんや、えらいかしこまって。そう云って、大袈裟に笑い声を立てた。叱られているのではなかったのかと、ほっとすると順平は媚びた笑いを黄色い顔に一杯うかべて、果物屋のお爺がぼんぼんは何処さんの子供衆や、学校何年やときいたなどとにわかに饒舌になった。が、果物屋のお爺というのは唖であり、間もなく息をひきとった。
 尋常五年になった。誰に教えられるともなく始めた寝る前の「お休み」がすっかり身についていた。色が黒いさかいと茶断ちをしている叔母に面と向って色が白いとお世辞を云うことも覚えた。また、しょっちゅう料理場でうろうろしていて、叔父からあれ取れこれ取ってくれと一寸した用事を吩咐(いいつけ)られるのを待つという風であった。気をくばって家の容子を見ている内に、板場の腕を仕込んで、行末は美津子の聟にし身代も譲ってもよいという叔父の肚の中が読みとれていたからであろうか。
 叔父は生れ故郷の四日市から大阪へ流れて来た時の所持金が僅か十六銭で、下寺町の坂で立ちん坊をして荷車の後押しをしたのを振出しに、土方、沖仲仕、飯屋の下廻り、板場、夜泣きうどん屋、関東煮の屋台などさまざまな商売を経て、今日、生国魂神社前に料理仕出し屋の一戸を構え、自分でも苦労人やと云いふらしているだけに、順平を仕込むのも、一人前の板場になるには先ず水を使うことから始めねばならぬと、寒中に氷の張ったバケツで皿洗いをさせ、また二度や三度指を切るのも承知の上で、大根をむかせて、けん[#「けん」に傍点](刺身のつま)の切り方を教えた。庖丁が狂って手を切ると、先ず、けんが赤うなってるぜといわれた。手の痛みはどないやとも訊いてくれないのを、十三の年では可哀相だと女子衆(おなし)の囁きが耳にはいるままに、やはり養子は実の子と違うのかと改めて情けない気持になった。
 叔父叔母はしかし、順平をわざわざ継子扱いにはしなかったのだ。そんな暇もないといった顔だった。奇体(けったい)な子供だと思っても、深く心に止めなかった。商売病、冠婚葬祭や町内の集合の料理などの註文が多かったから、近所の評判が大事だった。生国魂神社の夏祭には、良家のぼんぼん並みに御輿かつぎの揃いの法被もこしらえて呉れた。そんな時には、美津子の聟になれるという希望に燃えて、美津子を見る眼が貪慾な光を放ち、ぼんぼんみたいに甘えてやろ、大根を切る時庖丁振り舞して立ち廻りの真似もしてみたろ、お菜の苦情云うてみたら、叔父叔母はどんな顔するやろと思うのだったが、順平は実行しかねた。その頃、もう人に感付かれた筈だが、矢張り誰にも知られたくない一つの秘密、脱腸がそれと分る位醜くたれ下っていることに片輪者のような負け目を感じ、これがあるために自分の一生は駄目だと何か諦めていた。想い出すたびにぎゃあーと腹の底から唸り声が出た。ぽかぽかぺんぺんうらうらうらと変なひとり言も呟いた。
 ある日、美津子が行水をした。白い身体がすうっと立ち上った。あっちイ行きイ。順平は身の置き場もないような恥しい気持になった。夜想い出すと、急にぽかぽかぺんぺんうらうらうら。念仏のように唱えた。美津子にはっきり嫌われたと蒼い顔で唱えた。近所のカフェから流行歌が聞えて来た。何がなし郷愁をそそられ、その文吉のことなども想い出し、泣いたろ、そう思うとするすると涙がこぼれてきて存分に泣けた。二度と見ない決心だったが、翌くる日、美津子が行水をしているとやはりそわそわした。そんな順平を仕込んだのは板場の木下であった。
 板場の木下は、東京で牛乳配達、新聞配達、料理屋の帳場などしながら苦学していたが、大震災に逢い、大阪へ逃げて来たと云った。汚い身装りで雇われて来た日、一緒に風呂へ行ったが、木下が小さい巾着を覗いて一枚一枚小銭を探し出すのを見て同情し、震災の時火の手を逃れて隅田川に飛び込んで泳いだ、袴をはいた女学生も並んで泳いでいたが、身につけているものが邪魔になって到頭溺死しちゃったという木下の話を聞くと、順平は訳もなく惹き付けられ、好きになった。大阪も随分揺れたことだろうなと、長い髪の毛にシャボンをつけながら木下が問うと、えらい揺れたぜと順平はいい、細ごま説明したが、その日揺れ出した途端、未だ学校から退けて来ない美津子のことに気がつくと、悲壮な表情を装いながら学校へ駆けつけ、地震怖かったやろ、そういって美津子の手を握ってたら、何んや、阿呆らしい、地震みたいなもん、ちっとも怖いことあーらへんわ、そして握られた手はそのままだったが。奇体(けったい)な順ちゃん、すけべいと云われて、随分情けなかったなどとは、さすがに云わなかった。
 女学生の袴が水の上にぽっかりひらいて……という木下の話は順平の大人を眼覚ました。弁護士の試験をうけるために早稲田の講義録をとっているという木下は、道で年頃の女に会うときまって尻振りダンスをやった。順平も尻を振って見せ、げらげら笑い、そしてあたりを見廻すのだった。
 ある時、気がついてみると、ふらふらと女中部屋の前にたたずんでいた。あくる日、千日前で「海女の実演」という見世物小屋にはいり、海女の白い足や晒を巻いた胸のふくらみをじっと見つめていた。そして又、ちがった日には「ろくろ首」の疲れたような女の顔にうっとりとなっていた。十六になっていた。二皮目だから今に女泣かせの良い男になると木下に無責任な賞め方をされて、もう女学生になっていた美津子の鏡台からレートクリームを盗み出し顔や手につけた。匂いに感づかれぬように、人の傍によらぬことにしていたが、知れて、美津子の嘲笑いを買ったと思った。二皮目だと己惚れて鏡を覗くと、兄の文吉に似ていた。眼が斜めに下っているところ、おでこで鼻の低いところ、顔幅が広くて顎のすぼんだところ、そっくりであった。ひとの顔を注意してみると、皆自分よりましな顔をしていた。硫黄の匂いのする美顔水をつけて化粧してみても追っ付かないと諦めて、やがて十九になった。数多くある負目の上に容貌のことで、いよいよ美津子に嫌われるという想いが強くなった。
 ただ一途にこれのみと頼りにしている板場の腕が、この調子で行けば結構丸亀の料理場を支えて行けるほどになったのを、叔父叔母は喜び、当人もその気でひたすらへり下って身をいれて板場をやっている忠実めいた態度が、しかし美津子にはエスプリがないと思われて嫌に思っていたのだった。容貌は第二で、その頃学校の往きかえりに何となく物をいうようになった関西大学専門部の某生徒など、随分妙な顔をしていた。しかし、此の生徒はエスプリというような言葉を心得ていて、美津子は得るところ少くなかった。√3(ルートサン)[#「3」は「√」の記号の中に入っている]と封をした手紙をやりとりし、美津子の胸のふくらみが急に目立って来たと順平にも判った。うかうかと夜歩きを美津子はして、某生徒に胸を押えられ、ガタガタ醜悪に震えた。生国魂神社境内の夜の空気にカチカチと歯の音が冴えるのであった。やがて、思いが余って、捨てられたらいややしと美津子は乾燥した声でいい、捨てられた。
 日がたち、妊娠していると両親にも判った。女学校の卒業式をもう済ませていることで、両親は赤新聞の種にならないで良かったと安堵した。ある夜更け美津子の寝室の前に佇んでいたといわれて、嫌疑は順平にかかった。順平はなぜか否定する気にもならなかったが、しかし、美津子を見る目が恨みを呑んだ。雨の夜、ふらふらと美津子の寝顔に近づいたが、やはり無暴だった。美津子の眼は白く冴えて、怖ろしく、順平の狂暴な血は一度にひいた。
 丸亀夫婦は美津子から相手は順平でないと告げられると、あわてて、何か改って順平を長火鉢の前へ呼び寄せ、不束な娘やけど、貰ってくれといった。順平ははっと両手をついてありがとうございますと、かねてこの事あるを予期していた如き挨拶であった。見れば、畳の上にハラハラと涙をこぼし、眼をこすりもしないで芝居がかった容子であるから、丸亀夫婦も舞台に立ったような思いいれを暫時(ざんじ)した。一杯行こうと叔父が差し出す盃を順平はかしこまって戴き、呑み乾して返えす。それだけの動作の間にも、しーんとした空気が漲っていた。その空気が破れたかと思うと、順平は、阿呆の自分にもこれだけは云わしてほしい言葉、けれど美津子さんは御承諾のことでっかと、三十男のような問い方をした。尼になる気持で……などと云うたら口を縫いこむぞといいきかされていた美津子は、いけしゃあしゃあと、わてとあんたは元から許嫁やないのといった。二親はさすがに顔をしかめたが、順平はだらしなくニコニコして胸を張り、想いの適った嬉しさがありありと見えて、いやらしい程機嫌を誰彼にもとった。阿呆程強いもんはないと叔母はさすがに烱眼だった。
 婚礼の日が急がれて、美津子の腹が目立たぬ内にと急がれたのだ。暦を調べると、良い日は皆目なかったので、迷った挙句、仏滅の十五日を月の中の日で仲が良いとてそれに決められた。婚礼の日、六貫村の文吉は朝早くから金造の家を出て、柿の枝を肩にかついで二里の道歩いて、岸和田から南海電車に乗った。難波の終点についたのは正午頃だったが、大阪の町ははじめてのこと故、小一里もない生国魂神社前の丸亀の料理場に姿を現わしたのは、もう黄昏どきであった。
 その日の婚礼料理に使うにらみ鯛を焼いていた順平が振り向くと、文吉がエヘラエヘラ笑って突っ立っていた。十年振りの兄だが少しも変っていないので直ぐ分って、兄よ、わりゃ来てくれたんかと順平は団扇をもったまま傍へ寄った。白い料理衣をきている順平の姿が文吉には大変立派に見え、背ものびたと思えたので、そのことを云った。順平は料理場用の高下駄をはいているので高く見えたのだった。二十二歳の文吉は四尺七寸しかなかった。順平は九寸位あった。順平は柿をむいて見せた。皮がくるくると離れ、漆喰に届いたので文吉は感心し、賞めた。
 その夜、婚礼の席がおひらきになるころ、文吉は腹が痛み出した。膳のものを残らず食い、酒ものんだからだった。かねがね蛔虫を湧かしていたのである。便所に立とうとすると、借着の紋附の裾が長すぎて、足にからまった。倒れて、そのまま、痛い痛いとのた打ちまわった。別室に運ばれ、医者を迎えた。腸から絞り出して夜着を汚した臭気の中で、順平は看護した。やっと、落ち付いて文吉が寝いると、順平は寝室へ行った。夜は更けていて、もう美津子は寝こんでいた。だらしなく手を投げ出していた。ふと気が付いてみると、阿呆んだら。順平は突きとばされていた。
 あくる朝、文吉の腹痛はけろりと癒った。早う帰らんと金造に叱られるといったので、順平は難波まで送って行った。源生寺(げんしょうじ)坂を降りて黒門市場を抜け、千日前へ行き出雲屋へはいった。また腹痛になるとことだと思ったが、やはり田舎で大根や葉っぱばかり食べている文吉にうまいものをたべさせてやりたいと順平は思ったのだ。二円ほど小遣いをもっていたので、まむしや鮒の刺身を註文した。一つには、出雲屋の料理はまむし[#「まむし」に傍点]と鮒の刺身と、きも吸のほかは不味いが、さすが名代だけあって、このまむし[#「まむし」に傍点]のタレ[#「タレ」に傍点]や鮒の刺身のすみそ[#「すみそ」に傍点]だけは他処(よそ)の店では真似が出来ぬなどと、板場らしい物の云い振りをしたかったのだ。文吉はぺちゃくちゃと音をさせて食べながら、おそで(継母)の連子の浜子さんは高等科を卒業して、今は大阪の大学病院で看護婦をしているそうでえらい出世であるが、順平さんのお嫁さんは浜子さんより別嬪さんである。俺は夜着の中へ糞して情ない兄であるが、かんにんしてくれと云った。聴けば、金造は強慾で文吉を下男のように扱い、それで貯金帳を作ってやっているというのも嘘らしく、その証拠に、この間も村雨羊羹を買うとて十銭盗んだら、折檻されて顔がはれたということだ。そんな兄と別れて帰る帰途、順平は、たとえ美津子に素気なくされ続けても、我慢して丸亀の跡をつぎ、文吉を迎えに行かねばならぬと思った。癖で興奮して、出世しようしようと反り身になって歩き、下腹に力をいれると、いつもより差し込み方がひどかった。
 名ばかりの亭主で、むなしく、日々が過ぎた。一寸の虫にも五分の魂やないか、いっそ冷淡に構えて焦らしてやる方が良いやろと、ことを察した木下が忠告してくれたが、そこまでの意気も思索も浮ばなかった。わざと順平の子だといいならして、某生徒の子供が美津子の腹から出た。好奇心で近寄ったが、順平は産室にいれてもらえなかった。しかし、産婆は心得て順平に産れたての子を渡した。抱かされて覗いてみると、鼻の低いところなど自分に似ているのだ。本当の父親も低かったのだが。
 近所の手前もあり、吩咐られて風呂へ抱いて行ったりしている内に、なぜか赤ん坊への愛情が湧いて来た。しかし、赤ん坊は間もなく死んだ。風呂の湯が耳にはいった為だと医者が云った。それで、わざと順平がいれたのであろうという忌わしい言葉が囁かれた。ある日、便所に隠れてこっそり泣いていると、木下がはいって来て、今まで云おう云おうと思っていたのだが……とはじめてしんみり慰めてくれた。そうして木下は、僕はもうこんな欺瞞的な家には居らぬ決心をしたといった。木下は、四十にはまだ大分間があるというものの、髪の毛も薄く、弁護士には前途遼遠だった。性根を入れていないから、板場の腕もたいしたものにならず、実は何かといや気がさしていたのだ。馴染みの女給がちかごろ東京へ行った由きいたので後を追うて行きたいと思っていた。その女給に通う為に丸亀に月給の前借が四月分あるが、踏み倒す魂胆であった。
 その夜、二人でカフェへ行った。傍へ来た女の安香水の匂いに思いがけなく死んだ父のことを思い出し、しんみりしている順平の容子を何と思ったか、木下は耳に口を寄せて来て、この女子は金で自由になる、世話したげよか。順平は吃驚して、金は出しまっさかい、木下はん、あんた口説きなはれ、あんたに譲りまっさ。いつの間にか、そんな男になっていた。脱腸をはじめ、数えれば切りのない多くの負(ひ)け目が、皮膚のようにへばりついていたのだ。

       二

 文吉は夜なかに起されると、大八車に筍を積んだ。真っ暗がりの田舎道を、提灯つけて岸和田までひいて行った。轍の音が心細く腹に響いた。次第に空の色が薄れて、岸和田の青物市場についた時は、もう朝であった。筍を渡すと、三十円呉れた。腹巻の底へしっかりいれて、ちょいちょい押えてみんことにゃと金造にいわれたことを思い出し、そのようにした。ふと、これだけの金があれば大阪へ行ってまむし[#「まむし」に傍点]や鮒の刺身がくえると思うと、足が震えた。空の車をガラガラひいて岸和田の駅まで来ると、電車の音がした。車を駅前の電柱にしばりつけて、大阪までの切符を買い、プラットフォームに出た。電車が来るまで少し間があった。そわそわして決心が鈍って来るようで、何度も便所へ行きたくなった。便所から出て来ると電車が来たのであわてて乗った。動き出してうとうと眠った。車掌に揺り動かされて眼を覚すと、難波ア、難波終点でございまアーす。早う着いたなアと嬉しい気持で構内をちょこちょこ走り、日射しの明るい南海道を真っ直ぐ出雲屋の表へかけつけると、まだ店が開いていなかった。千日前は朝で、活動小屋の石だたみがまだ濡れていた。きょろきょろしながら活動写真の絵看板を見上げて歩いた。首筋が痛くなった。道頓堀の方へ渡るゴーストップで交通巡査にきびしい注意をうけた。道頓堀から戎橋を渡り心斎橋筋を歩いた。一軒一軒飾窓を覗きまわったので疲れ、ひきかえして戎橋の上で佇んでいると、橋の下を水上警察のモーターボートが走って行った。後から下肥を積んだ船が通った。ふと六貫村のことが連想され、金造の声がきこえた。わりゃ、伊勢乞食やぞ、杭(食い)にかかったらなんぼでも離れくさらん。にわかに空腹を感じて、出雲屋へ行こうと歩き出したが方角が分らなかった。人に訊くにも誰に訊いて良いか見当つかず、なんとなく心細い気持になった。中座の前で浮かぬ顔をして絵看板を見上げていると、活動の半額券を買わんかと男が寄って来た。半額券を買うとは何の事か訳が知れなかったから、答えるすべもなかったが、これ倖いと、ちょっくら物を訊ねますが、出雲屋は? この向いやと男は怒った様な調子でいった。振り向くと、なるほど看板が掛っている。が、そこは順平に連れてもらった店と違うようだ。出雲屋が何軒もあるとは思えなかったから、狐につままれたと思った。しかし、鰻を焼く匂いにはげしく誘われて、ままよとはいり、餓鬼のように食べた。勘定を払って出ると、まだ二十七円と少しあった。中座の隣の蓄音機屋の隣に食物屋があった。蓄音機屋と食物屋の間に、狭くるしい路地があった。そこを抜けるとお寺の境内のようであった。左へ出ると、楽天地が見えた。あそこが千日前だと分った嬉しさで早足に歩いた。楽天地の向いの活動小屋で喧しくベルが鳴っていたので、何かあわてて切符を買った。まだ出し物が始っていなかったから、拍子抜けがし、緞帳を穴の明くほど見つめていた。客の数も増え、いよいよ始った。ラムネをのみ、フライビンズをかじり、写真が佳境にはいって来ると、よう! よう! ええぞとわめいてあたりの人に叱られた。美しい女が猿ぐつわをはめられる場面が出ると、だしぬけに、女への慾望が起った。小屋を出しなに勘定してみたら、まだ二十六円八十銭あった。大阪には遊廓があるといつか聴いたことを想出した。そこでは女が親切にしてくれるということだ。エヘラエヘラ笑いながら、姫買いをする所はどこかと道通る人に訊ねると、早熟た小せがれやナ、年なんぼやねンと相手にされなかった。二十三だというと、相手は本当に出来ないといった顔だったが、それでも、自動車に乗れと親切にいってくれた。生れてはじめての自動車で飛田遊廓の大門前まで行った。二十六円十六銭、廓の中をうろうろしていると、掴えられ、するすると引き上げられた。ぼうっとしている内に十円とられて、十六円十六銭。妓の部屋で、盆踊りの歌をうたうと、良え声やワ、もう一ぺん歌いなはれナ。賞められて一層声を張りあげると、あちこちの部屋で、客や妓が笑った。ねえ、ちょっと、わてお寿司食べたいワ、何ぞ食べへん? 食べましょうよ。擦り寄られ、よっしゃ。二人前とり寄せて、十一円十六銭。食べている内に、お時間でっせといいに来た。帰ったら嫌やし、もっと居てえナ。わざと鼻声で、いわれると、よう起きなかった。生れてはじめて親切にされるという喜びに骨までうずいた。又、線香つけて、最後の十円札の姿も消えた。妓はしかしいぎたなく眠るのだった。おいと声を掛けて起す元気もない。ふと金造の顔が浮び、おびえた。帰ることになり、階段を降りて来ると、大きな鏡に、妓と並んだ姿がうつった。ひねしなびて四尺七寸の小さな体が、一層縮る想いがした。送り出されてもう外は夜であった。廓の中が真昼のように明るく、柳が風に揺れていた。大門通を、ひょこひょこ歩いた。五十銭で書生下駄を買った。鼻緒がきつくて足が痛んだが、それでもカラカラと音は良かった。一遍被ってみたいと思っていた鳥打帽子を買った。一円六十銭。おでこが隠れて、新しい布の匂がプンプンした。胸すかしを飲んだ。三杯まで飲んだが、あと、咽喉へ通らなかった。一円十銭。うどんやへはいり、狐うどんとあんかけうどんをとった。どちらも半分たべ残した。九十二銭。新世界を歩いていたが、絵看板を見たいとも、はいってみたいとも思わなかった。薬屋で猫イラズを買い、天王寺公園にはいり、ガス灯の下のベンチに腰かけていた。十銭白銅四枚と一銭銅貨二枚握った手が、びっしょり汗をかいていた。順平に一眼会いたいと思った。が、三十円使いこんだ顔が何で会わさりょうかと思った。岸和田の駅で置き捨てた車はどうなっているか。提灯に火をいれねばなるまい。金造は怖くないと思った。ガス燈の光が冴えて夜が更けた。動物園の虎の吼声が聞えた。叢の中にはいり、猫イラズをのんだ。空が眼の前に覆いかぶさって来て、口から白い煙を吹き出し、そして永い間のた打ち廻っていた。

