●青空文庫アンソロジー-6
甘い酒、苦い酒
狂言について茶が酒ほど舞台上の効果を発揮しないのは、「飲料としての性能による」と言ったのは柴田宵曲だが、これは文学一般に通じる。生活を描いた小説に酒はつきものである。酒をめぐって、人は揺れ動き、高揚もすれば崩壊もする。
このアンソロジーには、詩3編を添えて、酒がアクセントになった小説5作をまとめた。
詩 書斎の午後(石川啄木)
カルメン(芥川龍之介)
●僕はT君に注意した。薄い光のさしたグラスの中にはまだ小さい黄金虫(こがねむし)が一匹、仰向(あおむ)けになってもがいていた。T君は白葡萄酒(しろぶどうしゅ)を床(ゆか)へこぼし、妙な顔をしてつけ加えた。
ヴィヨンの妻(太宰治)
●とにかく、奥さんもご存じでしょう、あんな酒の強いひとはありません。酔ったのかと思うと、急にまじめな、ちゃんと筋のとおった話をするし、いくら飲んでも、足もとがふらつくなんて事は、ついぞ一度も私どもに見せた事は無いのですからね。
詩 人生の雑種として(小熊秀雄)
釜ケ崎(武田麟太郎)
●ところが、彼は今一ぱいの焼酎が咽喉をよく通らないほどになつてゐて、酒はだらしなく、口から涎(よだれ)のやうに流れ、コップはぽんとテーブルの上に投げられ、ころがるのであつた。
世相(織田作之助)
●「ダイス」は清水町にあったスタンド酒場(バア)で、大阪の最初の空襲の時焼けてしまったが、「ダイス」のマダムはもと宗右衛門町の芸者だったから、今は京都へ行って二度の褄を取っているかも知れない。
詩 雪の宵(中原中也)
鮨(岡本かの子)
●「まあ、やってご覧、あたしの寝酒の肴(さかな)さ」
亭主は客に友達のような口をきく。
書斎の午後
石川啄木
われはこの国の女を好まず。
読みさしの舶来の本の
手ざはりあらき紙の上に、
あやまちて零(こぼ)したる葡萄酒(ぶだうしゆ)の
なかなかに浸(し)みてゆかぬかなしみ。
われはこの国の女を好まず。
カルメン
芥川龍之介
革命前(ぜん)だったか、革命後だったか、――いや、あれは革命前ではない。なぜまた革命前ではないかと言えば、僕は当時小耳(こみみ)に挟(はさ)んだダンチェンコの洒落(しゃれ)を覚えているからである。
ある蒸し暑い雨(あま)もよいの夜(よ)、舞台監督のT君は、帝劇(ていげき)の露台(バルコニー)に佇(たたず)みながら、炭酸水(たんさんすい)のコップを片手に詩人のダンチェンコと話していた。あの亜麻色(あまいろ)の髪の毛をした盲目(もうもく)詩人のダンチェンコとである。
「これもやっぱり時勢ですね。はるばる露西亜(ロシア)のグランド・オペラが日本の東京へやって来ると言うのは。」
「それはボルシェヴィッキはカゲキ[#「カゲキ」に傍点]派ですから。」
この問答のあったのは確か初日から五日(いつか)目の晩、――カルメンが舞台へ登った晩である。僕はカルメンに扮(ふん)するはずのイイナ・ブルスカアヤに夢中になっていた。イイナは目の大きい、小鼻の張った、肉感の強い女である。僕は勿論カルメンに扮(ふん)するイイナを観(み)ることを楽しみにしていた、が、第一幕が上ったのを見ると、カルメンに扮したのはイイナではない。水色の目をした、鼻の高い、何(なん)とか云う貧相(ひんそう)な女優である。僕はT君と同じボックスにタキシイドの胸を並べながら、落胆(らくたん)しない訣(わけ)には行かなかった。
「カルメンは僕等のイイナじゃないね。」
「イイナは今夜は休みだそうだ。その原因がまた頗(すこぶ)るロマンティックでね。――」
「どうしたんだ?」
「何(なん)とか云う旧帝国の侯爵(こうしゃく)が一人、イイナのあとを追っかけて来てね、おととい東京へ着いたんだそうだ。ところがイイナはいつのまにか亜米利加(アメリカ)人の商人の世話になっている。そいつを見た侯爵は絶望したんだね、ゆうべホテルの自分の部屋で首を縊(くく)って死んじまったんだそうだ。」
僕はこの話を聞いているうちに、ある場景(じょうけい)を思い出した。それは夜(よ)の更(ふ)けたホテルの一室に大勢(おおぜい)の男女(なんにょ)に囲(かこ)まれたまま、トランプを弄(もてあそ)んでいるイイナである。黒と赤との着物を着たイイナはジプシイ占(うらな)いをしていると見え、T君にほほ笑(え)みかけながら、「今度はあなたの運(うん)を見て上げましょう」と言った。(あるいは言ったのだと云うことである。ダア以外の露西亜(ロシア)語を知らない僕は勿論十二箇国の言葉に通じたT君に翻訳して貰うほかはない。)それからトランプをまくって見た後(のち)、「あなたはあの人よりも幸福ですよ。あなたの愛する人と結婚出来ます」と言った。あの人と云うのはイイナの側に誰かと話していた露西亜(ロシア)人である。僕は不幸にも「あの人」の顔だの服装だのを覚えていない。わずかに僕が覚えているのは胸に挿(さ)していた石竹(せきちく)だけである。イイナの愛を失ったために首を縊(くく)って死んだと云うのはあの晩の「あの人」ではなかったであろうか?……
「それじゃ今夜は出ないはずだ。」
「好(い)い加減に外へ出て一杯(いっぱい)やるか?」
T君も勿論イイナ党である。
「まあ、もう一幕見て行こうじゃないか?」
僕等がダンチェンコと話したりしたのは恐らくはこの幕合(まくあ)いだったのであろう。
次の幕も僕等には退屈だった。しかし僕等が席についてまだ五分とたたないうちに外国人が五六人ちょうど僕等の正面に当る向う側のボックスへはいって来た。しかも彼等のまっ先に立ったのは紛(まぎ)れもないイイナ・ブルスカアヤである。イイナはボックスの一番前に坐り、孔雀(くじゃく)の羽根の扇を使いながら、悠々と舞台を眺め出した。のみならず同伴の外国人の男女(なんにょ)と(その中には必ず彼女の檀那(だんな)の亜米利加人も交(まじ)っていたのであろう。)愉快そうに笑ったり話したりし出した。
「イイナだね。」
「うん、イイナだ。」
僕等はとうとう最後の幕まで、――カルメンの死骸(しがい)を擁(よう)したホセが、「カルメン! カルメン!」と慟哭(どうこく)するまで僕等のボックスを離れなかった。それは勿論舞台よりもイイナ・ブルスカアヤを見ていたためである。この男を殺したことを何とも思っていないらしい露西亜のカルメンを見ていたためである。
× × ×
それから二三日たったある晩、僕はあるレストランの隅にT君とテエブルを囲んでいた。
「君はイイナがあの晩以来、確か左の薬指(くすりゆび)に繃帯(ほうたい)していたのに気がついているかい?」
「そう云えば繃帯していたようだね。」
「イイナはあの晩ホテルへ帰ると、……」
「駄目(だめ)だよ、君、それを飲んじゃ。」
僕はT君に注意した。薄い光のさしたグラスの中にはまだ小さい黄金虫(こがねむし)が一匹、仰向(あおむ)けになってもがいていた。T君は白葡萄酒(しろぶどうしゅ)を床(ゆか)へこぼし、妙な顔をしてつけ加えた。
「皿を壁へ叩きつけてね、そのまた欠片(かけら)をカスタネットの代りにしてね、指から血の出るのもかまわずにね、……」
「カルメンのように踊ったのかい?」
そこへ僕等の興奮とは全然つり合わない顔をした、頭の白い給仕が一人、静に鮭(さけ)の皿を運んで来た。……
(大正十五年四月十日)
ヴィヨンの妻
太宰治
一
あわただしく、玄関をあける音が聞えて、私はその音で、眼をさましましたが、それは泥酔の夫の、深夜の帰宅にきまっているのでございますから、そのまま黙って寝ていました。
夫は、隣の部屋に電気をつけ、はあっはあっ、とすさまじく荒い呼吸をしながら、机の引出しや本箱の引出しをあけて掻(か)きまわし、何やら捜している様子でしたが、やがて、どたりと畳に腰をおろして坐ったような物音が聞えまして、あとはただ、はあっはあっという荒い呼吸ばかりで、何をしている事やら、私が寝たまま、
「おかえりなさいまし。ごはんは、おすみですか? お戸棚に、おむすびがございますけど」
と申しますと、
「や、ありがとう」といつになく優しい返事をいたしまして、「坊やはどうです。熱は、まだありますか?」とたずねます。
これも珍らしい事でございました。坊やは、来年は四つになるのですが、栄養不足のせいか、または夫の酒毒のせいか、病毒のせいか、よその二つの子供よりも小さいくらいで、歩く足許(あしもと)さえおぼつかなく、言葉もウマウマとか、イヤイヤとかを言えるくらいが関の山で、脳が悪いのではないかとも思われ、私はこの子を銭湯に連れて行きはだかにして抱き上げて、あんまり小さく醜く痩(や)せているので、凄(さび)しくなって、おおぜいの人の前で泣いてしまった事さえございました。そうしてこの子は、しょっちゅう、おなかをこわしたり、熱を出したり、夫は殆ど家に落ちついている事は無く、子供の事など何と思っているのやら、坊やが熱を出しまして、と私が言っても、あ、そう、お医者に連れて行ったらいいでしょう、と言って、いそがしげに二重廻しを羽織ってどこかへ出掛けてしまいます。お医者に連れて行きたくっても、お金も何も無いのですから、私は坊やに添寝して、坊やの頭を黙って撫(な)でてやっているより他は無いのでございます。
けれどもその夜はどういうわけか、いやに優しく、坊やの熱はどうだ、など珍らしくたずねて下さって、私はうれしいよりも、何だかおそろしい予感で、脊筋が寒くなりました。何とも返辞の仕様が無く黙っていますと、それから、しばらくは、ただ、夫の烈(はげ)しい呼吸ばかり聞えていましたが、
「ごめん下さい」
と、女のほそい声が玄関で致します。私は、総身に冷水を浴びせられたように、ぞっとしました。
「ごめん下さい。大谷(おおたに)さん」
こんどは、ちょっと鋭い語調でした。同時に、玄関のあく音がして、
「大谷さん! いらっしゃるんでしょう?」
と、はっきり怒っている声で言うのが聞えました。
夫は、その時やっと玄関に出た様子で、
「なんだい」
と、ひどくおどおどしているような、まの抜けた返辞をいたしました。
「なんだいではありませんよ」と女は、声をひそめて言い、「こんな、ちゃんとしたお家もあるくせに、どろぼうを働くなんて、どうした事です。ひとのわるい冗談はよして、あれを返して下さい。でなければ、私はこれからすぐ警察に訴えます」
「何を言うんだ。失敬な事を言うな。ここは、お前たちの来るところでは無い。帰れ! 帰らなければ、僕のほうからお前たちを訴えてやる」
その時、もうひとりの男の声が出ました。
「先生、いい度胸だね。お前たちの来るところではない、とは出かした。呆(あき)れてものが言えねえや。他の事とは違う。よその家の金を、あんた、冗談にも程度がありますよ。いままでだって、私たち夫婦は、あんたのために、どれだけ苦労をさせられて来たか、わからねえのだ。それなのに、こんな、今夜のような情ねえ事をし出かしてくれる。先生、私は見そこないましたよ」
「ゆすりだ」と夫は、威たけ高に言うのですが、その声は震えていました。「恐喝だ。帰れ! 文句があるなら、あした聞く」
「たいへんな事を言いやがるなあ、先生、すっかりもう一人前の悪党だ。それではもう警察へお願いするより手がねえぜ」
その言葉の響きには、私の全身鳥肌立ったほどの凄(すご)い憎悪がこもっていました。
「勝手にしろ!」と叫ぶ夫の声は既に上ずって、空虚な感じのものでした。
私は起きて寝巻きの上に羽織を引掛け、玄関に出て、二人のお客に、
「いらっしゃいまし」
と挨拶しました。
「や、これは奥さんですか」
膝(ひざ)きりの短い外套(がいとう)を着た五十すぎくらいの丸顔の男のひとが、少しも笑わずに私に向ってちょっと首肯(うなず)くように会釈しました。
女のほうは四十前後の痩せて小さい、身なりのきちんとしたひとでした。
「こんな夜中にあがりまして」
とその女のひとは、やはり少しも笑わずにショールをはずして私にお辞儀をかえしました。
その時、矢庭に夫は、下駄を突っかけて外に飛び出ようとしました。
「おっと、そいつあいけない」
男のひとは、その夫の片腕をとらえ、二人は瞬時もみ合いました。
「放せ! 刺すぞ」
夫の右手にジャックナイフが光っていました。そのナイフは、夫の愛蔵のものでございまして、たしか夫の机の引出しの中にあったので、それではさっき夫が家へ帰るなり何だか引出しを掻きまわしていたようでしたが、かねてこんな事になるのを予期して、ナイフを捜し、懐にいれていたのに、違いありません。
男のひとは身をひきました。そのすきに夫は大きい鴉(からす)のように二重廻しの袖をひるがえして、外に飛び出しました。
「どろぼう!」
と男のひとは大声を挙げ、つづいて外に飛び出そうとしましたが、私は、はだしで土間に降りて男を抱いて引きとめ、
「およしなさいまし。どちらにもお怪我があっては、なりませぬ。あとの始末は、私がいたします」
と申しますと、傍から四十の女のひとも、
「そうですね、とうさん。気ちがいに刃物です。何をするかわかりません」
と言いました。
「ちきしょう! 警察だ。もう承知できねえ」
ぼんやり外の暗闇を見ながら、ひとりごとのようにそう呟(つぶや)き、けれども、その男のひとの総身の力は既に抜けてしまっていました。
「すみません。どうぞ、おあがりになって、お話を聞かして下さいまし」
と言って私は式台にあがってしゃがみ、
「私でも、あとの始末は出来るかも知れませんから。どうぞ、おあがりになって、どうぞ。きたないところですけど」
二人の客は顔を見あわせ、幽(かす)かに首肯き合って、それから男のひとは様子をあらため、
「何とおっしゃっても、私どもの気持は、もうきまっています。しかし、これまでの経緯(いきさつ)は一応、奥さんに申し上げて置きます」
「はあ、どうぞ。おあがりになって。そうして、ゆっくり」
「いや、そんな、ゆっくりもしておられませんが」
と言い、男のひとは外套を脱ぎかけました。
「そのままで、どうぞ。お寒いんですから、本当に、そのままで、お願いします。家の中には火の気が一つも無いのでございますから」
「では、このままで失礼します」
「どうぞ。そちらのお方も、どうぞ、そのままで」
男のひとがさきに、それから女のひとが、夫の部屋の六畳間にはいり、腐りかけているような畳、破れほうだいの障子、落ちかけている壁、紙がはがれて中の骨が露出している襖(ふすま)、片隅に机と本箱、それもからっぽの本箱、そのような荒涼たる部屋の風景に接して、お二人とも息を呑んだような様子でした。
破れて綿のはみ出ている座蒲団(ざぶとん)を私はお二人にすすめて、
「畳が汚うございますから、どうぞ、こんなものでも、おあてになって」
と言い、それから改めてお二人に御挨拶を申しました。
「はじめてお目にかかります。主人がこれまで、たいへんなご迷惑ばかりおかけしてまいりましたようで、また、今夜は何をどう致しました事やら、あのようなおそろしい真似などして、おわびの申し上げ様もございませぬ。何せ、あのような、変った気象の人なので」
と言いかけて、言葉がつまり、落涙しました。
「奥さん。まことに失礼ですが、いくつにおなりで?」
と男のひとは、破れた座蒲団に悪びれず大あぐらをかいて、肘(ひじ)をその膝の上に立て、こぶしで顎(あご)を支え、上半身を乗り出すようにして私に尋ねます。
「あの、私でございますか?」
「ええ。たしか旦那は三十、でしたね?」
「はあ、私は、あの、……四つ下です」
「すると、二十、六、いやこれはひどい。まだ、そんなですか? いや、その筈(はず)だ。旦那が三十ならば、そりゃその筈だけど、おどろいたな」
「私も、さきほどから」と女のひとは、男のひとの脊中の蔭から顔を出すようにして、「感心しておりました。こんな立派な奥さんがあるのに、どうして大谷さんは、あんなに、ねえ」
「病気だ。病気なんだよ。以前はあれほどでもなかったんだが、だんだん悪くなりやがった」
と言って大きい溜息(ためいき)をつき、
「実は、奥さん」とあらたまった口調になり、「私ども夫婦は、中野駅の近くに小さい料理屋を経営していまして、私もこれも上州の生れで、私はこれでも堅気のあきんどだったのでございますが、道楽気が強い、というのでございましょうか、田舎のお百姓を相手のケチな商売にもいや気がさして、かれこれ二十年前、この女房を連れて東京へ出て来まして、浅草の、或る料理屋に夫婦ともに住込みの奉公をはじめまして、まあ人並に浮き沈みの苦労をして、すこし蓄えも出来ましたので、いまのあの中野の駅ちかくに、昭和十一年でしたか、六畳一間に狭い土間附きのまことにむさくるしい小さい家を借りまして、一度の遊興費が、せいぜい一円か二円の客を相手の、心細い飲食店を開業いたしまして、それでもまあ夫婦がぜいたくもせず、地道に働いて来たつもりで、そのおかげか焼酎(しようちゆう)やらジンやらを、割にどっさり仕入れて置く事が出来まして、その後の酒不足の時代になりましてからも、よその飲食店のように転業などせずに、どうやら頑張って商売をつづけてまいりまして、また、そうなると、ひいきのお客もむきになって応援をして下さって、所謂(いわゆる)あの軍官の酒さかなが、こちらへも少しずつ流れて来るような道を、ひらいて下さるお方もあり、対米英戦がはじまって、だんだん空襲がはげしくなって来てからも、私どもには足手まといの子供は無し、故郷へ疎開などする気も起らず、まあこの家が焼ける迄(まで)は、と思って、この商売一つにかじりついて来て、どうやら罹災(りさい)もせず終戦になりましたのでほっとして、こんどは大ぴらに闇酒を仕入れて売っているという、手短かに語ると、そんな身の上の人間なのでございます。けれども、こうして手短かに語ると、さして大きな難儀も無く、割に運がよく暮して来た人間のようにお思いになるかも知れませんが、人間の一生は地獄でございまして、寸善尺魔、とは、まったく本当の事でございますね。一寸(いつすん)の仕合せには一尺の魔物が必ずくっついてまいります。人間三百六十五日、何の心配も無い日が、一日、いや半日あったら、それは仕合せな人間です。あなたの旦那の大谷さんが、はじめて私どもの店に来ましたのは、昭和十九年の、春でしたか、とにかくその頃はまだ、対米英戦もそんなに負けいくさでは無く、いや、そろそろもう負けいくさになっていたのでしょうが、私たちにはそんな、実体、ですか、真相、ですか、そんなものはわからず、ここ二、三年頑張れば、どうにかこうにか対等の資格で、和睦(わぼく)が出来るくらいに考えていまして、大谷さんがはじめて私どもの店にあらわれた時にも、たしか、久留米絣(くるめがすり)の着流しに二重廻しを引っかけていた筈で、けれども、それは大谷さんだけでなく、まだその頃は東京でも防空服装で身をかためて歩いている人は少く、たいてい普通の服装でのんきに外出できた頃でしたので、私どもも、その時の大谷さんの身なりを、別段だらし無いとも何とも感じませんでした。大谷さんは、その時、おひとりではございませんでした。奥さんの前ですけれども、いや、もう何も包みかくし無く洗いざらい申し上げましょう、旦那は、或る年増女に連れられて店の勝手口からこっそりはいってまいりましたのです。もっとも、もうその頃は、私どもの店も、毎日おもての戸は閉めっきりで、その頃のはやり言葉で言うと閉店開業というやつで、ほんの少数の馴染客だけ、勝手口からこっそりはいり、そうしてお店の土間の椅子席でお酒を飲むという事は無く、奥の六畳間で電気を暗くして大きい声を立てずに、こっそり酔っぱらうという仕組になっていまして、また、その年増女というのは、そのすこし前まで、新宿のバアで女給さんをしていたひとで、その女給時代に、筋のいいお客を私の店に連れて来て飲ませて、私の家の馴染にしてくれるという、まあ蛇(じや)の道はへび、という工合いの附合いをしておりまして、そのひとのアパートはすぐ近くでしたので、新宿のバアが閉鎖になって女給をよしましてからも、ちょいちょい知合いの男のひとを連れてまいりまして、私どもの店にもだんだん酒が少くなり、どんなに筋のいいお客でも、飲み手がふえるというのは、以前ほど有難くないばかりか、迷惑にさえ思われたのですが、しかし、その前の四、五年間、ずいぶん派手な金遣いをするお客ばかり、たくさん連れて来てくれたのでございますから、その義理もあって、その年増のひとから紹介された客には、私どもも、いやな顔をせずお酒を差し上げる事にしていたのでした。だから旦那がその時、その年増のひと、秋ちゃん、といいますが、そのひとに連れられて裏の勝手口からこっそりはいって来ても、別に私どもも怪しむ事なく、れいのとおり、奥の六畳間に上げて、焼酎を出しました。大谷さんは、その晩はおとなしく飲んで、お勘定は秋ちゃんに払わせて、また裏口からふたり一緒に帰って行きましたが、私には奇妙にあの晩の、大谷さんのへんに静かで上品な素振りが忘れられません。魔物がひとの家にはじめて現われる時には、あんなひっそりした、ういういしいみたいな姿をしているものなのでしょうか。その夜から、私どもの店は大谷さんに見込まれてしまったのでした。それから十日ほど経って、こんどは大谷さんがひとりで裏口からまいりまして、いきなり百円紙幣を一枚出して、いやその頃はまだ百円と言えば大金でした、いまの二、三千円にも、それ以上にも当る大金でした、それを無理矢理、私の手に握らせて、たのむ、と言って、気弱そうに笑うのです。もう既に、だいぶ召上っている様子でしたが、とにかく、奥さんもご存じでしょう、あんな酒の強いひとはありません。酔ったのかと思うと、急にまじめな、ちゃんと筋のとおった話をするし、いくら飲んでも、足もとがふらつくなんて事は、ついぞ一度も私どもに見せた事は無いのですからね。人間三十前後は謂(い)わば血気のさかりで、酒にも強い年頃ですが、しかし、あんなのは珍らしい。その晩も、どこかよそで、かなりやって来た様子なのに、それから私の家で、焼酎を立てつづけに十杯も飲み、まるでほとんど無口で、私ども夫婦が何かと話しかけても、ただはにかむように笑って、うん、うん、とあいまいに首肯き、突然、何時(なんじ)ですか、と時間をたずねて立ち上り、お釣を、と私が言いますと、いや、いい、と言い、それは困ります、と私が強く言いましたら、にやっと笑って、それではこの次まであずかって置いて下さい、また来ます、と言って帰りましたが、奥さん、私どもがあのひとからお金をいただいたのは、あとにもさきにも、ただこの時いちど切り、それからはもう、なんだかんだとごまかして、三年間、一銭のお金も払わずに、私どものお酒をほとんどひとりで、飲みほしてしまったのだから、呆れるじゃありませんか」
