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青空文庫アンソロジー−4

狐のお話
新美南吉

 新美南吉は、狐の話をいくつも書いた。童話だけでなく、詩にも、童謡のための詞にも書いた。
 このアンソロジーは、南吉童話を代表する「ごん狐」「手袋を買いに」「狐」の3作に詩2編、幼年向け童話の草稿1編を加えてつくった。


●目次
詩と草稿
ごん狐
手袋を買いに


[表記について]
●ルビは「漢字(ルビ)」の形式で処理した。

詩と草稿


詩 赤狐

  向ひ山の
  林で赤狐が
  鳴いた。

  青い月夜にゃ
  煙草ほしやと
  鳴いた。

  煙草持つていたら
  酒がほしやと
  鳴いた。

  酒を持つていたら
  辛子(なんば)ほしやと
  鳴いた。

  種ケ島持つていて
  どんと撃つて
  のけよか。
     (1934年)


詩 月夜の話

  汽車は
  月夜を
  走つてた

  狐は
  森で
  鳴いてゐた

  猟銃(ほづつ)は
  壁から
  下つてた

  ランプは
  杳かに
  匂つてた。
     (1935年)


草稿 狐のつかひ

 山のなかに、猿や鹿や狼や狐などがいつしよにすんでをりました。
 みんなはひとつの行燈(あんどん)をもつてゐました。紙ではつた四角な小さい行燈でありました。
 夜がくると、みんなはこの行燈に灯をともしたのでありました。
 あるひの夕方、みんなは行燈の油がもうなくなつてゐることに気がつきました。
 そこで誰かが、村の油屋まで油を買ひにゆかねばなりません。さて誰がいつたものでせう。
 みんなは村にゆくことがすきではありませんでした。村にはみんなのきらひな猟師と犬がゐたからであります。
「それではわたしがいきませう。」
とそのときいつたものがありました。狐です。狐は人間の子供にばけることができたからでありました。
 そこで、狐のつかひときまりました。やれやれとんだことになりました。
 さて狐は、うまく人間の子供にばけて、しりきれざうりを、ひたひたとひきずりながら、村へゆきました。そして、しゆびよく油を一合かひました。
 かへりに狐が、月夜のなたねばたけのなかを歩いてゐますと、たいへんよいにほひがします。気がついてみれば、それは買つてきた油のにほひでありました。
「すこしぐらゐは、よいだらう。」
といつて、狐はぺろりと油をなめました。これはまた何といふおいしいものでせう。
 狐はしばらくすると、またがまんができなくなりました。
「すこしぐらゐはよいだらう。わたしの舌は大きくない。」
といつて、またぺろりとなめました。
 しばらくしてまたぺろり。
 狐の舌は小さいので、ぺろりとなめてもわずかなことです。しかし、ぺろりぺろりがなんどもかさなれば、一合の油もなくなつてしまひます。
 かうして、山につくまでに、狐は油をすつかりなめてしまひ、もつてかへつたのは、からのとくりだけでした。
 待つてゐた鹿や猿や狼は、からのとくりを見てためいきをつきました。これでは、こんやは行燈(あんどん)がともりません。みんなは、がつかりして思ひました、
「さてさて。狐をつかひにやるのぢやなかつた。」
(1941年末〜1942年2月・推定)


ごん狐


   一
 これは、私(わたし)が小さいときに、村の茂平(もへい)というおじいさんからきいたお話です。
 むかしは、私たちの村のちかくの、中山(なかやま)というところに小さなお城があって、中山さまというおとのさまが、おられたそうです。
 その中山から、少しはなれた山の中に、「ごん狐(ぎつね)」という狐がいました。ごんは、一人(ひとり)ぼっちの小狐で、しだ[#「しだ」に傍点]の一ぱいしげった森の中に穴ををほって住んでいました。そして、夜でも昼でも、あたりの村へ出てきて、いたずらばかりしました。はたけへ入って芋をほりちらしたり、菜種(なたね)がら[#「がら」に傍点]の、ほしてあるのへ火をつけたり、百姓家(ひゃくしょうや)の裏手につるしてあるとんがらしをむしりとって、いったり、いろんなことをしました。
 或秋(あるあき)のことでした。二、三日雨がふりつづいたその間(あいだ)、ごんは、外へも出られなくて穴の中にしゃがんでいました。
 雨があがると、ごんは、ほっとして穴からはい出ました。空はからっと晴れていて、百舌鳥(もず)の声がきんきん、ひびいていました。
 ごんは、村の小川(おがわ)の堤(つつみ)まで出て来ました。あたりの、すすきの穂には、まだ雨のしずくが光っていました。川は、いつもは水が少(すくな)いのですが、三日もの雨で、水が、どっとましていました。ただのときは水につかることのない、川べりのすすきや、萩(はぎ)の株が、黄いろくにごった水に横だおしになって、もまれています。ごんは川下(かわしも)の方へと、ぬかるみみちを歩いていきました。
 ふと見ると、川の中に人がいて、何かやっています。ごんは、見つからないように、そうっと草の深いところへ歩きよって、そこからじっとのぞいてみました。
 「兵十(ひょうじゅう)だな」と、ごんは思いました。兵十はぼろぼろの黒いきものをまくし上げて、腰のところまで水にひたりながら、魚をとる、はりきり[#「はりきり」に傍点]という、網をゆすぶっていました。はちまきをした顔の横っちょうに、まるい萩の葉が一まい、大きな黒子(ほくろ)みたいにへばりついていました。
 しばらくすると、兵十は、はりきり[#「はりきり」に傍点]網の一ばんうしろの、袋のようになったところを、水の中からもちあげました。その中には、芝の根や、草の葉や、くさった木ぎれなどが、ごちゃごちゃはいっていましたが、でもところどころ、白いものがきらきら光っています。それは、ふというなぎ[#「うなぎ」に傍点]の腹や、大きなきす[#「きす」に傍点]の腹でした。兵十は、びくの中へ、そのうなぎやきすを、ごみと一しょにぶちこみました。そして、また、袋の口をしばって、水の中へ入れました。
 兵十はそれから、びくをもって川から上(あが)りびくを土手(どて)においといて、何をさがしにか、川上(かわかみ)の方へかけていきました。
 兵十がいなくなると、ごんは、ぴょいと草の中からとび出して、びくのそばへかけつけました。ちょいと、いたずらがしたくなったのです。ごんはびくの中の魚をつかみ出しては、はりきり[#「はりきり」に傍点]網のかかっているところより下手(しもて)の川の中を目がけて、ぽんぽんなげこみました。どの魚も、「とぼん」と音を立てながら、にごった水の中へもぐりこみました。
 一ばんしまいに、太いうなぎをつかみにかかりましたが、何しろぬるぬるとすべりぬけるので、手ではつかめません。ごんはじれったくなって、頭をびくの中につッこんで、うなぎの頭を口にくわえました。うなぎは、キュッと言ってごんの首へまきつきました。そのとたんに兵十が、向うから、
 「うわアぬすと狐め」と、どなりたてました。ごんは、びっくりしてとびあがりました。うなぎをふりすててにげようとしましたが、うなぎは、ごんの首にまきついたままはなれません。ごんはそのまま横っとびにとび出して一しょうけんめいに、にげていきました。
 ほら穴の近くの、はん[#「はん」に傍点]の木の下でふりかえって見ましたが、兵十は追っかけては来ませんでした。
 ごんは、ほっとして、うなぎの頭をかみくだき、やっとはずして穴のそとの、草の葉の上にのせておきました。