       三

 夜が明けて、文吉は天王寺市民病院へ担ぎ込まれた。雑魚場から帰ったままの恰好で順平がかけつけた時は、むろん遅かった。かすかに煙を吹き出していたようだったと看護婦からきいて、順平は声をあげて泣いた。遺書めいたものもなかったが、腹巻の中にいつぞや出した古手紙が皺くちゃになってはいっていたため、順平に知らせがあり、せめて死に顔でもみることが出来たとは、やはり兄弟のえにしだといわれて、順平は、どんな事情か判らぬが、よくよく思いつめる前に一度訪ねてくれるなり、手紙くれるなりしてくれれば、何とか救う道もあったものをと何度も何度も繰り返して愚痴った。病院の食堂で玉子丼を顔を突っこむようにして食べていると涙が落ちて、なにがなし金造への怒りが胸をしめつけて来た。
 ところが、村での葬式を済ませた時、ふと気が付いてみると、やはり金造には恨みがましい言葉は一言もいわなかった様だった。くどく持ち出された三十円の金を、弁償いたしますと大人しく出て、すごすごと大阪へ戻って来ると、丁度その日は婚礼料理の註文があって目出度い目出度いと立ち騒いでいる家へ料理を運び、更(おそ)くまで居残ってそこの台所で吸物の味加減をなおしたり酒のかんの手伝いをしたりした揚句、祝儀袋を貰って外へ出ると皎々たる月夜だった。下寺町から生国魂神社への坂道は人通りもなく、登って行く高下駄の音、犬の遠吠え……そんな夜更けの町の寂しさに、ふと郷愁を感じ、兄よ、わりゃ死んだナ。振舞酒の酔いも手伝って、いきなり引き返えし、坂道を降りて道頓堀へ出ると、足は芝居裏の遊廓へ向いた。殆んど表戸を閉めている中に一軒だけ、遣手婆が軒先で居眠りしている家を見つけ、あがった。客商売に似合わぬ汚い部屋で、ぽつねんと待っていると、おおけにと妓がはいって来た。醜い女だが、白粉と髪油の匂いがプンプンしていた。順平はこの女が自由になるとはまるで夢のように思われた。
 しかし、本能的に女に拒まれるという怖れから、肩をさわるのも躊躇され、まごまごしている内に、妓は眠って了った。いびきを聴いていると、美津子の傍でむなしく情けない想いをした日々のことが連想された。
 朝、丸亀へ帰る途々、叔父叔母に叱られるという気持で心が暗かったが、ふと丸亀から逐電しようと、心を決めると、ほっとした。家へ帰り、どないしたんや、家あけてという声をきき流して、あちこちで貰う祝儀をひそかに貯めて二百円ほどになっていた金を取出し、着物を着変えた。飛び出すんやぞ、二度と帰らんのやぞという顔で叔父叔母や美津子をにらみつけたが、察してくれなかったようだ。それと気付いて引止めてくれるなり、優しい言葉をかけてくれるなりしてくれたら思い止まりたかったが、肚の中を読んでくれないから随分張合いがなく、暫くぐずついていたが、結局、着物を着変えたからには飛び出すより仕方ない、そんな気持でしょんぼり家を出た。
 あとで、叔母は、悪い奴にそそのかされて家出しよりましてんと云いふらした。家出という言葉が好きであった。叔父は身代譲ったろうと思(おも)てたのに、阿呆んだらめがと、これは本音らしかった。美津子は、当分外出もはばかられるようで、何かいやな気がして、ふくれていた。また、順平に飛び出されてみると体裁もわるいが、しかし、ほんの少し淋しい気も感じられた。しつこく迫っていた順平に、いつかは許してもよいという気があるいは心の底にあったのではないかと思われて、しかしこれは余りに滑稽な空想だと直ぐ打ち消した。
 順平は千日前金刀比羅裏の安宿に泊った。どういう気持で丸亀を飛び出したのかと自分でも納得出来ず、所詮は狂言めいたものかも知れなかった。紺絣の着物を買い、良家のぼんぼんみたいにぶらぶら何の当てもなく遊びまわった。昼は千日前や道頓堀の活動小屋へ行った。夜は宿の近くの喫茶バー「リリアン」で遊んだ。「リリアン」で五円、十円とみるみる金の消えて行くことに身を切られるような想いをしながら、それでも、高峰さん高峰さんと姓をよばれるのが嬉しくて、女給たちのたかるままになっていた。
 ある夜、わざと澄まし雑煮を註文し、一口のんでみて、こんな下手な味つけで食べられるかいや、吸物というもんはナ、出し昆布の揚げ加減で味いうものが決まるんやぜと浅はかな智慧を振りまいていると、髪の毛の長い男がいきなり傍へ寄って来て、あんさんとは今日こんお初にござんす、野郎若輩ながら軒下三寸を借り受けましての仁儀失礼さんにござんすと場違いの仁儀でわざとらしいはったりを掛けて来た。順平が真蒼になってふるえていると女給が、いきなり、高峰さん煙草買いましょう。そう云って順平の雑魚場行きのでかい財布をとり出して、あけた。男は覗いてみて、にわかに打って変って、えらい大きな財布でんナと顔中皺だらけに笑い出し、まるで酔っぱらったようにぐにゃぐにゃした。男はオイチョカブの北田といい、千日前界隈で顔の売れたでん公であった。
 その夜オイチョカブの北田にそそのかされて、新世界のある家の二階で四五人のでん公と博打をした。インケツ、ニゾ、サンタ、シスン、ゴケ、ロッポー、ナキネ、オイチョ、カブ、ニゲなどと読み方も教わり、気の無い張り方をすると、「質屋(ヒチヤ)の外に荷(ニ)が降り」とカブが出来、金になった。生まれてはじめてほのぼのとした勝利感を覚え、何かしら自信に胸の血が温った。が、続けて張っている内に結局はあり金を全部とられて了い、むろんインチキだった。けれど、そうと知っても北田を恨む気は起らなかった。あくる日、北田は※(かねまた)でシチューと半しまを食わせてくれた。おおけに御馳走(ごっそ)さんと頭を下げる順平を北田はさすがに哀れに思ったが、どや、一丁女を世話したろか、といった。「リリアン」の小鈴に肩入れしてけっかんのやろと図星を指されてぽうっと赧くなり一途に北田が頼もしかったが、肩入れはしてるんやけどナ、わいは女にもてへんのさかい、兄貴、お前わいの代りに小鈴をものにしてくれよ。そういう態度はいつか木下にいった時と同じだったが、北田は既に小鈴をものにしているだけにかえって気味が悪かった。
 オイチョカブの北田は金が無くなると本職にかえった。夜更けの盛り場を選んで彼の売る絵は、こっそりひらいてみると下手な西洋の美人写真だったり、義士の討入りだったりする。絶対にインチキと違うよ、一見胸がときめいてなどと中腰になって、何かをわざと怖れるようなそわそわした態度で早口に喋り立て、仁が寄って来ると、先ず金を出すのがサクラの順平だ。絵心のある北田は画をひきうつして売ることもある。そんな時はその筋の眼は一層きびしい。サクラの順平もしばしば危い橋を渡る想いにひやっとしたが、それだけにまるで凶器の世界にはいった様な気持で歩き振りも違って来た。
 気の変りやすい北田は売屋(ばいや)をやることもあった。天満京阪裏の古着屋で一円二十銭出して大阪××新聞の法被を仕込み、売るものはサンデー毎日や週刊朝日の月おくれ、または大阪パックの表紙の発行日を紙ペーパーでこすり消したもの、三冊十五銭で如何にも安いと郊外の住宅を戸別訪問して泣きたん[#「泣きたん」に傍点]で売り歩く。かと思うと、キング、講談倶楽部、富士、主婦の友、講談雑誌の月遅れ新本五冊とりまぜて五十銭(オテカン)、これは主に戎橋通りの昼夜銀行の前で夜更けの女給の帰りを当てこむのだ。仕入先は難波の元屋で、ここで屑値で買い集めた古本をはがして、連絡もなく、乱雑に重ねて厚みをつけ、もっともらしい表紙をつけ、縁を切り揃えて、月遅れの新本が出来上る。中身は飛び飛びの頁で読まれたものでないから、その場で読めぬようあらかじめセロファンで包んで置くと、如何にも新本だ。順平はサクラになったり、時には真打になったり、夜更けの商売で、顔色も凄く蒼白んだ。儲の何割かをきちんきちんと呉れるオイチョカブの北田を、順平は几帳面な男と思い、ふと女めいたなつかしさも覚えていた。
 ある日、北田は博打の元手もなし売屋も飽いたとて、高峰、どこぞ無心の当てはないやろか。といったその言葉の裏は、丸亀へ無心に行けだとは順平にも判ったが、そればっかりはと拝んでいる内に、ふと義姉(あね)の浜子のことを頭に泛べた。大阪病院で看護婦をしていると、死んだ文吉が云っていた。訪ねて行くと、背丈ものびて綺麗な一人前の女になっている浜子は、順平と知って瞬間あらとなつかしい声をあげたが、どうみてもまっとうな暮しをしているとは見えぬ順平の恰好を素早く見とってしまうと、にわかに何気ない顔をつくろいどこぞお悪いんですの、患者にもの云うように寄って来て、そして目交(まぜ)で病院の外へ誘い出した。玉江橋の畔で、北田に教った通り、訳は憚るが実は今は丸亀を飛び出して無一文、朝から何も食べて無いと無心すると、赤い財布からおずおずと五円札出してくれた。死んだ文吉のことなど一寸立ち話した後、浜子は、短気を出したら損やし、丸亀へ戻って出世して六貫村へ錦を飾って帰らんとあかんしと意見した。順平はそうや、そうやと思うと、急に泣いたろという気持がこみ上げて来てぼろぼろと涙をこぼし、姉やん、出世しまっせ、今の暮しから足を洗うて真面目にやりまっさと、云わなくても良いことまで云っていると、無性に興奮して来て、拳をかため、体を震わせ、うつ向いていた顔をきっとあげると、汚い川水がかすんだ眼にうつった。浜子が小走りに病院の方へ去って了うと、どこからかオイチョカブの北田が現れて来て、高峰お前なかなか味をやるやないか、泣きたん[#「泣きたん」に傍点]があない巧いこと行くて相当なわるやぞと賞めてくれたが、順平はそんなものかなアと思った。その金は直ぐ博打に負けて取られてしまった。
 間もなく、美津子が近々に聟を迎えるという噂を聴いた。翌日、それとなく近所へ容子を探りに行くと本当らしかった。その足で阪大病院へ行った。泣きたんで行けという北田の忠告をまつまでもなく、意見されると、存分に涙が出た。五円貰った。その内一円八十銭で銘酒一本買って、お祝、高峰順平と書いて丸亀へ届けさせ、残りの金を張ると、阿呆に目が出ると愛相をつかされる程目が出た。
 北田と山分けし、北田に見送られて梅田の駅から東京行の汽車に乗った。美津子が聟をとるときいては大阪の土地がまるで怖いもののように思われたのと、一つには、出世しなければならぬという想にせき立てられたのだ。東京には木下がいる筈で、丸亀にいた頃、一度遊びに来いとハガキを貰ったことがあった。
 東京駅に着き、半日掛って漸く荒川放水路近くの木下の住いを探し当てた。弁護士になっているだろうと思ったのに、そこは見るからに貧民窟で、木下は夜になると玉ノ井へ出掛けて焼鳥の屋台店を出しているのだった。木下もやがて四十で、弁護士になることは内心諦めているらしく、彼の売る一本二銭の焼鳥は、ねぎ八分で、もつが二分、酒、ポートワイン、泡盛、ウイスキーなどどこの屋台よりも薄かった。木下は毎夜緻密に儲の勘定をし、儲の四割で暮しを賄い、他の四割は絶対に手をつけぬ積立貯金にし、残りの二割を箱にいれ、たまるとそれで女を買うのだった。
 木下が女と遊んでいる間、順平は一人で屋台を切り廻さねばならなかった。どぶと消毒薬の臭気が異様に漂うていて、夜が更けると大阪ではきき馴れぬあんまの笛が物悲しく、月の冴えた晩人通りがまばらになると殺気が漲っているようだった。大阪のでん[#「でん」に傍点]公と比べものにならぬほど歯切れの良い土地者が暖簾をくぐると、どぎまぎした。兄ちゃんは上方だねといわれると、え、そうでんねと揉手をし、串の勘定も間違い勝ちだった。それでも、臓物の買い出しから、牛丼の飯の炊出し、鉢洗い、その他気のつく限りのことを、遊んでいろという木下の言葉も耳にはいらぬ振りして小まめに働いていたが、ふと気がついみると、木下は自分の居候していることを嫌がっているようであった。遠廻しに、君はこんなことをしなくても良い立派な腕をもっているじゃないかと木下はいい、どこか良い働き口を探して出て行ってくれという木下の肚の中は順平にも読みとれた。木下は順平が来てからの米の減り方に身を切られるような気持がしていたのだ。が、たとえどんな辛いことも辛抱するが、あの魚の腸の匂がしみこんだ料理場の空気というものは、何としてもいやだった。丸亀の料理場を想出すからであろうか。そんな心の底に、美津子のことがあった。
 しかし、結局は居辛くて、浅草の寿司屋へ住込みで雇われた。やらせて見ると一人前の腕をもっているが、二十三とは本当に出来ないほど頼りない男だと見られて、それだけに使い易いからと追い廻しという資格であった。あがりだよ。へえ。さびを擦りな。へえ。皿を洗いな。宜ろしおま。目の廻るほど追い廻された。わさびを擦っていると、涙が出て来て、いつの間にかそれが本当の涙になりシクシク泣いた。出世する気で東京へ来たというものの、末の見込みが立とう筈もなかった。
 ある夜、下腹部に急激な痛みが来て、我慢しきれなく、休ませて貰い、天井の低い二階の雇人部屋で寝ころんでいる内に、体が飛び上るほどの痛さになり、痛アい! 痛アい! と呶鳴った。
 声で吃驚して上って来た女中が土色になった顔を見ると、あわてて医者を呼びに行った。脱腸の悪化で、手術ということになった。十日余り寝た切りで静養して、やっと起き上れるようになった時、はじめて主人が、身寄りの者はないのかと訊ねた。大阪にありますと答えると、大阪までの汽車賃にしろと十円呉れた。押しいただき、出世したらきっと御恩がえしは致しますと、例によって涙を流し、きっとした顔に覚悟の色も見せて、そして、大阪行きの汽車に乗った。
 夕方、梅田の駅につきその足で「リリアン」へ行った。女給の顔触れも変っていて、小鈴は居なかった。一人だけ顔馴染みの女が小鈴は別府へ駈落ちしたといった。相手は表具屋の息子で、それ、あんたも知ってるやろ、昆布茶一杯でねばって、その代りチップは三円も呉れてた人や。気がつけば、自分も今は昆布茶一杯注文しているだけだ。一本だけと酒をとり、果物もおごってやって、オイチョカブの北田のことを訊くと、こともあろうに北田は小鈴の後を追うて別府へ行ったらしい。勘定を払って外へ出ると、もう二十銭しかなかった。夜の町をうろうろ歩きまわり、戎橋の梅ヶ枝できつねうどんをたべ、バットを買うと、一銭余った。夜が更けると、もう冬近い風が身に沁みて、鼻が痛んだ。暖いところを求めて難波の駅から地下鉄の方へ降りて行き、南海高島屋地階の鉄扉の前にうずくまっていたが、やがてごろりと横になり、いつのまにか寝込んでしまった。
 朝、生国魂神社の鳥居のかげで暫く突っ立っていたが、やがて足は田蓑橋の阪大病院へ向った。当てもなく生国魂まで行ったために空腹は一層はげしく、一里の道は遠かった。途々、なぜ丸亀へ無心に行かなかったのかと思案したが、理由は納得出来なかった。病院へ訪ねて行くと、浜子はこんどは眼に泪さえ泛べて、声も震えた。薄給から金をしぼりとられて行くことへの悲しさと怒りからであったが、しかし、そうと許り云い切れないほど、順平は見窄らしい恰好をしていた。云うも甲斐ない意見だったが、やはり、私に頼らんとやって行く甲斐性を出してくれへんのかとくどくど意見し、七円めぐんでくれた。懐からバットの箱を出し、その中に金をいれて、しまいこみながら、涙を出し、また、にこにこと笑った。浜子と別れると、あまい気持があとに残り、もっともっと意見してほしい気持だった。玉江橋の近くの飯屋へはいって、牛丼を注文した。さすが大阪の牛丼は真物の牛肉を使っていると思った。木下の屋台店で売っていた牛丼は、繊維が多く、色もどす赤い馬肉だった。食べながら、別府へ行けば千に一つ小鈴かオイチョカブの北田に会えるかも知れぬと思った。
 天保山の大阪商船待合所で別府までの切符を買うと、八十銭残ったので、二十銭で餡パンを買って船に乗った。船の中で十五銭毛布代をとられて情ない気がしたが、食事が出た時は嬉しかった。餡パンで別府まで腹をもたす積りだった。小豆島沖合の霧で船足が遅れて、別府湾にはいったのはもう夜だった。山の麓の灯が次第に迫って来て、突堤でモリナガキャラメルのネオンサインが点滅した。
 船が横づけになり、桟橋にぱっと灯がつくと、あっ! 順平の眼に思わず涙がにじんだ。旅館の法被を羽織り提灯をもったオイチョカブの北田が、例の凄みを帯びた眼でじっとこちらをにらんでいたのだ。兄貴! 兄貴! とわめきながら船を降りた。北田は暫くあっ気にとられて物も云えなかったが、順平が、兄貴わいが別府へ来るのんよう知ったナというと、阿呆んだらめ、わいはお前らを出迎えに来たんやないぞ、客を引きに来たんやと四辺を憚かる小声で、それでもさすがに鋭くいった。
 聴けば、北田は今は温泉旅館の客引きをしており、小鈴も同じ旅館の女中、いわば二人は共稼ぎの本当の夫婦になっているのだという。だんだん聴くと、北田はかねてから小鈴と深い仲で、その内に小鈴は孕んで、無論相手は北田であったが、北田は一旦はいい逃れる積りで、どこの馬の骨の種か分るもんかと突っ放したところ、こともあろうに小鈴はリリアンへ通っていた表具屋の息子と駈落ちしたので、さてはやっぱり男がいたのかと胸は煮えくり返り、行先は別府らしいと耳にはさんだその足で来てみると、いた。温泉宿でしんみりやっているところを押えて、因縁つけて別れさせたことは別れさせたが、小鈴はその時――どない云いやがったと思う? と、北田はいきなり順平にきいたが、答えるすべもなくぽかんとしていると、北田はすぐ話を続けて――わては子供が可哀相やから駈落ちしたんや。どこの馬の骨か分らんようなでん[#「でん」に傍点]公の種を宿して、認知もしてもらえんで、子供に肩身の狭い想いをさせるより、表具屋の息子が一寸間アが抜けてるのを倖い、しつこく持ちかけて逐電し、表具屋の子やと否応はいわせず、晴れて夫婦になれば、お腹の子もなんぼう幸せや分らへん。そんな肚で逐電したのを因縁つけて、オイチョの北さん、あんたどない色つけてくれる気や。そんな不貞くされに負ける自分ではなかったが、父性愛というんやろか、それとも今更惚れ直したんやろか、気が折れて、仕込んで来た売屋の元も切れ、宿賃も嵩んで来たままに小鈴はそこで女中に雇われ、自分は馴々しく人に物いえる腕を頼りにそこの客引きになることに話合いしたその日から法被着て桟橋に立つと、船から降りて来た若い二個(ふたり)連れの女の方へわざと凭れかかるように寄りそうて、鞄をとり、ひっそりした離れで、はばかりも近うございます、錠前つきの家族風呂もございますと連れこんで、チップもいれて三円の儲になった。金を貯めて、小鈴とやがて産れる子供と三人で地道に暮すつもりやと北田はいい、そして、高峰、お前も温泉場の料理屋へ板場にはいり、給金を貯めて、せめて海岸通りに焼鳥屋の屋台を張る位の甲斐性者になれと意見してくれた。
 その夜は北田が身銭を切って、自分の宿へ泊めてくれることになった。食事の時小鈴が給仕してくれたが、かつて北田に小鈴に肩入れしているとて世話してやろかと冷やかされたことも忘れてしまい、オイチョさんと夫婦にならはったそうでお目出度うとお世辞をいった。
 あくる日、北田は流川通の都亭という小料理屋へ世話してくれた。都亭の主人から、大阪の会席料理屋で修行し、浅草の寿司屋にも暫くいたそうだが、うちは御覧の通り腰掛け店で会席など改った料理はやらず、今のところ季節柄河豚料理一点張りだが、河豚(てつ)は知ってるのかと訊かれると、順平は、知りまへんとはどうしても口に出なかった。北田の手前もあった。板場の腕だけがたった一つの誇りだったのだ。そうか、知ってるか、そりゃ有難いと主人はいったが、しかし結局は、当分の間だけだがと追い廻しに使われ、かえってほっとした。
 一月ほど経ったある日、朝っぱらから四人づれの客が来て、河豚刺身とちり鍋を注文した。二人いる板場のうち、一人は四、五日前暇をとり、一人は前の晩カンバンになってからどこかへ遊びに行ってまだ帰って来ず、追い廻しの順平がひとり料理場を掃除しているところだった。主人に相談すると、お前出来るだろうといわれ、へえ出来まっせとこんどは自信のある声でいった。一月の間に板場のやり口をちゃんと見覚えていたから、訳もなかった。腕をみとめて貰える機会だと、庖丁さばきも鮮かで、酢も吟味した。
 夜、警察の者が来て、都亭の主人を拘引して行き、間もなく順平にも呼び出しが来た。ぶるぶる震えて行くと、案の定朝の客が河豚料理に中毒して、四人の内三人までは命だけくい止めたが、一人は死んだという。主人は、ひと先ず帰され、順平は留置された。だらんと着物をひろげて、首を突き出し、じじむさい恰好で板の上に坐っている日が何日も続くともう泣く元気もなかった。寒かろうと、北田が毛布を差入れしてくれた。
 二日たった昼頃、紋附を着た立派な服装の人が打っ倒れるように留置場へはいって来た。口髭を生やし、黙々として考えに耽っている姿が如何にも威厳のある感じだったから、こんな偉い人でも留置されるのかと些か心が慰まった。ふと、この人は選挙違反だろうと思った。鄭重に挨拶をして毛布を差出し、使って下さいというと、じろりと横目でにらみ、黙って受けとった。あとで調べの為に呼び出された時、係の刑事に訊くと、あれは山菓子盗りだといった。葬式があれば故人の知人を装うて葬儀場や告別式場に行き、良い加減な名刺一枚で、会葬御礼のパンや商品切手を貰う常習犯で、被害は数千円に達しているということだった。なんや阿呆らしいと思ったが、しかし毛布を取り戻す勇気は出なかった。中毒で人一人殺したのだから、最悪の場合は死刑だとふと思いこむと、順平はもう一心不乱に南無阿弥陀仏、と呟いていた。そんな順平を山菓子盗りは哀れにも笑止千万にも思い、河豚料理で人を殺した位で死刑になってたまるものか、悪く行って過失致死罪……という前例も余り聴かぬから、結局はお前の主人が営業停止をくらう位が関の山だろうと慰めてくれ、今はこの人が何よりの頼りだった。
 都亭の主人はしかし営業停止にならなかった。そんな前例を作れば、ことは都亭一軒のみならず、温泉場の料理屋全体が汚名を蒙ることになり、ひいてはここで河豚を食うなと喧伝され、市の繁栄に影響するところが多いと都亭の主人は唱えて、料理店組合を動かした。そして、問題は都亭の主人の責任といえば無論いえるが、しかし真のそして直接の原因はルンペン崩れの追い廻しの順平にあることは余りにも明白だ。そんな怪しい渡り者に河豚を料理させたというのも、河豚料理が出来るという嘘を真に受けただけであって、真に受けたのは不注意というよりも寧ろ詐欺にかかったというべきだと彼は必死になって策動した。オイチョカブの北田は何をっと一時は腹の虫があばれたが、しかし彼も今は土地での気受けもよく、それに小鈴のお産も遠いことではなかった。泣きたんの手で順平の無罪を頼み歩いたが、尻はまくらなかった。
 間もなく順平は送局され、一年三ヵ月の判決を下された。過失致死罪であった。一年三ヵ月と聴いて、順平は涙を流して喜んだ。
 徳島刑務所へ送られた。ここでは河豚料理をさせる訳ではないからと、賄場で働かされた。板場の腕がこんな所で役に立ったかと妙な気がした。賄の仕事は楽であったが、煮ているものを絶対に口にいれてはいけぬといわれたことを守るのは辛かった。ある日、我慢が出来ずに、到頭禁を犯したところを見つけられ、懲罰のため、仙台の刑務所に転送されることになった。
 護送の途中、汽車で大阪駅を通った。編笠の中から車窓を覗くと、いつの間に建ったのか、駅前に大きな劇場が二つも並んでいた。護送の巡査が駅で餡パンを買ってくれた。何ヵ月振りの餡気のものかとちぎる手が震えた。
 懲罰のためというだけあって、仙台刑務所での作業は辛かった。土を運んだり木を組んだり、仕事の目的は分らなかったが、毎日同じような労働が続いた。顔色も変った。馴れぬことだから、始終泡をくっていた。朝仕事に出る時は浜子のことが頭に泛んだ。夕方仕事を終えて帰る時は美津子、食事の時は小鈴の笑い顔を想った。夜寝ると彼女達の夢をみた。セーラー服の美津子を背中に負うているかと思うと、いつの間にかそれは浜子に変って居り、看護服の浜子を感じたかと思うと、こんどは小鈴の肩の柔さだった。
 一年たち、紀元節の大赦で二日早く刑を終えると読み上げられた時、泣いて喜んだ。刑務所を出る時、大阪で働くというと大阪までの汽車賃と弁当代、ほかに労働の報酬だと二十一円戴いた。仙台の町で十四円出して、人絹の大島の古着、帯、シャツ、足袋、下駄など身のまわりのものを買った。知らぬ間に物価の上っているのに驚いた。物を買う時、紙袋の中から金を取り出して、みてはいれ、また取り出し、手渡す時、一枚一枚たしかめて、何か考えこみ、やがて納得して渡し、釣銭を貰う時も、袋にいれては取り出してみて調べ、考えこみ、漸く納得していれるという癖がついた。また道を歩きながら、ふと方角が分らなくなり、今来た道と行く道との区別がつかず、暫く町角に突っ立っているのだった。
 仙台の駅から汽車に乗った。汽車弁はうまかった。東京駅で乗換える時、途中下車して町の容子など見てみたいと思ったが、何かせきたてられる想いで直ぐ大阪行きの汽車に乗り、着くと夜だった。電力節約のためとは知らず、ネオンや外燈の消されている夜の大阪の暗さは勝手の違う感じがした。何はともあれ千日前へ行き、木村屋の五銭喫茶でコーヒとジャムトーストをたべると十一銭とられた。コーヒが一銭高くなったとは気付かず、勘定場で釣銭を貰う時、何度も思案して大変手間どった。大阪劇場の地下室で無料の乙女ジャズバンドをきき、それから生国魂神社前へ行った。夜が更けるまで佇んでいた辛抱のおかげで、やっと美津子の姿を見つけることが出来た。美津子は風呂へ行くらしく、風呂敷に包んだものは金盥だと夜目にも分ったが、遠ざかって行く美津子を追う目が急に涙をにじませると、もう何も見えなかった。泣いているこのわいを一ぺん見てくれと心に叫んだ甲斐あってか、美津子はふと振り向いたが、かねがね彼女は近眼だった。
 その夜、千日前金刀比羅裏の第一三笠館で一泊二十銭の割部屋に寝て、朝眼が覚めると、あっと飛び起きたが、刑務所でないと分り、まだあといくらでも眠れると思えばぞくぞくするほど嬉しく、別府通いの汽船の窓でちらり見かわす顔と顔……と別府音頭を口ずさんだ。二十銭宿の定りで、朝九時になると蒲団をあげて泊り客を追い出す。九時に宿を出て十一銭の朝飯をたべ、電車で田蓑橋まで行った。橋を渡るのももどかしく、阪大病院へかけつけると、浜子はいなかった。結婚したときかされ、外来患者用のベンチに腰を下ろしたまま暫くは動けなかった。今日は無心ではない、ただ顔を一目見たかっただけやと呟き呟きして玉江橋まで歩いて行った。橋の上から川の流れを見ていると、何の生き甲斐もない情けない気持がした、ふと懐ろの金を想い出し、そうや、まだ使える金があるんやったと、紙袋を取り出し、永いこと掛って勘定してみると、六円五十二銭あった。何に使おうかと思案した。良い思案も泛ばぬので、もう一度勘定してみることにし、紙袋を懐ろから取り出した途端、あっ! 川へ落して了った。眼先が真っ暗になったような気持の中で、ただ一筋、交番へ届けるという希望があった。歩き出して、紙袋をすべり落した右の手をながめた。醜い体の中でその手だけが血色もよく肉も盛り上って、板場の修業に冴えた美しさだった。そや、この手がある内は、わいは食べて行けるんやったと気がついて、蒼い顔がかすかに紅みを帯びた。交番に行く道に迷うて、立止まった途端、ふと方角を失い、頭の中がじーんと熱っぽく鳴った。
 順平はかつて父親の康太郎がしていたように、首をかしげて、いつまでもそこに突っ立っていた。