思わず、私は、噴き出しました。理由のわからない可笑(おか)しさが、ひょいとこみ上げて来たのです。あわてて口をおさえて、おかみさんのほうを見ると、おかみさんも妙に笑ってうつむきました。それから、ご亭主も、仕方無さそうに苦笑いして、
「いや、まったく、笑い事では無いんだが、あまり呆れて、笑いたくもなります。じっさいあれほどの腕前を、他のまともな方面に用いたら、大臣にでも、博士にでも、なんにでもなれますよ。私ども夫婦ばかりでなく、あの人に見込まれて、すってんてんになってこの寒空に泣いている人間が他にもまだまだある様子だ。げんにあの秋ちゃんなど、大谷さんと知合ったばかりに、いいパトロンには逃げられるし、お金も着物も無くしてしまうし、いまはもう長屋の汚い一部屋で乞食みたいな暮しをしているそうだが、じっさい、あの秋ちゃんは、大谷さんと知合った頃には、あさましいくらいのぼせて、私たちにも何かと吹聴していたものです。だいいち、ご身分が凄い。四国の或る殿様の別家の、大谷男爵の次男で、いまは不身持のため勘当せられているが、いまに父の男爵が死ねば、長男と二人で、財産をわける事になっている。頭がよくて、天才、というものだ。二十一で本を書いて、それが石川啄木(たくぼく)という大天才の書いた本よりも、もっと上手で、それからまた十何冊だかの本を書いて、としは若いけれども、日本一の詩人、という事になっている。おまけに大学者で、学習院から一高、帝大とすすんで、ドイツ語フランス語、いやもう、おっそろしい、何が何だか秋ちゃんに言わせるとまるで神様みたいな人で、しかし、それもまた、まんざら皆うそではないらしく、他のひとから聞いても、大谷男爵の次男で、有名な詩人だという事に変りはないので、こんな、うちの婆まで、いいとしをして、秋ちゃんと競争してのぼせ上って、さすがに育ちのいいお方はどこか違っていらっしゃる、なんて言って大谷さんのおいでを心待ちにしているていたらくなんですから、たまりません。いまはもう、華族もへったくれも無くなったようですが、終戦前までは、女を口説くには、とにかくこの華族の勘当息子という手に限るようでした。へんに女が、くわっとなるらしいんです。やっぱりこれは、その、いまはやりの言葉で言えば奴隷根性というものなんでしょうね。私なんぞは、男の、それも、すれっからしと来ているのでございますから、たかが華族の、いや、奥さんの前ですけれども、四国の殿様のそのまた分家の、おまけに次男なんて、そんなのは何も私たちと身分のちがいがあろう筈が無いと思っていますし、まさかそんな、あさましく、くわっとなったりなどはしやしません。ですけれども、やはり、何だかどうもあの先生は、私にとっても苦手(にがて)でして、もうこんどこそ、どんなにたのまれてもお酒は飲ませまいと固く決心していても、追われて来た人のように、意外の時刻にひょいとあらわれ、私どもの家へ来てやっとほっとしたような様子をするのを見ると、つい決心もにぶってお酒を出してしまうのです。酔っても、別に馬鹿騒ぎをするわけじゃないし、あれでお勘定さえきちんとしてくれたら、いいお客なんですがねえ。自分で自分の身分を吹聴するわけでもないし、天才だのなんだのとそんな馬鹿げた自慢をした事もありませんし、秋ちゃんなんかが、あの先生の傍で、私どもに、あの人の偉さに就いて広告したりなどすると、僕はお金がほしいんだ、ここの勘定を払いたいんだ、とまるっきり別な事を言って座を白けさせてしまいます。あの人が私どもに今までお酒の代を払った事はありませんが、あのひとのかわりに、秋ちゃんが時々支払って行きますし、また、秋ちゃんの他にも、秋ちゃんに知られては困るらしい内緒の女のひともありまして、そのひとはどこかの奥さんのようで、そのひとも時たま大谷さんと一緒にやって来まして、これもまた大谷さんのかわりに、過分のお金を置いて行く事もありまして、私どもだって、商人でございますから、そんな事でもなかった日には、いくら大谷先生であろうが宮様であろうが、そんなにいつまでも、ただで飲ませるわけにはまいりませんのです。けれども、そんな時たまの支払いだけでは、とても足りるものではなく、もう私どもの大損で、なんでも小金井に先生の家があって、そこにはちゃんとした奥さんもいらっしゃるという事を聞いていましたので、いちどそちらへお勘定の相談にあがろうと思って、それとなく大谷さんにお宅はどのへんでしょうと、たずねる事もありましたが、すぐ勘附いて、無いものは無いんだよ、どうしてそんなに気をもむのかね、喧嘩(けんか)わかれは損だぜ、などと、いやな事を言います。それでも、私どもは何とかして、先生のお家だけでも突きとめて置きたくて、二、三度あとをつけてみた事もありましたが、そのたんびに、うまく巻かれてしまうのです。そのうちに東京は大空襲の連続という事になりまして、何が何やら、大谷さんが戦闘帽などかぶって舞い込んで来て、勝手に押入れの中からブランデイの瓶なんか持ち出して、ぐいぐい立ったまま飲んで風のように立ち去ったりなんかして、お勘定も何もあったものでなく、やがて終戦になりましたので、こんどは私どもも大っぴらで闇の酒さかなを仕入れて、店先には新しいのれんを出し、いかに貧乏の店でも張り切って、お客への愛嬌(あいきよう)に女の子をひとり雇ったり致しましたが、またもや、あの魔物の先生があらわれまして、こんどは女連れでなく、必ず二、三人の新聞記者や雑誌記者と一緒にまいりまして、なんでもこれからは、軍人が没落して今まで貧乏していた詩人などが世の中からもてはやされるようになったとかいうその記者たちの話でございまして、大谷先生は、その記者たちを相手に、外国人の名前だか、英語だか、哲学だか、何だかわけのわからないような、へんな事を言って聞かせて、そうしてひょいと立って外へ出て、それっきり帰りません。記者たちは、興覚め顔に、あいつどこへ行きやがったんだろう、そろそろおれたちも帰ろうか、など帰り支度をはじめ、私は、お待ち下さい、先生はいつもあの手で逃げるのです、お勘定はあなたたちから戴きます、と申します。おとなしく皆で出し合って支払って帰る連中もありますが、大谷に払わせろ、おれたちは五百円生活をしているんだ、と言って怒る人もあります。怒られても私は、いいえ、大谷さんの借金が、いままでいくらになっているかご存じですか? もしあなたたちが、その借金をいくらでも大谷さんから取って下さったら、私は、あなたたちに、その半分は差し上げます、と言いますと、記者たちも呆れた顔を致しまして、なんだ、大谷がそんなひでえ野郎とは思わなかった、こんどからはあいつと飲むのはごめんだ、おれたちには今夜は金は百円も無い、あした持って来るから、それまでこれをあずかって置いてくれ、と威勢よく外套を脱いだりなんかするのでございます。記者というものは柄が悪い、と世間から言われているようですけれども、大谷さんにくらべると、どうしてどうして、正直であっさりして、大谷さんが男爵の御次男なら、記者たちのほうが、公爵の御総領くらいの値打があります。大谷さんは、終戦後は一段と酒量もふえて、人相がけわしくなり、これまで口にした事の無かったひどく下品な冗談などを口走り、また、連れて来た記者を矢庭に殴って、つかみ合いの喧嘩をはじめたり、また、私どもの店で使っているまだはたち前の女の子を、いつのまにやらだまし込んで手に入れてしまった様子で、私どもも実に驚き、まったく困りましたが、既にもう出来てしまった事ですから泣き寝入りの他は無く、女の子にもあきらめるように言いふくめて、こっそり親御の許(もと)にかえしてやりました。大谷さん、何ももう言いません、拝むから、これっきり来ないで下さい、と私が申しましても、大谷さんは、闇でもうけているくせに人並の口をきくな、僕はなんでも知っているぜ、と下司(げす)な脅迫がましい事など言いまして、またすぐ次の晩に平気な顔してまいります。私どもも、大戦中から闇の商売などして、その罰が当って、こんな化け物みたいな人間を引受けなければならなくなったのかも知れませんが、しかし、今晩のような、ひどい事をされては、もう詩人も先生もへったくれもない、どろぼうです、私どものお金を五千円ぬすんで逃げ出したのですからね。いまはもう私どもも、仕入れに金がかかって、家の中にはせいぜい五百円か千円の現金があるくらいのもので、いや本当の話、売り上げの金はすぐ右から左へ仕入れに注ぎ込んでしまわなければならないんです。今夜、私どもの家に五千円などという大金があったのは、もうことしも大みそかが近くなって来ましたし、私が常連のお客さんの家を廻ってお勘定をもらって歩いて、やっとそれだけ集めてまいりましたのでして、これはすぐ今夜にでも仕入れのほうに手渡してやらなければ、もう来年の正月からは私どもの商売をつづけてやって行かれなくなるような、そんな大事な金で、女房が奥の六畳間で勘定して戸棚の引出しにしまったのを、あのひとが土間の椅子席でひとりで酒を飲みながらそれを見ていたらしく、急に立ってつかつかと六畳間にあがって、無言で女房を押しのけ引出しをあけ、その五千円の札束をわしづかみにして二重まわしのポケットにねじ込み、私どもがあっけにとられているうちに、さっさと土間に降りて店から出て行きますので、私は大声を挙げて呼びとめ、女房と一緒に後を追い、私はこうなればもう、どろぼう! と叫んで、往来のひとたちを集めてしばってもらおうかとも思ったのですが、とにかく大谷さんは私どもとは知合いの間柄ですし、それもむごすぎるように思われ、今夜はどんな事があっても大谷さんを見失わないようにどこまでも後をつけて行き、その落ちつく先を見とどけて、おだやかに話してあの金をかえてしてもらおう、とまあ私どもも弱い商売でございますから、私ども夫婦は力を合せ、やっと今夜はこの家をつきとめて、かんにん出来ぬ気持をおさえて、金をかえして下さいと、おんびんに申し出たのに、まあ、何という事だ、ナイフなんか出して、刺すぞだなんて、まあ、なんという」
またもや、わけのわからぬ可笑しさがこみ上げて来まして、私は声を挙げて笑ってしまいました。おかみさんも、顔を赤くして少し笑いました。私は笑いがなかなかとまらず、ご亭主に悪いと思いましたが、なんだか奇妙に可笑しくて、いつまでも笑いつづけて涙が出て、夫の詩の中にある「文明の果の大笑い」というのは、こんな気持の事を言っているのかしらと、ふと考えました。
二
とにかく、しかし、そんな大笑いをして、すまされる事件ではございませんでしたので、私も考え、その夜お二人に向って、それでは私が何とかしてこの後始末をする事に致しますから、警察沙汰にするのは、もう一日お待ちになって下さいまし、明日そちらさまへ、私のほうからお伺い致します、と申し上げまして、その中野のお店の場所をくわしく聞き、無理にお二人にご承諾をねがいまして、その夜はそのままでひとまず引きとっていただき、それから、寒い六畳間のまんなかに、ひとり坐って物案じいたしましたが、べつだん何のいい工夫も思い浮びませんでしたので、立って羽織を脱いで、坊やの寝ている蒲団(ふとん)にもぐり、坊やの頭を撫(な)でながら、いつまでも、いつまで経っても、夜が明けなければいい、と思いました。
私の父は以前、浅草公園の瓢箪池(ひようたんいけ)のほとりに、おでんの屋台を出していました。母は早くなくなり、父と私と二人きりで長屋住居をしていて、屋台のほうも父と二人でやっていましたのですが、いまのあの人がときどき屋台に立ち寄って、私はそのうちに父をあざむいて、あの人と、よそで逢うようになりまして、坊やがおなかに出来ましたので、いろいろごたごたの末、どうやらあの人の女房というような形になったものの、もちろん籍も何もはいっておりませんし、坊やは、てて無し児という事になっていますし、あの人は家を出ると三晩も四晩も、いいえ、ひとつきも帰らぬ事もございまして、どこで何をしている事やら、帰る時は、いつも泥酔していて、真蒼(まつさお)な顔で、はあっはあっと、くるしそうな呼吸をして、私の顔を黙って見て、ぽろぽろ涙を流す事もあり、またいきなり、私の寝ている蒲団にもぐり込んで来て、私のからだを固く抱きしめて、
「ああ、いかん。こわいんだ。こわいんだよ、僕は。こわい! たすけてくれ!」
などと言いまして、がたがた震えている事もあり、眠ってからも、うわごとを言うやら、呻(うめ)くやら、そうして翌(あく)る朝は、魂の抜けた人みたいにぼんやりして、そのうちにふっといなくなり、それっきりまた三晩も四晩も帰らず、古くからの夫の知合いの出版のほうのお方が二、三人、そのひとたちが私と坊やの身を案じて下さって、時たまお金を持って来てくれますので、どうやら私たちも飢え死にせずにきょうまで暮してまいりましたのです。
とろとろと、眠りかけて、ふと眼をあけると、雨戸のすきまから、朝の光線がさし込んでいるのに気附いて、起きて身支度をして坊やを脊負い、外に出ました。もうとても黙って家の中におられない気持でした。
どこへ行こうというあてもなく、駅のほうに歩いて行って、駅の前の露店で飴(あめ)を買い、坊やにしゃぶらせて、それから、ふと思いついて吉祥寺までの切符を買って電車に乗り、吊皮(つりかわ)にぶらさがって何気なく電車の天井にぶらさがっているポスターを見ますと、夫の名が出ていました。それは雑誌の広告で、夫はその雑誌に「フランソワ・ヴィヨン」という題の長い論文を発表している様子でした。私はそのフランソワ・ヴィヨンという題と夫の名前を見つめているうちに、なぜだかわかりませぬけれども、とてもつらい涙がわいて出て、ポスターが霞(かす)んで見えなくなりました。
吉祥寺で降りて、本当にもう何年振りかで井の頭公園に歩いて行って見ました。池のはたの杉の木が、すっかり伐(き)り払われて、何かこれから工事でもはじめられる土地みたいに、へんにむき出しの寒々した感じで、昔とすっかり変っていました。
坊やを背中からおろして、池のはたのこわれかかったベンチに二人ならんで腰をかけ、家から持って来たおいもを坊やに食べさせました。
「坊や。綺麗(きれい)なお池でしょ? 昔はね、このお池に鯉(こい)トトや金(きん)トトが、たくさんたくさんいたのだけれども、いまはなんにも、いないわねえ。つまんないねえ」
坊やは、何と思ったのか、おいもを口の中に一ぱい頬張ったまま、けけ、と妙に笑いました。わが子ながら、ほとんど阿呆の感じでした。
その池のはたのベンチにいつまでいたって、何のらちのあく事では無し、私はまた坊やを背負って、ぶらぶら吉祥寺の駅のほうへ引返し、にぎやかな露店街を見て廻って、それから、駅で中野行きの切符を買い、何の思慮も計画も無く、謂わばおそろしい魔の淵(ふち)にするすると吸い寄せられるように、電車に乗って中野で降りて、きのう教えられたとおりの道筋を歩いて行って、あの人たちの小料理屋の前にたどりつきました。
表の戸は、あきませんでしたので、裏へまわって勝手口からはいりました。ご亭主さんはいなくて、おかみさんひとり、お店の掃除をしていました。おかみさんと顔が合ったとたんに私は、自分でも思いがけなかった嘘(うそ)をすらすらと言いました。
「あの、おばさん、お金は私が綺麗におかえし出来そうですの。今晩か、でなければ、あした、とにかく、はっきり見込みがついたのですから、もうご心配なさらないで」
「おや、まあ、それはどうも」
と言って、おかみさんは、ちょっとうれしそうな顔をしましたが、それでも何か腑(ふ)に落ちないような不安な影がその顔のどこやらに残っていました。
「おばさん、本当よ。かくじつに、ここへ持って来てくれるひとがあるのよ。それまで私は、人質になって、ここにずっといる事になっていますの。それなら、安心でしょう? お金が来るまで、私はお店のお手伝いでもさせていただくわ」
私は坊やを背中からおろし、奥の六畳間にひとりで遊ばせて置いて、くるくると立ち働いて見せました。坊やは、もともとひとり遊びには馴(な)れておりますので、少しも邪魔になりません。また頭が悪いせいか、人見知りをしないたちなので、おかみさんにも笑いかけたりして、私がおかみさんのかわりに、おかみさんの家の配給物をとりに行ってあげている留守にも、おかみさんからアメリカの罐詰(かんづめ)の殻を、おもちゃ代りにもらって、それを叩いたりころがしたりしておとなしく六畳間の隅で遊んでいたようでした。
お昼頃、ご亭主がおさかなや野菜の仕入れをして帰って来ました。私は、ご亭主の顔を見るなり、また早口に、おかみさんに言ったのと同様の嘘を申しました。
ご亭主は、きょとんとした顔になって、
「へえ? しかし、奥さん、お金ってものは、自分の手に、握ってみないうちは、あてにならないものですよ」
と案外、しずかな、教えさとすような口調で言いました。
「いいえ、それがね、本当にたしかなのよ。だから、私を信用して、おもて沙汰にするのは、きょう一日待って下さいな。それまで私は、このお店でお手伝いしていますから」
「お金が、かえって来れば、そりゃもう何も」とご亭主は、ひとりごとのように言い、「何せことしも、あと五、六日なのですからね」
「ええ、だから、それだから、あの私は、おや? お客さんですわよ。いらっしゃいまし」
と私は、店へはいって来た三人連れの職人ふうのお客に向って笑いかけ、それから小声で、
「おばさん、すみません。エプロンを貸して下さいな」
「や、美人を雇いやがった。こいつあ、凄い」
と客のひとりが言いました。
「誘惑しないで下さいよ」とご亭主は、まんざら冗談でもないような口調で言い、「お金のかかっているからだですから」
「百万ドルの名馬か?」
ともうひとりの客は、げびた洒落(しゃれ)を言いました。
「名馬も、雌は半値だそうです」
と私は、お酒のお燗(かん)をつけながら、負けずに、げびた受けこたえを致しますと、
「けんそんするなよ。これから日本は、馬でも犬でも、男女同権だってさ」と一ばん若いお客が、呶鳴(どな)るように言いまして、「ねえさん、おれは惚(ほ)れた。一目惚れだ。が、しかし、お前は、子持ちだな?」
「いいえ」と奥から、おかみさんは、坊やを抱いて出て来て、「これは、こんど私どもが親戚(しんせき)からもらって来た子ですの。これでもう、やっと私どもにも、あとつぎが出来たというわけですわ」
「金も出来たし」
と客のひとりが、からかいますと、ご亭主はまじめに、
「いろも出来、借金も出来」と呟(つぶや)き、それから、ふいと語調をかえて、「何にしますか? よせ鍋(なべ)でも作りましょうか?」
と客にたずねます。私には、その時、或る事が一つ、わかりました。やはりそうか、と自分でひとり首肯(うなず)き、うわべは何気なく、お客にお銚子(ちようし)を運びました。
その日は、クリスマスの、前夜祭とかいうのに当っていたようで、そのせいか、お客が絶えること無く、次々と参りまして、私は朝からほとんど何一つ戴いておらなかったのでございますが、胸に思いがいっぱい籠(こも)っているためか、おかみさんから何かおあがりと勧められても、いいえ沢山と申しまして、そうしてただもう、くるくると羽衣一まいを纏(まと)って舞っているように身軽く立ち働き、自惚(うぬぼ)れかも知れませぬけれども、その日のお店は異様に活気づいていたようで、私の名前をたずねたり、また握手などを求めたりするお客さんが二人、三人どころではございませんでした。
けれども、こうしてどうなるのでしょう。私には何も一つも見当が附いていないのでした。ただ笑って、お客のみだらな冗談にこちらも調子を合せて、更にもっと下品な冗談を言いかえし、客から客へ滑り歩いてお酌して廻って、そうしてそのうちに、自分のこのからだがアイスクリームのように溶けて流れてしまえばいい、などと考えるだけでございました。
奇蹟はやはり、この世の中にも、ときたま、あらわれるものらしゅうございます。
九時すこし過ぎくらいの頃でございましたでしょうか。クリスマスのお祭りの、紙の三角帽をかぶり、ルパンのように顔の上半分を覆いかくしている黒の仮面をつけた男と、それから三十四、五の痩(や)せ型の綺麗な奥さんと二人連れの客が見えまして、男のひとは、私どもには後向きに、土間の隅の椅子に腰を下しましたが、私はその人がお店にはいってくると直ぐに、誰だか解りました。どろぼうの夫です。
向うでは、私のことに何も気附かぬようでしたので、私も知らぬ振りして他のお客とふざけ合い、そうして、その奥さんが夫と向い合って腰かけて、
「ねえさん、ちょっと」
と呼びましたので、
「へえ」
と返辞して、お二人のテーブルのほうに参りまして、
「いらっしゃいまし。お酒でございますか?」
と申しました時に、ちらと夫は仮面の底から私を見て、さすがに驚いた様子でしたが、私はその肩を軽く撫でて、
「クリスマスおめでとうって言うの? なんていうの? もう一升くらいは飲めそうね」
と申しました。
奥さんはそれには取り合わず、改まった顔つきをして、
「あの、ねえさん、すみませんがね、ここのご主人にないないお話し申したい事がございますのですけど、ちょっとここへご主人を」
と言いました。
私は奥で揚物(あげもの)をしているご亭主のところへ行き、