   二
 十日(とおか)ほどたって、ごんが、弥助(やすけ)というお百姓の家の裏を通りかかりますと、そこの、いちじくの木のかげで、弥助の家内(かない)が、おはぐろをつけていました。鍛冶屋(かじや)の新兵衛(しんべえ)の家のうらを通ると、新兵衛の家内が髪をすいていました。ごんは、
 「ふふん、村に何かあるんだな」と、思いました。
 「何(なん)だろう、秋祭かな。祭なら、太鼓や笛の音がしそうなものだ。それに第一、お宮にのぼりが立つはずだが」
 こんなことを考えながらやって来ますと、いつの間(ま)にか、表に赤い井戸のある、兵十の家の前へ来ました。その小さな、こわれかけた家の中には、大勢(おおぜい)の人があつまっていました。よそいきの着物を着て、腰に手拭(てぬぐい)をさげたりした女たちが、表のかまどで火をたいています。大きな鍋(なべ)の中では、何かぐずぐず煮えていました。
 「ああ、葬式だ」と、ごんは思いました。
 「兵十の家のだれが死んだんだろう」
 お午(ひる)がすぎると、ごんは、村の墓地へ行って、六地蔵(ろくじぞう)さんのかげにかくれていました。いいお天気で、遠く向うには、お城の屋根瓦(やねがわら)が光っています。墓地には、ひがん花(ばな)が、赤い布(きれ)のようにさきつづいていました。と、村の方から、カーン、カーン、と、鐘(かね)が鳴って来ました。葬式の出る合図(あいず)です。
 やがて、白い着物を着た葬列のものたちがやって来るのがちらちら見えはじめました。話声(はなしごえ)も近くなりました。葬列は墓地へはいって来ました。人々が通ったあとには、ひがん花が、ふみおられていました。
 ごんはのびあがって見ました。兵十が、白いかみしもをつけて、位牌(いはい)をささげています。いつもは、赤いさつま芋(いも)みたいな元気のいい顔が、きょうは何だかしおれていました。
 「ははん、死んだのは兵十のおっ母(かあ)だ」
 ごんはそう思いながら、頭をひっこめました。
 その晩、ごんは、穴の中で考えました。
 「兵十のおっ母は、床(とこ)についていて、うなぎが食べたいと言ったにちがいない。それで兵十がはりきり[#「はりきり」に傍点]網をもち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎをとって来てしまった。だから兵十は、おっ母にうなぎを食べさせることができなかった。そのままおっ母は、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいとおもいながら、死んだんだろう。ちょッ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」