秋風記

太宰治



 立ちつくし、
 ものを思へば、
 ものみなの物語めき、  (生 田 長 江)


 あの、私は、どんな小説を書いたらいいのだろう。私は、物語の洪水の中に住んでいる。役者になれば、よかった。私は、私の寝顔をさえスケッチできる。
 私が死んでも、私の死顔を、きれいにお化粧してくれる、かなしいひとだって在るのだ。Kが、それをしてくれるであろう。
 Kは、私より二つ年上なのだから、ことし三十二歳の女性である。
 Kを、語ろうか。
 Kは、私とは別段、血のつながりは無いのだけれど、それでも小さいころから私の家と往復して、家族同様になっている。そうして、いまはKも、私と同じ様に、「生れて来なければよかった。」と思っている。生れて、十年たたぬうちに、この世の、いちばん美しいものを見てしまった。いつ死んでも、悔いがない。けれども、Kは、生きている。子供のために生きている。それから、私のために、生きている。
「K、僕を、憎いだろうね。」
「ああ、」Kは、厳粛にうなずく。「死んでくれたらいいと思うことさえあるの。」
 ずいぶん、たくさんの身内が死んだ。いちばん上の姉は、二十六で死んだ。父は、五十三で死んだ。末の弟は、十六で死んだ。三ばん目の兄は、二十七で死んだ。ことしになって、そのすぐ次の姉が、三十四で死んだ。甥(おい)は、二十五で、従弟(いとこ)は、二十一で、どちらも私になついていたのに、やはり、ことし、相ついで死んだ。
 どうしても、死ななければならぬわけがあるのなら、打ち明けておくれ、私には、何もできないだろうけれど、二人で語ろう。一日に、一語ずつでもよい。ひとつきかかっても、ふたつきかかってもよい。私と一緒に、遊んでいておくれ。それでも、なお生きてゆくあてがつかなかったときには、いいえ、そのときになっても、君ひとりで死んではいけない。そのときには、私たち、みんな一緒に死のう。残されたものが、可哀そうです。君よ、知るや、あきらめの民の愛情の深さを。
 Kは、そうして、生きている。
 ことしの晩秋、私は、格子縞(こうじま)の鳥打帽をまぶかにかぶって、Kを訪れた。口笛を三度すると、Kは、裏木戸をそっとあけて、出て来る。
「いくら?」
「お金じゃない。」
 Kは、私の顔を覗(のぞ)きこむ。
「死にたくなった?」
「うん。」
 Kは、かるく下唇を噛む。
「いまごろになると、毎年きまって、いけなくなるらしいのね。寒さが、こたえるのかしら。羽織(はおり)ないの? おや、おや、素足で。」
「こういうのが、粋(いき)なんだそうだ。」
「誰が、そう教えたの?」
 私は溜息(ためいき)をついて、「誰も教えやしない。」
 Kも小さい溜息をつく。
「誰か、いいひとがないものかねえ。」
 私は、微笑する。
「Kとふたりで、旅行したいのだけれど。」
 Kは、まじめに、うなずく。

 わかっているのだ。みんな、みんな、わかっているのだ。Kは、私を連れて旅に出る。この子を死なせてはならない。
 その日の真夜中、ふたり、汽車に乗った。汽車が動き出して、Kも、私も、やっと、なんだか、ほっとする。
「小説は?」
「書けない。」
 まっくら闇の汽車の音は、トラタタ、トラタタ、トラタタタ。
「たばこ、のむ?」
 Kは、三種類の外国煙草を、ハンドバッグから、つぎつぎ取り出す。
 いつか、私は、こんな小説を書いたことがある。死のうと思った主人公が、いまわの際に、一本の、かおりの高い外国煙草を吸ってみた、そのほのかなよろこびのために、死ぬること、思いとどまった、そんな小説を書いたことがある。Kは、それを知っている。
 私は、顔をあからめた。それでも、きざに、とりすまして、その三種類の外国煙草を、依怙贔屓(えひいき)なく、一本ずつ、順々に吸ってみる。
 横浜で、Kは、サンドイッチを買い求める。
「たべない?」
 Kは、わざと下品に、自分でもりもり食べて見せる。
 私も、落ちついて一きれ頬ばる。塩からかった。
「ひとことでも、ものを言えば、それだけ、みんなを苦しめるような気がして、むだに、くるしめるような気がして、いっそ、だまって微笑(ほほえ)んで居れば、いいのだろうけれど、僕は作家なのだから、何か、ものを言わなければ暮してゆけない作家なのだから、ずいぶん、骨が折れます。僕には、花一輪をさえ、ほどよく愛することができません。ほのかな匂いを愛(め)ずるだけでは、とても、がまんができません。突風の如く手折(たお)って、掌にのせて、花びらむしって、それから、もみくちゃにして、たまらなくなって泣いて、唇のあいだに押し込んで、ぐしゃぐしゃに噛んで、吐き出して、下駄でもって踏みにじって、それから、自分で自分をもて余します。自分を殺したく思います。僕は、人間でないのかも知れない。僕はこのごろ、ほんとうに、そう思うよ。僕は、あの、サタンではないのか。殺生石。毒きのこ。まさか、吉田御殿とは言わない。だって、僕は、男だもの。」
「どうだか。」Kは、きつい顔をする。
「Kは、僕を憎んでいる。僕の八方美人(はっぽうじん)を憎んでいる。ああ、わかった。Kは、僕の強さを信じている。僕の才を買いかぶっている。そうして、僕の努力を、ひとしれぬ馬鹿な努力を、ごぞんじないのだ。らっきょうの皮を、むいてむいて、しんまでむいて、何もない。きっとある、何かある、それを信じて、また、べつの、らっきょうの皮を、むいて、むいて、何もない、この猿のかなしみ、わかる? ゆきあたりばったりの万人を、ことごとく愛しているということは、誰をも、愛していないということだ。」
 Kは、私の袖(そで)をひく。私の声は、人並はずれて高いのである。
 私は、笑いながら、「ここにも、僕の宿命がある。」