「大谷が帰ってまいりました。会ってやって下さいまし。でも、連れの女のかたに、私のことは黙っていて下さいね。大谷が恥かしい思いをするといけませんから」
「いよいよ、来ましたね」
ご亭主は、私の、あの嘘を半ばは危(あやぶ)みながらも、それでもかなり信用していてくれたもののようで、夫が帰って来たことも、それも私の何か差しがねに依っての事と単純に合点している様子でした。
「私のことは、黙っててね」
と重ねて申しますと、
「そのほうがよろしいのでしたら、そうします」
と気さくに承知して、土間に出て行きました。
ご亭主は土間のお客を一わたりざっと見廻し、それから真っ直ぐに夫のいるテーブルに歩み寄って、その綺麗な奥さんと何か二言、三言話を交して、それから三人そろって店から出て行きました。
もういいのだ。万事が解決してしまったのだと、なぜだかそう信ぜられて、流石(さすが)にうれしく、紺絣(こんがすり)の着物を着たまだはたち前くらいの若いお客さんの手首を、だしぬけに強く掴(つか)んで、
「飲みましょうよ、ね、飲みましょう。クリスマスですもの」
三
ほんの三十分、いいえ、もっと早いくらい、おや、と思ったくらいに早く、ご亭主がひとりで帰って来まして、私の傍に寄り、
「奥さん、ありがとうございました。お金はかえして戴きました」
「そう。よかったわね。全部?」
ご亭主は、へんな笑い方をして、
「ええ、きのうの、あの分(ぶん)だけはね」
「これまでのが全部で、いくらなの? ざっと、まあ、大負けに負けて」
「二万円」
「それだけでいいの?」
「大負けに負けました」
「おかえし致します。おじさん、あすから私を、ここで働かせてくれない? ね、そうして! 働いて返すわ」
「へえ? 奥さん、とんだ、おかるだね」
私たちは、声を合せて笑いました。
その夜、十時すぎ、私は中野の店をおいとまして、坊やを背負い、小金井の私たちの家にかえりました。やはり夫は帰って来ていませんでしたが、しかし私は、平気でした。あすまた、あのお店へ行けば、夫に逢えるかも知れない。どうして私はいままで、こんないい事に気づかなかったのかしら。きのうまでの私の苦労も、所詮(しよせん)は私が馬鹿で、こんな名案に思いつかなかったからなのだ。私だって昔は浅草の父の屋台で、客あしらいは決して下手ではなかったのだから、これからあの中野のお店できっと巧く立ちまわれるに違いない。現に今夜だって私は、チップを五百円ちかくもらったのだもの。
ご亭主の話に依ると、夫は昨夜あれから何処(どこ)か知合いの家へ行って泊ったらしく、それから、けさ早く、あの綺麗な奥さんの営んでいる京橋のバーを襲って、朝からウイスキーを飲み、そうして、そのお店に働いている五人の女の子に、クリスマス・プレゼントだと言って無闇にお金をくれてやって、それからお昼頃にタキシーを呼び寄せさせて何処かへ行き、しばらくたって、クリスマスの三角帽やら仮面やら、デコレーションケーキやら七面鳥まで持ち込んで来て、四方に電話を掛けさせ、お知合いの方たちを呼び集め、大宴会をひらいて、いつもちっともお金を持っていない人なのにと、バーのマダムが不審がって、そっと問いただしてみたら、夫は平然と、昨夜のことを洗いざらいそのまま言うので、そのマダムも前から大谷とは他人の仲では無いらしく、とにかくそれは警察沙汰になって騒ぎが大きくなっても、つまらないし、かえさなければなりませんと親身に言って、お金はそのマダムがたてかえて、そうして夫に案内させ、中野のお店に来てくれたのだそうで、中野のお店のご亭主は私に向って、
「たいがい、そんなところだろうとは思っていましたが、しかし、奥さん、あなたはよくその方角にお気が附きましたね。大谷さんのお友だちにでも頼んだのですか」
とやはり私が、はじめからこうしてかえって来るのを見越して、このお店に先廻りして待っていたもののように考えているらしい口振りでしたから、私は笑って、
「ええ、そりゃもう」
とだけ、答えて置きましたのです。
その翌る日からの私の生活は、今までとはまるで違って、浮々した楽しいものになりました。さっそく電髪屋に行って、髪の手入れも致しましたし、お化粧品も取りそろえまして、着物を縫い直したり、また、おかみさんから新しい白足袋を二足もいただき、これまでの胸の中の重苦しい思いが、きれいに拭(ぬぐ)い去られた感じでした。
朝起きて坊やと二人で御飯をたべ、それから、お弁当をつくって坊やを脊負い、中野にご出勤ということになり、大みそか、お正月、お店のかきいれどきなので、椿屋(つばきや)の、さっちゃん、というのがお店での私の名前なのでございますが、そのさっちゃんは毎日、眼のまわるくらいの大忙しで、二日に一度くらいは夫も飲みにやって参りまして、お勘定は私に払わせて、またふっといなくなり、夜おそく私のお店を覗(のぞ)いて、
「帰りませんか」
とそっと言い、私も首肯いて帰り支度をはじめ、一緒にたのしく家路をたどる事も、しばしばございました。
「なぜ、はじめからこうしなかったのでしょうね。とっても私は幸福よ」
「女には、幸福も不幸も無いものです」
「そうなの? そう言われると、そんな気もして来るけど、それじゃ、男の人は、どうなの?」
「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです」
「わからないわ、私には。でも、いつまでも私、こんな生活をつづけて行きとうございますわ。椿屋のおじさんも、おばさんも、とてもいいお方ですもの」
「馬鹿なんですよ、あのひとたちは。田舎者ですよ。あれでなかなか慾張りでね。僕に飲ませて、おしまいには、もうけようと思っているのです」
「そりゃ商売ですもの、当り前だわ。だけど、それだけでも無いんじゃない? あなたは、あのおかみさんを、かすめたでしょう」
「昔ね。おやじは、どう? 気附いているの?」
「ちゃんと知っているらしいわ。いろも出来、借金も出来、といつか溜息(ためいき)まじりに言ってたわ」
「僕はね、キザのようですけど、死にたくて、仕様が無いんです。生れた時から、死ぬ事ばかり考えていたんだ。皆のためにも、死んだほうがいいんです。それはもう、たしかなんだ。それでいて、なかなか死ねない。へんな、こわい神様みたいなものが、僕の死ぬのを引きとめるのです」
「お仕事が、おありですから」
「仕事なんてものは、なんでもないんです。傑作も駄作もありやしません。人がいいと言えば、よくなるし、悪いと言えば、悪くなるんです。ちょうど吐くいきと、引くいきみたいなものなんです。おそろしいのはね、この世の中の、どこかに神がいる、という事なんです。いるんでしょうね?」
「え?」
「いるんでしょうね?」
「私には、わかりませんわ」
「そう」
十日、二十日とお店にかよっているうちに、私には、椿屋にお酒を飲みに来ているお客さんがひとり残らず犯罪人ばかりだという事に、気がついてまいりました。夫などはまだまだ、優しいほうだと思うようになりました。また、お店のお客さんばかりでなく、路を歩いている人みなが、何か必ずうしろ暗い罪をかくしているように思われて来ました。立派な身なりの、五十年配の奥さんが、椿屋の勝手口にお酒を売りに来て、一升三百円、とはっきり言いまして、それはいまの相場にしては安いほうですので、おかみさんがすぐに引きとってやりましたが、水酒でした。あんな上品そうな奥さんさえ、こんな事をたくらまなければならなくなっている世の中で、我が身にうしろ暗いところが一つも無くて生きて行く事は、不可能だと思いました。トランプの遊びのように、マイナスを全部あつめるとプラスに変るという事は、この世の道徳には起り得ない事でしょうか。
神がいるなら、出て来て下さい! 私は、お正月の末に、お店のお客にけがされました。
その夜は、雨が降っていました。夫は、あらわれませんでしたが、夫の昔からの知合いの出版のほうの方で、時たま私のところへ生活費をとどけて下さった矢島さんが、その同業のお方らしい、やはり矢島さんくらいの四十年配のお方と二人でお見えになり、お酒を飲みながら、お二人で声高く、大谷の女房がこんなところで働いているのは、よろしくないとか、よろしいとか、半分は冗談みたいに言い合い、私は笑いながら、
「その奥さんは、どこにいらっしゃるの?」
とたずねますと、矢島さんは、
「どこにいるのか知りませんがね、すくなくとも、椿屋のさっちゃんよりは、上品で綺麗だ」
と言いますので、
「やけるわね。大谷さんみたいな人となら、私は一夜でもいいから、添ってみたいわ。私はあんな、ずるいひとが好き」
「これだからねえ」
と矢島さんは、連れのお方のほうに顔を向け、口をゆがめて見せました。
その頃になると、私が大谷という詩人の女房だという事が、夫と一緒にやって来る記者のお方たちにも知られていましたし、またそのお方たちから聞いてわざわざ私をからかいにおいでになる物好きなお方などもありまして、お店はにぎやかになる一方で、ご亭主のご機嫌もいよいよ、まんざらでございませんでしたのです。
その夜は、それから矢島さんたちは紙の闇取引の商談などして、お帰りになったのは十時すぎで、私も今夜は雨も降るし、夫もあらわれそうもございませんでしたので、お客さんがまだひとり残っておりましたけれども、そろそろ帰り支度をはじめて、奥の六畳の隅に寝ている坊やを抱き上げて脊負い、
「また、傘をお借りしますわ」
と小声でおかみさんにお頼みしますと、
「傘なら、おれも持っている。お送りしましょう」
とお店に一人のこっていた二十五、六の、痩せて小柄な工員ふうのお客さんが、まじめな顔をして立ち上りました。それは、私には今夜がはじめてのお客さんでした。
「はばかりさま。ひとり歩きには馴れていますから」
「いや、お宅は遠い。知っているんだ。おれも、小金井の、あの近所の者なんだ。お送りしましょう。おばさん、勘定をたのむ」
お店では三本飲んだだけで、そんなに酔ってもいないようでした。
一緒に電車に乗って、小金井で降りて、それから雨の降るまっくらい路を相合傘で、ならんで歩きました。その若いひとは、それまでほとんど無言でいたのでしたが、ぽつりぽつり言いはじめ、
「知っているのです。おれはね、あの大谷先生の詩のファンなのですよ。おれもね、詩を書いているのですがね。そのうち、大谷先生に見ていただこうと思っていたのですがね。どうもね、あの大谷先生が、こわくてね」
家につきました。
「ありがとうございました。また、お店で」
「ええ、さようなら」
若いひとは、雨の中を帰って行きました。
深夜、がらがらと玄関のあく音に、眼をさましましたが、れいの夫の泥酔のご帰宅かと思い、そのまま黙って寝ていましたら、
「ごめん下さい。大谷さん、ごめん下さい」
という男の声が致します。
起きて電燈をつけて玄関に出て見ますと、さっきの若いひとが、ほとんど直立できにくいくらいにふらふらして、
「奥さん、ごめんなさい。かえりにまた屋台で一ぱいやりましてね、実はね、おれの家は立川でね、駅へ行ってみたらもう、電車がねえんだ。奥さん、たのみます。泊めて下さい。ふとんも何も要りません。この玄関の式台でもいいのだ。あしたの朝の始発が出るまで、ごろ寝させて下さい。雨さえ降ってなけや、その辺の軒下にでも寝るんだが、この雨では、そうもいかねえ。たのみます」
「主人もおりませんし、こんな式台でよろしかったら、どうぞ」
と私は言い、破れた座蒲団を二枚、式台に持って行ってあげました。
「すみません。ああ酔った」
と苦しそうに小声で言い、すぐにそのまま式台に寝ころび、私が寝床に引返した時には、もう高い鼾(いびき)が聞えていました。
そうして、その翌る日のあけがた、私は、あっけなくその男の手にいれられました。
その日も私は、うわべは、やはり同じ様に、坊やを背負って、お店の勤めに出かけました。
中野のお店の土間で、夫が、酒のはいったコップをテーブルの上に置いて、ひとりで新聞を読んでいました。コップに午前の陽の光が当って、きれいだと思いました。
「誰もいないの?」
夫は、私のほうを振り向いて見て、
「うん。おやじはまだ仕入れから帰らないし、ばあさんは、ちょっといままでお勝手のほうにいたようだったけど、いませんか?」
「ゆうべは、おいでにならなかったの?」
「来ました。椿屋のさっちゃんの顔を見ないとこのごろ眠れなくなってね、十時すぎにここを覗いてみたら、いましがた帰りましたというのでね」
「それで?」
「泊っちゃいましたよ、ここへ。雨はざんざ降っているし」
「あたしも、こんどから、このお店にずっと泊めてもらう事にしようかしら」
「いいでしょう、それも」
「そうするわ。あの家をいつまでも借りてるのは、意味ないもの」
夫は、黙ってまた新聞に眼をそそぎ、
「やあ、また僕の悪口を書いている。エピキュリアンのにせ貴族だってさ。こいつは、当っていない。神におびえるエピキュリアン、とでも言ったらよいのに。さっちゃん、ごらん、ここに僕のことを、人非人なんて書いていますよ。違うよねえ。僕は今だから言うけれども、去年の暮にね、ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人非人でないから、あんな事も仕出かすのです」
私は格別うれしくもなく、
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
と言いました。
人生の雑種として
小熊秀雄
どうせ私は殖民地生れ
混血児なんだ、
お気にさはつたら
御免なさい、
理解できなかつたら
勝手にしやがれ、
私は人生の雑種として
節操がない
すべての男とすべての女の
腹の中に
私は胤(たね)をおろさう、
私の可愛い子供が殖えるやうに
私の思想をバラ撒(ま)かう、
私の無礼な性格は
私のせいではない
諸君よ、
私の父親を恨んでくれ、
私は日本酒と洋酒と
ちやんぽんに飲む、
コスモポリタンだ、
どつちの国籍に属する酒が
私を酔はしたか
お医者もわかるまい、
日本的現実も
ソビヱット的現実も
わたしにとつては区別がない、
ただ癪にさはるのは
足の立つてゐるところの現実が
私に貧乏を押しつけたことだ、
そのことだけで
私は単純に怒る、
私は酔つて頭が混乱してゐるのに、
奴は道徳的平静を
しんみり味つてゐる
良い身分だ、
海に囲まれたこの島国で
私は三十五年間
現実と和睦してこなかつた
今更楯(たて)つくことはやめられぬ
舌はもの食ふばかりでついてゐない
噛み切るためにもついてゐる、
太陽は空をうろつき
下界では
日本のアスファルト舗道を
右に左に千鳥足
私は思想のタテヨコと
嘔吐(へど)をもつて
さんざんに汚すばかりだ。
釜ケ崎
武田麟太郎
カツテ、幾人カノ外来者ガ、案内者ナクシテ、コノ密集地域ノ奥深ク迷ヒ込ミ、ソノママ行先不明トナリシ事ノアリシト聞ク――このやうに、ある大阪地誌に下手な文章で結論されてゐる釜ケ崎は「ガード下」の通称があるやうに、恵美須町市電車庫の南、関西線のガードを起点としてゐるのであるが、さすがその表通は、紀州街道に沿つてゐて皮肉にも住吉堺あたりの物持が自動車で往き来するので、幅広く整理され、今はアスファルトさへ敷かれてゐる。それでも矢張り他の町通と区別されるのは五十何軒もある木賃宿が、その間に煮込屋、安酒場、めし屋、古道具屋、紹介屋なぞを織込んで、陰欝に立列んでゐるのと、一帯に強烈な臭気が――人間の臓物が腐敗して行く臭気が流れてゐることであらう。
一九三二年の冬の夜、小さな和服姿の「外来者」が唯一人でこの表通を南の方へ歩いてゐた。冷い雨が降つて、彼のコーモリ傘を握つた指先も凍れて痺(しび)れてゐるのに、別にここで宿を求めるでもなく、人を訪ねるけしきもなく、ゆつくりとした足どりであつたが――その様子を、家の軒端に立つて、今まで首巻代りにしてゐた手拭で頬被りし、腕組んでゐる宿なしたちも別に注意しなかつたし、交番所の年とつた巡査も怪しまなかつたところを見ると、その外来者は、この土地に適した顔かたちをしてゐるのだらう。さう云へば、実は彼は東京に住む小説家であるが、批評家たちがいつでも口癖のやうに「彼にはルンペン性があつて、どうもよくない」と眉をしかめてゐるのも思ひ当るふしがないでもない。――しかし、彼はこの寒さに何の気紛(きまぐ)れからして、あんなに物思ひに沈んだ表情でこの地帯を行くのかと、人は問ふかも知れぬ。それは過去をなつかしむ感情に駆られた結果である。と云ふのは、彼はこの街で生れ十二まで育つたのであるが、ほんの三日前、ここで彼を手塩にかけて大きくした母親が急死し、その追憶の念が彼の足を知らぬうちに、こちらへと向けさせたわけである。もとより彼はまだ年少で、自分の激情を制するすべもわきまへぬ男故、要もないかうした夜歩きや感傷癖を許してやつてもよいだらう。
すでに、街から醗酵(はつかう)する特殊な臭ひは聯想作用を起して、彼の胸に種々な過去の情景を浮びあがらせ、彼はそれに簡単に陶酔して了つてゐたので、その尖つてゐる眼もいつに似ず柔和に光り、何も見てゐないに近かつたのである。唯、去来する思ひが――たとへば、袋物工場に通つてゐた母親が、夜も休まず石油の空箱を台にして(その箱の隅には小さな蜘蛛(くも)が綿屑みたいな巣をかけてゐた!)セルロイド櫛(ぐし)に、小さな金具の飾をピンセットで挟み、アラビヤゴムと云ふ西洋の糊でつける仕事をしてゐる横に、新聞紙にくるんだ芋が置かれてある有様や、そして、その芋は彼女の夕飯代りなのだが、夜更けると子供たちが腹をすかせるので、彼女は大半を残して置き、子供たちがせびると「何云ふねん、こらおかんのや」と云ひながらも分けてやり、または、その飾附けの出来あがつた櫛を十歳の少年である彼と共に大きな重い風呂敷包にして、大国町の問屋に運ぶ時の手だるさやら、そんな稼ぎものの彼女にも係らず、ある夜は鴉金屋(からすがねや)の親爺に罵(ののし)られて(彼が今にいたるまで鴉金の名称を忘れずにゐるとは何と云ふ因果なことであらう。それは朝貸出した金が夕方には利子をくはへて元の巣へ飛戻つて来る。――鴉のやうに、と云ふので、さう呼ばれてゐた。一円を借入れると、先づ十銭は天引、手取は九十銭であるが、その後一円の五歩の利息を加へて、八日間に返済しなければならぬ)彼女はしかたなく、片隅に積んであつた小便臭い家族たちの蒲団を頭にかついで外へ出て行くと、その頃流通してゐた十銭紙幣の油じみたのを持つて帰つて来たが、その夜の明け方の寒さやら、或はぐうたらな遊び好きの少年であつた彼が、尾上松之助の侠客物が見たくて、彼女に嘘をつき金をねだり、すると彼女はまた思ひ余つて、巻いてゐた帯を解いて絣(かすり)の前掛だけになり――帯は彼の入場料になつて、彼は活動写真に感激した余り、二階の上りつぱなの壁に、墨で以て、眇眼(すがめ)の尾上松之助の似顔絵を大きく書いたり――
妙なもので、遠い以前の習慣を、足は忘れずにゐて思ひ出したものか、無意識にふと立ちどまり、そこで小説家がはつとして眼を転じるならば、ちやうど彼が生れて育つた家の、路地先まで来てゐるのであつた。雨にベタベタに濡れて光る浪花節(なにはぶし)のポスターが、床屋の表にぶらさがつてゐるが、その横を折れて二軒目がさうである。――この床屋も代が変つたであらう、彼はいつも小僧のために「虎刈」にされてゐた。今夜はもはや客がないと見え、ガラス戸を閉めて、白いカーテンを張りめぐらしてあるので、内らは覗けぬ。
路地に入ると暗がりで、軒並みの家々の影も、永い年月が経つてゐる故、古びて歪(ゆが)んでゐるやうに思はれ、しかもどこもしんとして静かなのが、少し小説家にはよそよそしく感じられないでもなかつたが、懐しい場所に再び立入つたことで、彼の気持はすつかり満足してゐた。――自分が十二年もゐた家に、今は如何(どう)云ふ人が住み、如何云ふ生活がなされてゐるかと、想像するのは、甘い楽しみであつたから。
すると、彼はその家の戸口に女が出て来たのを認めたのである。それは恐らく、そこのお神さんで、外出しようとするのだが、雨はまだ止まぬかと模様を見てゐるのだらうと、察した彼は、迂濶(うくわつ)に佇(たたず)んでゐたりして、不審がられるのを恐れ、わざと、もちろん軒燈もないから見えるはずもないが、隣家の表札に眼を近づけたりするのであつた。だが、それは無効であつたと云へる。女は片足を踏出すと、突然、彼の袂(たもと)を――それから身体全体を抱へるやうに掴(つかま)へて了つたのである。そこには必死な抵抗すべからざるものがあつた。驚きと怖れから、小説家は身をもがいたが、慣れた――たしかにさうすることに慣れた、特殊な技巧のある女の両腕は強くて離れず、それではこの女は、とすぐに彼は気がつかぬでもなかつたものの、まだ半信半疑のうちに、もはや土間にひきずり込まれてゐて――そこに、昔の彼が顔を洗ひ水を飲んだ場所がちらと見えたかと思ふと、どんと揚板の上へあげられ、更にむりやりに尻を押されてつまづきさうになりながら階段に足がかかる時には、やつと一切を理解し得たので、少しの落ちつきも取りもどし「おい、さう押すなよ、危い」と、女の方を――化粧した吹出物のある顔を振りかへつて云ひ、それからひよいと正面に向き直ると――彼の眼には、二階への昇り下りにしめつぽい手垢ですつかり黒く汚れた壁の上に、まぎれもなく彼の筆になる尾上松之助の似顔絵がはつきりと残つてゐるのが、うつつたのである、うつると同時に一種の感慨に胸をせめつけられ、急に酸つぱい気持がこみあげて来て、不覚にも尾上松之助はぼうつとぼやけて了ひ、女に抗(さから)つてゐた身体の力もそのまま抜けて了つたやうな気がした。
女は、まだ雨しづくの垂れさうなコーモリ傘と泥を歯の間に挟んだ下駄とを敷居の上に寝かせてから、高くつつた黄色い電燈の光を裏から受けてゐるので埃の浮いて見える歪(いび)つな日本髪の頭を傾け、彼の様子を――今にも泣出さんばかりのその表情を、けげんさうに、打守るのであつた。もちろん彼女には訳はわからず、この何と云ふ気弱な男であらう、淫売婦に有無を云はさず乱暴に引張りあげられたのを、どぎもを抜かれ、後悔してゐるのかと、考へたかも知れぬ。そこで彼女も呆気(あつけ)にとられ、ぽかんとした顔で、寒さに歯をガチガチと打鳴らしながら、