   三
 兵十が、赤い井戸のところで、麦をといでいました。
 兵十は今まで、おっ母と二人(ふたり)きりで、貧しいくらしをしていたもので、おっ母が死んでしまっては、もう一人ぼっちでした。
 「おれと同じ一人ぼっちの兵十か」
 こちらの物置(ものおき)の後(うしろ)から見ていたごんは、そう思いました。
 ごんは物置のそばをはなれて、向うへいきかけますと、どこかで、いわしを売る声がします。
 「いわしのやすうりだアい。いきのいいいわしだアい」
 ごんは、その、いせいのいい声のする方へ走っていきました。と、弥助(やすけ)のおかみさんが、裏戸口から、
 「いわしをおくれ。」と言いました。いわし売(うり)は、いわしのかごをつんだ車を、道ばたにおいて、ぴかぴか光るいわしを両手でつかんで、弥助の家の中へもってはいりました。ごんはそのすきまに、かごの中から、五、六ぴきのいわしをつかみ出して、もと来た方へかけだしました。そして、兵十の家の裏口から、家の中へいわしを投げこんで、穴へ向(むか)ってかけもどりました。途中の坂の上でふりかえって見ますと、兵十がまだ、井戸のところで麦をといでいるのが小さく見えました。
 ごんは、うなぎのつぐないに、まず一つ、いいことをしたと思いました。
 つぎの日には、ごんは山で栗(くり)をどっさりひろって、それをかかえて、兵十の家へいきました。裏口からのぞいて見ますと、兵十は、午飯(ひるめし)をたべかけて、茶椀(ちゃわん)をもったまま、ぼんやりと考えこんでいました。へんなことには兵十の頬(ほっ)ぺたに、かすり傷がついています。どうしたんだろうと、ごんが思っていますと、兵十がひとりごとをいいました。
 「一たいだれが、いわしなんかをおれの家へほうりこんでいったんだろう。おかげでおれは、盗人(ぬすびと)と思われて、いわし屋のやつに、ひどい目にあわされた」と、ぶつぶつ言っています。
 ごんは、これはしまったと思いました。かわいそうに兵十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんな傷までつけられたのか。
 ごんはこうおもいながら、そっと物置の方へまわってその入口に、栗をおいてかえりました。
 つぎの日も、そのつぎの日もごんは、栗をひろっては、兵十の家へもって来てやりました。そのつぎの日には、栗ばかりでなく、まつたけも二、三ぼんもっていきました。

   四
 月のいい晩でした。ごんは、ぶらぶらあそびに出かけました。中山さまのお城の下を通ってすこしいくと、細い道の向うから、だれか来るようです。話声が聞えます。チンチロリン、チンチロリンと松虫が鳴いています。
 ごんは、道の片がわにかくれて、じっとしていました。話声はだんだん近くなりました。それは、兵十と加助(かすけ)というお百姓でした。
 「そうそう、なあ加助」と、兵十がいいました。
 「ああん?」
 「おれあ、このごろ、とてもふしぎなことがあるんだ」
 「何が?」
 「おっ母が死んでからは、だれだか知らんが、おれに栗やまつたけなんかを、まいにちまいにちくれるんだよ」
 「ふうん、だれが?」
 「それがわからんのだよ。おれの知らんうちに、おいていくんだ」
 ごんは、ふたりのあとをつけていきました。
 「ほんとかい?」
 「ほんとだとも。うそと思うなら、あした見に来(こ)いよ。その栗を見せてやるよ」
 「へえ、へんなこともあるもんだなア」
 それなり、二人はだまって歩いていきました。
 加助がひょいと、後(うしろ)を見ました。ごんはびくっとして、小さくなってたちどまりました。加助は、ごんには気がつかないで、そのままさっさとあるきました。吉兵衛(きちべえ)というお百姓の家まで来ると、二人はそこへはいっていきました。ポンポンポンポンと木魚(もくぎょ)の音がしています。窓の障子(しょうじ)にあかりがさしていて、大きな坊主頭(ぼうずあたま)がうつって動いていました。ごんは、
 「おねんぶつがあるんだな」と思いながら井戸のそばにしゃがんでいました。しばらくすると、また三人ほど、人がつれだって吉兵衛の家へはいっていきました。お経を読む声がきこえて来ました。

   五
 ごんは、おねんぶつがすむまで、井戸のそばにしゃがんでいました。兵十と加助は、また一しょにかえっていきます。ごんは、二人の話をきこうと思って、ついていきました。兵十の影法師(かげぼうし)をふみふみいきました。
 お城の前まで来たとき、加助が言い出しました。
 「さっきの話は、きっと、そりゃあ、神さまのしわざだぞ」
 「えっ?」と、兵十はびっくりして、加助の顔を見ました。
 「おれは、あれからずっと考えていたが、どうも、そりゃ、人間じゃない、神さまだ、神さまが、お前がたった一人になったのをあわれに思わっしゃって、いろんなものをめぐんで下さるんだよ」
 「そうかなあ」
 「そうだとも。だから、まいにち神さまにお礼を言うがいいよ」
 「うん」
 ごんは、へえ、こいつはつまらないなと思いました。おれが、栗や松たけを持っていってやるのに、そのおれにはお礼をいわないで、神さまにお礼をいうんじゃア、おれは、引き合わないなあ。


 そのあくる日もごんは、栗をもって、兵十の家へ出かけました。兵十は物置で縄(なわ)をなっていました。それでごんは家の裏口から、こっそり中へはいりました。
 そのとき兵十は、ふと顔をあげました。と狐が家の中へはいったではありませんか。こないだうなぎをぬすみやがったあのごん狐めが、またいたずらをしに来たな。
 「ようし。」
 兵十は立ちあがって、納屋(なや)にかけてある火縄銃(ひなわじゅう)をとって、火薬をつめました。
 そして足音をしのばせてちかよって、今戸口を出ようとするごんを、ドンと、うちました。ごんは、ばたりとたおれました。兵十はかけよって来ました。家の中を見ると、土間(どま)に栗が、かためておいてあるのが目につきました。
 「おや」と兵十は、びっくりしてごんに目を落しました。
 「ごん、お前(まい)だったのか。いつも栗をくれたのは」
 ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
 兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。青い煙が、まだ筒口(つつぐち)から細く出ていました。
手袋を買いに