 湯河原(ゆわら)。下車。

「何もない、ということ、嘘だわ。」Kは宿のどてらに着換えながら、そう言った。「この、どてらの柄(がら)は、この青い縞(しま)は、こんなに美しいじゃないの?」
「ああ、」私は、疲れていた。「さっきの、らっきょうの話?」
「ええ、」Kは、着換えて、私のすぐ傍にひっそり坐った。「あなたは、現在を信じない。いまの、この、刹那(せつな)を信じることできる?」
 Kは少女のように無心に笑って、私の顔を覗き込む。
「刹那は、誰の罪でもない。誰の責任でもない。それは判っている。」私は、旦那様のようにちゃんと座蒲団に坐って、腕組みしている。「けれども、それは、僕にとって、いのちのよろこびにはならない。死ぬる刹那の純粋だけは、信じられる。けれども、この世のよろこびの刹那は、――」
「あとの責任が、こわいの?」
 Kは、小さくはしゃいでいる。
「どうにも、あとしまつができない。花火は一瞬でも、肉体は、死にもせず、ぶざまにいつまでも残っているからね。美しい極光を見た刹那に、肉体も、ともに燃えてあとかたもなく焼失してしまえば、たすかるのだが、そうもいかない。」
「意気地がないのね。」
「ああ、もう、言葉は、いやだ。なんとでも言える。刹那のことは、刹那主義者に問え、だ。手をとって教えてくれる。みんな自分の料理法のご自慢だ。人生への味附けだ。思い出に生きるか、いまのこの刹那に身をゆだねるか、それとも、――将来の希望とやらに生きるか、案外、そんなところから人間の馬鹿と悧巧(りこう)のちがいが、できて来るのかも知れない。」
「あなたは、ばかなの?」
「およしよ、K。ばかも悧巧もない。僕たちは、もっとわるい。」
「教えて!」
「ブルジョア。」
 それも、おちぶれたブルジョア。罪の思い出だけに生きている。ふたり、たいへん興ざめして、そそくさと立ちあがり、手拭い持って、階下の大浴場へ降りて行く。
 過去も、明日も、語るまい。ただ、このひとときを、情にみちたひとときを、と沈黙のうちに固く誓約して、私も、Kも旅に出た。家庭の事情を語ってはならぬ。身のくるしさを語ってはならぬ。明日の恐怖を語ってはならぬ。人の思惑を語ってはならぬ。きのうの恥を語ってはならぬ。ただ、このひととき、せめて、このひとときのみ、静謐(せいひつ)であれ、と念じながら、ふたり、ひっそりからだを洗った。
「K、僕のおなかのここんとこに、傷跡があるだろう? これ、盲腸の傷だよ。」
 Kは、母のように、やさしく笑う。
「Kの脚だって長いけれど、僕の脚、ほら、ずいぶん長いだろう? できあいのズボンじゃ、だめなんだ。何かにつけて不便な男さ。」
 Kは、暗闇の窓を見つめる。
「ねえ、よい悪事って言葉、ないかしら。」
「よい悪事。」私も、うっとり呟(つぶや)いてみる。
「雨?」Kは、ふと、きき耳を立てる。
「谷川だ。すぐ、この下を流れている。朝になってみると、この浴場の窓いっぱい紅葉だ。すぐ鼻のさきに、おや、と思うほど高い山が立っている。」
「ときどき来るの?」
「いいえ。いちど。」
「死にに。」
「そうだ。」
「そのとき遊んだ?」
「遊ばない。」
「今夜は?」Kは、すましている。
 私は笑う。「なあんだ、それがKの、よい悪事か。なあんだ。僕はまた、――」
「なに。」
 私は決意して、「僕と、一緒に死ぬのかと思った。」
「ああ、」こんどは、Kが笑った。「わるい善行って言葉も、あるわよ。」
 浴場のながい階段を、一段、一段、ゆっくりゆっくり上る毎に、よい悪事、わるい善行、よい悪事、わるい善行、よい悪事、わるい善行、……。
 芸者をひとり、よんだ。
「私たち、ふたりで居ると、心中しそうで危いから、今夜は寝ないで番をして下さいな。死神が来たら、追っ払うんですよ。」Kがまじめにそう言うと、
「承知いたしました。まさかのときには、三人心中というてもあります。」と答えた。
 観世縒(かんより)に火を点じて、その火の消えないうちに、命じられたものの名を言って隣の人に手渡す、あの遊戯をはじめた。ちっとも役に立たないもの。はい。
「片方割れた下駄。」
「歩かない馬。」
「破れた三味線。」
「写らない写真機。」
「つかない電球。」
「飛ばない飛行機。」
「それから、――」
「早く、早く。」
「真実。」
「え?」
「真実。」
野暮(やぼ)だなあ。じゃあ、忍耐。」
「むずかしいのねえ、私は、苦労。」
「向上心。」
「デカダン。」
「おとといのお天気。」
「私。」Kである。
「僕。」
「じゃあ、私も、――私。」火が消えた。芸者のまけである。
「だって、むずかしいんだもの。」芸者は、素直にくつろいでいた。
「K、冗談だろうね。真実も、向上心も、Kご自身も、役に立たないなんて、冗談だろうね。僕みたいな男だっても、生きて居る限りは、なんとかして、立派に生きていたいとあがいているのだ。Kは、ばかだ。」
「おかえり。」Kも、きっとなった。「あなたのまじめさを、あなたのまじめな苦しさを、そんなに皆に見せびらかしたいの?」
 芸者の美しさが、よくなかった。
「かえる。東京へかえる。お金くれ。かえる。」私は立ちあがって、どてらを脱いだ。
 Kは、私の顔を見上げたまま、泣いている。かすかに笑顔を残したまま、泣いている。
 私は、かえりたくなかった。誰も、とめてはくれないのだ。えい、死のう、死のう。私は、着物に着換えて足袋(たび)をはいた。
 宿を出た。走った。
 橋のうえで立ちどまって、下の白い谷川の流れを見つめた。自分を、ばかだと思った。ばかだ、ばかだ、と思った。
「ごめんなさい。」ひっそりKは、うしろに立っている。
「ひとを、ひとをいたわるのも、ほどほどにするがいい。」私は泣き出した。
 宿へかえると、床が二つ敷かれていた。私は、ヴェロナアルを一服のんで、すぐに眠ったふりをした。しばらくして、Kは、そっと起きあがり、同じ薬を一服のんだ。

 あくる日は、ひるすぎまで、床の中でうつらうつらしていた。Kはさきに起きて、廊下の雨戸をいちまいあけた。雨である。
 私も起きて、Kと語らず、ひとりで浴場へ降りていった。
 ゆうべのことは、ゆうべのこと。ゆうべのことは、ゆうべのこと。――無理矢理、自分に言いきかせながら、ひろい湯槽(ゆぶね)をかるく泳ぎまわった。
 湯槽から這い出て、窓をひらき、うねうね曲って流れている白い谷川を見おろした。
 私の背中に、ひやと手を置く。裸身のKが立っている。
鶺鴒(せきれい)。」Kは、谷川の岸の岩に立ってうごいている小鳥を指さす。「せきれいは、ステッキに似ているなんて、いい加減の詩人ね。あの鶺鴒は、もっときびしく、もっとけなげで、どだい、人間なんてものを問題にしていない。」
 私も、それを思っていたのだ。
 Kは、湯槽にからだを、滑りこませて、
紅葉(もみじ)って、派手な花なのね。」
「ゆうべは、――」私が言い澱(よど)むと、
「ねむれた?」無心にたずねるKの眼は、湖水のように澄んでいる。
 私は、ざぶんと湯槽に飛び込み、「Kが生きているうち、僕は死なない、ね。」
「ブルジョアって、わるいものなの?」
「わるいやつだ、と僕は思う。わびしさも、苦悩も、感謝も、みんな趣味だ。ひとりよがりだ。プライドだけで生きている。」
「ひとの噂だけを気にしていて、」Kは、すらと湯槽から出て、さっさとからだを拭きながら、「そこに自分の肉体が在ると思っているのね。」
「富めるものの天国に入るは、――」そう冗談に言いかけて、ぴしと鞭(むち)打たれた。「人なみの仕合せは、むずかしいらしいよ。」

 Kはサロンで紅茶を飲んでいた。
 雨のせいか、サロンは賑(にぎわ)っていた。
「この旅行が、無事にすむと、」私は、Kとならんで、山の見える窓際の椅子に腰をおろした。「僕は、Kに何か贈り物しようか。」
「十字架。」そう呟くKの頸(くび)は、細く、かよわく見えた。
「ああ、ミルク。」女中にそう言いつけてから、「K、やっぱり怒っているね。ゆうべ、かえるなんて乱暴なこと言ったの、あれ、芝居だよ。僕、――舞台中毒かも知れない。一日にいちど、何か、こう、きざに気取ってみなければ、気がすまないのだ。生きて行けないのだ。いまだって、ここにこうやって坐っていても、死ぬほど気取っているつもりなのだよ。」
「恋は?」
「自分の足袋のやぶれが気にかかって、それで、失恋してしまった晩もある。」
「ねえ、私の顔、どう?」Kは、まともに顔をちか寄せる。
「どう、って。」私は顔をしかめる。
「きれい?」よそのひとのような感じで、「わかく見える?」
 私は、殴りつけたく思う。
「K、そんなに、さびしいのか。K、おぼえて置くがいい。Kは、良妻賢母で、それから、僕は不良少年、ひとの屑(くず)だ。」
「あなただけ、」言いかけたとき、女中がミルクを持って来る。「あ、どうも。」
「くるしむことは、自由だ。」私は、熱いミルクを啜(すす)りながら、「よろこぶことも、そのひとの自由だ。」
「ところが、私、自由じゃない。両方とも。」
 私は深い溜息をつく。
「K、うしろに五、六人、男がいるね。どれがいい?」
 つとめ人らしい若いのが四人、麻雀(マージャン)をしている。ウイスキーソーダを飲みながら新聞を読んでいる中年の男が、二人。
「まんなかのが。」Kは、山々の面を拭いてあるいている霧の流れを眺めながら、ゆっくり呟く。
 ふりむいて、みると、いつのまにか、いまひとりの青年が、サロンのまんなかに立っていて、ふところ手のまま、入口の右隅にある菊の生花を見つめている。
「菊は、むずかしいからねえ。」Kは、生花の、なんとか流の、いい地位にいた。
「ああ、古い、古い。あいつの横顔、晶助兄さんにそっくりじゃないか。ハムレット。」その兄は、二十七で死んだ。彫刻をよくしていた。
「だって、私は男のひと、他にそんなに知らないのだもの。」Kは、恥ずかしそうにしていた。
 号外。
 女中は、みなに一枚一枚くばって歩いた。――事変以来八十九日目。上海(シャンハイ)包囲全く成る。敵軍潰乱(かいらん)全線に総退却。
 Kは号外をちらと見て、
「あなたは?」
「丙種。」
「私は甲種なのね。」Kは、びっくりする程、大きい声で、笑い出した。「私は、山を見ていたのじゃなくってよ。ほら、この、眼のまえの雨だれの形を見ていたの。みんな、それぞれ個性があるのよ。もったいぶって、ぽたんと落ちるのもあるし、せっかちに、痩(や)せたまま落ちるのもあるし、気取って、ぴちゃんと高い音たてて落ちるのもあるし、つまらなそうに、ふわっと風まかせに落ちるのもあるし、――」

 Kも、私も、くたくたに疲れていた。その日湯河原を発って熱海についたころには、熱海のまちは夕靄(ゆうもや)につつまれ、家家の灯は、ぼっと、ともって、心もとなく思われた。
 宿について、夕食までに散歩しようと、宿の番傘を二つ借りて、海辺に出て見た。雨天のしたの海は、だるそうにうねって、冷いしぶきをあげて散っていた。ぶあいそな、なげやりの感じであった。
 ふりかえって、まちを見ると、ただ、ぱらぱらと灯が散在していて、
「こどものじぶん、」Kは立ちどまって、話かける。「絵葉書に針でもってぷつぷつ穴をあけて、ランプの光に透かしてみると、その絵葉書の洋館や森や軍艦に、きれいなイルミネエションがついて、――あれを思い出さない?」
「僕は、こんなけしき、」私は、わざと感覚の鈍(にぶ)い言いかたをする。「幻燈で見たことがある。みんなぼっとかすんで。」
 海岸通りを、そろそろ歩いた。「寒いね。お湯にはいってから、出て来ればよかった。」
「私たち、もうなんにも欲しいものがないのね。」
「ああ、みんなお父さんからもらってしまった。」
「あなたの死にたいという気持、――」Kは、しゃがんで素足の泥を拭きながら、「わかっている。」
「僕たち、」私は十二、三歳の少年の様に甘える。「どうして独力で生活できないのだろうね。さかなやをやったって、いいんだ。」
「誰も、やらせてくれないよ。みんな、意地わるいほど、私たちを大切にしてくれるからね。」
「そうなんだよ、K。僕だって、ずいぶん下品なことをしたいのだけれど、みんな笑って、――」魚釣る人のすがたが、眼にとまった。「いっそ、一生、釣りでもして、阿呆(あほう)みたいに暮そうかな。」
「だめさ。魚の心が、わかりすぎて。」
 ふたり、笑った。
「たいてい、わかるだろう? 僕がサタンだということ。僕に愛された人は、みんな、だいなしになってしまうということ。」
「私には、そう思えないの。誰もおまえを憎んでいない。偽悪趣味。」
「甘い?」
「ああ、このお宮の石碑みたい。」路傍に、金色夜叉の石碑が立っている。
「僕、いちばん単純なことを言おうか。K、まじめな話だよ。いいかい? 僕を、――」
「よして! わかっているわよ。」
「ほんとう?」
「私は、なんでも知っている。私は、自分がおめかけの子だってことも知っています。」
「K。僕たち、――」
「あ、危い。」Kは私のからだをかばった。
 ばりばりと音たててKの傘が、バスの車輪にひったくられて、つづいてKのからだが、水泳のダイヴィングのようにすらっと白く一直線に車輪の下に引きずりこまれ、くるくるっと花の車。
「とまれ! とまれ!」
 私は丸太棒でがんと脳天を殴られた思いで、激怒した。ようやくとまったバスの横腹を力まかせに蹴上げた。Kはバスの下で、雨にたたかれた桔梗(ききょう)の花のように美しく伏していた。この女は、不仕合せな人だ。
「誰もさわるな!」
 私は、気を失っているKを抱きあげ、声を放って泣いた。
 ちかくの病院まで、Kを背負っていった。Kは小さい声で、いたい、いたい、と言って泣いていた。

 Kは、病院に二日いて、駈けつけて来たうちの者たちと一緒に、自動車で、自宅へかえった。私は、ひとり、汽車でかえった。

 Kの怪我(けが)はたいしたこともないようだ。日に日に快方に向っている。

 三日まえ、私は、用事があって新橋へ行き、かえりに銀座を歩いてみた。ふと或る店の飾り窓に、銀の十字架の在るのを見つけて、その店へはいり、銀の十字架ではなく、店の棚の青銅の指輪を一箇、買い求めた。その夜、私のふところには、雑誌社からもらったばかりのお金が少しあったのである。その青銅の指輪には、黄色い石で水仙の花がひとつ飾りつけられていた。私は、それをKあてに送った。
 Kは、そのおかえしとして、ことし三歳になるKの長女の写真を送って寄こした。私はけさ、その写真を見た。

橡(とち)の花

――或る私信――

梶井基次郎




  一

 この頃の陰鬱な天候に弱らされていて手紙を書く気にもなれませんでした。以前京都にいた頃は毎年のようにこの季節に肋膜(ろくまく)を悪くしたのですが、此方(こちら)へ来てからはそんなことはなくなりました。一つは酒類を飲まなくなったせいかも知れません。然しやはり精神が不健康になります。感心なことを云うと云ってあなたは笑うかも知れませんが、学校へ行くのが実に億劫(おっくう)でした。電車に乗ります。電車は四十分かかるのです。気持が消極的になっているせいか、前に坐っている人が私の顔を見ているような気が常にします。それが私の独(ひと)り相撲だとは判っているのです。と云うのは、はじめは気がつきませんでしたが、まあ云えば私自身そんな視線を捜しているという工合なのです。何気ない眼附きをしようなど思うのが抑ゝ(そもそも)の苦しむもとです。
 また電車のなかの人に敵意とはゆかないまでも、棘々(とげとげ)しい心を持ちます。これもどうかすると変に人びとのアラを捜しているようになるのです。学生の間に流行(はや)っているらしい太いズボン、変にべたっとした赤靴。その他。その他。私の弱った身体(からだ)にかなわないのはその悪趣味です。なにげなくやっているのだったら腹も立ちません。必要に迫られてのことだったら好意すら持てます。然しそうだとは決して思えないのです。浅はかな気がします。
 女の髪も段々堪(たま)らないのが多くなりました。――あなたにお貸しした化物の本のなかに、こんな絵があったのを御存じですか。それは女のお化けです。顔はあたり前ですが、後頭部に――その部分がお化けなのです。貪婪(どんらん)な口を持っています。そして解(ほぐ)した髪の毛の先が触手の恰好に化けて、置いてある鉢から菓子をつかみ、その口へ持ってゆこうとしているのです。が、女はそれを知っているのか知らないのか、あたりまえの顔で前を向いています。――私はそれを見たときいやな気がしました。ところがこの頃の髪にはそれを思い出させるのがあります。わげ[#「わげ」に傍点]がその口の形をしているのです。その絵に対する私の嫌悪(けんお)はこのわげ[#「わげ」に傍点]を見てから急に強くなりました。
 こんなことを一々気にしていては窮屈で仕方がありません。然しそう思ってみても逃げられないことがあります。それは不快の一つの「型」です。反省が入れば入る程尚更その窮屈がオークワードになります。ある日こんなことがありました。やはり私の前に坐っていた婦人の服装が、私の嫌悪を誘い出しました。私は憎みました。致命的にやっつけてやりたい気がしました。そして効果的に恥を与え得る言葉を捜しました。ややあって私はそれに成功することが出来ました。然しそれは効果的に過ぎた言葉でした。やっつけるばかりでなく、恐らくそのシャアシャアした婦人を暗く不幸にせずにはおかないように思えました。私はそんな言葉を捜し出したとき、直ぐそれを相手に投げつける場面を想像するのですが、この場合私にはそれが出来ませんでした。その婦人、その言葉。この二つの対立を考えただけでも既に惨酷でした。私のいら立った気持は段々冷えてゆきました。女の人の造作をとやかく思うのは男らしくないことだと思いました。もっと温かい心で見なければいけないと思いました。然し調和的な気持は永く続きませんでした。一人相撲が過ぎたのです。
 私の眼がもう一度その婦人を掠(かす)めたとき、ふと私はその醜さのなかに恐らく私以上の健康を感じたのです。わる達者という言葉があります。そう云った意味でわるく健康な感じです。性(しょう)におえない鉄道草という雑草があります。あの健康にも似ていましょうか。――私の一人相撲はそれとの対照で段々神経的な弱さを露(あら)わして来ました。
 俗悪に対してひどい反感を抱くのは私の久しい間の癖でした。そしてそれは何時(いつ)も私自身の精神が弛(ゆる)んでいるときの徴候でした。然し私自身みじめな気持になったのはその時が最初でした。梅雨が私を弱くしているのを知りました。
 電車に乗っていてもう一つ困るのは車の響きが音楽に聴えることです。(これはあなたも何時だったか同様経験をしていられることを話されました)私はその響きを利用していい音楽を聴いてやろうと企てたことがありました。そんなことから不知不識(しらずしらず)に自分を不快にする敵を作っていた訳です。「あれをやろう」と思うと私は直ぐその曲目を車の響き、街の響きの中に発見するようになりました。然し悪く疲れているときなどは、それが正確な音程で聞えない。――それはいいのです。困るのはそれがもう此方の勝手では止まらなくなっていることです。そればかりではありません。それは何時の間にか私の堪(たま)らなくなる種類のものをやります。先程の婦人がそれにつれて踊るであろうような音楽です。時には嘲笑(ちょうしょう)的にそしてわざと下品に。そしてそれが彼等の凱歌(がいか)のように聞える――と云えば話になってしまいますが、とにかく非常に不快なのです。
 電車の中で憂鬱になっているときの私の顔はきっと醜いにちがいありません。見る人が見ればきっとそれをよしとはしないだろうと私は思いました。私は自分の憂鬱の上に漠とした「悪」を感じたのです。私はその「悪」を避けたく思いました。然し電車には乗らないなどと云ってはいられません。毒も皿もそれが予(あらかじ)め命ぜられているものならひるむことはいらないことです。一人相撲もこれでおしまいです。あの海に実感を持たねばならぬと思います。
 ある日私は年少の友と電車に乗っていました。この四月から私達に一年後(おく)れて東京に来た友でした。友は東京を不快がりました。そして京都のよかったことを云い云いしました。私にも少くともその気持に似た経験はありました。またやって来た※々直ぐ東京が好きになるような人は不愉快です。然し私は友の言葉に同意を表しかねました。東京にもまた別種のよさがあることを云いました。そんなことをいう者さえ不愉快だ。友の調子にはこう云ったところさえ感ぜられます。そして二人は押し黙ってしまいました。それは変につらい沈黙でした。友はまた京都にいた時代、電車の窓と窓がすれちがうとき「あちらの第何番目の窓にいる娘が今度自分の生活に交渉を持って来るのだ」とその番号を心のなかで極め、託宣を聴くような気持ですれちがうのを待っていた――そんなことをした時もあったとその日云っておりました。そしてその話は私にとって無感覚なのでした。そんなことにも私自身がこだわりを持っていました。