「すんまへん」と、云つた。――それから、気の毒さうに、彼の方へ掌を差出したのである。
小説家は、彼がこの家で生れたこと、あすこに見えるあの落書こそは彼の手になるものであること、しかも、思ひ出の積つてゐるその建物は、今は淫売婦の仕事場になつてゐること――それらを、彼女の前に語り出したくなつたほど、感傷に溺れきつてゐた故、女の請求をはねつけるだけの勇気もなく、一体何ほど与へればよいか、と細い声で質問するのであつた。
「すんまへん」と、また彼女はあやまるやうに云ひ、――「五十銭やつとくなはれ」と態度は優しく嘆願するのであるが、その精神には、今にも彼の懐中に手をさし入れるばかりの執念深さがあつた。
彼が、どうかして母や弟妹をこの窮乏から救ひ出したいものと、来る日も来る日も考へつめてゐたこの六畳の部屋は、薄い雨戸を真中に立てて、二つに区切られてゐ、あちら側にも人の動く気配(けはひ)があつたが、ちやうどその時、その中から口争ひをはじめた男と女の声が聞えて来たのである。
――女の声がののしるには「そんなあほらしいことできるかいな――そんなことはなア、十銭淫売のとこでも云うとくなはれ、うちはちとちがふ!」と、云ひ、見そこなつては困る、あほたんめと、附け加へるのであつた。――小説家は、その言葉に気をとられながら、それでは隣りにゐる女も五十銭の口なのであらう、だから、十銭のものよりも格式を以て客に臨んでゐると云ふわけであらうと考へ、妙なところに、――人はどん底まで来ても、まだこれより卑しい下のものが存在するのだと自分を慰めて、高い心を失はないでゐることに、――感心してゐた。――しかし、相手の客は、嗄(しはが)れた声から察するとかなりの年配らしいが、なかなか承知しないと見え、争ひは益々烈しくなつて、果は彼らの身体が雨戸にぶつつかり、今にもその頼りなく、がたつくしきりは倒れさうに動くのであつた。――それをこちらの女は、実に無関心な表情で見てゐたが、暫くすると、お前はどうしても暴れる気か、それならば、ちよつとこちらへ来てくれと、別の男のへんに調子の低いおどかし声がして、ぐづねてゐたのは「よし、帰つたる、帰つたら文句ないやろ、五十銭かへせ」と喚(わめ)きちらし、女は女で息をはずませて癇高(かんだか)く――「一旦もろたもんが返せるもんか」なぞと叫びつつ、やがて、彼らはガタガタと階段をころがるやうに下りて行く音がした。――いや、階段は小説家の坐つてゐる側にあるし、そしてこの小さな家にそれが二つもあつたはずはないと、彼は怪しんで背延びをし、雨戸越しに、何やら取り散らけた喧嘩の現場を見るのであつた。すると、あちらの壁が無惨にくり抜かれてあつて、洗(あら)ひ晒(ざら)しの浴衣地(ゆかたぢ)をカーテンみたいにしたのが、汚く垂れさがつてゐ、隣家の二階と通じてゐるのが分つたのである。では、隣りも同様かうした宿になつてゐるのかと、彼は、そこに住んでゐた荒木と云ふ葬式人夫の一家や、恐しく出つ歯であつたが秀才で、今宮の職工学校に通つてゐた息子のことを思ひ浮べるのであつた。
それから、女は小説家の顔をちらとのぞき、そこに敷きつぱなしになつてゐる薄く細長い、浅黄の蒲団の上に倒れて見せた。――彼はそれには及ばぬと、幾度も繰りかへして説明しなければならなかつた。しかし、女はなかなか承知せず、執拗に誘ひの言葉をかけるのである。彼女は、男とはそんなものではないと十分悟つてゐるやうにふるまつてゐたので、無為に金を払ふのを想像できなかつたのであらう。
「それではすんまへん――銭もろといて遊んでもらはなんだら」と、またも云ふのであつた。それは労なくして賃銀を受取ることを恥しく思ふけなげな心持からと云ふよりは、むしろ、彼が遊ばないのを口実に全額でなくとも、五十銭の何割かの払戻しを請求しはしまいかと、恐れたが故であつたやうだ。
「ほんまに、えらいすんまへんな」と、やつと彼女は納得して云つたが、それでもまだ――「ほんまにかましまへんか」と、尚も云ひながら、そこに坐り直すと、バットの箱から吸ひさしの煙草を出し、ちやうど彼がつけた燐寸(マツチ)の火に、頭をかがめて、吸いつけるのであつた。赤つぽい髪の毛や、垢ずんだ首の皺や襦袢(じゆばん)の襟が近づき――しかし、その時、彼は何か発見したやうな眼つきになり、ぢつと彼女の身体つきを検(しら)べ、眺め廻したのである。
女の煙草は短かかつたので、すぐになくなつた。小説家は自分の箱を荒れた畳の上に置いて、一本つけては如何(どう)かとすすめるのであつた。だが、女は女らしく遠慮して「五十銭ただもろて、その上、煙草のませてもろたりしては――それこそ冥加(みやうが)につきます」と、辞退して手をださなかつた。それ位いいぢやないかと、尚も彼が云ふと強情に身を引かんばかりにして、
「いいえ、いけまへん」と、しをらしい表情をして見せたが、急に彼は自分の観察が誤つてゐるか如何かをためしたくなつて、何の悪い気もなく、
「あんたは、女とちがふな」と云つたのである。それを相手は随分と意地悪くきいたかも知れなかつた。どうして、そんなこと云ひ出したのだらうと、暫くの間、女は彼の顔を見つめてゐた。それから、両手を揉むやうにして、下うつむいて、嘆息した。
「やつぱり――分りまつか」と云つて黙り込み、それでもまた勇気を取戻したのか、
「そやけど、今までに一ぺんも見現されたことはおまへなんだ、ほんまだつせ――兄さんにかかつてはじめて――わやくやな」と、てれ臭さうに、力を入れて云つた。
思つた通り男だつたのかと、小説家はうなづいたが、何とも分らぬ変な気持になつて――「ほう、そいで」と云ひ出すと、相手はその顔色を読んで、すぐ答へた。
「ええ、ちやんと、そいで商売してますねん、をなごとしてな」と奇妙な陳述をするのであつた。小説家は飽かず、この相手を見てゐると、そいつは、女でないと云ふことが明白になつてから今までと著しく態度を変へた。すぼめるやうにしてゐた肩も張り、
「ほんなら、一本いただきまつさ」と、遠慮を打捨て、手を出して煙草の箱を取つたが、その指も骨ばつて来たやうにさへ思へたのである。そして、
「もうとしですよつてに、身体が堅うなつてしもて――」と云ひ、問ひに応じて、二十歳であると云つた。
「まだ子供の時は、これでも綺麗や云うて、お客がたんとつきましてな――なんにも知らんとな」と、女のやうに口へ手をやつて笑つたが、急に煙草を揉み消すと、
「あんまり、ゆつくり、ここにをられまへん――何やつたら、わてのホースにおいでやすな」と、彼(女)は小説家が奇怪な話に興味を持ち出したのを知つてさう誘ひ、ここでは部屋代をとられる故、散財をかけては済まぬ、自分のところへ来い、と云ふのである。「ホース」と云ふは、「ハウス」か「ホーム」の訛(なま)りであるらしかつた。――
「すぐ、そこだす、第二愛知屋だす」
そこで、小説家は偶然なことから、彼の懐古心を満足させ得たことを思ひ起し、今更のやうに、感慨深く部屋を見廻し、玩味し、剥げた壁や畳に、もはやかうした宿らしく人間の汁液が浸込み饐(す)えた臭ひがこもつてゐるのや、天井の薄い板もところどころ外れて垂れさがつてゐるのを、認めるのであつた。そして、再びその部屋を、楽書を見ることはなからう、と思つた。
れいの女装の男は階下へ、彼のために傘と下駄とを持つて行き、破れた障子の中へ首を突込むと、中の者に何やら云ひ、それから大きな声で、「おほきに」と、挨拶して彼を促して、外へ出た。
表通の方へは行かず「こつちから」と、路地の奥を突抜けると、木柵があつて南海鉄道のレールが走つてゐ、ずつと遠く天王寺公園に当つて、エッフェル塔のイルミネションが、暗い空に光を投げてゐる。――その黒い木柵の間を、彼(女)は着物も長襦袢もたくしあげて跨(また)ぎ、危うおまつせ、と彼のために傘を持つてやつて、案内するやうに云ふのであるが、もとより、小説家は子供の時に、そのレールの上に針金を寝かせ、電車の車輪にしかせてペチヤンコにしたり(彼はそれでナイフを作らうとしたのである)石を積みあげて、食物や道具を一ぱい載せてゐるにちがひない貨物車の顛覆(てんぷく)を企てたことがある位だから、必ずしも見知らぬ場所であるとは云へなかつた。北の方から電車が進んで来、警笛を鳴らし、蒼白(あをじろ)く烈しいヘッドライトはそれを避ける彼らの影を、雨に濡れた軌道の小石の上に大きく振廻すのであつた。越えると空地があり――その暗い中に、何やら人のざわめきがし、群れ集つてゐる気配があつた。
「轢死人(れきしにん)があつたんか知らん」と、女装の男は云つた。――
(ここで、もう一度、小説家の煩(わづらは)しい回想を許してやりたいと思ふ。かつて、このあたりではよく人々が轢(ひ)き殺された、彼らの生命が安かつたせゐかも知れぬ。夜更けてけたたましい警笛が長く尾を引いて鳴り、急停車する地響きがあると、仕事をしてゐる手を休めて、彼の母親は「また誰ぞ死んだ」と云つたものである。その時は身に迫るやうな寂しさを子供は感じた。そして、朝になると、今彼らの眼の前にある広場に蓆(むしろ)のかけられた血のしたたる屍骸が横たはつて、検死の済むのを待つてゐた。多くは無一物で、生きても死んでゐる者たちであつたが、ある冬の朝、近所のお神さんたちは、昨夜の轢死人は懐中に十円もの金を持つてゐたと噂し、そんな大金を持つてゐながら、どうしてまた死ぬ気になつたのであらうと語つてゐたので、それを聞いてゐた子供たちは大急ぎで柵をくぐり抜け、もしや、その不要な金を子供たちに分けてくれはせぬかと、一散に走つて行つたことである。)――
処々高低のある、雨で軟くなつた土をごぼごぼと踏んで、彼らは、人だかりの方へ近づいた。外套をすつぽり着た巡査が懐中電燈を照して色々と命令し、人夫風の男が、ぐつたりした老人の大きな身体を、寝台車に担ぎ込まうとしてゐた。それはトルストイのやうな顔をし、白い鬚(ひげ)を長く延ばした爺さんであつたが、なかなか重いと見え、人夫は白い息をふうふうと吐いて少し手古(てこ)ずり、すると、人々の間から、白けた絆纏(はんてん)の浮浪者が出て――「爺さん、しつかりせえよ」と声をかけて片足をかつぎ、黒い布被(ぬのおほ)ひのある車へ載せるのであつた。そして、力なくだらりと垂れた老人の足からは、竹の皮の冷飯草履がぬげて落ち、垢ぎれでひび割れた大きなその足裏が気味悪く、懐中電燈の光にうつし出されるのであつたが、れいの浮浪者は逸早(いちはや)く、草履を自分の足に――彼ははだしだつたので、ひつかけた。すると、巡査は癪にさはつたやうに、「おい、おい」と頤(あご)を振つて注意し、――「そら、病院のや、いれとけ、いれとけ」と叱つた。浮浪者はすなほに、その病院の名らしく焼印のおされてある草履をぬぐと、肘(ひぢ)で拭ふのであつた。何故なら、すでに彼の足の泥がつき、濡れて了つてゐたのである。少してれて、それを老人の足指にはめようとしたが、すぐ落ちてダメなので、人夫は黙つてひつたくり、車の底へ押込んだ。
「兵隊辰やな」と、女装の男は、癖で歯をガチガチ寒さうにならしながら、小説家に説明して云つた。その声に、巡査はちらと、こちらを見たが、人夫が寝台車の梶棒を握つて立ち上ると、「爺さん、もう戻つてくれるな」と云つた。さつきの浮浪者はそれに応じて、「旦那、兵隊辰はもう二度とここへ帰つてけえしまへん――今さき、触つたらもう冷たうおました」と低く云つたが、巡査は苦々しい顔をした。――「困つたやつちや――わしの責任になるがな」そして、今まで、爺さんの寝臥してゐた蓆(むしろ)を靴の先で蹴り飛ばした。
車はゆつくりと去つて了ひ、人々も散るのであつた。あとには、雨が再び寒く降りはじめ、女装は、
「おお寒むやこと、すつかり冷えこんでしもたわ」と、云つた。広場はもとの静けさに戻り、あちらこちらに火が燃え、雨の中に明るさが溶けて見えるのである。それは浮浪者たちが、大きな穴を掘り、その中で物を――塵芥を燃しながら、その白つぽいむせかへるやうな煙の横に、うづくまつて、眠りをとつてゐるのであつた。
「今晩は」などと、その穴の側を通りながら、小説家の同伴者は声をかけ、
「降つて困りまんな」と云ふのである。
兵隊辰とは――歩きつつ、彼(女)が語つたところによると、以前は軍人で、日清日露も両方とも出征して勲章を貰つたが、心臓を患(わづら)ひ、子供身寄もなくて、ここまで零落したのである。最近は殊に衰へ、寝込んでゐたので附近の宿なしたちが心配して、慈善病院に入れるやう「旦那」に交渉し、そして入れたのであつたが、すぐと、不自由な身体をひきずつて、この空地へ立ち戻つて来た、驚いて連れて行くと、また、ひよろひよろと帰つて来、それを再三再四繰りかへしてゐたと、云ふ。
「なんでや」と、小説家はたづねた。彼は、さうした慈善病院の官僚的な冷い有様や、堅い寝心地の悪い木のベッドよりも、弱つた神経のうちから馴れた野宿を思ひ出すあの浮浪者魂のことを、考へてゐたにちがひない。
しかし、相手は、
「なんでだつしやろな」と無関心に答へ――「寒い、寒い、――兄さん、お酒はどうだす」と、云ふのであつた。なるほど、広場を過ぎたところに、焼酎屋があつたが、彼は、「さあ、金があるか知らん」と心配すると、
「いや、大丈夫」と、女装は力を入れて「おます」と、勝ち誇つた。先程、小説家が彼に五十銭与へた時、その財布の中を、のぞいて数へて了つたのだと云つた。それは商売からして、無意識に行ふのである。
――油障子を半分だけ閉めた中の、二すぢの長いテーブルには、人々が――ボタンのない外套の上から縄をしめたのや、羽織もなく寒々とした黄色い顔の男や、絆纏(はんてん)にゲートルを巻いて、何か知らぬが大きな風呂敷包を腰にくくりつけたのや、眼脂(めやに)で眼蓋(まぶた)のくつつきさうになり、着物の黒襟が汚れてピカピカに光つてゐる女やら、――みんなすでに酔払つてゐて、頭を重く垂れ、時々あげてあたりを睨むと訳の分らぬ叫びをあげて会話し――一切が不健康に濁り、空気は淀んで腐つてゐるやうに見えた。小説家と女装の男とは、あいたところに腰をかけ、値段書のぶらさげてある背後の羽目板にもたれ急に冷くなつた足先を土間で踏みならしながら、店のものが大きなコップに焼酎をつぐ手許をぢつと見るのであつた。透明な液体は溢れて、木目のはつきりした汚いテーブルの上に流れると、女装は口を近づけて吸込み、舌なめずりするのである。更に彼は媚びるやうに小説家を見てから、艶つぽい声で店員に註文を発すると、豚の腎臓をそのまま薄く切つたのが塩を副(そ)へて持つて来られ、彼(女)は指でそのべろべろした血のかたまりみたいなものを、つまみあげて、彼に、
「どうだす、ひとつ」と云ふのであつた。――「ちよつと臭(かざ)がしますけど、通人の食べものだつせ」
さうかも知れぬ。しかし、小説家は手を出すことをしなかつた。
やがて、簡単に酔ひが身体に廻ると、昂奮して女装は、多弁になり、ハンカチを出して胸にあてたりして、口惜しがるのであつた。それは、またしても、彼(女)が今まで本当は男であるのを発見されたこともなく、――また真実女であつて、その他の何ものでもないと、自分自身も永い間信じきつてゐたと云ふことで、縷々(るる)としてつきなかつた。彼(女)はその日常生活の末々端々にいたるまで女子として行動し――そして売春婦として存在することによつて、一家三人が第二愛知屋(木賃宿)に一部屋を借り受けてこの数年暮しを立てて来、もちろん、その弟で十四歳になるのも昨年あたりから女になつて、客をとることを覚え、彼らの母親はかなり楽になつたが、――
「やつぱり歳のすけないのは、骨がやはらかいし、肉もしまつてまへんよつてに、もうわてらと較べもんにならん位、よう売れます」と、感心して、彼は云つた。その弟が先日警察の手入れであげられ――そこで、肉体を発見され、釈放される時には、折角延ばして結つてあつた髪の毛を短く刈取られて了つた。――「早う生えてくれんと、商売でけしまへん、ほんまに無茶しよる」と、彼は憤慨して抗議した。「そんなことする罰は法律にはないさうだす」と、彼は知合の――同じく第二愛知屋に宿泊してゐる弁護士(!)に聞いたと云つた。色々と話の末、彼(女)は今後も完全な「女」として生きる決心を告げ、(さうした女としての暮し、その衣裳、殊に下着や腰にまとふものを身体につける時の悦びを昂奮した調子で彼は語つたが、妙な商売の思ひつきから、すでに救ふべからざる倒錯症にかかつてゐることを証拠立てた)――最後に、
「かうなつたからには、意地でも、どうかして子供を産んで見せます!」と、断言したのである。小説家は、その言葉が単に彼(女)の酔ひから無責任に放たれたものではなく、本当にさう信じてゐるらしいのを見て驚いた。
「なに、子供を産む――何ぬかしてんね、ど淫売の癖に、ふん、父無(ててな)し子か!」と叫んだものがあつた。奥の方にゐてボタンの一つもない外套を着た男であるが、とつくに酔ひ倒れて、テーブルに両手を投出して眠つてゐたのに、さう呶鳴(どな)ると立ちあがり、彼らの方へ危げにやつて来た。
皮膚の上にもう一枚皮膚ができたやうに、垢と脂とで汚れきつてゐるが、眼蓋(まぶた)や唇のぐるりだけ黒ん坊みたいに隅(くま)どつて生地の肌色が現れてゐた。――彼はたしかに、さう声をかけたのを機会に、小説家の方へ来て、焼酎をせびらうとしたのである。それは、すぐ「産むなら、なア、この旦那の子供を産めよ――ほんまやぞ、なア、旦那」と云つて歯を出してお世辞笑ひしたのでも分つた。ところが、彼は今一ぱいの焼酎が咽喉をよく通らないほどになつてゐて、酒はだらしなく、口から涎(よだれ)のやうに流れ、コップはぽんとテーブルの上に投げられ、ころがるのであつた。
「あア」と、彼は聯想するやうに云つた。「なア、ほかのやつの子を産むな、間男の子なんか産んでくれるな」――
それから、彼は急に泣き出して了ひ、「わいの嬶(かかあ)は、間男しやがつて、そいつの子を産みやがつて」と鳴咽(をえつ)したが、やがて濡れた顔をあげると、
「何もそんなこと、最初から分つてたんや、わいは、大体、女の癖に新聞読んだりするやつは好かん」と、そむかれた彼のお神さんのことを罵つた。
その云ふことは前後取りちがへてゐ、呂律(ろれつ)も廻らず、そのまま文字にうつすこともならぬが、彼が若い時、郷里へ帰つて貰つた女房を連れ、大阪へ戻る途中、花嫁である彼女が姫路のステーションで新聞を買つて、読んだと云ふのである。「わいさへ新聞みたいなもん読んだことあれへんのに」――そこで、実に彼は癪にさはり、生意気に思へたので、すぐにそのまま引返して、離縁しようかと一時は考へたが、せつかく人手を煩(わづら)はし、世話して貰つたのにと、胸を撫でて我慢した――それがいけなかつた、やはり、新聞の一つも読まうかと云ふ女は「学問」を鼻にかけ、他に男をこしらへて出奔して了ひ、自分の観測に誤りなかつたことを思ひ知らねばならぬやうな始末になつたのである。――
「ああ、やけぢや」と、彼は結んだ。
「兄さん、大分廻つてる、苦しさうや」と、女装は云つた。すると、
「あたりまへや」と、何故か彼は「女」には荒々しく云ひ、もう二日も前から飯を食つてゐないことを告白して、青い顔をした。小説家は、もしさうなら、如何に酒好きであるにしろ、焼酎なぞ飲む金で何故腹をこしらへなかつたか、と責めるのである。ひよつとすると、これは昔このあたりによく見かけたアルコール中毒かも知れぬ、と彼は考へた。
すると、外套の男は腰紐代りの縄に手を入れ、しごきながら、
「ほんまのこと云うたろか」と云ふのであつた。小説家は云つてくれと云ふ顔をした。
「そりやさうや、さうや、旦那の云ふ通りや、誰が銭持つてたら、空き腹に酒なんかあふるもんか、米のめしがほんまに恋しうてならんわ――をとつひも飯食うたんやあらしまへん、観照寺で接待ある云うよつてに、伊原つれて出かけたら、それが、うどんの接待だす、伊原にお前わいに半分残しとけ云うたのに、あの狸め、ちよつとも余さんと食うて了ひよる――なア旦那、大体伊原に、観照寺で接待あるよつてに行こか云うて誘うたのはわいだつせ、知らんとゐたらうどん一すぢも口に入らんとこや、なア、そやのに、恩知らずめが、どうだす、礼儀の知らんこと、後輩の癖にわいより先にお汁をかけて、ちよつと残しといてと頼んどいたのに、どんぶり鉢のはしも噛る位綺麗に食うて了ひやがんね、――それからと云ふものは、まる二日、仕事もないし!」
彼の後輩である伊原が何ものであるかも、また彼の仕事がどんなものであるかも、酔払ひは説明しなかつたが、そのたどたどしい独白に、この店の中で、強い焼酎に痺(しび)れた頭をかかへたものたちは、ひそかに白い吐息をして、耳を傾けたのである。
「わいは、何のはなししてたんやつたかいな、――そやそや、旦那は酒飲む金で飯食へと説教してくれはつたんやつたな、どうも、おほきに」と皮肉に口を歪(ゆが)め、「そやけど、ほんまのことを云ふとやな」と、語り出した。――彼らはどんなに空き腹を抱へてゐても、人にめしを食はせてくれ、とは云へないのであつた。何故ならば、誰も彼も自分だけが食ふのが精一ぱいで余裕は更にないので、しかも頼まれたら、すぐに足りないものも半分は分けてやらねばならず、――だから、そんな人の予定を狂はし迷惑かけるやうな依頼心を起すのは道徳的ではないと、されてゐる。そして、もしも誰かが景気よくて(景気よくて!)すつかり気が大きくなり、おい、酒のませたろかと誘はれた時にも「酒の代りに飯をおごつてくれ」とは云へないものだ、と外套はしみじみ述懐した。それは一つには、虚栄心もあつたし、また折角相手が酒で愉快になつてゐる気分をぶちこはすに忍びないからであつた。だから、今夜のやうに酒だけで腹をこしらへてゐる時もある!