 寒い冬が北方から、狐(きつね)の親子の棲(す)んでいる森へもやって来ました。
 或朝(あるあさ)洞穴(ほらあな)から子供の狐が出ようとしましたが、
 「あっ」と叫んで眼(め)を抑(おさ)えながら母さん狐のところへころげて来ました。
 「母ちゃん、眼に何か刺さった、ぬいて頂戴(ちょうだい)早く早く」と言いました。
 母さん狐がびっくりして、あわてふためきながら、眼を抑えている子供の手を恐る恐るとりのけて見ましたが、何も刺さってはいませんでした。母さん狐は洞穴の入口から外へ出て始めてわけが解(わか)りました。昨夜のうちに、真白な雪がどっさり降ったのです。その雪の上からお陽(ひ)さまがキラキラと照(てら)していたので、雪は眩(まぶ)しいほど反射していたのです。雪を知らなかった子供の狐は、あまり強い反射をうけたので、眼に何か刺さったと思ったのでした。
 子供の狐は遊びに行きました。真綿(まわた)のように柔(やわら)かい雪の上を駈(か)け廻(まわ)ると、雪の粉(こ)が、しぶきのように飛び散って小さい虹(にじ)がすっと映るのでした。
 すると突然、うしろで、
 「どたどた、ざーっ」と物凄(ものすご)い音がして、パン粉のような粉雪(こなゆき)が、ふわーっと子狐におっかぶさって来ました。子狐はびっくりして、雪の中にころがるようにして十米(メートル)も向こうへ逃げました。何だろうと思ってふり返って見ましたが何もいませんでした。それは樅(もみ)の枝から雪がなだれ落ちたのでした。まだ枝と枝の間から白い絹糸のように雪がこぼれていました。
 間もなく洞穴へ帰って来た子狐は、
 「お母ちゃん、お手々が冷たい、お手々がちんちんする」と言って、濡(ぬ)れて牡丹色(ぼたんいろ)になった両手を母さん狐の前にさしだしました。母さん狐は、その手に、は――っと息をふっかけて、ぬくとい母さんの手でやんわり包んでやりながら、
 「もうすぐ暖(あたたか)くなるよ、雪をさわると、すぐ暖くなるもんだよ」といいましたが、かあいい坊やの手に霜焼(しもやけ)ができてはかわいそうだから、夜になったら、町まで行って、坊(ぼう)やのお手々にあうような毛糸の手袋を買ってやろうと思いました。
 暗い暗い夜が風呂敷(ふろしき)のような影をひろげて野原や森を包みにやって来ましたが、雪はあまり白いので、包んでも包んでも白く浮びあがっていました。
 親子の銀狐は洞穴から出ました。子供の方はお母さんのお腹(なか)の下へはいりこんで、そこからまんまるな眼をぱちぱちさせながら、あっちやこっちを見ながら歩いて行きました。
 やがて、行手(ゆくて)にぽっつりあかりが一つ見え始めました。それを子供の狐が見つけて、
 「母ちゃん、お星さまは、あんな低いところにも落ちてるのねえ」とききました。
 「あれはお星さまじゃないのよ」と言って、その時母さん狐の足はすくんでしまいました。
 「あれは町の灯(ひ)なんだよ」
 その町の灯を見た時、母さん狐は、ある時町へお友達と出かけて行って、とんだめにあったことを思出(おもいだ)しました。およしなさいっていうのもきかないで、お友達の狐が、或(あ)る家の家鴨(あひる)を盗もうとしたので、お百姓(ひゃくしょう)に見つかって、さんざ追いまくられて、命からがら逃げたことでした。
 「母ちゃん何してんの、早く行こうよ」と子供の狐がお腹の下から言うのでしたが、母さん狐はどうしても足がすすまないのでした。そこで、しかたがないので、坊(ぼう)やだけを一人で町まで行かせることになりました。
 「坊やお手々を片方お出し」とお母さん狐がいいました。その手を、母さん狐はしばらく握っている間に、可愛いい人間の子供の手にしてしまいました。坊やの狐はその手をひろげたり握ったり、抓(つね)って見たり、嗅(か)いで見たりしました。
 「何だか変だな母ちゃん、これなあに?」と言って、雪あかりに、またその、人間の手に変えられてしまった自分の手をしげしげと見つめました。
 「それは人間の手よ。いいかい坊や、町へ行ったらね、たくさん人間の家があるからね、まず表に円(まる)いシャッポの看板のかかっている家を探(さが)すんだよ。それが見つかったらね、トントンと戸を叩(たた)いて、今晩はって言うんだよ。そうするとね、中から人間が、すこうし戸をあけるからね、その戸の隙間(すきま)から、こっちの手、ほらこの人間の手をさし入れてね、この手にちょうどいい手袋頂戴って言うんだよ、わかったね、決して、こっちのお手々を出しちゃ駄目(だめ)よ」と母さん狐は言いきかせました。
 「どうして?」と坊やの狐はききかえしました。
 「人間はね、相手が狐だと解ると、手袋を売ってくれないんだよ、それどころか、掴(つか)まえて檻(おり)の中へ入れちゃうんだよ、人間ってほんとに恐(こわ)いものなんだよ」
 「ふーん」
 「決して、こっちの手を出しちゃいけないよ、こっちの方、ほら人間の手の方をさしだすんだよ」と言って、母さんの狐は、持って来た二つの白銅貨(はくどうか)を、人間の手の方へ握らせてやりました。
 子供の狐は、町の灯(ひ)を目あてに、雪あかりの野原をよちよちやって行きました。始めのうちは一つきりだった灯が二つになり三つになり、はては十にもふえました。狐の子供はそれを見て、灯には、星と同じように、赤いのや黄いのや青いのがあるんだなと思いました。やがて町にはいりましたが通りの家々はもうみんな戸を閉(し)めてしまって、高い窓から暖かそうな光が、道の雪の上に落ちているばかりでした。
 けれど表の看板の上には大てい小さな電燈がともっていましたので、狐の子は、それを見ながら、帽子屋を探して行きました。自転車の看板や、眼鏡(めがね)の看板やその他いろんな看板が、あるものは、新しいペンキで画(か)かれ、或(あ)るものは、古い壁のようにはげていましたが、町に始めて出て来た子狐にはそれらのものがいったい何であるか分らないのでした。
 とうとう帽子屋がみつかりました。お母さんが道々よく教えてくれた、黒い大きなシルクハットの帽子の看板が、青い電燈に照(てら)されてかかっていました。
 子狐は教えられた通り、トントンと戸を叩きました。
 「今晩は」
 すると、中では何かことこと音がしていましたがやがて、戸が一寸ほどゴロリとあいて、光の帯が道の白い雪の上に長く伸びました。
 子狐はその光がまばゆかったので、めんくらって、まちがった方の手を、――お母さまが出しちゃいけないと言ってよく聞かせた方の手をすきまからさしこんでしまいました。
 「このお手々にちょうどいい手袋下さい」
 すると帽子屋さんは、おやおやと思いました。狐の手です。狐の手が手袋をくれと言うのです。これはきっと木(こ)の葉(は)で買いに来たんだなと思いました。そこで、
 「先にお金を下さい」と言いました。子狐はすなおに、握って来た白銅貨を二つ帽子屋さんに渡しました。帽子屋さんはそれを人差指(ひとさしゆび)のさきにのっけて、カチ合せて見ると、チンチンとよい音がしましたので、これは木の葉じゃない、ほんとのお金だと思いましたので、棚(たな)から子供用の毛糸の手袋をとり出して来て子狐の手に持たせてやりました。子狐は、お礼を言ってまた、もと来た道を帰り始めました。
 「お母さんは、人間は恐ろしいものだって仰有(おっしゃ)ったがちっとも恐ろしくないや。だって僕の手を見てもどうもしなかったもの」と思いました。けれど子狐はいったい人間なんてどんなものか見たいと思いました。
 ある窓の下を通りかかると、人間の声がしていました。何というやさしい、何という美しい、何と言うおっとりした声なんでしょう。
  「ねむれ ねむれ
  母の胸に、
  ねむれ ねむれ
  母の手に――」
 子狐はその唄声(うたごえ)は、きっと人間のお母さんの声にちがいないと思いました。だって、子狐が眠る時にも、やっぱり母さん狐は、あんなやさしい声でゆすぶってくれるからです。
 するとこんどは、子供の声がしました。
 「母ちゃん、こんな寒い夜は、森の子狐は寒い寒いって啼(な)いてるでしょうね」
 すると母さんの声が、
 「森の子狐もお母さん狐のお唄をきいて、洞穴(ほらあな)の中で眠ろうとしているでしょうね。さあ坊やも早くねんねしなさい。森の子狐と坊やとどっちが早くねんねするか、きっと坊やの方が早くねんねしますよ」
 それをきくと子狐は急にお母さんが恋しくなって、お母さん狐の待っている方へ跳(と)んで行きました。
 お母さん狐は、心配しながら、坊やの狐の帰って来るのを、今か今かとふるえながら待っていましたので、坊やが来ると、暖(あたたか)い胸に抱きしめて泣きたいほどよろこびました。
 二匹の狐は森の方へ帰って行きました。月が出たので、狐の毛なみが銀色に光り、その足あとには、コバルトの影がたまりました。
 「母ちゃん、人間ってちっとも恐(こわ)かないや」
 「どうして?」
 「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴(つか)まえやしなかったもの。ちゃんとこんないい暖い手袋くれたもの」
と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。お母さん狐は、
 「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。