  二

 或る日Oが訪ねてくれました。Oは健康そうな顔をしていました。そして種々(いろいろ)元気な話をしてゆきました。――
 Oは私の机の上においてあった紙に眼をつけました。何枚もの紙の上に Waste という字が並べて書いてあるのです。
「これはなんだ。恋人でも出来たのか」と、Oはからかいました。恋人というようなあのOの口から出そうにもない言葉で、私は五六年も前の自分を不図(ふと)思い出しました。それはある娘を対象とした、私の子供らしい然も激しい情熱でした。それの非常な不結果であったことはあなたも少しは知っていられるでしょう。
 ――父の苦り切った声がその不面目な事件の結果を宣告しました。私は急にあたりが息苦しくなりました。自分でもわからない声を立てて寝床からとび出しました。後からは兄がついて来ておりました。私は母の鏡台の前まで走りました。そして自分の青ざめた顔をうつしました。それは醜くひきつっていました。何故(なぜ)そこまで走ったのか――それは自分にも判然(はっきり)しません。その苦しさを眼で見ておこうとしたのかも知れません。鏡を見て或る場合心の激動の静まるときもあります。――両親、兄、O及びもう一人の友人がその時に手を焼いた連中です。そして家では今でもその娘の名を私の前では云わないのです。その名前を私は極くごく略した字で紙片の端などへ書いて見たことがありました。そしてそれを消した上こなごなに破らずにはいられなかったことがありました。――然しOが私にからかった紙の上には Waste という字が確実に一面に並んでいます。
「どうして、大ちがいだ」と私は云いました。そしてその訳を話しました。
 その前晩私はやはり憂鬱に苦しめられていました。びしょびしょと雨が降っていました。そしてその音が例の音楽をやるのです。本を読む気もしませんでしたので私はいたずら書きをしていました。その Waste という字は書き易い字であるのか――筆のいたずらに直ぐ書く字がありますね――その字の一つなのです。私はそれを無暗(むやみ)にたくさん書いていました。そのうちに私の耳はそのなかから機(はた)を織るような一定のリズムを聴きはじめたのです。手の調子がきまって来たためです。当然きこえる筈だったのです。なにかきこえると聴耳をたてはじめてから、それが一つの可愛いリズムだと思い当てたまでの私の気持は、緊張と云い喜びというにはあまりささやかなものでした。然し一時間前の倦怠(けんたい)ではもうありませんでした。私はその衣(きぬ)ずれのようなまた小人国の汽車のような可愛いリズムに聴き入りました。それにも倦(あ)くと今度はその音をなにかの言葉で真似て見たい欲望を起したのです。ほととぎすの声をてっぺんかけたか[#「てっぺんかけたか」に傍点]と聞くように。――然し私はとうとう発見出来ませんでした。サ行の音が多いにちがいないと思ったりする、その成心に妨げられたのです。然し私は小さいきれぎれの言葉を聴きました。そしてそれの暗示する言語が東京のそれでもなく、どこのそれでもなく、故郷の然も私の家族固有なアクセントであることを知りました。――おそらく私は一生懸命になっていたのでしょう。そうした心の純粋さがとうとう私をしてお里を出さしめたのだろうと思います。心から遠退(とおの)いていた故郷と、然も思いもかけなかったそんな深夜、ひたひたと膝(ひざ)をつきあわせた感じでした。私はなにの本当なのかはわかりませんでしたが、なにか本当のものをその中に感じました。私はいささか亢奮(こうふん)をしていたのです。
 然しそれが芸術に於てのほんとう、殊に詩に於てのほんとうを暗示していはしないかなどOには話しました。Oはそんなことをもおだやかな微笑で聴いてくれました。
 鉛筆の秀(ほ)をとがらして私はOにもその音をきかせました。Oは眼を細くして「きこえる、きこえる」と云いました。そして自身でも試みて字を変え紙質を変えたりしたら面白そうだと云いました。また手加減が窮屈になったりすると音が変る。それを「声がわり」だと云って笑ったりしました。家族の中でも誰の声らしいと云いますから末の弟の声だろうと云ったのに関聯(かんれん)してです。私は弟の変声期を想像するのがなにかむごい気がするときがあります。次の話もこの日のOとの話です。そして手紙に書いておきたいことです。
 Oはその前の日曜に鶴見の花月園というところへ親類の子供を連れて行ったと云いました。そして面白そうにその模様を話して聞かせました。花月園というのは京都にあったパラダイスというようなところらしいです。いろいろ面白かったがその中でも愉快だったのは備えつけてある大きなすべり台だと云いました。そしてそれをすべる面白さを力説しました。ほんとうに面白かったらしいのです。今もその愉快が身体のどこかに残っていると云った話振りなのです。とうとう私も「行って見たいなあ」と云わされました。変な云い方ですがこのなあ[#「なあ」に傍点]のあ[#「あ」に傍点]はOの「すべり台面白いぞお[#「お」に傍点]」のお[#「お」に傍点]と釣合っています。そしてそんな釣合いはOという人間の魅力からやって来ます。Oは嘘の云えない素直な男で彼の云うことはこちらも素直に信じられます。そのことはあまり素直ではない私にとって少くとも嬉しいことです。
 そして話はその娯楽場の驢馬(ろば)の話になりました。それは子供を乗せて柵(さく)を回る驢馬で、よく馴れていて、子供が乗るとひとりで一周して帰って来るのだといいます。私はその動物を可愛いものに思いました。
 ところがそのなかの一匹が途中で立留ったと云います。Oは見ていたのだそうです。するとその立留った奴はそのまま小便をはじめたのだそうです。乗っていた子供――女の児だったそうですが――はもじもじし出し顔が段々赤くなって来てしまいには泣きそうになったと云います。――私達は大いに笑いました。私の眼の前にはその光景がありありと浮びました。人のいい驢馬の稚気に富んだ尾籠(びろう)、そしてその尾籠の犠牲になった子供の可愛い困惑。それはほんとうに可愛い困惑です。然し笑い笑いしていた私はへんに笑えなくなって来たのです。笑うべく均衡されたその情景のなかから、女の児の気持だけがにわかに押し寄せて来たのです。「こんな御行儀の悪いことをして。わたしははずかしい」
 私は笑えなくなってしまいました。前晩の寐(ね)不足のため変に心が誘われ易く、物に即し易くなっていたのです。私はそれを感じました。そして少しの間不快が去りませんでした。気軽にOにそのことを云えばよかったのです。口にさえ出せば再びそれを可愛い滑稽(おどけ)なこと」として笑い直せたのです。然し私は変にそれが云えなかったのです。そして健康な感情の均整をいつも失わないOを羨(うらやま)しく思いました。

  三

 私の部屋はいい部屋です。難を云えば造りが薄手に出来ていて湿気などに敏感なことです。一つの窓は樹木とそして崖(がけ)とに近く、一つの窓は奥狸穴(おくまみあな)などの低地をへだてて飯倉の電車道に臨む展望です。その展望のなかには旧徳川邸の椎(しい)の老樹があります。その何年を経たとも知れない樹は見わたしたところ一番大きな見事なながめです。一体椎という樹は梅雨期に葉が赤くなるものなのでしょうか。最初はなにか夕焼の反射をでも受けているのじゃないかなど疑いました。そんな赤さなのです。然し雨の日になってもそれは同じ。いつも同じでした。やはり樹自身の現象なのです。私は古人の「五月雨(さみだれ)の降り残してや光堂」の句を、日を距(へだ)ててではありましたが、思い出しました。そして椎茜(しいあかね)という言葉を造って下の五におきかえ嬉しい気がしました。中の七が降り残したる[#「たる」に傍点]ではなく、降り残してや[#「てや」に傍点]だったことも新しい眼で見得た気がしました。
 崖に面した窓の近くには手にとどく程の距離にかなひで[#「かなひで」に傍点]という木があります。朴(ほお)の一種だそうです。この花も五月闇(さつきやみ)のなかにふさわなくはないものだと思いました。然しなんと云っても堪らないのは梅雨期です。雨が続くと私の部屋には湿気が充満します。窓ぎわなどが濡れてしまっているのを見たりすると全く憂鬱になりました。変に腹が立って来るのです。空はただ重苦しく垂れ下っています。
「チョッ。ぼろ船の底」
 或る日も私はそんな言葉で自分の部屋をののしって見ました。そしてそのののしり方が自分がでに面白くて気は変りました。母が私にがみがみおこって来るときがあります。そしてしまいに突拍子もないののしり方をして笑ってしまうことがあります。ちょっとそう云った気持でした。私の空想はその言葉でぼろ船の底に畳を敷いて大きな川を旅している自分を空想させました。実際こんなときにこそ鬱陶(うっとう)しい梅雨(つゆ)の響きも面白さを添えるのだと思いました。

  四

 それもやはり雨の降った或る日の午後でした。私は赤坂のAの家へ出かけました。京都時代の私達の会合――その席へはあなたも一度来られたことがありますね――憶(おぼ)えていらっしゃればその時いたAです。
 この四月には私達の後、やはりあの会合を維持していた人びとが、三人も巣立って来ました。そしてもともと話のあったこととて、既に東京へ来ていた五人と共に、再び東京に於ての会合が始まりました。そして来年の一月から同人雑誌を出すこと、その費用と原稿を月々貯(た)めてゆくことに相談が定ったのです。私がAの家へ行ったのはその積立金を持ってゆくためでした。
 最近Aは家との間に或る悶着(もんちゃく)を起していました。それは結婚問題なのです。Aが自分の欲している道をゆけば父母を捨てたことになります。少くも父母にとってはそうです。Aの問題は自(おのずか)ら友人である私の態度を要求しました。私は当初彼を冷そうとさえ思いました。少くとも私が彼の心を熱しさせてゆく存在であることを避けようと努めました。問題がそういう風に大きくなればなる程そうしなければならぬと思ったのです。――然しそれがどちらの旗色であれ、他人のたてたどんな旗色にも動かされる人間でないことを彼は段々証して来ております。普段にぼんやりとしかわからなかった人間の性格と云うものがこう云うときに際してこそその輪郭をはっきりあらわすものだということを私は今に於て知ります。彼もまたこの試練によってそれを深めてゆくのでしょう。私はそれを美しいと思います。
 Aの家へ私が着いたときは偶然新らしく東京へ来た連中が来ていました。そしてAの問題でAと家との間へ入った調停者の手紙に就て論じ合っていました。Aはその人達をおいて買物に出ていました。その日も私は気持がまるでふさいでいました。その話をききながらひとりぼっちの気持で黙り込んでいました。するとそのうちに何かのきっかけで「Aの気持もよくわかっていると云うのならなぜ此方(こっち)を骨折ろうとしないんだ」という言葉を聞きました。調子のきびしい言葉でした。それが調停者に就て云われている言葉であることは申すまでもありません。
 私の心はなんだかびりりとしました。知るということと行うということとに何ら距りをつけないと云った生活態度の強さが私を圧迫したのです。単にそればかりではありません。私は心のなかで暗にその調停者の態度を是認していました。更に云えば「その人の気持もわかる」と思っていたからです。私は両方共わかっているというのは両方とも知らないのだと反省しないではいられませんでした。便りにしていたものが崩れてゆく何とも云えないいやな気持です。Aの両親さえ私にはそっぽを向けるだろうと思いました。一方の極へおとされてゆく私の気持は、然し、本能的な逆の力と争いはじめました。そしてAの家を出る頃ようやく調和したくつろぎに帰ることが出来ました。Aが使(つかい)から帰って来てからは皆の話も変って専(もっぱ)ら来年の計画の上に落ちました。Rのつけた雑誌の名前を繰り返し繰り返し喜び、それと定まるまでの苦心を滑稽化して笑いました。私の興味深く感じるのはその名前によって表現を得た私達の精神が、今度はその名前から再び鼓舞され整理されてくるということです。
 私達はAの国から送って来たもので夕飯を御馳走になりました。部屋へ帰ると窓近い樫(かし)の木の花が重い匂いを部屋中にみなぎらせていました。Aは私の知識の中で名と物とが別であった菩提樹(ぼだいじゅ)をその窓から教えてくれました。私はまた皆に飯倉の通りにある木は七葉樹(とちのき)だったと告げました。数日前RやAや二三人でその美しい花を見、マロニエという花じゃないかなど云い合っていたのです。私はその名をその中の一本に釣られていた「街路樹は大切にいたしましょう」の札で読んで来たのです。
 積立金の話をしている間に私はその中の一人がそれの為の金を、全く自分で働いているのだという事を知りました。親からの金の中では出したくないと云うのです。――私は今更ながらいい伴侶(はんりょ)と共に発足する自分であることを知りました。気持もかなり調和的になっていたのでこの友の行為から私自身を責め過ぎることはありませんでした。
 しばらくして私達はAの家を出ました。外は快い雨あがりでした。まだ宵の口の町を私は友の一人と霊南坂を通って帰って来ました。私の処へ寄って本を借りて帰るというのです。ついでに七葉樹の花を見ると云います。この友一人がそれを見はぐしていたからです。
 道々私は唱(うた)いにくい音諧(おんかい)を大声で歌ってその友人にきかせました。それが歌えるのは私の気持のいい時に限るのです。我善坊の方へ来たとき私達は一つの面白い事件に打(ぶつ)かりました。それは螢(ほたる)を捕まえた一人の男です。だしぬけに「これ螢ですか」と云って組合せた両の掌の隙を私達の鼻先に突出しました。螢がそのなかに美しい光を灯していました。「あそこで捕(と)ったんだ」と聞きもしないのに説明しています。私と友は顔を見合せて変な笑顔になりました。やや遠離(とおざか)ってから私達はお互いに笑い合ったことです。「きっと捕まえてあがってしまったんだよ」と私は云いました。なにか云わずにはいられなかったのだと思いました。
 飯倉の通りは雨後の美しさで輝いていました。友と共に見上げた七葉樹には飾燈(ネオン)のような美しい花が咲いていました。私はまた五六年前の自分を振返る気持でした。私の眼が自然の美しさに対して開き初めたのも丁度その頃からだと思いました。電燈の光が透いて見えるその葉うらの色は、私が夜になれば誘惑を感じた娘の家の近くの小公園にもあったのです。私はその娘の家のぐるりを歩いてはその下のベンチで休むのがきまりになっていました。
(私の美に対する情熱が娘に対する情熱と胎(たい)を共にした双生児だったことが確かに信じられる今、私は窃盗に近いこと詐欺に等しいことをまだ年少だった自分がその末犯したことを、あなたにうちあけて、あとで困るようなことはないと思います。それ等は実に今日まで私の思い出を曇らせる雲翳(うんえい)だったのです)
 街を走る電車はその晩電車固有の美しさで私の眼に映りました。雨後の空気のなかに窓を明け放ち、乗客も程よい電車の内部は、暗い路を通って来た私達の前を、あたかも幸福そのものが運ばれて其処にあるのだと思わせるような光で照されていました。乗っている女の人もただ往来からの一瞥(べつ)で直ちに美しい人達のように思えました。何台もの電車を私達は見送りました。そのなかには美しい西洋人の姿も見えました。友もその晩は快かったにちがいありません。
「電車のなかでは顔が見難(にく)いが往来からだとかすれちがうときだとかは、かなり長い間見ていられるものだね」と云いました。なにげなく友の云った言葉に、私は前の日に無感覚だったことを美しい実感で思い直しました。

  五

 これはあなたにこの手紙を書こうと思い立った日の出来事です。私は久し振りに手拭をさげて銭湯へ行きました。やはり雨後でした。垣根のきこく[#「きこく」に傍点]がぷんぷん快い匂いを放っていました。
 銭湯のなかで私は時たま一緒になる老人とその孫らしい女の児とを見かけました。花月園へ連れて行ってやりたいような可愛い児です。その日私は湯槽(ゆぶね)の上にかかっているペンキの風景画を見ながら「温泉のつもりなんだな」という小さい発見をして微笑(ほほえ)まされました。湯は温泉でそのうえ電気浴という仕掛がしてあります。ひっそりした昼の湯槽には若い衆が二人入っていました。私がその中に混ってやや温まった頃その装置がビビビビビビと働きはじめました。
「おい動力来たね」と一人の若い衆が云いました。
「動力じゃねえよ」ともう一人が答えました。
 湯を出た私はその女の児の近くへ座を持ってゆきました。そして身体を洗いながらときどきその女の児の顔を見ました。可愛い顔をしていました。老人は自分を洗い終ると次にはその児にかかりました。幼い手つきで使っていた石鹸のついた手拭は老人にとりあげられました。老人の顔があちら向きになりましたので私は、自分の方へその子の目を誘うのを予期して、じっと女の児の顔を見ました。やがてその子の顔がこちらを向いたので私は微笑みかけました。然し女の児は笑って来ません。然し首を洗われる段になって、眼を向け難(にく)くなっても上眼を使って私を見ようとします。しまいには「ウウウ」と云いながらも私の作り笑顔に苦しい上眼を張ろうとします。そのウウウはなかなか可愛く見えました。
「サア」突然老人の何も知らない手がその子の首を俯向(うつむ)かせてしまいました。
 しばらくしてその女の子の首は楽になりました。私はそれを待っていたのです。そして今度は滑稽な作り顔をして見せました。そして段々それをひどく歪(ゆが)めてゆきました。
「おじいちゃん」女の子がとうとう物を云いました。私の顔を見ながらです。「これどこの人」「それゃあよそのおっちゃん」振向きもせず相変らずせっせと老人はその児を洗っていました。
 珍しく永い湯の後、私は全く伸々(のびのび)した気持で湯をあがりました。私は風呂のなかである一つの問題を考えてしまって気が軽く晴々していました。その問題というのはこうです。ある友人の腕の皮膚が不健康な皺(しわ)を持っているのを、ある腕の太さ比べをしたとき私が指摘したことがありました。すると友人は「死んでやろうと思うときがときどきあるんだ」と激しく云いました。自分のどこかに醜いところが少しでもあれば我慢出来ないというのです。それは単なる皺でした。然し私の気がついたのはそれが一時的の皺ではないことでした。とにかく些細(ささい)なことでした。然し私はそのときも自分のなにかがつかれたような気がしたのです。私は自分にもいつかそんなことを思ったときがあると思いました。確かにあったと思うのですが思い出せないのです。そしてその時は淋しい気がしました。風呂のなかでふと思い出したのはそれです。思い出して見れば確かに私にもありました。それは何歳位だったか覚えませんが、自分の顔の醜いことを知った頃です。もう一つは家に南京虫が湧(わ)いた時です。家全体が焼いてしまいたくなるのです。も一つは新らしい筆記帳の使いはじめ字を書き損ねたときのことです。筆記帳を捨ててしまいたくなるのです。そんなことを思い出した末、私はその年少の友の反省の為に、大切に使われよく繕われた古い器具の奥床しさを折があれば云って見たいと思いました。ひびへ漆を入れた茶器を現に二人が讃(ほ)めたことがあったのです。
 紅潮した身体には細い血管までがうっすら膨(ふく)れあがっていました。両腕を屈伸させてぐりぐりを二の腕や肩につけて見ました。鏡のなかの私は私自身よりも健康でした。私は顔を先程したようにおどけた表情で歪ませて見ました。
 Hysterica Passio ――そう云って私はとうとう笑い出しました。
 一年中で私の最もいやな時期ももう過ぎようとしています。思い出してみれば、どうにも心の動きがつかなかったような日が多かったなかにも、南葵(なんき)文庫の庭で忍冬(すいかずら)の高い香を知ったようなときもあります。霊南坂で鉄道草の香りから夏を越した秋がもう間近に来ているのだと思ったような晩もあります。妄想で自らを卑屈にすることなく、戦うべき相手とこそ戦いたい、そしてその後の調和にこそ安んじたいと願う私の気持をお伝えしたくこの筆をとりました。
――一九二五年十月――