「兄貴、酒おごらんか、は云へます、そやけど、云へまつか、めし一ぱい頼むとは」と彼が云へば、夜更けの酔払ひたちは口々に、「さうは云へん、云へんもんぢや」と、首を振るのであつた。――小説家は、そこに浮浪者につきものの、さやうな貴族精神を見て、悲しく思ひ――さう云ふはなしを俺にするからには、俺にめしをねだつてゐるのだらう、と云ふと、
「あたりました」と答へ、なんでや、見栄があるやろ、とからかふと、「あんたは、旦那やよつてに、かめへん」と、尚も小説家を悲しませるのである。
それから雨中に、のれんを排して出た女装の男は、頬に雨滴をあてて、
「おお、冷(ひや)こ、ええ気持やこと!」と叫び、酒にまかせて外套の浮浪者にしなだれかかると――「ちつ! わいは女はきらひや」と、彼は忌々しげに舌打ちし、その手を払つて、どんどん先に立つて行くのであつた。
「上等の店、おごつて貰ひまつせ」と、彼は云つて木賃宿の裏手の狭い道を――そこから薄暗い部屋に親子夫婦たちがくるまるやうにして寝てゐるのが煤(すす)けた格子窓越しにのぞかれ、また戸締りのしてない裏木戸からは、列んだ便所の戸がどれも開いてゐるのが、陰気臭く見えるのであつた。
めざす店はまだ起きてゐた。
「芋粥(いもがゆ)くれ、おつさん」と、外套は呶鳴つた。吹きながら、人々の手垢で黒くなり、塗りの剥げた箸で、煮込のやうな粥を咽喉に通しながら――「なんやて、明日ハ十五日ニツキ アヅキガイ二銭モチ入アヅキガイ三銭――よし来た、おつさん、今晩は旦那がついてる、餅入小豆粥一つ呉れ」と、壁に張つた紙ぎれを読んで云ふのであつた。
絣(かすり)の筒袖(つつそで)を着、汚れてはゐるが白の前掛をかけ、茶つぽい首巻をした主人は、煤の垂れさがつてゐる、釜の側で、煙管(きせる)をくはへてゐたが、
「こら、あしたや、けふはあかん」と、ぶつきら棒に返事した。
「あしたやて、ふん、あしたと云ふ日があるならば」と浮浪者は節をつけて応酬をして、「こら、見い、もうぢき、十二時やぞ、そしたら、あしたや、待つてたろ」と、箸をあげて、棚に置かれてある、アラビヤ数字のいやに大きいニッケルの眼ざまし時計を、指すのであつた。主人は冷く、相手にしなかつたので、彼はまた呶鳴りちらした。
「こら、わいの云ふことが分らんか、こら、人殺しめ!」
「なに云ひなはんねん、そんなこと」と、女装が驚いて制止すると、
「うるさい、女は黙つとれ」と、彼は邪慳(じやけん)に唸つた。それでも、主人は身動きもせず、白い眼で見るだけで、――その眼が 「このルンペンめ、そんなこと云ふと、もう、うちの粥食はさんぞ」と云つてゐるやうに見えたので、外套は、がくりと首を垂れ、
「いや、ほんなら、芋粥お代り」とおとなしく云つて、うまさうに、かぶりつくのであつた。――
彼が粥屋の主人に向つて、人殺しと罵つたのは、何も理由のないことではなかつた。その店を出ると、そんなことを云ふなと止めたくせに女装の男が先に立つて、問ひもせぬに小説家に語つた所によると、――もう二年前にもなるが、その秋のちやうど夕飯頃、あの店が粥を食ふ零落者で混んでゐた時、ある男が(外套は、あら、田辺音松や、やつぱりわいの友だちや、と云つた)――その田辺が二銭払つて出ようとすると、主人は三銭置いて行けと請求し、何故かと聞けば、一銭の漬物を食つたから、と云ふので、田辺は驚き、いや、そんな覚えはない、と云ひ張り、この漬物皿は横にゐたやつが平げたのやと述べたが、主人は更に聞き入れず「食つた」「食はぬ」と争ひになり、果は、田辺がどんと胸をつかれると、悪いことに空き腹がつづいて力の抜けてゐた彼は、そのまま仰向けに倒れて敷石で頭を打ち――そして、もう二度と動かなかつたのである。調べた結果、頭蓋骨が折れたのが死因と分つた。もちろん傷害致死で主人は行つたが、それも三四ケ月すると、もう店を開いてゐたと云ふ。――外套は力んで、「今に仇をとつたる」と云ひ、「そやけど、あすこの芋粥はほんまにうまい」とほめて、そんな店を潰すに忍びないと云ふやうな顔をした。
話が終ると、突然、外套は「おほきに、御馳走さん」と云ふなり、眠つた低い家々の間を、そこには雨の中に傘をさして淫売婦たちが辻々に立つてゐるのであつたが――駈出したのである。
「待て!」と、小説家は呶鳴つた。寝るところがあるか、と心配したのである。
「今夜は、腹も張つたし、酒ものんで、ええ塩梅(あんばい)やよつてに、その勢ひで野宿(でんでん)する」と、相手は答へ、尚も走りつづけようとした。
「待て!」と再び小説家は云つて、幸ひこの「女」がすすめるから、一しよに第二愛知屋に泊らう、と誘ふのであつた。
すると、不思議なことが起つた。――今まで、いやに辛く女装に当つてゐた外套は急に叮嚀な言葉づかひになり、「姉ちやん、えらいすんまへんな、屋根代もなしに、厄介になつたりしまして」と挨拶するのである。――思ふに彼は彼の逃げた細君以来、女にはよからぬ感情を抱いてゐたので、自然、女装に対しても冷かな態度を取つてゐたが、今は彼(女)は部屋主(まどもち)になつたので、その点から礼儀をつくしたのである。
その証拠には、彼が彼女の「ホース」に行きついてからは――大戸をガラリとあけて女装が帳場に坐つてゐるキナ臭い中年の男に「頼んまつせ」と申入れた時も、うしろについて彼はぺこぺこと頭をさげたし、また広い階段の途中ですれちがひ、彼(女)から、「今晩は」と、呼びかけた、赤い顔に髭(ひげ)を蓄へた、しかし、口のあたりに何やら卑しい腫物(はれもの)の出てゐる、袴をはいた男にも、外套は腰を折らんばかりにお辞儀するのであつた。その袴の男を、あれが、弁護士だす、と女装は云つてきかせた。――
彼(女)の部屋では、浮浪者は益々小さくなつて隅の方に坐り、しきりとボタンのない破れ外套の前を合せ、巻いた藁縄をはづかしさうに触つて見るのである。そしてすでに寝てゐる弟や(なるほどその髪の毛は最近に散切(ざんぎ)りにされたあとがあつたが、少し延びかかつてゐ、ちやんと女風の長襦袢の肩を見せて眠り、日頃のたしなみを見せてゐた)また母親に(彼女は二人の外来者を無言のままじろじろと観察した)――突然夜半に訪れたことを、幾度も繰りかへして謝するのであつた。――
それほどだつたから、朝になり、みんなが眼ざめた時、すでに遠慮深い彼の姿は消えて、見られなかつたが、誰も不思議にも思はず、眠つてゐる者たちを驚かさないやうにと、跫音(あしおと)を忍んで、部屋を出、やうやく白んで来た空を仰ぎながら、その「仕事」に出かけた彼を想像するのであつた。
――それは三畳に足らぬ部屋であつた。押入はなく、埃で白い二三の風呂敷包、バスケット、土釜、鍋鉢の炊事道具の類、それに小さな置鏡、化粧水の瓶なぞが棚を吊つて載せられてあり、壁にはりつけられ、一方の隅の破れてゐる新聞附録ものらしい美人画は、彼ら兄弟の扮装のモデルであらう。
彼らと雖(いへど)も労働者の子供たちであつた。「田舎から来た鍛冶屋だす」と、小説家の問ひに対して答へ、父親の働いてゐた日の出鋳物工場は今でもこの近くにあるが、彼は早く火傷で倒れ、母親も白粉工場に永年つとめ、そのために中毒を起して片手はまるきり動かぬ、と云ふ。――地方から都会に出て来た労働者が、すでにその二代目に於て、貧窮と不衛生と無知とによつて腐つて了ひ、かうした人間の破産状態のうちに生活してゐるわけである。
朝になると、小説家は、もはや彼らと別れを告ぐべきであると思ひ、猫みたいに荒い銀色のヒゲの二三本生えてゐる老婆の顔を見ながら、女装の男に、昨夜の部屋代の一部を負担しようと申出た。すると、彼女は手を振り、口を押へて笑ひながら、
「それはもう、ちやんと、兄さんがお寝(やす)みのうちに、もろときました」と、云つた。ひよつとして、小説家がそのことに気が附かずに帰られては、と彼(女)は恐れたのであらう。
「いくら抜いた」ときけば、「五十銭」と返事した。
母親は「御飯でも食べて行つとくなはれ」と、お世辞を云つたが、それは嘘であらう。
雨はあがつた、しかし、陽の光は射さなかつた。――小説家は表へ出ると、昨夜の出来事や、逢つた人々を思ひ出さうとしたのだが、何だか、ぼんやりとしか浮びあがらなかつた。電車の狭いガード下で、そこは誰彼となしに小便すると見え、コンクリートは湿気で壊れ、白い黴(かび)やうのものがひろがつてゐるが、烈しい臭気に彼も亦、そのことに気がついて、小口貸金手軽に御用立てます、と云ふ広告を読みながら、排泄するのであつた。そこを抜けると無料宿泊所があり、そのあたりには、午前中からもう夜の宿の心配をしなければならぬ浮浪者たちが、いつでも事務員が出て来て受附けるならば、すぐ列を作つてならべるやうに支度をして――蹲(うずくま)つて考へたり、立話をわいわいやつてゐた。小説家は、そのあたりが葱畑(ねぎばたけ)であつた時のことを、思ひ出してゐた。――
それらの浮浪者相手に僅かの商売をする露店が立つてゐ――魚の骨や頭を、野菜の切れ屑などと一しよに塩で煮込んだのやら――それは暖かさうに泡を立て、灰汁(あく)やうのものを鍋の表面に浮かべてゐたし、また、すし屋の塵芥箱(ごみばこ)から、集めて来たらしい、赤い生薑(しやうが)の色がどぎつく染まつた種々雑多の形の頽(くづ)れたすしやら――すべて、異臭を放ち、しかしその臭ひが宿なしたちには誘惑である食べ物を一銭二銭で売つてゐるのである。それらにまじつて、古道具屋が二三軒、店を――店と云ふならば、小さな薄べりを敷いて、庖丁、釘抜、茶碗、ズボン下なぞをならべ、浮浪者の拾得物なぞも買入れてゐた。中には一昨年の運勢暦が講談の雑誌と一しよに立てかけてあるのもあつた。さうした古道具屋の一軒では、主人が仔細らしく老眼鏡をかけて、脊の低い女が持つて来た風呂敷包を開いて、品物の値ぶみをはじめたので、要もない浮浪者たちはその店先をかこんで、何や彼やと品物の批評をしたり、おつさん、もつと出したれ、なぞと云つて、女は少し上気し、両掌を頬にあてるのであつた。――風呂敷の中からは、仏壇の掛軸やら、浮浪者はそれについては「こら、真宗のもんには持つて来いや」と云つたが、道具屋はふんと鼻であしらひ、それから男物の着物、さらし木綿の肌襦袢、軍手なぞが出、最後に、使ひかけの石鹸や褐色のハトロン紙の封筒が十枚ばかり出た時には、無一物の浮浪者たちも――「こんなもんまで売らんならんとは、よくよくや」と、さすが低声で囁(ささや)きあつたのである。家にあるもの、金になると思はれるもの残らず、総ざらへして、女は持つて来たのであらう。――
彼女が金を受取つて帰ると、道具屋はもう一度、今の品物を一つ一つ手に取つて調べてゐたが、満足して、それを、すぐ陳列するのであつた。それから、まだ立つてゐる小説家の方を、めがね越しに見て、少し考へた後、
「その傘はもういらん、けふは天気になる、どや、買うたろか」と、云つた。小説家は、この親爺がコーモリ傘だけを売れと云ひ、高歯の下駄のことについては言及しなかつたことに、雨はあがつたが、このあたりの深い泥濘を顧て、苦笑せざるを得なかつた。何か返事をしてやらうとした時に、ふいに、また彼を引張るものが――女であつたが、煮込屋の前まで連れて行くのであつた。――
見ると、それは大きな肩掛をし、片一方の眼のいやに小さな、萎(しな)びた女であつた。小声で――「兄さん、電車に乗りはりますやろ」と云ふのである。小説家は、その質問の真意を捉へかね、横で煮込屋の釜の下の火にあたつてゐる宿なしたちがこちらを見てゐるのを意識しながら――「そりや、乗らんこともない」と云ふ風な返事をした。と、その言葉の終らぬうちに、荒れた皮膚の女は、短い指の中に握つてゐた電車の切符を、彼に押しつけて、六銭で買うとくなはれ、と云ふのであつた。
小説家はどうしたものかと思つたが、取りあへず、あすこの古道具屋に売つては如何かと云ふ旨を彼女に伝へると、「あいつら、無茶苦茶に値切りよりますがな」と云つて、きかなかつた。そこで、彼は仕方なく十銭白銅を出すと、彼女は少しもぢもぢとして困つた様子であつたが、相手が面倒臭くなつて、全部呉れはせぬか、と期待してゐるやうでもあつた。――だが邪魔者が入つた――「両替したろか、赤銭やつたら、なんぼでもあるわ、重うてならん」と云ふ声が――れいの煮込鍋の下に身体を暖め、時々いい気持にそこへ坐つたまま居眠してゐた、髪の毛の薄い少年であつたが、腹巻の中から、新聞紙に包んだ銅貨を出すのである。もちろん、彼は重いほど持合はせてゐるわけでもなかつた。
肩掛の女は六銭握ると、おほきにと礼を云ひ、考へて、少し離れた、屑のすし屋で買物をし、小説家の方をちらと見てから、小走にガードのあちらへ、駈去るのであつた。少年も亦、それを見送り、小説家の手に残つた、よれよれの市電切符を指して、
「ガゼビリめ、パス一枚でヤチギリやがつたな、――ほんまに不景気なはなしや」と、説明するのであつた。
「ふむ」と、小説家は咽喉をつまらせて、今の女の一生を思ひ、それから、少年を――その顔は、腫れあがつて赤味を帯び、眼も細く、破れた着物の下には襯衣(シヤツ)があるが身体中の瘡蓋(かさぶた)のつぶれから出る血や膿(うみ)にところどころ堅く皮膚にくつついてゐた、銅銭の紙包と一しよにボール紙を持つてゐて、――それには、この子は両親も身寄もなく、しかも遺伝の病気で困つてゐるからどうかめぐんでやつてほしい、と云ふ意味の文句が、同県人より、お客さま(!)と書き副へて記されてあつたのを見ると、彼は繁華な通に出て号泣し、前に置いた箱の中へ、一銭の喜捨を乞ふ少年にちがひなかつた。
彼は今の女に、不景気なと罵つた手前、自分が如何に景気がよいかを、誇り出すのであつた。――
「こなひだもなアイノリ(二円)になつた日があつたんやぞ――みんなオツチヨコチヨイで、オケテしもたけどな」
オツチョコチヨイとは、あすこで、ラッコの襟巻をし、金縁めがねをかけた冷い眼の男が開いてゐるやうな、路上の賭博であると、彼はつけ加へた。
「へえ」と、小説家は感心してやらねばならなかつた。
「五十円もウネツテたまつたら、病院に入つてこまそと思ふんやけど」
「どこが病気や」
「どこが、悪いのかなア」と他人事(ひとごと)のやうに少年は云ふと、
「ほんまに、はよ、治しときや、手おくれになつてしもたら、あかんさかいな」と、気がよささうな煮込屋の主人は、横から忠告するのである。
「うん、さう思うてんねけどな」と、少年は、一銭ばくちで五十円を勝ち貯める日がなかなか来ぬことを考へてゐるやうな眼つきをし、それから――「おつさん、モヤ一本頼む」と云ふと、「おいな」と、主人は胃散の大きな罐の中から、吸口をちやんとつけたバットを取出して、一銭で売つてやるのであつた。
小説家はその夜、難波で、新聞記者某氏に出逢ひ、釜ケ崎のはなしをすると、某氏は先日もこんなことがあつた、と語るのであつた。――夜更けて、あすこの側にある警察へ、女の行路病者が担込(かつぎこ)まれて来た、医者に見せると重い肋膜で、すでに手おくれになつてゐ、遂に死亡して了つたが、その次の日、彼女を扶(たす)けて連れて来た男が来て、一度面会させてくれと云ふので、すでに、こと切れたと云ふと、わつと男泣きに泣き、余りの愁嘆に、どうしてそんなに悲しむか怪しまれ、それでは何か知合のものででもあつたかとの訊問に対して、実は、それは彼の女房であつた、と告白したのである。彼は釜ケ崎の木賃宿に住んで磨き砂売りをやつてゐるが、もちろん、稼ぎは思ふやうには行かず、それに女房が病気になつて寝て了ひ、日に日に重ることが眼に見えつつも、施す手がなく医者も相手にしてくれず、瀕死の彼女は苦悶するし――遂に思ひ余つて、女房を行路病者にしたてたと云ふわけであつた。
新聞記者某氏は「ルンペンの夫は悲し、と云ふ物語や、どや、小説にならんか」と云つた。
小説家は狡猾(かうくわつ)に笑つて何とも答へず、家へ戻つたが、それと彼の昨夜来の経験とを織りまぜ、小説に作りあげて見ようと、決心した。そこで、手許を探して、市役所から出てゐる「大阪市不良住宅地区沿革」と云ふのを参考に読みはじめたのである。
――現在の釜ケ崎密集地域も明治三十五年頃までは、僅かに紀州街道に沿うて、旅人相手の八軒長屋が存在したるに過ぎない。
その後、東区の野田某氏が始めて、労働者向きの低廉なる住宅を建設して、労働者を収容したるが、尚当時に於ても依然として、百軒足らずの一寒村に過ぎなかつた。
以後、大阪市の発展に伴ひて、下寺町広田町方面に巣食つてゐた細民は次第に追ひ出されて南下し、安住の地を求め、期せずして、集団したるが、現在の釜ケ崎にして、そこに純長町細民部落を形式するに到り、下級労働者、無頼(ぶらい)の徒、無職者は激増し、街道筋に存在する木賃宿は各地より集まる各種の行商人遊芸人等の巣窟となり、附近一帯の住民の生活に甚だしい悪影響を与へつつある。
児童の大半は就学せず、すでに就学せるものも、三四年の課程を終へれば登校せず、金銭を賭して遊ぶ子供を所々に見受ける。
下水の施設なく不潔なること言語を絶するものがある。表側に於ては左程にも思はれぬとも、裏側に於ては、甚だしいものがある。上水の施設もないところ多く、井戸水を使用してゐる。――云々。
(昭和八年三月)
世相
織田作之助
一
凍てついた夜の底を白い風が白く走り、雨戸を敲くのは寒さの音である。厠に立つと、窓硝子に庭の木の枝の影が激しく揺れ、師走の風であった。
そんな風の中を時代遅れの防空頭巾を被って訪れて来た客も、頭巾を脱げば師走の顔であった。青白い浮腫(むくみ)がむくみ、黝(あおぐろ)い隈(くま)が周囲(まわり)に目立つ充血した眼を不安そうにしょぼつかせて、「ちょっと現下の世相を……」語りに来たにしては、妙にソワソワと落ち着きがない。綿のはみ出た頭巾の端には「大阪府南河内郡林田村第十二組、楢橋廉吉(五十四歳)A型、勤務先大阪府南河内郡林田村林田国民学校」と達筆だが、律義そうなその楷書の字が薄給で七人の家族を養っているというこの老訓導の日々の営みを、ふと覗かせているようだった。口髭の先に水洟(みずばな)が光って、埃も溜っているのは、寒空の十町を歩いて来たせい許りではなかろう。
「先日聴いた話ですが」と語りだした話も教師らしい生硬な語り方で、声もポソポソと不景気だった。
「……壕舎ばかりの隣組が七軒、一軒当り二千円宛出し合うて牛を一頭……いやなに密殺して闇市へ売却するが肚でがしてね。ところが買って来たものの、屠殺の方法が判らんちゅう訳で、首の静脈を切れちゅう者もあれば眉間を棍棒で撲るとええちゅう訳で、夜更けの焼跡に引き出した件の牛を囲んで隣組一同が、そのウ、わいわい大騒ぎしている所へ、夜警の巡査が通り掛って一同をひっくくって行ったちゅう話でがして、巡査も苦笑してたちゅうことで、いやはや……。笑い話といえばでがすな、私の同僚でそのウ、昨今の困窮にたまりかねて、愈々家族と相談の結果、闇市へ立つ決心をしたちゅうことでがす。ところが闇市でこっそり拡げた風呂敷包にはローソクが二三十本、俺だけは断じて闇屋じゃないと言うたちゅう、まるで落し話ですな。ローソクでがすから闇じゃないちゅう訳で……。けッけッけッ……」
自分で洒落を説明すると、まず私の顔色をうかがってこう笑うのだったが、笑いはすぐ髭の中にもぐり込み、眼は笑っていなかった。肚の底から面白がっている訳でもなく、聴いている私もまた期日の迫った原稿を気にしながらでは、老訓導の長話がむしろ迷惑であった。机の上の用紙には、
(千日前の大阪劇場の楽屋の裏の溝(どぶ)板の中から、ある朝若い娘の屍体が発見された。検屍の結果、他殺暴行の形跡があり、犯行後四日を経ていると判明した。家出して千日前の安宿に泊り毎日レヴュ小屋通いをしている内に不良少年に眼をつけられ、暴行のあげく殺害されたらしく、警察では直ちに捜査を開始したが、犯人は見つからず事件は迷宮に入ってしまった)