     一
 月夜に七人の子供が歩いておりました。
 大きい子供も小さい子供もまじっておりました。
 月は、上から照らしておりました。子供たちの影は短かく地(じ)べたにうつりました。
 子供たちはじぶんじぶんの影を見て、ずいぶん大頭で、足が短いなあと思いました。
 そこで、おかしくなって、笑い出す子もありました。あまりかっこうがよくないので二、三歩はしって見る子もありました。
 こんな月夜には、子供たちは何か夢みたいなことを考えがちでありました。
 子供たちは小さい村から、半里ばかりはなれた本郷(ほんごう)へ、夜のお祭を見にゆくところでした。
 切通しをのぼると、かそかな春の夜風にのって、ひゅうひゃらりゃりゃと笛の音(ね)が聞えて来ました。
 子供たちの足はしぜんにはやくなりました。
 すると一人の子供がおくれてしまいました。
 「文六(ぶんろく)ちゃん、早く来い」
とほかの子供が呼びました。
 文六ちゃんは月の光でも、やせっぽちで、色の白い、眼玉の大きいことのわかる子供です。できるだけいそいでみんなに追いつこうとしました。
 「んでも俺(おれ)、おっ母(か)ちゃんの下駄(げた)だもん」
と、とうとう鼻をならしました。なるほど細長いあしのさきには大きな、大人(おとな)の下駄がはかれていました。