渦巻ける烏の群

黒島伝治




   一

「アナタア、ザンパン、頂だい。」
 子供達は青い眼を持っていた。そして、毛のすり切れてしまった破れ外套(がいとう)にくるまって、頭を襟の中に埋(うず)めるようにすくんでいた。娘もいた。少年もいた。靴が破れていた。そこへ、針のような雪がはみこんでいる。
 松木は、防寒靴をはき、ズボンのポケットに両手を突きこんで、炊事場の入口に立っていた。
 風に吹きつけられた雪が、窓(まど)硝子(ガラス)を押し破りそうに積りかかっていた。谷間の泉から湧き出る水は、その周囲に凍(い)てついて、氷の岩が出来ていた。それが、丁度、地下から突き出て来るように、一昨日よりは昨日、昨日よりは今日の方がより高くもれ上って来た。彼は、やはり西伯利亜(シア)だと思った。氷が次第に地上にもれ上って来ることなどは、内地では見られない現象だ。
 子供達は、言葉がうまく通じないなりに、松木に憐れみを求め、こびるような顔つきと態度とを五人が五人までしてみせた。
 彼等が口にする「アナタア」には、露骨にこびたアクセントがあった。
「ザンパンない?」子供達は繰かえした。「……アナタア! 頂だい、頂だい!」
「あるよ。持って行け。」
 松木は、残飯桶(ざんぱんおけ)のふちを操(と)って、それを入口の方へころばし出した。
 そこには、中隊で食い残した麦飯が入っていた。パンの切れが放りこまれてあった。その上から、味噌汁の残りをぶちかけてあった。
 子供達は、喜び、うめき声を出したりしながら、互いに手をかきむしり合って、携えて来た琺瑯引(ほうろうび)きの洗面器へ残飯をかきこんだ。
 炊事場は、古い腐った漬物の臭いがした。それにバターと、南京袋(なんきんぶくろ)の臭いがまざった。
 調理台で、牛蒡(ごぼう)を切っていた吉永が、南京袋の前掛けをかけたまま入口へやって来た。
 武石は、ぺーチカに白樺の薪を放りこんでいた。ぺーチカの中で、白樺の皮が、火にパチパチはぜった。彼も入口へやって来た。
「コーリヤ。」
 松木が云った。
「何?」
 コーリヤは眼が鈴のように丸くって大きく、常にくるくる動めいている、そして顔にどっか尖(とが)ったところのある少年だった。
「ガーリヤはいるかね?」
「いるよ。」
「どうしてるんだ。」
「用をしてる。」
 コーリヤは、その場で、汁につかったパン切れをむしゃむしゃ頬張っていた。
ほかの子供達も、或はパンを、或は汁づけの飯を手に掴(つか)んでむしゃむしゃ食っていた。
「うまいかい?」
「うむ。」
「つめたいだろう。」
 彼等は、残飯桶の最後の一粒まで洗面器に拾いこむと、それを脇にかかえて、家の方へ雪の丘を馳(は)せ登(のぼ)った。
「有がとう。」
「有がとう。」
「有がとう。」
 子供達の外套や、袴(はかま)の裾が風にひらひらひるがえった。
 三人は、炊事場の入口からそれを見送っていた。
 彼等の細くって長い脚は、強いバネのように、勢いよくぴんぴん雪を蹴って、丘を登っ
ていた。
「ナーシヤ!」
「リーザ!」
 武石と吉永とが呼んだ。
「なアに?」
 丘の上から答えた。
 子供達は、皆な、一時に立止まって、谷間の炊事場を見下した。
「飯をこぼすぞ。」
 吉永が日本語で云った。
「なアに?」
 吉永は、少女にこちらへ来るように手まねきをした。
 丘の上では、彼等が、きゃあきゃあ笑ったり叫んだりした。
 そして、少し行くと、それから自分の家へ分れ分れに散らばってしまった。

   二

 山が、低くなだらかに傾斜して、二つの丘に分れ、やがて、草原に連って、広く、遠くへ展開している。
 兵営は、その二つの丘の峡間にあった。
 丘のそこかしこ、それから、丘のふもとの草原が延びて行こうとしているあたり、そこらへんに、露西亜(ロア)人(じん)の家が点々として散在していた。革命を恐れて、本国から逃げて来た者もあった。前々から、西伯利亜に土着している者もあった。
 彼等はいずれも食うに困っていた。彼等の畑は荒され、家畜は掠奪(りゃくだつ)された。彼等は安心して仕事をすることが出来なかった。彼等は生活に窮するより外、道がなかった。
 板壁の釘が腐って落ちかけた木造の家に彼等は住んでいた。屋根は低かった。家の周囲には、藁(わら)やごみを散らかしてあった。
 処々に、うず高く積上げられた乾草があった。
 荷車は、軒場に乗りつけたまま放ってあった。
 室内には、古いテーブルや、サモ※ールがあった。刺繍(ししゅう)を施したカーテンがつるしてあった。でも、そこからは、動物の棲家(すみか)のように、異様な毛皮と、獣油の臭いが発散して来た。
 それが、日本の兵卒達に、如何にも、毛唐の臭いだと思わせた。
 子供達は、そこから、琺瑯引きの洗面器を抱えて毎日やって来た。ある時は、老人や婆さんがやって来た。ある時は娘がやって来た。
 吉永は、一中隊から来ていた。松木と武石とは二中隊の兵卒だった。
 三人は、パン屑(くず)のまじった白砂糖を捨てずに皿に取っておくようになった。食い残したパンに味噌汁をかけないようにした。そして、露西亜人が来ると、それを皆に分けてやった。
「お前ンとこへ遊びに行ってもいいかい?」
「どうぞ。」
「何か、いいことでもあるかい?」
「何ンにもない。……でもいらっしゃい、どうぞ。」
 その言葉が、朗らかに、快活に、心から、歓迎しているように、兵卒達には感じられた。
 兵卒は、殆んど露西亜(ロア)語(ご)が分らなかった。けれども、そのひびきで、自分達を歓迎していることを。捷(すばや)く見てとった。
 晩に、炊事場の仕事がすむと、上官に気づかれないように、一人ずつ、別々に、息を切らしながら、雪の丘を攀(よ)じ登(のぼ)った。吐き出す呼気が凍(こご)って、防寒帽の房々した毛に、それが霜のようにかたまりついた。
 彼等は、家庭の温かさと、情味とに飢え渇していた。西伯利亜へ来てから何年になるだろう。まだ二年ばかりだ。しかし、もう十年も家を離れ、内地を離れているような気がした。海上生活者が港にあこがれ、陸を恋しがるように、彼等は、内地にあこがれ、家庭を恋しがった。
 彼等の周囲にあるものは、はてしない雪の曠野(こうや)と、四角ばった煉瓦(れんが)の兵営と、撃ち合いばかりだ。
 誰のために彼等はこういうところで雪に埋れていなければならないだろう。それは自分のためでもなければ親のためでもないのだ。懐手をして、彼等を酷使していた者どものためだ。それは、××××なのだ。
 敵のために、彼等は、只働きをしてやっているばかりだ。
 吉永は、胸が腐りそうな気がした。息づまりそうだった。極刑に処せられることなしに兵営から逃出し得るならば、彼は、一分間と雖(いえど)も我慢していたくはなかった。――僅かの間でもいい、兵営の外に出たい、情味のある家庭をのぞきたい。そういう慾求を持って、彼は、雪の坂道を攀じ登った。
 丘の上には、リーザの家があった。彼はそこの玄関に立った。
 扉には、隙間風が吹きこまないように、目貼(めば)りがしてあった。彼は、ポケットから手を出して、その扉をコツコツ叩いた。
「今晩は[#「ズラシテ」の注記]。」
 屋内ではぺーチカを焚(た)き、暖気が充ちている。その気はいが、扉の外から既に感じられた。
「今晩は。」
「どうぞ、いらっしゃい。」
 朗らかで張りのある女の声が扉を通してひびいて来た。
「まあ、ヨシナガサン! いらっしゃい。」
 娘は嬉しそうに、にこにこしながら、手を出した。
 彼は、始め、握手することを知らなかった。それまで、握手をしたことがなかったのだ。何か悪いことをするように、胸がおどおどした。
 が、まもなく、平気になってしまった。
 のみならず、相手がこちらの手を強く握りかえした時には、それは、何を意味しているか、握手と同時に、眼をどう使うと、それはこう云っているのだ。気がすすまぬように、だらりと手を出せば、それは見込がない。等々……。握手と同時に現われる、相手の心を読むことを、彼は心得てしまった。
 吉永がテーブルと椅子と、サモ※ールとがある部屋に通されている時、武石は、鼻から蒸気を吐きながら、他の扉を叩いていた。それから、稲垣、大野、川本、坂田、みなそれぞれ二三分間おくれて、別の扉を叩くのであった。
「今晩は[#「ズラシテ」の注記]。」
 そして、相手がこちらの手を握りかえす、そのかえしようと、眼に注意を集中しているのであった。
 彼等のうちのある者は、相手が自分の要求するあるものを与えてくれる、とその眼つきから読んだ。そして胸を湧き立たせた。
「よし、今日は、ひとつ手にキスしてやろう。」
 一人の女に、二人がぶつかることがあった。三人がぶつかることもあった。そんな時、彼等は、帰りに、丘を下りながら、ひょいと立止まって、顔を見合わせ、からから笑った。
「ソぺールニクかな。」
「ソぺールニクって何だい?」
「ソぺールニク……競争者だよ。つまり、恋を争う者なんだ。ははは。」

   三

 松木も丘をよじ登って行く一人だった。
 彼は笑ってすませるような競争者がなかった。
 彼は、朗らかな、張りのある声で、「いらっしゃい、どうぞ!」と女から呼びかけられたこともなかった。
 若(も)しそれが恋とよばれるならば、彼の恋は不如意な恋だった。彼は、丘を登りしなに、必ず、パンか、乾麺麭(かんめんぽう)か、砂糖かを新聞紙に包んで持っていた。それは兵卒に配給すべきものの一部をこっそり取っておいたものだった。彼は、それを持って丘を登り、そして丘を向うへ下った。
 三十分ほどたつと、彼は手ぶらで、悄然(しょうぜん)と反対の方から丘を登り、それから、兵営へ丘を下って帰って来た。ほかの者たちは、まだ、ぺーチカを焚いている暖かい部屋で、胸をときめかしている時分だった。
「ああ、もうこれでやめよう!」彼は、ぐったり雪の上にへたばりそうだった。「あほらしい。」
 丘のふもとに、雪に埋れた広い街道がある。雪は橇(そり)や靴に踏みつけられて、固く凍っている。そこへ行くまでに、聯隊(れんたい)の鉄条網が張りめぐらされてあった。彼は、毎晩、その下をくぐりぬけ、氷で辷(すべ)りそうな道を横切って、ある窓の下に立ったのであった。
「ガーリヤ!」
 彼は、指先で、窓(まど)硝子(ガラス)をコツコツ叩いた。肺臓まで凍りつきそうな寒い風が吹きぬけて行った。彼は、その軒の下で暫らく佇(たたず)んでいた。
「ガーリヤ!」
 そして、また、硝子を叩いた。
「何?」
 女が硝子窓の向うから顔を見せた。唇の間に白い歯がのぞいている。それがひどく愛嬌(あいきょう)を持っている。
「這入ってもいい?」
「それ何?」
「パンだ。あげるよ。」
 女は、新聞紙に包んだものを窓から受取ると、すぐ硝子戸を閉めた。
「おい、もっと開けといてくれんか。」
「……室(へや)が冷えるからだめ。――一度開けると薪三本分損するの。」
 彼女は、桜色の皮膚を持っていた。笑いかけると、左右の頬に、子供のような笑窪が出来た。彼女は悪い女ではなかった。だが、自分に出来ることをして金を取らねばならなかった。親も、弟も食うことに困っているのだ。子供を持っている姉は、夫に吸わせる煙草を貰いに来た。
 松木は、パンを持って来た。砂糖を持って来た。それから、五円六十銭の俸給で何かを買って持って来た。
 でも、彼女の一家の生活を支えるには、あまりに金を持っていなすぎる。もっとよけいに俸給を取っている者が望ましい。
 肉に饉(う)えているのは兵卒ばかりではなかった。
 松木の八十五倍以上の俸給を取っているえらい[#「えらい」に傍点]人もやはり貪慾(どんよく)に肉を求めているのであった。
「私、用があるの。すみません、明日来てくださらない。」
 ガーリヤは云った。
「いつでも明日来いだ。で、明日来りゃ、明後日だ。」
「いえ、ほんとに明日、――明日待ってます。」

   四

 雪は深くなって来た。
 炊事場へザンパンを貰いに来る者たちが踏み固めた道は、新しい雪に蔽(おお)われて、あと方も分らなくなった。すると、子供達は、それを踏みつけ、もとの通りの道をこしらえた。
 雪は、その上へまた降り積った。
 丘の家々は、石のように雪の下に埋れていた。
 彼方の山からは、始終、パルチザンがこちらの村を覗(うかが)っていた。のみならず、夜になると、歩哨(ほしょう)が、たびたび狼に襲われた。四肢が没してもまだ足りない程、深い雪の中を、狼は素早く馳(は)せて来た。
 狼は山で食うべきものが得られなかった。そこで、すきに乗じて、村落を襲い、鶏や仔犬や、豚をさらって行くのであった。彼等は群をなして、わめきながら、行くさきにあるものは何でも喰い殺さずにはおかないような勢いでやって来た。歩哨は、それに会うと、ふるえ上らずにはいられなかった。こちらは銃を持っているとは云え、二人だけしかいないのだ。慄悍(ひょうかん)な動物は、弾丸をくぐって直ちに、人に迫って来る。それは全く凄いものだった。衛兵は総がかりで狼と戦わねばならなかった。悪くすると、腋(わき)の下(した)や、のどに喰いつかれるのだ。
 薄ら曇りの日がつづいた。昼は短く、夜は長かった。太陽は、一度もにこにこした顔を見せなかった。松木は、これで二度目の冬を西伯利亜で過しているのであった。彼は疲れて憂欝(ゆううつ)になっていた。太陽が、地球を見棄ててどっかへとんで行っているような気がした。こんな状態がいつまでもつづけばきっと病気にかかるだろう。――それは、松木ばかりではなかった。同年兵が悉(ことごと)く、ふさぎこみ、疲憊(ひはい)していた。そして、女のところへ行く。そのことだけにしか興味を持っていなかった。
 ガーリヤは、人眼をしのぶようにして炊事場へやって来た。古いが、もとは相当にものが良かったらしい外套(がいとう)の下から、白く洗い晒(さら)された彼女のスカートがちらちら見えていた。
「お前は、人をよせつけないから、ザンパンが有ったってやらないよ。」
「あら、そう。」
 彼女は響きのいい、すき通るような声を出した。
「そうだとも、あたりまえだ。」
「じゃいい。」
 黒く磨かれた、踵(かがと)の高い靴で、彼女はきりっと、ブン廻しのように一とまわりして、丘の方へ行きかけた。
「いや、うそだうそだ。今さっきほかの者が来てすっかり持って行っちゃったんだ。」
 松木はうしろから叫んだ。
「いいえ、いらないわ。」
 彼女の細長い二本の脚は、強いばねのように勢いよくはねながら、丘を登った。
「ガーリヤ! 待て! 待て!」
 彼は乾麺麭(かんめんぽう)を一袋握って、あとから追っかけた。
 炊事場の入口へ同年兵が出てきて、それを見て笑っていた。
 松木は息を切らし切らし女に追いつくと、空の洗面器の中へ乾麺麭の袋を放り込んだ。
「さあ、これをやるよ。」
 ガーリヤは立止まって彼を見た。そして真白い歯を露(あら)わして、何か云った。彼は、何ということか意味が汲みとれなかった。しかし女が、自分に好感をよせていることだけは、円みのあるおだやかな調子ですぐ分った。彼は追っかけて来ていいことをしたと思った。
 帰りかけて、うしろへ振り向くと、ガーリヤは、雪の道を辷(すべ)りながら、丘を登っていた。
「おい、いいかげんにしろ。」炊事場の入口から、武石が叫んだ。「あんまりじゃれつきよると競争に行くぞ!」