と、書出しの九行が書かれているだけで、あと続けられずに放ってあるのは、その文章に「の」という助辞の多すぎるのが気になっているだけではなかった。その事件を中心に昭和十年頃の千日前の風物誌を描こうという試みをふと空しいものに思う気持が筆を渋らせていたのだ。千日前のそんな事件をわざわざ取り上げて書いてみようとする物好きな作家は、今の所私のほかには無さそうだし、そんなものでも書いて置けば当時の千日前を偲ぶよすがにもなろうとは言うものの、近頃放送されている昔の流行歌も聴けば何か白々しくチグハグである。溝(どぶ)の中に若い娘の屍体が横たわっているという風景も、昨日今日もはや月並みな感覚に過ぎない。老大家の風俗小説らしく昔の夢を追うてみたところで、現代の時代感覚とのズレは如何ともし難く、ただそれだけの風俗小説ではもう今日の作品として他愛がなさ過ぎる……。そう思えば筆も進まなかったが、といって「ただそれだけ」の小説にしないためにはどんなスタイルを発見すればよいのだろうかと、思案に暮れていた矢先き、老訓導の長尻であった。
けれども律儀な老訓導は無口な私を聴き上手だと見たのか、なおポソポソと話を続けて、
「……ここだけの話ですが、恥を申せばかくいう私も闇屋の真似事をやろうと思ったんでがして、京都の堀川で金巾……宝籤の副賞に呉れるあの金巾でがすよ、あれを一ヤール十七円で売るちゅう話を聴きましてな、何しろ闇市じゃ四十五円でがすからな。帰って家内に相談しましてね、貯金ありったけ子供の分までおろしたり物を売ったりして、やっと八千両こしらえましてな、一人じゃ持てないちゅうんで、家族総出、もっとも年寄りと小さいのは留守番にして総勢五人弁当持ちで朝暗い内から起きて京都の堀川まで行ったんですが……、いや、目的の金巾はあることはあったんですが、先方の言うのには千万円単位でなくちゃ渡せんちゅう訳でがしてね、スゴスゴ戻って来ると、もう夜でがした……」
年の暮の一儲けをたくらんで簡単に狸算用になってしまったかと聴けば、さすがに気の毒だったが、しかし老訓導は急に早口の声を弾ませて、
「――しかし行ってみるもんでがすな、つまりその、金巾は駄目でがしたが、別口(べつくち)の耳寄りな話ががしてな、光が一箱十円であるちゅうんでがすよ。もっとも千箱単位でがすが、しかしどうでがす、十円なら廉うがアしょう。買いませんかな」
と、やはり煙草を売りに来たのだった。いくら口銭を取るのか知らないが、わざと夜を選んでやって来たのも、小心な俄か闇屋らしかった。
「千箱だと一万円ですね」
「今買うて置かれたら、来年また上りますから結局の所……」
「しかし僕は一万円も持っていませんよ」
当(あて)にしていた印税を持って来てくれる筈の男が、これも生活に困って使い込んでしまったのか途中で雲隠れしているのだと、ありていに言うと、老訓導は急に顔を赧くした。断られてみれば闇屋もふと恥しい商売なのであろうか。
老訓導は重ねて勧めず、あわてて村上浪六や菊池幽芳などもう私の前では三度目の古い文芸談の方へ話を移して、暫らくもじもじしていたが、やがて読む気もないらしい書物を二冊私の書棚から抜き出すと、これ借りますよと起ち上り、再び防空頭巾を被って風のように風の中へ出て行った。
風はなお吹きやまず、その人の帰って行く十町の道の寒さを私は想ったが、けれども哀れなその老訓導にはなお八千円の金はあり、私には五千円もないのかと思えば、貧乏同志形影相憐むとはいうものの、どちらが形か影かと苦笑された。そしてふと傍の新聞を見れば、最近京都の祇園町では芸妓一人の稼ぎ高が最高月に十万円を超えると、三段抜きの見出(みだし)である。
国亡びて栄えたのは闇屋と婦人だが、闇屋にも老訓導のような哀れなのがあり、握り飯一つで春をひさぐ女もいるという。やはり栄えた筆頭は芸者に止めをさすのかと呟いた途端に、私は今宮の十銭芸者の話を聯想したが、同時にその話を教えてくれた「ダイス」のマダムのことも想い出された。「ダイス」は清水町にあったスタンド酒場(バア)で、大阪の最初の空襲の時焼けてしまったが、「ダイス」のマダムはもと宗右衛門町の芸者だったから、今は京都へ行って二度の褄を取っているかも知れない。それともジョージ・ラフトの写真を枕元に飾らないと眠れないと言っていたから、キャバレエへ入って芸者ガールをしているのだろうか。粋(いき)にもモダンにも向く肉感的な女であった。
二
早くから両親を失い家をなくしてしまった私は、親戚の家を居候して歩いたり下宿やアパートを転々と変えたりして来たためか、天涯孤独の身が放浪に馴染み易く、毎夜の大阪の盛り場歩きもふと放浪者じみていたので、自然心斎橋筋や道頓堀界隈へ出掛けても、絢爛たる鈴蘭燈やシャンデリヤの灯や、華かなネオンの灯が眩しく輝いている表通りよりも、道端の地蔵の前に蝋燭や線香の火が揺れていたり、格子の嵌ったしもた家(や)の二階の蚊帳の上に鈍い裸電燈が点(とも)っているのが見えたり、時計修繕屋の仕事場のスタンドの灯が見えたりする薄暗い裏通りを、好んで歩くのだった。
その頃はもう事変が戦争になりかけていたので、電力節約のためであろうネオンの灯もなく眩しい光も表通りから消えてしまっていたが、華かさはなお残っており、自然その夜も――詳しくいえば昭和十五年七月九日の夜(といまなお記憶しているのは、その日が丁度生国魂(いくたま)神社の夏祭だったばかりでなく、私の著書が風俗壊乱という理由で発売禁止処分を受けた日だったからで)――私は道頓堀筋を歩いているうちに自然足は太左衛門橋の方へ折れて行った。橋を渡り、宗右衛門町を横切ると、もうそこはずり落ちたように薄暗く、笠屋町筋である。色町に近くどこか艶めいていながら流石に裏通りらしくうらぶれているその通りを北へ真っ直ぐ、軒がくずれ掛ったような古い薬局が角にある三(み)ツ寺(でら)筋を越え、昼夜銀行の洋館が角にある八幡(はちまん)筋を越え、玉の井湯の赤い暖簾が左手に見える周防町筋を越えて半町行くと夜更けの清水(しみず)町筋に出た。右へ折れると堺筋へ出る、左へ折れると心斎橋筋だ。私はふと立停って思案したが、やはり左へ折れて行った。しかし心斎橋筋へ出るつもりはなく、心斎橋筋の一つ手前の畳屋町筋へ出るまでの左側にスタンド酒場(バー)の「ダイス」があるのだった。
その四五日前、私は「ダイス」のマダムから四ツ橋の天文館のプラネタリュウム見物を誘われた。彼女は私より二つ下の二十七歳、路地長屋の爪楊枝の職人の二階を借りた六畳一間ぐらしの貧乏な育ち方をして来たが、十三の歳母親が死んだ晩、通夜にやって来た親戚の者や階下(した)の爪楊枝の職人や長屋の男たちが、その六畳の部屋に集って、嬉しい時も悲しい時もこれだすわと言いながら酔い痴れているのを、階段の登り口に寝かした母親の屍体の枕元から、しょんぼり眺めていた時、つくづく酒を飲む人間がいやらしく思った筈だのに、やがて父親の後妻にはいって来た継母との折れ合いが悪くて、自分から飛び出して芸者になると、一年たたぬ内に大酒飲みとなってしまったという。引かされて清水町で「ダイス」の店をひらいたのは二十五の歳だったが、旦那が半年で死んでしまうと、酒のあとで必ず男のほしくなる体を浮気の機会あるたびに濡らしはじめ、淫蕩的な女となった。何を思ったのか私を掴えても「わては大抵の職業(しょうばい)の男と関係はあったが文士だけは知らん」と、意味ありげに言うかと思うと、「あんたはわてを水揚げした旦那に似ている」とうっとりした眼で見つめながら、いきなり私の膝を抓るのであった。「こら何をする」と私は端たなく口走る自分に愛想をつかしながら、それでも少しはやに下って、誘われるとうかうかと約束してしまったのだが、翌日約束の喫茶店へ半時間おくれてやって来たマダムを見た途端、私はああ大変なことになったと赧くなった。芸者上りの彼女は純白のドレスの胸にピンクの薔薇をつけて、頭には真紅のターバン、真黒のレースの手袋をはめている許りか、四角い玉の色眼鏡を掛けているではないか。私はどんな醜い女とでも喜んで歩くのだが、どんな美しい女でもその女が人眼に立つ奇抜な身装(なり)をしている時は辟易するのがつねであった。なるべく彼女と離れて歩きながら心斎橋筋を抜け、川添いの電車通りを四ツ橋まで歩き、電気科学館の七階にある天文館のバネ仕掛けで後へ倚り掛れるようになった椅子に並んで掛けた時、私ははじめてほっとしてあたりに客の尠いのを喜びながら汗を拭いたが、やがて天井に映写された星のほかには彼女の少し上向きの低い鼻の頭も見えないくらい場内が真っ暗になると、この暗がりをもっけの倖いだと思った、それほど辟易していたのだ。ところが、べつの意味でもっけの倖いだったのはむしろマダムの方で、彼女は星の動きにつれて椅子のバネを利用しながらだんだん首を私の首の方へ近づけて来たかと思うと、いきなりペタリと頬をつけ、そして口に口を合わせようとした。私は起ちあがると、便所へ行った。そして手を洗ってから昇降機で一階まで降りると、いつの間に降りていたのか、マダムは一階の昇降機の入口に立って済ました顔でこちらを睨んでいた。そして並んで四ツ橋を渡り、文楽座の表まで来ると、それまでむっと黙っていた彼女は、疳高い早口の声で、
「こんど店へ来はったら、一ぺん一緒に寝まひょな」とぐんと肩を押しながら赧い顔もせずに言った。心斎橋筋まで来て別れたが、器用に人ごみの中をかきわけて行くマダムのむっちり肉のついた裸の背中に真夏の陽(ひ)がカンカン当っているのを見ながら、私はこんど「ダイス」へ行けば危いと呟いた途端、マダムは急に振り向いたが、派手な色眼鏡を掛けた彼女の顔にはなぜかうらぶれた寂しい翳があり、私もうらぶれた。
そんなことがあってみれば、その夜、ことに自作が発売禁止処分を受けて、もう当分自分の好きな大阪の庶民の生活や町の風俗は描けなくなったことで気が滅入り、すっかりうらぶれた隙だらけの気持になっている夜、「ダイス」のマダムに会うのはますます危いと私は思ったが、しかしいつの間にか私の手は青い内部(なか)の灯が映っている硝子張りの扉を押していた。途端にボックスで両側から男の肩に手を掛けていた二人の女が、「いらっしゃい」と起ち上ったが、その顔には見覚えはなく、また内部の容子が「ダイス」とはまるで違っている。あ、間違って入ったのかと、私はあわてて扉の外へ出ると、その隣の赤い灯が映っている硝子扉を押した途端、白地に黒いカルタの模様のついた薩摩上布に銀鼠色の無地の帯を緊め、濡れたような髪の毛を肩まで垂らして、酒にほてった胸をひろげて扇風機に立っていた女が、いらっしゃいとも言わず近眼らしく眼の附根を寄せて、こちらを見ると、一寸頭を下げた。それが「ダイス」のマダムの癖であった。
「今隣へはいりかけたんだよ」
「浮気者! おビール……?」
「周章者(あわてもの)と言って貰いたいね。うん、ビールだ。あはは……」
私は軽薄な笑い声を立てながら、コップに注がれたビールを飲もうとすると、マダムは私の手を押えて、その中へブランディを入れ、
「判っとうすな。ブランディどっせ」わざと京都言葉を使った。日頃彼女が「男と寝る前はブランディに限るわ」と言ったのを、私は間抜けた顔で想い出し、ますます今夜は危なそうだった。赤い色電球の灯がマダムの薩摩上布の白を煽情的に染めていた。
閉店時間を過ぎていたので、客は私だけだった。マダムはすぐ酔っ払ったが、私も浅ましいゲップを出して、洋酒棚の下の方へはめた鏡に写った顔は仁王のようであった。マダムはそんな私の顔をにやっと見ていたが、何思ったのか。
「待っててや。逃げたらあかんし」と蓮葉(はすっぱ)に言って、赤い斑点の出来た私の手の甲をぎゅっと抓ると、チャラチャラと二階の段梯子を上って行ったが、やがて、
「――ちょんの間の衣替え……」と歌うように言って降りて来たのを見ると、真赤な色のサテン地の寝巻ともピジャマともドイスともつかぬ怪しげな服を暑くるしく着ていた。作業服のように上衣とズボンが一つになっていて、真中には首から股のあたりまでチャックがついている。二つに割れる仕掛になっているのかと私は思わず噴き出そうとした途端、げっと反吐がこみあげて来た。あわてて口を押え、
「食塩水……」をくれと情ない声を出すと、はいと飲まされたのは、ジンソーダだ。あっとしかめた私の顔を、マダムはニイッと見ていたが、やがてチャックをすっと胸までおろすと、私の手を無理矢理その中へ押し込もうとした。円い感触にどきんとして、驚いて汗ばんだ手を引き込めようとしたが、マダムは離さずぎゅっと押えていたが、何思ったか急に、
「ああ辛気臭(しんきくさ)ア」と私の人さし指をキリキリと噛みはじめた。痛いッと引抜いて、
「見ろ、血がにじんでるぞ。こらッ、歯型も入れたな」
そう怒りながら、しかしだらしない声を出して少しはやに下り気味の自分が、つくづく情けなくなっていると、マダムは気取った声で、
「抓りゃ紫、食いつきゃ紅(べに)よ、色で仕上げた……」云々と都々逸であった。
私は悲しくなってしまって、店の隅で黙々と洗い物をしているマダムの妹の、十五歳らしい固い表情をふと眼に入れながら、もう帰るよと起ち上ったが、よろめいて醜態であった。
「這うて帰る積り……?」その足ではと停めるのを、
「帰れなきゃ野宿するさ。今宮のガード下で……」
「へえ……? さては十銭芸者でも買う積りやな」
「十銭……? 十銭何(なん)だ?」
「十銭芸者……。文士のくせに……」知らないのかという。
「やはり十銭漫才や十(テン)銭寿司の類(たぐい)なの?」
帰るといったものの暫らく歩けそうになかったし、マダムへの好奇心も全く消えてしまっていたわけではない。「風俗壊乱」の文士らしく若気の至りの放蕩無頼を気取って、再びデンと腰を下し、頬杖ついて聴けば、十銭芸者の話はいかにも夏の夜更けの酒場で頽廃の唇から聴く話であった。
もう十年にもなるだろうか、チェリーという煙草が十銭で買えた頃、テンセン(十銭)という言葉が流行して、十(テン)銭寿司、十(テン)銭ランチ、十銭マーケット、十銭博奕、十銭漫才、活動小屋も割引時間は十銭で、ニュース館も十銭均一、十銭で買え、十銭で食べ十銭で見られるものなら猫も杓子も飛びついたことがある。十銭芸者もまたその頃出現したものだが、しかしこの方は他の十銭何々のように全国を風靡した流行の産物ではない。十銭芸者――彼女はわずかに大阪の今宮の片隅にだけその存在を知られたはかない流行外れの職業婦人である。今宮は貧民の街であり、ルンペンの巣窟である。彼女はそれらのルンペン相手に稼ぐけちくさい売笑婦に過ぎない。ルンペンにもまたそれ相応の饗宴がある。ガード下の空地に茣蓙を敷き、ゴミ箱から漁って来た残飯を肴に泡盛や焼酎を飲んでさわぐのだが、たまたま懐の景気が良い時には、彼等は二銭か三銭の端た金を出し合って、十銭芸者を呼ぶのである。彼女はふだんは新世界や飛田の盛り場で乞食三味線をひいており、いわばルンペン同様の暮しをしているのだが、ルンペンから「お座敷」の掛った時はさすがにバサバサの頭を水で撫で付け、襟首を白く塗り、ボロ三味線の胴を風呂敷で包んで、雨の日など殆んど骨ばかしになった蛇の目傘をそれでも恰好だけ小意気にさし、高下駄を履いて来るだけの身だしなみをするという。花代は一時間十銭で、特別の祝儀を五銭か十銭はずむルンペンもあり、そんな時彼女はその男を相手に脛もあらわにはっと固唾をのむような嬌態を見せるのだが、しかし肉は売らない。最下等の芸者だが、最上等の芸者よりも清いのである。もっとも情夫は何人もいる。……
語っているマダムの顔は白粉がとけて、鼻の横にいやらしくあぶらが浮き、息は酒くさかった。ふっと顔をそむけた拍子に、蛇の目傘をさした十銭芸者のうらぶれた裾さばきが強いイメージとなって頭に浮んだ。現実のマダムの乳房への好奇心は途端に消えて、放蕩無頼の風俗作家のうらぶれた心に降る苛立たしい雨を防いでくれるのは、もはや想像の十銭芸者の破れた蛇目傘であった。これは書けると、作家意識が酔い、酒の酔は次第に冷めて行った。
丁度そこへ閉っていたドアを無理矢理あけて、白いズボンが斬り込むように、
「一杯だけでいい。飲ませろ」とはいって来た。左翼くずれの同盟記者で大阪の同人雑誌にも関係している海老原という文学青年だったが、白い背広に蝶ネクタイというきちんとした服装は崩したことはなく、「ダイス」のマダムをねらっているらしかった。
私を見ると、顎を上げて黙礼し、
「しんみりやってる所を邪魔したかな」とマダムの方へ向いた。
「阿呆らしい。小説のタネをあげてましてん。十銭芸者の話……」とマダムが言いかけると、
「ほう? 今宮の十銭芸者か」と海老原は知っていて、わざと私の顔は見ずに、
「――オダサク好みだね。併し君もこういう話ばっかし書いているから……」
「発売禁止になる……」と言い返すと、いやそれもあるがと、注がれたビールを一息に飲んで、
「――それよりもそんな話ばかし書いているから、いつまでたっても若さがないと言われるんだね」そう言い乍ら突き上げたパナマ帽子のように、簡単に私の痛い所を突いて来た。
「いや、若さがないのが僕の逆説的な若さですよ。――僕にもビール、あ、それで結構」
「青春の逆説というわけ……?」発売禁止になった私の著書の題は「青春の逆説」だった。
「まアね、僕らはあんた達左翼の思想運動に失敗したあとで、高等学校へはいったでしょう。左翼の人は僕らの眼の前で転向して、ひどいのは右翼になってしまったね。しかし僕らはもう左翼にも右翼にも随いて行けず、思想とか体系とかいったものに不信――もっとも消極的な不信だが、とにかく不信を示した。といって極度の不安状態にも陥らず、何だか悟ったような悟らないような、若いのか年寄りなのか解らぬような曖眛な表情でキョロキョロ青春時代を送って来たんですよ。まア、一種のデカダンスですね。あんた達はとにかく思想に情熱を持っていたが、僕ら現在二十代のジェネレーションにはもう情熱がない。僕はほら地名や職業の名や数字を夥しく作品の中にばらまくでしょう。これはね、曖眛な思想や信ずるに足りない体系に代るものとして、これだけは信ずるに足る具体性だと思ってやってるんですよ。人物を思想や心理で捉えるかわりに感覚で捉えようとする。左翼思想よりも、腹をへらしている人間のペコペコの感覚の方が信ずるに足るというわけ。だから僕の小説は一見年寄りの小説みたいだが、しかしその中で胡坐をかいているわけではない。スタイルはデカダンスですからね。叫ぶことにも照れるが、しみじみした情緒にも照れる。告白も照れくさい。それが僕らのジェネレーションですよ」
私はしどろもどろの詭弁を弄していたのだ。「青春の逆説」とは不潔ないいわけであった。若さのない作品しか書けぬ自分を時代のせいにし、ジェネレーションの罪にするのは卑怯だぞと、私は狼狽してコップを口に当てたが、泡は残った。
しかし海老原は一息に飲み乾して、その飲みっぷりの良さは小説は書かず批評だけしている彼の気楽さかも知れなかった。だから、
「君には思想がわからないのだよ。不信といっても一々疑ってからの不信とは思えんね」と高飛車だった。
「だから、消極的な不信だといってるじゃないですか」
思わず声が大きくなり、醜態であった。
「それが何の自慢になる」
海老原はマダムに色目を使いながら言った。私は黙った。口をひらけば「しかしあんたには十銭芸者の話は書けまい」と嫌味な言葉が出そうだったからだ。ひとつには、海老原の抱いている思想よりも彼の色目の方が本物らしいと、意地の悪い観察を下すことによって、けちくさい溜飲を下げたのである。私は海老原一人をマダムの前に残して「ダイス」を出ることで、議論の結末をつけることにした。