     二
 本郷にはいるとまもなく、道ばたに下駄屋さんがあります。
 子供たちはその店にはいってゆきました。文六ちゃんの下駄を買うのです。文六ちゃんのお母さんに頼まれたのです。
 「あののイ、小母(おば)さん」
と、義則(よしのり)君が口をとがらして下駄屋の小母さんにいいました。
 「こいつのイ、樽屋(たるや)の清(せい)さの子供だけどのイ、下駄を一足やっとくれや。あとから、おっ母さんが銭(ぜに)もってくるげなで」
 みんなは、樽屋の清さの子供がよく見えるように、まえへ押しだしました。それは文六ちゃんでした。文六ちゃんは二つばかり眼(ま)ばたきしてつっ立っていました。
 小母さんは笑い出して、下駄を棚(たな)からおろしてくれました。
 どの下駄が足によくあうかは、足にあてて見なければわかりません。義則君が、お父さんか何ぞのように、文六ちゃんの足に下駄をあてがってくれました。何しろ文六ちゃんは、一人きりの子供で、甘えん坊でした。
 ちょうど文六ちゃんが、新しい下駄をはいたときに、腰のまがったお婆(ばあ)さんが下駄屋さんにはいって来ました。そしてお婆さんはふとこんなことをいうのでした。
 「やれやれ、どこの子だか知らんが、晩げに新しい下駄をおろすと狐(きつね)がつくというだに」
 子供たちはびっくりしてお婆さんの顔を見ました。
 「嘘(うそ)だい、そんなこと」
とやがて義則君がいいました。
 「迷信だ」
とほかの一人がいいました。
 それでも子供たちの顔には何か心配な色がただよっていました。
 「ようし、そいじゃ、小母さんがまじないしてやろう」
と、下駄屋の小母さんが口軽くいいました。
 小母さんは、マッチを一本するまねして、文六ちゃんの新しい下駄のうらに、ちょっと触(さわ)りました。
 「さあ、これでよし。これでもう、狐も狸(たぬき)もつきゃしん」
 そこで子供たちは下駄屋さんを出ました。

     三
 子供たちは綿(わた)菓子(がし)を喰(た)べながら、稚(ち)児(ご)さんが二つの扇を、眼にもとまらぬ速さでまわしながら、舞台の上で舞うのを見ていました。その稚児さんは、お白粉(しろい)をぬりこくって顔をいろどっているけれど、よく見ると、お多福(たふく)湯(ゆ)のトネ子でありましたので、
 「あれ、トネ子だよ、ふふ」
とささやきあったりしました。
 稚児さんを見てるのに飽くと、くらいところにいって、鼠花火(ねずみはなび)をはじかせたり、かんしゃく玉を石垣(いしがき)にぶつけたりしました。
 舞台を照らすあかるい電燈には、虫がいっぱい来て、そのまわりをめぐっていました。見ると、舞台の正面のひさしのすぐ下に、大きな、あか土色の蛾(が)がぴったりはりついていました。
 山車(だし)の鼻先のせまいところで、人形の三番叟(さんばそう)が踊りはじめる頃は、すこし、お宮の境内(けいだい)の人も少(すくな)くなったようでした。花火や、ゴム風船の音もへったようでした。
 子供たちは山車の鼻の下にならんで、仰向いて、人形の顔を見ていました。
 人形は大人(おとな)とも子供ともつかぬ顔をしています。その黒い眼は生きているとしか思えません。ときどき、またたきするのは、人形を踊らす人がうしろで糸をひくのです。子供たちはそんなことはよく知っています。しかし、人形がまたたきすると、子供たちは、何だか、ものがなしいような、ぶきみなような気がします。
 するととつぜん、パクッと人形が口をあきペロッと舌を出し、あっというまに、もとのように口をとじてしまいました。まっかな口の中でした。
 これも、うしろで糸をひく人がやったことです。子供たちはよく知っているのです。ひるまなら、子供たちは面白がって、ゲラゲラ笑うのです。
 けれど子供たちは、いまは笑いませんでした。提灯(ちょうちん)の光の中で、――影の多い光の中で、まるで生きている人間のように、まばたきしたり、ペロッと舌を出したりする人形……何というぶきみなものでしょう。
 ――子供たちは思い出しました、文六ちゃんの新しい下駄のことを。晩げに新しい下駄をおろすものは狐につかれるといったあの婆さんのことを。
 子供たちは、じぶんたちが、ながく遊びすぎたことにも気がつきました。じぶんたちにはこれから帰ってゆかねばならない、半里の、野中の道があったことにも気がつきました。

     四
 かえりも月夜でありました。
 しかし、かえりの月夜は、なんとなくつまらないものです。子供たちは、だまって――ちょうど一人一人が、じぶんのこころの中をのぞいてでもいるように、だまって歩いていました。
 切通し坂の上に来たとき、一人の子が、もう一人の子の耳に口を寄せて何かささやきました。するとささやかれた子は別の子のそばにいって何かささやきました。その子はまた別の子にささやきました。――こうして、文六ちゃんのほか、子供たちは何か一つのことを、耳から耳へいいつたえました。
 それはこういうことだったのです。「下駄屋さんの小母(おば)さんは文六ちゃんの下駄に、ほんとうにマッチをすっておまじないをしやしんだった。まねごとをしただけだった」
 それから子供たちはまたひっそりして歩いてゆきました。ひっそりしているとき子供たちは考えておりました。
 ――狐につかれるというのはどんなことかしらん。文六ちゃんの中に狐がはいることだろうか。文六ちゃんの姿や形はそのままでいて、心は狐になってしまうことだろうか。そうすると、いまもう、文六ちゃんは狐につかれているかもしれないわけだ。文六ちゃんは黙っているからわからないが、心の中はもう狐になってしまっているかもしれないわけだ。
 おなじ月夜で、おなじ野中の道では、誰でもおなじようなことを考えるものです。そこでみんなの足はしぜんにはやくなりました。
 ぐるりを低い桃の木でとりまかれた池のそばへ、道が来たときでした。子供たちの中で誰かが、
 「コン」
と小さい咳(せき)をしました。
 ひっそりして歩いているときなので、みんなは、その小さい音でさえ、聞きおとすわけにはゆきませんでした。
 そこで子供たちは、今の咳は誰がしたか、こっそり調べました。すると――文六ちゃんがしたということがわかりました。
 文六ちゃんがコンと咳をした! それなら、この咳にはとくべつの意味があるのではないかと子供たちは考えました。よく考えて見るとそれは咳ではなかったようでした。狐の鳴声のようでした。
 「コン」
とまた文六ちゃんがいいました。
 文六ちゃんは狐になってしまったと子供たちは思いました。わたしたちの中には狐が一匹はいっていると、みんなは恐ろしく思いました。