   五

 吉永の中隊は、大隊から分れて、イイシへ守備に行くことになった。
 HとSとの間に、かなり広汎(こうはん)な区域に亘って、森林地帯があった。そこには山があり、大きな谷があった。森林の中を貫いて、河が流ていた。そのあたりの地理は詳細には分らなかった。
 だが、そこの鉄橋は始終破壊された。枕木はいつの間にか引きぬかれていた。不意に軍用列車が襲撃された。
 電線は切断されづめだった。
 HとSとの連絡は始終断たれていた。
 そこにパルチザンの巣窟があることは、それで、ほぼ想像がついた。
 イイシへ守備中隊を出すのは、そこの連絡を十分にするがためであった。
 吉永は、松木の寝台の上で私物を纏(まと)めていた。炊事場を引き上げて、中隊へ帰るのだ。
 彼は、これまでに、しばしば危険に身を曝(さら)したことを思った。
 弾丸に倒れ、眼を失い、腕を落した者が、三人や四人ではなかった。
 彼と、一緒に歩哨に立っていて、夕方、不意に、胸から血潮を迸(ほと)ばしらして、倒れた男もあった。坂本という姓だった。
 彼は、その時の情景をいつまでもまざまざと覚えていた。
 どこからともなく、誰れかに射撃されたのだ。
 二人が立っていたのは山際だった。
 交代の歩哨は衛兵所から列を組んで出ているところだった。もう十五分すれば、二人は衛兵所へ帰って休めるのだった。
 夕日が、あかあかと彼方の地平線に落ちようとしていた。牛や馬の群が、背に夕日をあびて、草原をのろのろ歩いていた。十月半ばのことだ。
 坂本は、
「腹がへったなあ。」と云ってあくびをした。
「内地に居りゃ、今頃、野良から鍬(くわ)をかついで帰りよる時分だぜ。」
「あ、そうだ。もう芋を掘る時分かな。」
「うむ。」
「ああ、芋が食いたいなあ!」
 そして坂本はまたあくびをした。そのあくびが終るか終らないうちに、彼は、ぱたりと丸太を倒すように芝生の上に倒れてしまった。
 吉永は、とび上った。
 も一発、弾丸が、彼の頭をかすめて、ヒウと唸(うな)り去った。
「おい、坂本! おい!」
 彼は呼んでみた。
 軍服が、どす黒い血に染った。
 坂本はただ、「うう」と唸るばかりだった。
 内地を出発して、ウラジオストックへ着き、上陸した。その時から、既に危険は皆の身に迫っていたのであった。
 機関車は薪を焚(た)いていた。
 彼等は四百里ほど奥へ乗りこんで行った。時々列車からおりて、鉄砲で打ち合いをやった。そして、また列車にかえって、飯を焚いた。薪が燻(くすぶ)った。冬だった。機関車は薪がつきて、しょっちゅう動かなくなった。彼は二カ月間顔を洗わなかった。向うへ着いた時には、まるで黒ン坊だった。息が出来ぬくらいの寒さだった。そして流行感冒がはやっていた。兵営の上には、向うの飛行機が飛んでいた。街には到るところ、赤旗が流れていた。
 そこでどうしたか。結局、こっちの条件が悪く、負けそうだったので、持って帰れぬ什器(じゅうき)を焼いて退却した。赤旗が退路を遮った。で、戦争をした。そして、また退却をつづけた。赤旗は流行感冒のように、到るところに伝播(でんぱ)していた。また戦争だ。それからどうしたか?……
 雪解の沼のような泥濘(でいねい)の中に寝て、戦争をしたこともあった。頭の上から、機関銃をあびせかけられたこともあった。
 吉永は、自分がよくもこれまで生きてこられたものだと思った。一尺か二尺、自分の立っていた場所が横へそれていたら、死んでいるかもしれないのだ。
 これからだって、どうなることか、分るものか! 分るものか! 俺が一人死ぬことは、誰れも屁(へ)とも思っていないのだ。ただ、自分のことを心配してくれるのは、村で薪出しをしているお母(ふくろ)だけだ。
 彼は、お母がこしらえてくれた守り袋を肌につけていた。新しい白木綿で縫った、かなり大きい袋だった。それが、垢(あか)や汗にしみて黒く臭くなっていた。彼は、それを開けて、新しい袋を入れかえようと思った。彼は、袋を鋏(はさみ)で切り開けた。お守りが沢山慾張って入れてある。金刀比羅宮(こぐう)、男山八幡宮(おとこやまはちまんぐう)、天照皇大神宮、不動明王、妙法蓮華経、水天宮。――母は、多ければ多いほど、御利益があると思ったのだろう! それ等が、殆んど紙の正体が失われるくらいにすり切れていた。――まだある。別に、紙に包んだ奴が。彼はそれを開けてみた。そこには紙幣が入っていた。五円札と、五十銭札と、一円札とが合せて十円ぐらい入っている。母が、薪出しをしてためた金を内所(ないしょ)で入れといてくれたのだろう。
「おい、おい。お守りの中から金が出てきたが。」
 吉永は嬉しそうに云った。
「何だ。」
「お守りの中から金が出てきたんだ。」
「ほんとかい。」
「嘘を云ったりするもんか。」
「ほう、そいつぁ、儲(もう)けたな。」
 松木と武石とが調理台の方から走(は)せ込(こ)んで来た。
 札も、汗と垢とで黒くなっていた。
「どれどれ、内地の札だな。」松木と武石とはなつかしそうに、それを手に取って見た。「内地の札を見るんは久しぶりだぞ。」
「お母が多分内所で入れてくれたんだ。」
「それをまた今まで知らなかったとは間がぬけとるな。……全く儲けもんだ。」
「うむ、儲けた。……半分わけてやろう。」
 吉永は、自分が少くとも、明後日は、イイシへ行かなければならないことを思った。雪の谷や、山を通らなければならない。そこにはパルチザンがいる。また撃ち合いだ。生命がどうなるか。誰れが知るもんか! 誰れが知るもんか!

   六

 松木は、酒保から、餡(あん)パン、砂糖、パインアップル、煙草などを買って来た。
 晩におそくなって、彼は、それを新聞紙に包んで丘を登った。石のように固く凍(い)てついている雪は、靴にかちかち鳴った。空気は鼻を切りそうだ。彼は丘を登りきると、今度は向うへ下った。丘の下のあの窓には、灯がともっていた。人かげが、硝子(ガラス)戸(ど)の中で、ちらちら動いていた。
 彼は歩きながら云ってみた。
「ガーリヤ。」
「ガーリヤ。」
「ガーリヤ。」
「あんたは、なんて生々しているんだろう。」
 さて、それを、ロシア語ではどう云ったらいいかな。
 丘の下でどっか人声がするようだった。三十すぎの婦人の声だ。それに一人は日本人らしい。何を云っているのかな。彼はちょいと立止まった。なんでも声が、ガーリヤの母親に似ているような気がした。が、声は、もうぷっつり聞えなかった。すると、まもなくすぐそこの、今まで開いていた窓に青いカーテンがさっと引っぱられた。
「おや、早や、寝る筈はないんだが……」彼はそう思った。そして、鉄条網をくぐりぬけ、窓の下へしのびよった。
「今晩は、――ガーリヤ!」
 ――彼が窓に届くように持って来ておいた踏石がとりのけられている。
「ガーリヤ。」
 砕かれた雪の破片が、彼の方へとんで来た。彼の防寒外套(がいとう)の裾のあたりへぱらぱらと落ちた。雪はまたとんできた。彼の背にあたった。でも彼は、それに気づかなかった。そして、じいっと、窓を見上げていた。
「ガーリヤ!」
 彼は、上に向いて云った。星が切れるように冴えかえっていた。
「おい、こらッ!」
 さきから、雪を投げていた男が、うしろの白樺のかげから靴をならしてとび出て来た。武石だった。
 松木は、ぎょっとした。そして、新聞紙に包んだものを雪の上へ落しそうだった。
 彼は、若(も)し将校か、或は知らない者であった場合には、何もかも投げすてて逃げ出そうと瞬間に心かまえたくらいだった。
「また、やって来たな。」武石は笑った。
「君かい。おどかすなよ。」
 松木は、暫らく胸がどきどきするのが止まらなかった。彼は、武石だと知ると同時に、吉永から貰った金で、すぐさま、女の喜びそうなものを買って来たことをきまり悪く思った。「砂糖とパイナップルは置いて来ればよかった。」
「誰れかさきに、ここへ来た者があるんだ。」と武石が声を落して窓の中を指した。「俺れゃ、君が這入ったんかと思うて、ここで様子を伺うとったんだ。」
「誰れだ?」
「分らん。」
「下士か、将校か?」
「ぼっとしとって、それが分らないんだ。」
誰奴(どいつ)かな。」
「――中に這入って見てやろう。」
「よせ、よせ、……帰ろう。」
 松木は、若し将校にでも見つかると困る、――そんなことを思った。
「このまま帰るのは意気地がないじゃないか。」
 武石は反撥(はんぱつ)した。彼は、ガンガン硝子戸を叩いた。
「ガーリヤ、ガーリヤ、今晩は[#「ズラシテ」と注記]!」
 次の部屋から面倒くさそうな男の声がひびいた。
「ガーリヤ!」
「何だい。」
 ウラジオストックの幼年学校を、今はやめている弟のコーリヤが、白い肩章のついた軍服を着てカーテンのかげから顔を出した。
「ガーリヤは?」
「用をしてる。」
「一寸来いって。」
「何です? それ。」
 コーリヤは、松木の新聞包を見てたずねた。
「こら酒だ。」松木が答えないさきに、武石が脚もとから正宗の四合罎(びん)を出して来た。「沢山いいものを持って来とるよ。」
 武石は、包みの新聞紙を引きはぎ、硝子戸の外から、罎をコーリヤの眼のさきへつき出した。松木は、その手つきがものなれているなと思った。
「呉れ[#「ダワイ」と注記]。」コーリヤは手を動かした。
 でも、その手つきにいつものような力がなく、途中で腰を折られたように挫(くじ)けた。いつも無遠慮なコーリヤに珍らしいことだった。
 武石も、物を持って来て、やっているんだな、と松木は思った。じゃ、自分もやることは恥かしくない訳だ。彼はコーリヤが遠慮するとなおやりたくなった。
「さ、これもやるよ。」彼は、パイナップルの鑵詰(かんづめ)を取出した。
 コーリヤはもじもじしていた。
「さ、やるよ。」
「有がとう。」
 顔にどっか剣のある、それで一寸沈んだ少年が、武石には、面白そうな奴だと思われた。
「もっとやろうか。」
 少年は呉れるものは欲しいのだが、貰っては悪いというように、遠慮していた。
「煙草と砂糖。」松木は、窓口へさし上げた。
「有がとう。」
 コーリヤが、窓口から、やったものを受取って向うへ行くと、
「きっと、そこに誰れか来とるんだ。」と、武石は、小声で、松木にささやいた。
「誰れだな、俺れゃどうも見当がつかん。」
「這入りこんで現場を見届けてやろう。」
 二人は耳をすました。二つくらい次の部屋で、何か気配がして、開けたてに扉が軋(きし)る音が聞えてきた。サーベルの鞘(さや)が鳴る。武石は窓枠に手をかけて、よじ上り、中をのぞきこんだ。
「分るか。」
「いや、サモ※ールがじゅんじゅんたぎっとるばかりだ。――ここはまさか、娘を売物にしとる家じゃないんだろうな。」
 コーリヤが扉(ドア)のかげから現れて来た。窓から屋内へ這入ろうとするかのように、よじ上っている武石を見ると、彼は急に態度をかえて、
「いけない! いけない!」叱るように、かすれた幅のある声を出した。
 武石は、突然、その懸命な声に、自分が悪いことをしているような感じを抱かせられ、窓から辷(すべ)り落(お)ちた。
 コーリヤは、窓の方へ来かけて、途中、ふとあとかえりをして、扉をぴしゃっと閉めた。暫らく二人は窓の下に佇(たたず)んでいた。丘の上の、雪に蔽(おお)われた家々には、灯がきらきら光っていた。武石は、そこにも女がいることを思った。吉永が、温かい茶をのみながら、リーザと名残を惜んでいるかも知れない。やせぎすな、小柄なリーザに、イイシまで一緒に行くことをすすめているだろう。多分、彼も、何かリーザが喜びそうなものを買って持って行っているのに違いない。武石は、小皺(こじわ)のよった、人のよさそうな、吉永の顔を思い浮べた。そして、自から、ほほ笑ましくなった。――吉永は、危険なイイシ守備に行ってしまうのだ。
 丘の上のそこかしこの灯が、カーテンにさえぎられ、ぼつぼつ消えて行った。
「お休み。」
 一番手近の、グドコーフの家から、三四人同年兵が出て行った。歩きながら交す、その話声が、丘の下までひびいて来た。兵営へ帰っているのだ。
 不意に頭の上で、響きのいい朗らかなガーリヤの声がした。二人は、急に、それでよみがえったような気がした。
「ばあ!」彼女は、硝子(ガラス)戸(ど)の中から、二人に笑って見せた。「いらっしゃい、どうぞ。」
 玄関から這入ると、松木は、食堂や、寝室や、それから、も一つの仕事部屋をのぞきこんだ。
「誰れが来ていたんです?」
「少佐[#「マイヨール」と注記]。」
「何?」二人とも言葉を知らなかった。
「マイヨールです。」
「何だろう。マイヨールって。」松木と武石とは顔を見合わした。「振(ま)い寄る[#「寄る」に傍点]と解釈すりゃ、ダンスでもする奴かな。」

   七

 少佐は、松木にとって、笑ってすませる競争者ではなかった。
 二人が玄関から這入って行った、丁度その時、少佐は勝手口から出て来た。彼は不機嫌に怒って、ぷりぷりしていた。十八貫もある、でっぷり肥った、髯(ひげ)のある男だ。彼の靴は、固い雪を蹴散らした。いっぱいに拡がった鼻の孔(あな)は、凍った空気をかみ殺すように吸いこみ、それから、その代りに、もうもうと蒸気を吐き出した。
 彼は、屈辱(!)と憤怒(ふんぬ)に背が焦げそうだった。それを、やっと我慢して押しこらえていた。そして、本部の方へ大股に歩いて行った。……途中で、ふと、彼は、踵(きびす)をかえした。
 つい、今さっきまで、松木と武石とが立っていた窓の下へ少佐は歩みよった。彼は、がん丈で、せいが高かった。つまさきで立ち上らずに、カーテンの隙間から部屋の中が見えた。
 そこには、二人の一等卒が、正宗の四合壜(びん)を立てらして、テーブルに向い合っていた。ガーリヤは、少し上気したような顔をして喋(しゃべ)っている。白い歯がちらちらした。薄荷(はっか)のようにひりひりする唇が微笑している。
 彼は、嫉妬(しっと)と憤怒が胸に爆発した。大隊を指揮する、取っておきのどら声で怒なりつけようとした。その声は、のどの最上部にまで、ぐうぐう押し上げて来た。
 が、彼は、必死の努力で、やっとそれを押しこらえた。そして、前よりも二倍位い大股に、聯隊(れんたい)へとんで帰った。
「女のところで酒をのむなんて、全くけしからん奴だ!」
 営門で捧(ささ)げ銃(つつ)をした歩哨(ほしょう)は何か怒声をあびせかけられた。
 衛兵司令は、大隊長が鞭(むち)で殴りに来やしないか、そのひどい見幕を見て、こんなことを心配した位いだった。
「副官!」
 彼は、部屋に這入るといきなり怒鳴った。
「副官!」
 副官が這入って来ると、彼は、刀もはずさず、椅子に腰を落して、荒い鼻息をしながら、
「速刻不時点呼。すぐだ、すぐやってくれ!」
「はい。」
「それから、炊事場へ露西亜人(ロじん)をよせつけることはならん。残飯は一粒と雖(いえど)も、やることは絶対にならん。厳禁してくれ。」
「はい。」
「よし、それだけだ。」
 副官が、命令を達するために、次の部屋へ引き下ると、彼はまた叫んだ。
「副官!」
「はい。」
「この点呼に、もしもおくれる者があったら、その中隊を、第一中隊の代りに、イイシ守備に行かせること、そうしてくれ、罰としてここには置かない。そうするんだ。――すぐだ、速刻やってくれ!」

   八

 一隊の兵士が雪の中を黙々として歩いて行った。疲れて元気がなかった。雪に落ちこむ大きな防寒靴が、如何にも重く、邪魔物のように感じられた。
 雪は、時々、彼等の脛(すね)にまで達した。すべての者が憂欝(ゆううつ)と不安に襲われていた。中隊長の顔には、焦慮の色が表われている。
 草原も、道も、河も悉(ことごと)く雪に蔽われていた。
 枝に雪をいただいて、それが丁度、枝に雪がなっているように見える枯木が、五六本ずつ所々に散見する外、あたりには何物も見えなかった。どこもかしこも、すべて、まぶしく光っている白い雪ばかりだった。そして、何等の音も、何等の叫びも聞えなかった。ばりばり雪を踏み砕いて歩く兵士の靴音は、空に呑まれるように消えて行った。
 彼等は、早朝から雪の曠野(こうや)を歩いているのであった。彼等は、昼に、パンと乾麺麭(かんめんぽう)をかじり、雪を食ってのどを湿した。
 どちらへ行けばイイシに達しられるか!
 右手向うの小高い丘の上から、銃を片手に提げ、片手に剣鞘を握って、斥候が馳(は)せ下(お)りて来た。彼は、銃が重くって、手が伸びているようだった。そして、雪の上にそれを引きずりながら、馳せていた。松木だった。
 彼は、息を切らし、中隊長の傍まで来ると、引きずっていた銃を如何にも重そうに持ち上げて、「捧げ銃」をした。彼の手は凍って、思う通りに利かなかった。銃は、真直に、形正しく、鼻のさきへ持ち上げることが出来なかった。
 中隊長は、不満げに、彼を睨(にら)んだ。「も一度。そんな捧(ささ)げ銃(つつ)があるか!」その眼は、そう云っているようだった。
 松木は、息切れがして、暫らくものを云うことが出来なかった。鼻孔から、喉頭が、マラソン競走をしたあとのように、乾燥し、硬(こわ)ばりついている。彼は唾液(つばき)を出して、のどを湿そうとしたが、その唾液が出てきなかった。雪の上に倒れて休みたかった。
「どうしたんだ?」
 中隊長は腹立たしげに眼に角立てた。
「道が、どうしても、」松木は息切れがして、つづけてものを云うことが出来なかった。「どうしても、分らないんであります。」
「露助は、どうしてるんだ。」
「はい。スメターニンは、」また息切れがした。「雪で見当がつかんというのであります。」
「仕様がない奴だ。大きな河があって、河の向うに、樅(もみ)の林がある。そういうところは見つからんか、そこへ出りゃ、すぐイイシへ行けるんだ。」
「はい。」
「露助にやかましく云って案内さして見ろ!」
 中隊長は歩きながら、腹立たしげに、がみがみ云った。「場合によっては銃剣をさしつ
けてもかまわん。あいつが、パルチザンと策応して、わざと道を迷わしとるのかもしれん。それをよく監視せにゃいかんぞ!」
「はい。」
 松木は、若(も)し交代さして貰えるかと、ひそかにそんなことをあてにして、暫らく中隊長の傍を並んで歩いていた。
 彼は蒼くなって居た。身体中の筋肉が、ぶちのめされるように疲れている。頭がぼんやりして耳が鳴る。
 だが、中隊長は、彼を休ませようとはしなかった。
「おい行くんだ。もっとよく探して見ろ!」
 ふらふら歩いていた松木は、疲れた老馬が鞭(むち)のために、最後の力を搾るように、また、銃を引きずって、向うへ馳(は)せ出(だ)した。
「おい、松木!」中隊長は呼び止めた。「道を探すだけでなしに、パルチザンがいやしないか、家があるか、鉄道が見えるか、よく気をつけてやるんだぞ。」
「はい。」
 斥候は、やがて、丘を登って、それから向うの谷かげに消えてしまった。そこには武石と、道案内のスメターニンとが彼を待っていた。
 松木と武石とは、朝、本隊を出発して以来つづけて斥候に出されているのであった。
 中隊長は、不機嫌に、二人に怒声をあびせかけた。
「中隊がイイシ守備に行かなけりゃならんのは誰れのためだと思うんだ! お前等、二人が脱柵(だっさく)して女のところで遊びよったせいじゃないか!」彼は、心から怒っているような眼で二人をにらみつけた。「中隊長は、皆んなを危険なところへは曝(さら)しとうない。中隊が可愛いいんだ。それを、危険なところへ行かなけりゃならんようにしたのは、貴様等二人だぞ! 軍人にあるまじきことだ!」
 そして二人は骨の折れる、危険な勤務につかせられた。
 松木と武石とは、雪の深い道を中隊から十町ばかりさきに出て歩いた。そして見た状勢を、馳(か)け足(あし)で、うしろへ引っかえして報告した。報告がすむと、また前に出て行くことを命じられた。雪は深く、そしてまぶしかった。二人は常に、前方と左右とに眼を配って行かなければならなかった。報告に、息せき息せき引っかえすたびに、中隊長は、不満げに、腹立たしそうな声で何か欠点を見つけてどなりつけた。
 雪の上に腰を落して休んでいた武石は、
「まだ交代さしてくれんのか。」ときいた。
「ああ。」松木の声にも元気がなかった。
「弱ったなア――俺れゃ、もうそこで凍(こご)え死んでしまう方がましだ!」
 武石は泣き出しそうに吐息をついた。
 二人は、スメターニンと共に、また歩きだした。丘を下ると、浅い谷があった。それから、緩慢な登りになっていた。それを行くと、左手には、けわしい山があった。右には、雪の曠野(こうや)が遥か遠くへ展開している。
 山へ登ってみよう、とスメターニンが云いだした。山から見下せば地理がはっきり分るかもしれなかった。それには、しかし、中隊が麓(ふもと)へ到着するまでに登って、様子を見て、おりてきなければならなかった。そうしなければ、また中隊長がやかましく云うのだ。
 山のひだは、一層、雪が深かった。松木と武石とは、銃を杖にしてよじ登った。そこには熊の趾跡(あしあと)があった。それから、小さい、何か分らぬ野獣の趾跡が到るところに印されていた。蓬(よもぎ)が雪に蔽(おお)われていた。灌木(かんぼく)の株に靴が引っかかった。二人は、熱病のように頭がふらふらした。何もかも取りはずして、雪の上に倒れて休みたかった。
 山は頂上で、次の山に連っていた。そしてそれから、また次の山が、丁度、珠数(じゅず)のように遠くへ続いていた。
 遠く彼方の地平線まで白い雪ばかりだ。スメターニンはやはり見当がつかなかった。
 中隊は、丘の上を蟻のように遅々としてやって来ていた。それは、広い、はてしのない雪の曠野で、実に、二三匹の蟻にも比すべき微々たるものであった。
「どっちへでもいい、ええかげんで連れてって呉れよ。」二人はやけになった。
「あんまり追いたてるから、なお分らなくなっちまったんだ。」
 スメターニンは、毛皮の帽子をぬいで額の汗を拭いた。