「じゃ、ごゆっくり」
マダムも海老原がいるので強いて引き止めはしなかったが、ただ一言、
「阿呆? 意地悪(いけず)!」
背中に聴いて「ダイス」を出ると暗かった。夜風がすっと胸に来て、にわかに夜の更けた感じだった。鈴(りん)の音が聴えるのはアイスクリーム屋だろうか夜泣きうどんだろうか。清水町筋をすぐ畳屋町の方へ折れると、浴衣に紫の兵古帯を結んだ若い娘が白いワイシャツ一枚の男と肩を並べて来るのにすれ違った。娘はそっと男の手を離した。まだ十七八の引きしまった顔の娘だが、肩の線は崩れて、兵古帯を垂れた腰はもう娘ではなかった。船場か島ノ内のいたずら娘であろうか。(船場の上流家庭に育った娘、淫奔な血、家出して流転し、やがて数奇な運命に操られて次第に淪落して行った挙句、十銭芸者に身を落すまでの一生)しかし、これでは西鶴の一代女の模倣に過ぎないと思いながら、阪口楼の前まで来た。阪口楼の玄関はまだ灯りがついていた。出て来た芸者が男衆らしい男と立ち話していたが、やがて二人肩を寄せて宗右衛門町の方へ折れて行った。そのあとに随いて行き乍ら、その二人は恋仲かも知れないとふと思った。(十銭芸者がまだ娘の頃、彼女に恋した男がいる。その情熱の余り女が芸者になれば自分も男衆として検番に勤め、女が娼妓になれば自分もその廓の中の牛太郎になり、女が料理屋の仲居になれば、自分も板場人になり、女が私娼になれば町角で客の袖を引く見張りをし、女が十銭芸者になればバタ屋になって女の稼ぎ場の周囲をうろつく――という風に、絶えず転々とする女の後を追い、形影相抱く如く相憐れむ如く、女と運命を同じゅうすることに生甲斐を感じている)この男を配すれば一代女の模倣にならぬかも知れないと、呟き乍ら宗右衛門町を戎橋の方へ折れた。橋の北詰の交番の前を通ると、巡査がじろりと見た。橋の下を赤い提灯をつけたボートが通った。橋を渡るとそこにも交番があり、再びじろりと見た。(犯罪。十銭芸者になった女は、やがて彼女を自分のものにしようとするルンペン達の争いに惹き込まれて、ある夜天王寺公園の草叢の中で、下腹部を斬り取られたままで死んでいる。警察では直ちに捜査、下手人は不明。ところが、間もなくあれは自分がやったのだと、自首して来た男がいる。事件発生後行方を韜ませていたバタ屋である。調べると、自分は何十年も前から女の情夫であったといい、嫉妬ゆえの犯行だと陳述するが、しかしだんだん調べると、陳述の辻褄が合わない。兇器も出て来ないし、陳述そのものがアリバイになっているくらいである。警察では真犯人は別にいると睨む。果して犯人は捕まる。バタ屋がいつわって自首したのは、自分以外の人間が女の下腹部を斬り取って殺したということに、限りない嫉妬を感じたからである。その時女は五十一歳、男は五十六歳――とする)戎橋筋は銀行の軒に易者の鈍い灯が見えるだけ、すっかり暗かったが、私の心にはふと灯が点っていた。新しい小説の構想が纒まりかけて来た昂奮に、もう発売禁止処分の憂鬱も忘れて、ドスンドスンと歩いた。
難波から高野線の終電車に乗り、家に帰ると、私は蚊帳のなかに腹ばいになって、稿を起した。題は「十銭芸者」――書きながら、ふとこの小説もまた「風俗壊乱」の理由で闇に葬られるかも知れないと思ったが、手錠をはめられた江戸時代の戯作者のことを思えば、いっそ天邪鬼な快感があった。デカダンスの作家ときめられたからとて、慌てて時代の風潮に迎合するというのも、思えば醜体だ。不良少年はお前だと言われるともはやますます不良になって、何だいと尻を捲くるのがせめてもの自尊心だ。闇に葬るなら葬れと、私は破れかぶれの気持で書き続けて行った。
三
あれから五年になると、夏の夜の「ダイス」を想い出しながら、私は夜更けの書斎で一人水洟をすすった。
扇風機の前で胸をひろげていたマダムの想出も、雨戸の隙間から吹き込む師走の風に首をすくめながらでは、色気も悩ましさもなく、古い写真のように色あせていた。踊子の太った足も、場末の閑散な冬のレヴュ小屋で見れば、赤く寒肌立って、かえって見ている方が悲しくうらぶれてしまう。興冷めた顔で洟をかんでいると、家人が寝巻の上に羽織をひっかけて、上って来た。砂糖代りのズルチンを入れた紅茶を持って来たのである。
「夜中におなかがすいたら、水屋の中に餅がはいってますから……」勝手に焼いて食べろ、あたしは寝ますからと降りて行こうとするのを呼び停めて、
「あの原稿どこにあるか知らんか。『十銭芸者』――いつか雑誌社から戻って来た原稿だ」十日掛って脱稿すると、すぐある雑誌社へ送ったのだが、案の定検閲を通りそうになかったのである。案の定だから悲観もしなかった。
「ああ、あれ、友達に貸したんじゃない?」
家人は吐きだすように言った。私がそのような小説を書くのがかねがね不平らしかった。良家の子女が読んでも眉をひそめないような小説が書いてほしいのであろう。私の小説を読むと、この作者はどんな悪たれの放蕩無頼かと人は思うに違いないと、家人にはそれが恥しいのであろう。親戚の女学校へ行っている娘は、友達の間で私の名が出るたび、肩身がせまい想いがするらしい。
「そうだったかな。しかし誰に貸したんだろうな」
「一人じゃないでしょう。来る人来る人に喜んで読ませてあげていたでしょう」悪趣味だという口つきだった。
「最後に貸したのは誰だったかな。――忘れた。ズルチン呆けしたかな」ズルチンはサッカリンより甘いが、脳に悪影響があるからやめろと、最近友人の医者から聴いていた。
「――誰だか忘れたが、たぶん返しに来た筈だ。押入の中にはいっていないか」
「さア」と、それでも押入の戸は明けて、
「――今いるんですの?」
「まアいいや、無ければ。今書いている原稿の代りに『十銭芸者』を送ろうと思ったんだけど……。その方が労がはぶけていいが、しかし……」今書いている千日前の話が一向に進まないのは時代との感覚のズレが気になっているからだとすれば、それ以上にズレている筈の古い原稿を労をはぶいて送るのも如何(いかが)なものだと、私はボソボソ口の中で呟いた。
「今書いてらっしゃるのは……?」
「千日前の大阪劇場の裏の溝の中で殺されていた娘の話だ。レヴュに憧れてね。殺されて四日間も溝の中で転がっていたんだが、それと知らぬレヴュガールがその溝の上を通って楽屋入りをしていたんだ。娘にとっては本望……」
「また殺人事件ですか」呆れていた。
「またとは何だ。あ、そうか、『十銭芸者』も終りに殺されたね」
「いつか阿部定も書きたいとおっしゃったでしょう。グロチックね」
私の小説はグロテスクでエロチックだから、合わせてグロチックだと、家人は不潔がっていた。
「ああ、今も書きたいよ。題はまず『妖婦』かな。こりゃ一世一代の傑作になるよ」
家人は噴きだしながら降りて行った。私はそれをもっけの倖いに思った。なぜ阿部定を書きたいのかと訊かれると、返答に困ったかも知れないのだ。所詮はグロチック好みの戯作者気質だと言えば言えるものの、しかしただそれだけではなかった。が、その理由は家人には言えない。
阿部定――東京尾久町の待合「まさき」で情夫の石田吉蔵を殺害して、その肉体の一部を斬り取って逃亡したという稀代の妖婦の情痴事件が世をさわがせたのは、たしか昭和十一年五月であったが、丁度その頃私はカフェ美人座の照井静子という女に、二十四歳の年少多感の胸を焦がしていた。
美人座は戎橋の北東詰を宗右衛門町へ折れた掛りにあり、道頓堀の太左衛門橋の南西詰にある赤玉と並んで、その頃大阪の二大カフェであった。赤玉が屋上にムーラン・ルージュをつけて道頓堀の夜空を赤く青く染めると、美人座では二階の窓に拡声機をつけて、「道頓堀行進曲」「僕の青春(はる)」「東京ラプソディ」などの蓮ッ葉なメロディを戎橋を往き来する人々の耳へひっきりなしに送っていた。拡声機から流れる音は警察から注意が出るほど気狂い染みた大きさで、通行人の耳を聾させてまで美人座を宣伝しようという悪どいやり方であった。最初私が美人座へ行ったのは、その頃私の寄宿していた親戚の家がネオンサインの工事屋で、たまたま美人座の工事を引受けた時、クリスマスの会員券を売付けられ、それを貰ったからであるが、戎橋の停留所で市電を降り、戎橋筋を北へ丸万の前まで来ると、はや気が狂ったような「道頓堀行進曲」のメロディが聴えて来た。美人座の拡声機だとわかると、私は急に辟易してよほど引き返そうと思ったが、同行者があったのでそれもならず、赤い首を垂れて戎橋を渡ると、思い切って美人座の入口をくぐった。
その時の本番(ほんばん)(などといやらしい言葉だが)が静子で、紫地に太い銀糸が縦に一本はいったお召を着たすらりとした長身で、すっとテーブルへ寄って来た時、私はおやと思った。細面だが額は広く、鼻筋は通り、笑うと薄い唇の両端が窪み、耳の肉は透きとおるように薄かった。睫毛の長い眼は青味勝ちに澄んで底光り、無口な女であった。
高等学校の万年三年生の私は、一眼見て静子を純潔で知的な女だと思い込み、ランボオの詩集やニイチェの「ツアラトウストラ」などを彼女に持って行くという歯の浮くような通いかたをした挙句、静子に誘われてある夜嵐山の旅館に泊った。寝ることになり、私はわざとらしく背中を向けて固くなっていたが、一つにはそれが二人にふさわしいと思ったのだ。それほど静子は神聖な女に見えていたのである。そして暫くじっとしていると、
「どうしたの」白い手が伸びて首に巻きつき、いきなり耳に接吻された。
あとは無我夢中で、一種特別な体臭、濡れたような触感、しびれるような体温、身もだえて転々する奔放な肢体、気の遠くなるような律動。――女というものはいやいや男のされるがままになっているものだと思い込んでいた私は、愚か者であった。日頃慎ましくしていても、こんな場合の女はがらりと変ってしまうものかと、間の抜けた観察を下しながら、しかし私は身も世もあらぬ気持で、
「結婚しようね、結婚しようね」と浅ましい声を出していた。
すると静子は涙を流して、
「駄目よ、そんなこと言っちゃ。あたし結婚出来る体じゃないわ」
そして、自分は神戸でダンサーをしていたときに尼崎の不良青年と関係が出来て、それが今まで続いているし、その後京都の宮川町でダンス芸者をしていた頃は、北野の博奕打の親分を旦那に持ったことがあり、またその時分抱主や遣手(やりて)への義理で、日活の俳優を内緒の客にしたこともあると、意外な話を打ち明けたが、しかしその俳優の名を三人まで挙げている内に、もう静子の顔は女給が活動写真の噂をしている時の軽薄な調子になっていた。
「――あのスター、写真で見るとスマートだけど、実物は割にチビで色が黒いし、絶倫よ」
その言葉はさすがに皆まで聴かず、私はいきなり静子の胸を突き飛ばしたが、すぐまた半泣きの昂奮した顔で抱き緊め、そして厠に立った時、私はひきつったような自分の顔を鏡に覗いて、平気だ、平気だ、なんだあんな女と呟きながら、遠い保津川の川音を聴いていた。
女の過去を嫉妬するくらい莫迦げた者はまたとない。が、私はその莫迦者になってしまったのである。しかし莫迦は莫迦なりに、私は静子の魅力に惹きずられながら、しみったれた青春を浪費していた。その後「十銭芸者」の原稿で、主人公の淪落する女に、その女の魅力に惹きずられながら、一生を棒に振る男を配したのも、少しはこの時の経験が与っているのだろうか。けれど、私はその男ほどにはひたむきな生き方は出来なかった。彼は生涯女の後を追い続けたが、私は静子がやがて某拳闘選手と二人で満州に走った時、満州は遠すぎると思った。追いもせず大阪に残った私は、いつか静子が角力取りと拳闘家だけはまだ知らないと言っていたのを思い出して、何もかも阿呆らしくなってしまい、もはや未練もなかったが、しかしさすがに嫉妬は残った。女の生理の脆さが悲しかった。
嫉妬は閨房の行為に対する私の考えを一変させた。日常茶飯事の欠伸まじりに倦怠期の夫婦が行う行為と考えてみたり、娼家の一室で金銭に換算される一種の労働行為と考えてみたりしたが、なお割り切れぬものが残った。円い玉子も切りようで四角いとはいうものの、やはり切れ端が残るのである。欠伸をまじえても金銭に換算しても、やはり女の生理の秘密はその都度新鮮な驚きであった。私は深刻憂鬱な日々を送った。
阿部定の事件が起ったのは、丁度そんな時だ。妖艶な彼女が品川の旅館で逮捕された時、号外が出て、ニュースカメラマンが出動した。いわば一代の人気女であったが、彼女はこの人気を閨房の秘密をさらけ出すことによって獲得した。さらけ出された閨房は彼女の哀れさの極まりであったが、同時に喜劇であった。少くとも人々は笑った。戯画を見るように笑った。私は笑えなかったが、日本の春画がつねにユーモラスな筆致で描かれている理由を納得したと思った。
「リアリズムの極致なユーモアだよ」とその当時私は友人の顔を見るたび言っていたが、無論お定の事件からこんな文学論を引き出すのは、脱線であったろう。
が、とにかく私は笑えばいいと思った。女の生理の悲しさについて深刻に悩むことなぞありゃしない、俺を驚かせた照井静子の奔放な性生活なぞこの女に較べれば、長襦袢の前のしみったれた安パジャマに過ぎないぞ。そう思うことによって、私は静子の肉体への嫉妬から血路を開こうとした。お定を描(か)こうと思った。
二十四歳の私がお定を描(か)きたいと言うのを聴いて、友人は変な顔をした。
「そりゃよした方がいい。あんまりひどすぎる。高橋お伝ならまだしも……」と真面目に忠告してくれる友人もあった。
しかし、私は阿部定の公判記録の写しをひそかに探していた。物好きな弁護士が写して相当流布していると聴いたからである。が、幸か不幸か公判記録の持主にめぐり会うことは出来なかった。そして空しく七年が過ぎて殆ど諦めかけていたある日、遂にそれを手に入れることが出来た。雁次郎横丁の天辰の主人がたまたま持っていたのである。
四
雁次郎横丁――今はもう跡形もなく焼けてしまっているが、そしてそれだけに一層愛惜を感じ詳しく書きたい気もするのだが、雁次郎横丁は千日前の歌舞伎座の南横を西へはいった五六軒目の南側にある玉突屋の横をはいった細長い路地である。突き当って右へ折れると、ポン引と易者と寿司屋で有名な精華学校裏の通りへ出るし、左へ折れてくねくね曲って行くと、難波から千日前に通ずる南海通りの漫才小屋の表へ出るというややこしい路地である。この路地をなぜ雁次郎横丁と呼ぶのか、成駒屋の雁次郎とどんなゆかりがあるのか、私は知らないが、併し寿司屋や天婦羅屋や河豚料理屋の赤い大提灯がぶら下った間に、ふと忘れられたように格子のはまったしもた家(や)があったり、地蔵や稲荷の蝋燭の火が揺れたりしているこの横丁は、いかにも大阪の盛り場にある路地らしく、法善寺横丁の艶めいた華かさはなくとも、何かしみじみした大阪の情緒が薄暗く薄汚くごちゃごちゃ漂うていて、雁次郎横丁という呼び名がまるで似合わないわけでもない。ポン引が徘徊して酔漢の袖を引いているのも、ほかの路地には見当らない風景だ。私はこの横丁へ来て、料理屋の間にはさまった間口の狭い格子づくりのしもた家の前を通るたびに、よしんば酔漢のわめき声や女の嬌声や汚いゲロや立小便に悩まされても、一度はこんな家に住んでみたいと思うのであった。
天辰はこの雁次郎横丁にある天婦羅屋で、二階は簡単なお座敷になっているらしかったが、私はいつも板場の前に腰を掛けて天婦羅を揚げたり刺身を作ったりする主人の手つきを見るのだった。主人は小柄な風采の上らぬ人で、板場人や仲居に指図する声もひそびそと小さくて、使っている者を動かすよりもまず自分が先に立って働きたい性分らしく、絶えず不安な眼をしょぼつかせてチョコチョコ動き、律儀な小心者が最近水商売をはじめてうろたえているように見えたが、聴けばもうそれで四十年近くも食物商売をやっているといい、むっちりと肉が盛り上って血色の良い手は指の先が女のように細く、さすがに永年の板場仕事に洗われた美しさだった。庖丁を使ったり竹箸で天婦羅を揚げたりする手つきも鮮かである。
私はその手つきを見るたびに、いかに風采が上らぬとも、この手だけで岡惚れしてしまう年増女もあるだろうと、おかしげな想像をするのだったが、仲居の話では、大将は石部金吉だす。酒も煙草も余りやらぬという。併し、若い者の情事には存外口喧しくなく、玄人女に迷って悩んでいる板場人が居れば、それほど惚れているのだったら身受けして世帯を持てと、金を出してやったこともあるという。辻占売りの出入りは許さなかったが、ポン引が出入り出来るのはこの店だけだった。そのくせ帝塚山の本宅にいる細君は女専中退のクリスチャンだった。細君は店へ顔出しするようなことは一度もなく、主人が儲けて持って帰る金を教会や慈善団体に寄附するのを唯一の仕事にしていた。ほんまに大将は可哀相な人だっせと仲居は言うのだったが、主人の顔には不幸の翳はなかった。
しかし、ある夜――戦争がはじまって三年目のある秋の夜、日頃自分から話しかけたことのない主人が何思ったのかいきなり、
「あんた奥さん貰うんだったら、女子大出はよしなさいよ。東条の細君、あれも女子大だといいますぜ。あんたの奥さんにはまア芸者かな」私を独身だと思っていた。
「女子大出だって芸者だってお女郎だって、理窟を言おうと言うまいと、亭主を莫迦にしようとしまいと、抱いてみりゃア皆同じ女だよ」私は一合も飲まぬうちに酔うていた。
「あんたはまだ坊ン坊ンだ。女が皆同じに見えちゃ良い小説が書けっこありませんよ。石コロもあれば、搗き立ての餅もあります」日頃の主人に似合わぬ冗談口だった。
その時、トンビを着て茶色のソフトを被った眼の縁の黝い四十前後の男が、キョロキョロとはいって来ると、のそっと私の傍へ寄り、
「旦那、面白い遊びは如何です。なかなかいい年増ですぜ」
「いらない。女子大出の女房を貰ったばかりだ」済まして言った。
「そりゃ奥さんもいいでしょうが、たまには小股の切れ上った年増の濃厚なところも味ってみるもんですよ。オールサービスべた[#「べた」に傍点]モーション。すすり泣くオールトーキ」と歌うように言って、
「――ショートタイムで帰った客はないんだから」
色の蒼白い男だが、ペラペラと喋る唇はへんに濁った赤さだった。
「だめだ。今夜は生憎ギラがサクイんだ」
ギラとは金、サクイとは乏しい。わざと隠語を使って断ると、そうですか、じゃ今度またと出て行った。
ほかの客に当らずに出て行った所を見ると、どうやら私だけが遊びたそうな顔をしていたのかと、苦笑していると、天辰の主人はふと声をひそめて、
「今の男は変ったポン引ですよ。自分の女房の客を拾って歩いているんですよ」と言った。
「女房の客……? じゃ細君に商売をさせてるの?」
「そうですよ。女房が客を取ってるんですよ。あの男に言わせると、女房の客を物色して歩くようになってからはじめてポン引の面白さがわかったと、言っとりましたがね。あんたも社会の表面(うわべ)の綺麗ごとばかし見ずに、ああいう男の話を聴いて、裏面も書いて見たらいい小説が生れるがなア」
「ふーん。そりゃ惜しいことをしたね」自分の細君に客を取らせているあの男は、嫉妬というものをどんな風に解決しているのかと、ふと好奇心が湧いた。
「いやそれよりも……」と主人は天婦羅を私の前に載せながら、「――あんたにいいタネをあげましょうか」
「どうぞ。いいタネって何……? アナゴ……? 鮹(たこ)かな」
「いえ、天婦羅のタネじゃありませんよ。あはは……。小説のタネですよ」
そう言って、そわそわと二階へ上って行った。天婦羅が揚るのも忘れて、何を取りに行ったのかと思っていると、やがて油紙に包んだものを持って降りて来た。紐をほどいて、
「これです。一寸珍らしいもんですよ」
見れば阿部定の公判記録だった。