     五
 樽屋(たるや)の文六ちゃんの家は、みんなの家とは少しはなれたところにありました。ひろい、蜜柑畑(みかんばたけ)になっている屋敷にかこわれて、一軒きり、谷地(やち)にぽつんと立っていました。子供たちはいつも、水車のところから少し廻りみちして、文六ちゃんを、その家の門口(かどぐち)まで送ってやることにしていました。なぜなら、文六ちゃんは樽屋の清六さんの一人きりの大事な坊(ぼっ)ちゃんで、甘えん坊だからです。文六ちゃんのお母さんが、よく、蜜柑やお菓子をみんなにくれて、文六ちゃんと遊んでやってくれとたのみに来るからです。今晩も、お祭にゆくときには、その門口まで、文六ちゃんを迎えに行ってやったのでした。
 さてみんなは、とうとう、水車のところに来ました。水車の横から細い道がわかれて草の中を下へおりてゆきます。それが文六ちゃんの家にゆく道です。
 ところが、今夜は誰も、文六ちゃんのことを忘れてしまったかのように、送ってゆこうとするものがありません。忘れたどころではありません、文六ちゃんがこわいのです。
 甘えん坊の文六ちゃんは、それでも、いつも親切な義則君だけは、こちらへ来てくれるだろうと思って、うしろをむきむき、水車のかげになってゆきました。
 とうとう、だれも文六ちゃんといっしょにゆきませんでした。
 さて文六ちゃんは、ひとりで、月にあかるい谷地へおりてゆく細道をくだりはじめました。どこかで、蛙(かえる)がくくみ声で鳴いていました。
 文六ちゃんは、ここから、じぶんの家までは、もうじきだから、誰も送ってくれなくても、困るわけではないのです。だが、いつもは送ってくれたのです、今夜にかぎっておくってくれないのです。
 文六ちゃんは、ぼけんとしているようでも、もうちゃんと知っているのです、みんなが、じぶんの下駄のことで何といいかわしたか、また、じぶんが咳(せき)をしたためにどういうことになったかを。
 祭にゆくまでは、あんなに、じぶんに親切にしてくれたみんなが、じぶんが、夜新しい下駄をはいて狐にとりつかれたかしれないために、もう誰一人かえりみてくれない、それが文六ちゃんにはなさけないのでした。
 義則君なんか文六ちゃんより四年級も上だけれど親切な子で、いつもなら、文六ちゃんが寒そうにしていると、洋服の上に着ている羽織(はおり)をぬいでかしてくれたものでした(田舎(いなか)の少年は寒い時、洋服の上に羽織を着ています)。それだのに、今夜は、文六ちゃんが、いくら咳をしていても羽織を貸してやろうとはいいませんでした。
 文六ちゃんの屋敷の外囲いになっている槙(まき)の生垣(いけがき)のところに来ました。背(せ)戸口(どぐち)の方の小さい木戸をあけて中にはいりながら、文六ちゃんは、じぶんの小さい影法師(かげぼうし)を見てふと、ある心配を感じました。
 ――ひょっとすると、じぶんはほんとうに狐につかれているかもしれない、ということでした。そうすると、お父さんやお母さんはじぶんをどうするだろうということでした。