   九

 薄く、そして白い夕暮が、曠野全体を蔽い迫ってきた。
 どちらへ行けばいいのか!
 疲れて、雪の中に倒れ、そのまま凍死してしまう者があるのを松木はたびたび聞いていた。
 疲労と空腹は、寒さに対する抵抗力を奪い去ってしまうものだ。
 一個中隊すべての者が雪の中で凍死する、そんなことがあるものだろうか? あってもいいものだろうか?
 少佐の性慾の××になったのだ。兵卒達はそういうことすら知らなかった。
 何故、シベリアへ来なければならなかったか。それは、だれによこされたのか? そういうことは、勿論、雲の上にかくれて彼等、には分らなかった。
 われわれは、シベリアへ来たくなかったのだ。むりやりに来させられたのだ。――それすら、彼等は、今、殆んど忘れかけていた。
 彼等の思っていることは、死にたくない。どうにかして雪の中から逃がれて、生きていたい。ただそればかりであった。
 雪の中へ来なければならなくせしめたものは、松木と武石とだ。
 そして、道を踏み迷わせたのも松木と武石とだ。――彼等は、そんな風に思っていた。それより上に、彼等に魔の手が強く働いていることは、兵士達には分らなかった。
 彼等が、いくらあせっても、行くさきにあるものは雪ばかりだった。彼等の四肢は麻痺(まひ)してきだした。意識が遠くなりかけた。破れ小屋でもいい、それを見つけて一夜を明かしたい!
 だが、どこまで行っても雪ばかりだ。……
 最初に倒れたのは、松木だった。それから武石だった。
 松木は、意識がぼっとして来たのは、まだ知っていた。だが、まもなく頭がくらくらして前後が分らなくなった。そして眠るように、意識は失われてしまった。
 彼の四肢は凍った。そして、やがて、身体全体が固く棒のように硬ばって動かなくなった。

 ……雪が降った。
 白い曠野(こうや)に、散り散りに横たわっている黄色の肉体は、埋められて行った。雪は降った上に降り積った。倒れた兵士は、雪に蔽(おお)われ、暫らくするうちに、背嚢(はいのう)も、靴も、軍帽も、すべて雪の下にかくれて、彼等が横たわっている痕跡(こんせき)は、すっかり分らなくなってしまった。
 雪は、なお、降りつづいた。……

   一〇

 春が来た。
 太陽が雲間からにこにこかがやきだした。枯木にかかっていた雪はいつのまにか落ちてしまった。雀の群が灌木(かんぼく)の間をにぎやかに囀(さえず)り、嬉々としてとびまわった。
 鉄橋を渡って行く軍用列車の轟(とどろ)きまでが、のびのびとしてきたようだ。
 積っていた雪は解け、雨垂れが、絶えず、快い音をたてて樋(とい)を流れる。
 吉永の中隊は、イイシに分遣されていた。丘の上の木造の建物を占領して、そこにいる。兵舎の樋から落ちた水は、枯れた芝生の間をくぐって、谷間へ小さな急流をなして流れていた。
 松木と武石との中隊が、行衛不明(ゆくめい)になった時、大隊長は、他の中隊を出して探索さした。大隊長は、心配そうな顔もしてみせた。遺族に対して申訳がない、そんなことも云った。――しかし、内心では、何等の心配をも感じてはいない。ばかりでなく、むしろ清々していた。気にかかるのは、師団長にどういう報告書を出すか、その事の方が大事であった。
 一週間探した。しかし、行衛は依然として分らなかった。少佐は、もうそのことは、全然忘れてしまっているようだった。彼は、本部の二階からガーリヤの家の方を眺めて、口笛で、「赤い夕日」を吹いたりした。
 春が来た。だが、あの一個中隊が、どこでどうして消えてしまったのか、今だにあとかたも分らなかった。
 吉永は、丘の上の兵営から、まだ、すっかり雪の解けきらない広漠たる曠野を見渡しながら、自分がよくも今まで生きてこられたものだ、とひそかに考えていた。あの時、自分達の中隊が、さきに分遣されることになっていたのだ。それがどうしたのか、出発の前日に変更されてしまった。彼の中隊が、橇(そり)でなく徒歩でやって来ていたならば、彼も、今頃、どこで自分の骨を見も知らぬ犬にしゃぶられているか分らないのだ。
 徒歩で深い雪の中へ行けば、それは、死に行くようなものだ。
 彼等をシベリアへよこした者は、彼等が、×××餌食(えじき)になろうが、狼に食い×××ようが、屁(へ)とも思っていやしないのだ。二人や三人が死ぬことは勿論である。二百人死のうが何でもない。兵士の死ぬ事を、チンコロが一匹死んだ程にも考えやしない。代りはいくらでもあるのだ。それは、令状一枚でかり出して来られるのだ。……
 丘の左側には汽車が通っていた。
 河があった。そこには、まだ氷が張っていた。牛が、ほがほがその上を歩いていた。
 右側には、はてしない曠野があった。
 枯木が立っていた。解けかけた雪があった。黒い烏の群が、空中に渦巻いていた。陰欝(いんうつ)に唖々(ああ)と鳴き交すその声は、丘の兵舎にまで、やかましく聞えてきた。それは、地平線の隅々からすべての烏が集って来たかと思われる程、無数に群がり、夕立雲のように空を蔽わぬばかりだった。
 烏はやがて、空から地平をめがけて、騒々しくとびおりて行った。そして、雪の中を執念(しゅうね)くかきさがしていた。
 その群は、昨日も集っていた。
 そして、今日もいる。
 三日たった。しかし、烏は、数と、騒々しさと、陰欝さとを増して来るばかりだった。
 或る日、村の警衛に出ていた兵士は、露西亜(ロア)の百姓が、銃のさきに背嚢を引っかけて、肩にかついで帰って来るのに出会した。銃も背嚢も日本のものだ。
「おい、待て! それゃ、どっから、かっぱらって来たんだ?」
「あっちだよ。」髯(ひげ)もじゃの百姓は、大きな手をあげて、烏が群がっている曠野を指さした。
「あっちに落ちとったんだ。」
「うそ云え!」
「あっちだ。あっちの雪の中に沢山落ちとるんだ。……兵タイも沢山死んどるだ。」
「うそ云え!」兵士は、百姓の頬をぴしゃりとやった。「一寸来い。中隊まで来い!」
 日本の兵士が雪に埋れていることが明かになった。背嚢の中についていた記号は、それが、松木と武石の中隊のものであることを物語った。
 翌日中隊は、早朝から、烏が渦巻いている空の下へ出かけて行った。烏は、既に、浅猿(あさま)しくも、雪の上に群がって、貪慾(どんよく)な嘴(くちばし)で、そこをかきさがしつついていた。
 兵士達が行くと、烏は、かあかあ鳴き叫び、雲のように空へまい上った。
 そこには、半ば貪(むさぼ)り啄(つつ)かれた兵士達の屍(しかばね)が散り散りに横たわっていた。顔面はさんざんに傷(そこな)われて見るかげもなくなっていた。
 雪は半ば解けかけていた。水が靴にしみ通ってきた。
 やかましく鳴き叫びながら、空に群がっている烏は、やがて、一町ほど向うの雪の上へおりて行った。
 兵士は、烏が雪をかきさがし、つついているのを見つけては、それを追っかけた。
 烏は、また、鳴き叫びながら、空に廻(ま)い上(あが)って、二三町さきへおりた。そこにも屍があった。兵士はそれを追っかけた。
 烏は、次第に遠く、一里も、二里も向うの方まで、雪の上におりながら逃げて行った。

春の夜

芥川龍之介




 これは近頃Nさんと云う看護婦に聞いた話である。Nさんは中々利(き)かぬ気らしい。いつも乾いた唇(くちびる)のかげに鋭い犬歯(けんし)の見える人である。
 僕は当時僕の弟の転地先の宿屋の二階に大腸加答児(だいちょうる)を起して横になっていた。下痢(げり)は一週間たってもとまる気色(けしき)は無い。そこで元来は弟のためにそこに来ていたNさんに厄介(やっかい)をかけることになったのである。
 ある五月雨(さみだれ)のふり続いた午後、Nさんは雪平(ゆきひら)に粥(かゆ)を煮ながら、いかにも無造作(むぞうさ)にその話をした。

     ×   ×   ×

 ある年の春、Nさんはある看護婦会から牛込(うしごめ)の野田(のだ)と云う家(うち)へ行(ゆ)くことになった。野田と云う家には男主人はいない。切(き)り髪(がみ)にした女隠居(おんないんきょ)が一人、嫁入(よめい)り前(まえ)の娘が一人、そのまた娘の弟が一人、――あとは女中のいるばかりである。Nさんはこの家(うち)へ行った時、何か妙に気の滅入(めい)るのを感じた。それは一つには姉も弟も肺結核(はいけっかく)に罹(かか)っていたためであろう。けれどもまた一つには四畳半の離れの抱えこんだ、飛び石一つ打ってない庭に木賊(とくさ)ばかり茂っていたためである。実際その夥(おびただ)しい木賊はNさんの言葉に従えば、「胡麻竹(ごだけ)を打った濡(ぬ)れ縁さえ突き上げるように」茂っていた。
 女隠居は娘を雪(ゆき)さんと呼び、息子(むすこ)だけは清太郎(せいろう)と呼び捨てにしていた。雪さんは気の勝った女だったと見え、熱の高低を計(はか)るのにさえ、Nさんの見たのでは承知せずに一々検温器を透(す)かして見たそうである。清太郎は雪さんとは反対にNさんに世話を焼かせたことはない。何(なん)でも言うなりになるばかりか、Nさんにものを言う時には顔を赤めたりするくらいである。女隠居はこう云う清太郎よりも雪さんを大事にしていたらしい。その癖病気の重いのは雪さんよりもむしろ清太郎だった。
「あたしはそんな意気地(いじ)なしに育てた覚えはないんだがね。」
 女隠居は離れへ来る度に(清太郎は離れに床(とこ)に就(つ)いていた。)いつもつけつけと口小言(くちごと)を言った。が、二十一になる清太郎は滅多(めった)に口答えもしたこともない。ただ仰向(あおむ)けになったまま、たいていはじっと目を閉じている。そのまた顔も透(す)きとおるように白い。Nさんは氷嚢(ひょうのう)を取り換えながら、時々その頬(ほお)のあたりに庭一ぱいの木賊(とくさ)の影が映(うつ)るように感じたと云うことである。
 ある晩の十時前(まえ)に、Nさんはこの家(うち)から二三町離れた、灯(ひ)の多い町へ氷を買いに行った。その帰りに人通りの少ない屋敷続きの登り坂へかかると、誰か一人(ひとり)ぶらさがるように後ろからNさんに抱(だ)きついたものがある。Nさんは勿論びっくりした。が、その上にも驚いたことには思わずたじたじとなりながら、肩越しに相手をふり返ると、闇の中にもちらりと見えた顔が清太郎と少しも変らないことである。いや、変らないのは顔ばかりではない。五分刈(ごが)りに刈った頭でも、紺飛白(こんがすり)らしい着物でも、ほとんど清太郎とそっくりである。しかしおとといも喀血(かっけつ)した患者(かんじゃ)の清太郎が出て来るはずはない。況(いわん)やそんな真似(まね)をしたりするはずはない。
姐(ねえ)さん、お金をおくれよう。」
 その少年はやはり抱(だ)きついたまま、甘えるようにこう声をかけた。その声もまた不思議にも清太郎の声ではないかと思うくらいである。気丈(きじょう)なNさんは左の手にしっかり相手の手を抑えながら、「何です、失礼な。あたしはこの屋敷のものですから、そんなことをおしなさると、門番の爺(じい)やさんを呼びますよ」と言った。
 けれども相手は不相変(あいかわらず)「お金をおくれよう」を繰り返している。Nさんはじりじり引き戻されながら、もう一度この少年をふり返った。今度もまた相手の目鼻立ちは確かに「はにかみや」の清太郎である。Nさんは急に無気味(ぶみ)になり、抑えていた手を緩(ゆる)めずに出来るだけ大きい声を出した。
「爺やさん、来て下さい!」
 相手はNさんの声と一しょに、抑えられていた手を振りもぎろうとした。同時にまたNさんも左の手を離した。それから相手がよろよろする間(ま)に一生懸命に走り出した。
 Nさんは息を切らせながら、(後(あと)になって気がついて見ると、風呂敷(ふしき)に包んだ何斤(なんぎん)かの氷をしっかり胸に当てていたそうである。)野田の家(うち)の玄関へ走りこんだ。家の中は勿論ひっそりしている。Nさんは茶の間(ま)へ顔を出しながら、夕刊をひろげていた女隠居にちょっと間(ま)の悪い思いをした。
「Nさん、あなた、どうなすった?」
 女隠居はNさんを見ると、ほとんど詰(なじ)るようにこう言った。それは何もけたたましい足音に驚いたためばかりではない。実際またNさんは笑ってはいても、体の震(ふる)えるのは止(と)まらなかったからである。
「いえ、今そこの坂へ来ると、いたずらをした人があったものですから、……」
「あなたに?」
「ええ、後(うしろ)からかじりついて、『姐(ねえ)さん、お金をおくれよう』って言って、……」
「ああ、そう言えばこの界隈(かいわい)には小堀(こぼり)とか云う不良少年があってね、……」
 すると次の間(ま)から声をかけたのはやはり床(とこ)についている雪さんである。しかもそれはNさんには勿論(もちろん)、女隠居にも意外だったらしい、妙に険(けん)のある言葉だった。
「お母様(かあさま)、少し静かにして頂戴(ちょうだい)。」
 Nさんはこう云う雪さんの言葉に軽い反感――と云うよりもむしろ侮蔑(ぶべつ)を感じながら、その機会に茶の間(ま)を立って行った。が、清太郎に似た不良少年の顔は未(いま)だに目の前に残っている。いや、不良少年の顔ではない。ただどこか輪郭(りんかく)のぼやけた清太郎自身の顔である。
 五分ばかりたった後(のち)、Nさんはまた濡(ぬ)れ縁(えん)をまわり、離れへ氷嚢(ひょうのう)を運んで行った。清太郎はそこにいないかも知れない、少くとも死んでいるのではないか?――そんな気もNさんにはしないではなかった。が、離れへ行って見ると、清太郎は薄暗い電燈の下(した)に静かにひとり眠っている。顔もまた不相変(あいかわらず)透きとおるように白い。ちょうど庭に一ぱいに伸びた木賊(とくさ)の影の映(うつ)っているように。
「氷嚢をお取り換え致しましょう。」
 Nさんはこう言いかけながら、後ろが気になってならなかった。

     ×   ×   ×

 僕はこの話の終った時、Nさんの顔を眺めたまま多少悪意のある言葉を出した。
「清太郎?――ですね。あなたはその人が好きだったんでしょう?」
「ええ、好きでございました。」
 Nさんは僕の予想したよりも遥(はる)かにさっぱりと返事をした。
(大正十五年八月十二日)

◆本文中で使われている外字
※(かねまた)で

※々直ぐ東京が

サモ※ール

◆電子テキスト化スタッフ等一覧
●放浪
底本:「定本織田作之助全集 第一巻」文泉堂出版株式会社
   1976(昭和51)年4月25日発行
入力:小林繁雄
校正:伊藤時也
●秋風記
底本:「太宰治全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1988年9月27日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集」筑摩書房
   1975年6月から1976年6月刊行
入力:柴田卓治
校正:小林繁雄
●橡の花
底本:「檸檬」新潮文庫、新潮社
   1967(昭和42)年12月10日初版発行
   1990(平成2)年1月20日46刷
入力:田中久太郎
校正:久保あきら
●渦巻ける烏の群
底本:「昭和文学全集32 中短編小説集」小学館
   1989(平成1)年8月1日初版発行
底本の親本:「黒島伝治全集 第1巻」筑摩書房
   1970(昭和45)年4月初版発行
入力:大野裕
校正:Juki
●春の夜
底本:筑摩書房刊 ちくま文庫『芥川龍之介全集6』
   一九八七(昭和六二)年三月二四日第1刷発行
   一九九三(平成五)年二月二五日第6刷発行
親本:筑摩全集類聚版芥川龍之介全集
   一九七一(昭和四六)年三月〜一一月に刊行

アンソロジー編:浜野 智
ちへいせん公開:二〇〇〇年一〇月

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