     六
 お父さんが樽屋さんの組合へいつて、今晩はまだ帰らないので、文六ちゃんとお母さんはさきに寝(やす)むことになりました。
 文六ちゃんは初等科三年生なのにまだお母さんといっしょに寝るのです。ひとり子ですからしかたないのです。
 「さあ、お祭の話を、母ちゃんにきかしておくれ」
とお母さんは、文六ちゃんのねまきのえりを合わせてやりながらいいました。
 文六ちゃんは、学校から帰れば学校のことを、町にゆけば町のことを、映画を見てくれば映画のことをお母さんにきかれるのです。文六ちゃんは話が下手(へ た)ですから、ちぎれちぎれに話をします。それでもお母さんは、とても面白がって、よろこんで文六ちゃんの話をきいてくれるのでした。
 「神子(みこ)さんね、あれよく見たら、お多福湯のトネ子だったよ」
と文六ちゃんは話しました。
 お母さんは、そうかい、といって、面白そうに笑って、
「それから、もう誰が出たかわからなかったかい」
とききました。
 文六ちゃんはおもいだそうとするように、眼を大きく見ひらいて、じっとしていましたが、やがて、祭の話はやめて、こんなことをいいだしました。
 「母ちゃん、夜、新しい下駄おろすと、狐につかれる?」
 お母さんは、文六ちゃんが何をいい出したかと思って、しばらく、あっけにとられて文六ちゃんの顔を見ていましたが、今晩、文六ちゃんの身の上に、おおよそどんなことが起ったか、けんとうがつきました。
 「誰がそんなことをいった?」
 文六ちゃんはむきになって、じぶんのさきの問いをくりかえしました。
 「ほんと?」
 「嘘(うそ)だよ、そんなこと。昔の人がそんなことをいっただけだよ」
 「嘘だね?」
 「嘘だとも」
 「きっとだね」
 「きっと」
 しばらく文六ちゃんは黙っていました。黙っている間に、大きい眼玉が二度ぐるりぐるりとまわりました。それからいいました。
 「もし、ほんとだったらどうする?」
 「どうするって、何を?」
とお母さんがききかえしました。
 「もし、僕が、ほんとに狐になっちゃったらどうする?」
 お母さんは、しんからおかしいように笑いだしました。
 「ね、ね、ね」
と文六ちゃんは、ちょっとてれくさいような顔をして、お母さんの胸を両手でぐんぐん押しました。
 「そうさね」と、お母さんはちょっと考えていてからいいました。「そしたら、もう、家におくわけにゃいかないね」
 文六ちゃんは、それをきくと、さびしい顔つきをしました。
 「そしたら、どこへゆく?」
 「鴉根山(からすねやま)の方にゆけば、今でも狐がいるそうだから、そっちへゆくさ」
 「母ちゃんや父ちゃんはどうする?」
 するとお母さんは、大人(おとな)が子供をからかうときにするように、たいへんまじめな顔で、しかつべらしく、
 「父ちゃんと母ちゃんは相談をしてね、かあいい文六が、狐になってしまったから、わしたちもこの世に何のたのしみもなくなってしまったで、人間をやめて、狐になることにきめますよ」
 「父ちゃんも母ちゃんも狐になる?」
 「そう、二人で、明日(あした)の晩げに下駄屋さんから新しい下駄を買って来て、いっしょに狐になるね。そうして、文六ちゃんの狐をつれて鴉根の方へゆきましょう」
 文六ちゃんは大きい眼をかがやかせて、
 「鴉根って、西の方?」
 「成岩(なるわ)から西南の方の山だよ」
 「深い山?」
 「松の木が生(は)えているところだよ」
 「猟師はいない?」
 「猟師って鉄砲打ちのことかい? 山の中だからいるかも知れんね」
 「猟師が撃ちに来たら、母ちゃんどうしよう?」
 「深い洞穴(ほらあな)の中にはいって三人で小さくなっていれば見つからないよ」
 「でも、雪が降ると餌(えさ)がなくなるでしょう。餌を拾いに出たとき猟師の犬に見つかったらどうしよう」
 「そしたら、いっしょうけんめい走って逃げましょう」
 「でも、父ちゃんや母ちゃんは速いでいいけど、僕は子供の狐だもん、おくれてしまうもん」
 「父ちゃんと母ちゃんが両方から手をひっぱってあげるよ」
 「そんなことをしてるうちに、犬がすぐうしろに来たら?」
 お母さんはちょっと黙っていました。それから、ゆっくりいいました。もうしんからまじめな声でした。
 「そしたら、母ちゃんは、びっこをひいてゆっくりいきましょう」
 「どうして?」
 「犬は母ちゃんに噛(か)みつくでしょう、そのうちに猟師が来て、母ちゃんをしばってゆくでしょう。その間に、坊やとお父ちゃんは逃げてしまうのだよ」
 文六ちゃんはびっくりしてお母さんの顔をまじまじと見ました。
 「いやだよ、母ちゃん、そんなこと。そいじゃ、母ちゃんがなしになってしまうじゃないか」
 「でも、そうするよりしようがないよ、母ちゃんはびっこをひきひきゆっくりゆくよ」
 「いやだったら、母ちゃん。母ちゃんがなくなるじゃないか」
 「でもそうするよりしようがないよ、母ちゃんは、びっこをひきひきゆっくりゆっくり……」
 「いやだったら、いやだったら、いやだったら!」
 文六ちゃんはわめきたてながら、お母さんの胸にしがみつきました。涙がどっと流れて来ました。
 お母さんも、ねまきのそででこっそり眼のふちをふきました、そして文六ちゃんがはねとばした、小さい枕(まくら)を拾って、あたまの下にあてがってやりました。

■制作スタッフ一覧
●詩と草稿「赤狐」「月夜の話」
底本:校定新美南吉全集第八巻(大日本図書 1988年3月25日第3刷)
テキスト入力・校正:浜野 智
●詩と草稿「狐のつかひ」
底本:校定新美南吉全集第四巻(大日本図書 1982年9月30日第2刷)
テキスト入力・校正:浜野 智
●「ごん狐」
テキスト入力:林 裕司
テキスト校正:浜野 智
校正底本:「新美南吉童話集」 岩波文庫、岩波書店(1997年7月15日第2刷)
※入力時に使われた底本が不明とのことなので、表記は岩波文庫版に合わせた。
●「手袋を買いに」
底本:「新美南吉童話集」岩波文庫、岩波書店(1996年7月16日第1刷、1997年7月15日第2刷)
テキスト入力:大野 晋
テキスト校正:伊藤 祥
元HTMLファイル作成:野口英司
●「狐」
底本:「新美南吉童話集」岩波文庫、岩波書店(1996年7月16日 第1刷)
テキスト入力・校正:浜野 智

●アンソロジー作成:浜野 智
●ちへいせん公開:1999年9月

◆このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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