「ほう? こんなものがあったの。どうしてこれを……」手に入れたのかと訊くと、
「まアね」と赧くなって眼をしょぼつかせていた。
「借りていい」
「その代り大事に読んで下さいよ。何(なん)しろ金庫の中に入れてるぐらいだから。もっともあんた方は本を大事にする商売の人ですから、間違いないでしょうが。大事に頼みますよ」
そんなにくどくどと勿体をつけられて借りると、私は飛ぶようにして家へかえり、天辰の主人がどうしてこれを手に入れたのか、案外道楽気のある男だと思いながら、読み出した。謄写刷りの読みにくい字で、誤字も多かったが、八十頁余りのその記録をその夜のうちに読み終った。
神田の新銀町の相模屋という畳屋の末娘として生れた彼女が、十四の時にもう男を知り、十八の歳で芸者、その後不見転、娼妓、私娼、妾、仲居等転々とした挙句、被害者の石田が経営している料亭の住込仲居となり、やがて石田を尾久町の待合「まさき」で殺して逃亡し、品川の旅館で逮捕されるまでの陳述は、まるで物悲しい流転の絵巻であった。もののあわれの文学であった。石田と二人で情痴の限りを尽した待合での数日を述べている条りは必要以上に微に入り細をうがち、まるで露出狂かと思われるくらいであったが、しかしそれもありし日の石田の想出に耽るのを愉しむ余りの彼女の描写かと思えば、あわれであった。早く死刑になって石田の所へ行きたいと言っているこの女の、最後の生命が輝く瞬間であり、だからこそその陳述はどんな自然主義派の作家も達し得なかったリアリズムに徹しているのではなかろうか。そしてまた、虚飾と嘘の一つもない陳述はどんな私小説もこれほどの告白を敢てしたことはかつてあるまいと、思われるくらいであった。
本当に文学のようであった。が、この記録を一篇の小説にたとえるとすれば、そのヤマは彼女が石田の料亭の住込仲居になる動機と径路ではなかろうか、――彼女は石田の所へ雇われる前、名古屋の「寿」という料亭の仲居をしていた。その時中京商業の大宮校長と知り合った、大宮校長は検事の訊問に答えて次のように陳述している。
「……私が最初にあの女に会うたのは昨年の四月の末、覚王山の葉桜を見に行き、『寿』という料亭に上った時です。あの女はあそこの女中だったのです。その時女は、私は夫に死に別れ、叔母の所に預けてある九歳になる娘に養育費を送るために、こういう商売をしているのだと言いましたので、非常に気の毒に思いました。十日程たって今度は娘が死んで東京に帰るとの話でしたので、私は一層同情しました。女が上京すればますます淪落の淵に沈んで行くに違いないと思ったのと、救いがたい悪癖を持っているのに同情したのとで、何とかしてこれを救おうという心情を起し、物質的並に精神的方面より援助を与え彼女を品性のある婦人たらしめようと力を尽したのでした」
こんな体裁のいいことを言っているが、しかし校長は二度目に「寿」へ行った時、「非常に気の毒に思」った女に酌をさせながら、けしからぬ振舞いに出ようとしている。女は初めは初心らしく裾を押えたりしていたが、やがて何の感情もなく言いなりになった。校長は彼女の美貌と性的魅力に参ってしまったのだ。「救いがたい悪癖」と言っているが、しかしこの悪癖が校長を満足させたのだ。だから上京すると言われて驚き、じゃ時々東京で会うことにしよう。上京した彼女が一先ず落ち着いた所は、ところもあろうに昔彼女が世話になったことのあるいかがわしい周旋屋であった。文部省へ出頭する口実を設けてしばしば上京するたび、宿屋へ呼び寄せて会うていた校長は、さすがに彼女のいわゆる「叔母の家」の怪しさを嗅ぎつけた。校長はまず彼女に触れたあと、急いで手や口を洗うてから、男女の仲は肉体が第一ではない、精神的にも愛し合わねばならん、お前が真面目になるというなら、金を出してやるから料理屋でも開いたらどうだ。校長は女を独占したかったのだ。彼女は何をしても直ぐ口や手を洗う水臭い校長を、肉体的にも精神的にも愛することは出来ないと思ったが、くどくど説教されているうちに、さすがにただれ切った性生活から脱け出して、校長一人を頼りにして、真面目な生活にはいろうと決心した。しかし、料理屋を開くには、もう少し料理屋の内幕や経営法を知って置いた方がよい。そう思って口入屋の紹介で住込仲居にはいった先がたまたま石田の店であった。石田は苦味走ったいい男で、新内の喉がよく、彼女が銚子を持って廊下を通ると、通せんぼうの手をひろげるような無邪気な所もあり、大宮校長から掛って来た電話を聴いていると、嫉けるぜと言いながら寄って来てくすぐったり、好いたらしい男だと思っている内にある夜暗がりの応接間に連れ込まれてみると、子供っぽい石田が分別くさい校長とは較べものにならぬくらい、女にかけては凄い男であった。石田の細君はヒステリーで彼女に辛く当った。なんだい、あんなお内儀と、石田を取ってやるのがいい気味であり、そしてもう石田を細君の手に渡したくなかった。二人の仲はすぐ細君に知れて、彼女は暇を取り、尾久町の待合「まさき」で石田に会った。情痴の限りを尽している内にますます石田と離れがたくなり、石田だけが彼女を満足させた唯一の男であった。四日流連(いつづ)けて石田は金を取りに帰った。そして二日戻って来なかった。ヒステリーの細君と石田。嫉妬で気が遠くなるような二日であった。石田が待合へ戻って来ると、再び情痴の末の虚脱状態。嗅ぎつけた細君から電話が掛る。石田を細君の手へ戻す時間が近づく。しごきを取って石田の首に巻きつける。はじめは閨房のたわむれの一つであった。だから、石田はうっとりとして、もっと緊めてくれ、いい気持だから。そんな遊びを続けているうちに、ぐっと力がはいる。石田はぐったりする。これで石田は自分のものだ。定吉二人。定は自分の名、吉は石田の名。
…………………………
真面目になろうと思ってはいった所が石田の所だったとは、なにか運命的である。私はこの運命のいたずらを中心に、彼女の流転の半生を書けば、女のあわれさが表現出来ると思った。が、戦前の(十銭芸者)の原稿すら発表出来なかったのだ。戦争はもう三年目であり、検閲のきびしさは前代未聞である。永年探しもとめてやっと手に入れた公判記録だが、もう時期を失していた。折角の材料も戦争が終るまで役立てることは出来ない。といってそれまで借りて置くわけにもいかなかった。
「いずれまた借りますから」と、失わないうちに、私はその公判記録を天辰の主人に返しに行くと、
「そうですか、やっぱり戦争だと書けませんか。私に書く手があれば、引っぱられてもいいから書くんだがなア」
この前より暗くなった明りの下で、天辰の主人は残念そうに言った。
五
「今も書きたいよ。題はまず『妖婦』かな」
家人を相手に言ったのは、何気なく出た冗談だったが、ふと思えば、前代未聞の言論の束縛を受けたあと未曾有の言論の自由が許された今日、永い間の念願も果せるわけだった。
しかし、公判記録を読んでからもう三年になる。三年の歳月は私の記憶を薄らいでしまった。といって、再び借りに行くとしても、天辰の店は雁次郎横丁と共に焼けてしまい、主人の行方もわからぬし、公判記録も焼失をまぬがれたかどうか、知る由もない。朧気な記憶をたよりに書けないこともないが、それでは主人公は私好みの想像の女になってしまい、下手すれば東京生れの女を大阪の感覚で描くことになろう。
夜更けの書斎で一人こんな回想に耽っていると、コトンコトンと床の間の掛軸が鳴った。雨戸の隙間からはいる風が強くなって来たらしい。千日前の話は書けそうにもない。私は首を縮めて寝床にはいった。そして大きな嚔を続けざまにしたあと、蒲団の中で足袋を脱いでいると、玄関の戸を敲く音が聞えた。家人は階下で熟睡しているらしい。
風が敲くにしては大きすぎる。といってこんな夜更けに客が来るわけもない。原稿の催促の電報が来たのだろうか。が、近頃の郵便局は深夜配達をしてくれる程親切ではない。してみれば押込強盗かも知れない。この界隈はまだ追剥や強盗の噂も聴かないが、年の暮と共に到頭やって来たのだろうか。そう思いながら、足袋のコハゼを外したままの恰好で、玄関へ降りて行った。
そっと戸を敲いている。
「電報ですか」
「…………」返辞がない。
家の三軒向うは黒山署の防犯刑事である。半町先に交番がある。間抜けた強盗か、図太い強盗かと思いながら、ガラリと戸をあけると、素足に八つ割草履をはいた男がぶるぶる顫えながらちょぼんと立ってうなだれていた。ひょいと覗くと、右の眼尻がひどく下った文楽のツメ人形のような顔――見覚えがあった。
「横堀じゃないか」小学校で同じ組だった横堀千吉だった。
「へえ。――済んまへん」
ふとあげた顔を面目なさそうにそむけた。左の眼から頬へかけて紫色にはれ上り、血がにじんでいる。師走だというのに夏服で、ズボンの股が大きく破れて猿股が見え、首に汚れたタオルを巻いているのは、寒さをしのぐためであろう。
「はいれ。寒いだろう」
「へえ。おおけに、済んまへん。おおけに」
ペコペコ頭を下げながら、飛び込むようにはいり、手をこすっていた。ほっとしたような顔だった。たぶん入れて貰えないと思ったのであろう。もっともそれだけの不義理を私にしていたのだった。
横堀がはじめ私を訪ねて来たのは、昭和十五年の夏だった。その頃私の著書がはじめて世に出た。新聞の広告で見て、幼友達を想いだして来たと言い、実は折入って頼みがある。自分は今散髪の職人をしているのだが、今度わけがあってせんに働いていた市岡の理髪店を暇取って、新世界の理髪店で働こうと思う。それについて保証人がいるのだが、自分には両親もきょうだいも身寄りもない、ついては保証人になって貰えないだろうかと言うことだった。私はすぐ承知したが、それから二月たたぬ内に横堀は店の金を持ち逃げした。孤独の寂しさを慰めるために新世界とはつい鼻の先にある飛田遊廓の女に通っていたが、到頭金に詰ったらしかった。保証人の私はその尻拭いをした。
ところが、一年ばかりたったある日、尾羽打ち枯らした薄汚い恰好でやって来ると、実はあんな悪いことをしたので「部屋」を追出されてしまった。「部屋」というのは散髪の職人の組合のようなもので、口入れも兼ね、どこの店で働くにしてもそれぞれの「部屋」の紹介状がなければ雇ってくれない、だから「部屋」を追いだされた自分はごらんの通りのルンペンになっているが、今度新しく別の「部屋」に入れて貰うことになったので非常に喜んでいる、ところが「部屋」にはいるには二百円の保証金がいる、働いて返すから一時立て替えて貰えないだろうかと言う。横堀は丈は五尺そこそこの小男で、右の眼尻の下った顔はもう二十九だというのに、二十前後のように見える。いつまでも一本立ち出来ず、孤独な境遇のまま浮草のようにあちこちの理髪店を流れ歩いて来た哀れなみじめさが、ふと幼友達の身辺に漂うているのを見ると、私はその無心を断り切れなかった。散髪の職人だというのに不精髭がぼうぼうと生え、そこだけが大人であった。商売道具の剃刀も売ってしまったのかと、金を渡すと、ニコニコして帰って行ったが、それから十日たったある夜更け、しょんぼりやって来た姿見ると、前よりもなお汚くなっていた。どうしたんだと訊くと、いや喜んで貰いたい、自分のような男にも女房(かかあ)になってやるという女が出来た、自分は少々歪んでても、曲っててもいい、女房(かかあ)になってくれる女があれば、その女のために一所懸命やろうと思っていたが、到頭その機会が来た、自分は今までの世の中に一人ぼっちだという寂しさからつい僻みが出てやけも起したが、これからは例え二階借りでも世帯を持つのだから、男になって働く覚悟だ、ついては結婚の費用に……と、百円の無心だった。女は何をしている人だ、仲居をしている。どこで。南で。南の何という店だ。大阪の南の料理屋の名前なら大抵知っているのでそう訊いたが、横堀は詰って答えられない。細君になるという人の勤め先を知らないようでは、結婚の費用は貸してあげないと言うと、じゃ今夜は終電車もないから泊めてくれと言う。
翌朝横堀が帰ったあとで、腕時計と百円がなくなっていることに気がついた。それきり顔を見せなくなったが、応召したのか一年ばかりたって中支から突然暑中見舞の葉書が来たことがある。……
そんな不義理をしていたのだが、しかし寒そうに顫えている横堀の哀れな復員姿を見ると、腹を立てる前に感覚的な同情が先立って、中へ入れたのだ。横堀の身なりを見た途端、もしかしたら浮浪者の仲間にはいって大阪駅あたりで野宿していたのではないかとピンと来て、もはや横堀は放浪小説を書きつづけて来た私の作中人物であった。
茶の間へ上って、電気焜炉のスイッチを入れると、横堀は思わずにじり寄って、垢だらけの手をぶるぶるさせながら焜炉にしがみついた。
「待てよ、今お茶を淹れてやるから」
家人は奥の間で寝ていた。横堀は蝨(しらみ)をわかせていそうだし、起せば家人が嫌がる前に横堀が恐縮するだろう。見栄坊の男だった。だからわざと起さず、紅茶を淹れ、今日搗いて来たばかしの正月の餅を、水屋から出して焜炉の上に乗せ乍ら、
「どうしてた。大阪駅で寝ていたのか。浮浪者の中にはいっていたのか」とはじめて訊くと、案の定へえとうなだれた。
「顔どうしたんだ」
「出入をやりましてん」左の眼を押えて、ふと凄く口を歪めて笑った。大きく笑うと痛いのであろう。
「出入って、博徒の仲間にはいったのか、女出入か、縄張りか」
それならまだしも浮浪者より気が利いていると思ったが、
「闇屋の天婦羅屋イはいって食べたら、金が足らんちゅうて、袋叩きに会いましてん。なんし、向うは十人位で……」
「ふーん。ひどいことをしやがるな。――おい、餅が焼けた。食べろ」
「へえ。おおけに」
熱い餅を掌の上へ転がしながら、横堀は破れたズボンの上へポロポロ涙を落した。ズボンの膝は血で汚れていた。横堀は背中をまるめたままガツガツと食べはじめた。醜くはれ上った顔は何か狂暴めいていた。
私はそんな横堀の様子にふっと胸が温まったが、じっと見つめているうちに、ふと気がつけば私の眼はもうギラギラ残酷めいていた。横堀の浮浪生活を一篇の小説にまとめ上げようとする作家意識が頭をもたげていたのだ。哀れな旧友をモデルにしようとしている残酷さは、ふといやらしかったが。しかしやがて横堀がポツリポツリ語りだした話を聴いているうちに、私の頭の中には次第に一つの小説が作りあげられて行った。
六
中支からの復員の順位は抽籤できまったが、籤運がよくて一番船で帰ることになった。
十二月二十五日の夜、やっと大阪駅まで辿りついたが、さてこれからどこへ行けば良いのか、その当てもない。昔働いていた理髪店は恐らく焼けてしまっているだろうし、よしんば焼け残っていても、昔の不義理を思えば頼って行ける顔ではない。宿屋に泊るといっても、大阪のどこへ行けば宿屋があるのか、おまけに汽車の中で聴いた話では、大阪中さがしても一現(いちげん)で泊めてくれるような宿屋は一軒もないだろうということだ。良い思案も泛ばず、その夜は大阪駅で明かすことにしたが、背負っていた毛布をおろしてくるまっていても、夏服ではガタガタ顫えて、眼が冴えるばかりだった。駅の東出口の前で焚火をしているので、せめてそれに当りながら夜を明かそうと寄って行くと、無料(ただ)ではあたらせない、一時間五円、朝までなら十五円だという。冗談に言っているかと思って、金を出さずにいると、こっちはこれが商売なんだ、無料(ただ)で当らせては明日の飯が食えないんだぞと凄んだ声で言い、これも食うための新商売らしかった。大人しく十五円払うと所持金は五十円になってしまった。
夜が明けると、駅前の闇市が開くのを待って女学生の制服を着た女の子から一箱五円の煙草を買った。箱は光だったが、中身は手製の代用煙草だった。それには驚かなかったが、バラックの中で白米のカレーライスを売っているのには驚いた。日本へ帰れば白米なぞ食べられぬと諦めていたし、日本人はみな藷ばかり食べていると聴いて帰ったのに、バラックで白米の飯を売っているとはまるで嘘のようであった。値をきくと、指を一本出したので、煙草の五円に較べれば一皿一円のカレーライスは廉いと思い、十円札を出すと、しかし釣は呉れず、黒いジャケツを着たひどい訛の大男が洋食皿の上へ普通の五倍も大きなスプーンを下向きに載せて、その上へ白い飯を盛り、カレー汁を掛けるのだった。スプーンが下向き故皿との間に大きな隙間が出来る。その隙間の分だけ飯を節約してあるわけだと、狡いやり方に感心した。バラックを出ると、一人の男があのカレー屋ははじめ露天だったが、しこたま儲けたのか二日の間にバラックを建ててしまった、われわれがバラックの家を建てるのには半年も掛るが、さすがは闇屋は違ったものだと、ブツブツ話し掛けて来たので相手になっていると、煙草を一本無心された。上品な顔立ちで煙草を無心するような男には見えなかった。
しかし、掌の上へひろげた新聞紙にパンを二つ載せて、六円々々と小さな声でポソポソ呟いている中年の男も、以前は相当な暮しをしていた人であろう、立派な口髭を生やしていた。その男の隣にしゃがんでいる女は地面(じべた)に風呂敷包みをひろげて資生堂の粉ハミガキの袋を売っていた。袋は三個しかなく、早朝から三個のハミガキ粉を持って来て商売になるのだろうかと、ひとごとでなく眺めた。自分もいつかはこの闇市に立たねばならぬかも知れぬのだ。親子三人掛かりで、道端にしゃがみながら、巻寿司を売っているのもいた。
闇市を見物してしまうと、新世界までトボトボ歩いて行ったが、昔の理髪店はやはり焼けていた。焼跡に暫らく佇んで、やがて新世界の軍艦横丁を抜けて、公園南口から阿倍野(あべの)橋の方へ広いコンクリートの坂道を登って行くと、阿倍野橋ホテルの向側の人道の隅に人だかりがしていた。広い道を横切って行き、人々の肩の間から覗くと、台の上に円を描いた紙を載せて、円は六つに区切り、それぞれ東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸の六大都市が下手な字で書いてある。台のうしろでは二十五六の色の白い男が帽子を真深(まぶか)に被って、
「さア張ったり張ったり、十円張って五十円の戻し、針を見ている前で廻すんだから絶対インチキなしだ。度胸のある奴は張ってくれ。さア神戸があいた、神戸はないか」と呶鳴っている。
誰かがあいていた神戸の上へ十円載せると、呶鳴っていた男は俄かづくりのルーレットの針を廻す。針は京都で停る。紙の上の十円札は棒でかき寄せられ、京都へ張っていた男へ無造作に掴んだ五枚の十円札が渡される。
「――さアないか。インチキなしだ。大阪があいた。大阪があいた」
誰も大阪へ張る者がない。ふと張ってみようという気になった。ズボンのポケットから掴み出して大阪の上へ一枚載せた。針が動いた、東京だ。
「さアないかないか」
もう一度早い目に大阪へ張った。が、横浜だ。
「――さアないかないか」
残っていた五円札を京都の上に載せようとすると、
「五円はだめだ。十円ないのか。十円で五十円だ」と断られた。
しかしポケットにはその五円札一枚しかなかったのだ。すごすご立去って、阿倍野橋の大鉄百貨店の横で、背負っていた毛布をおろして手に持ち、拡げて立っていると、黙っていても人が寄って来ていくらだときく。百円だというと、買って行った。隣で台湾飴を売っていた男が、あの毛布なら五百円でも売れる、百円で売る奴があるかというのを背中で聴きながら、ホテルの向い側へ引き返し、大阪一点張りに張ってみたが、半時間もたたぬうちに百円が飛んでしまった。
帰りの道は夏服の寒さが一層こたえた。が、帰りの道といってもどこへ帰ればよいのか。大阪駅以外にはない。残っていた五円で焼餅を一つ買い、それで今日一日の腹を持たすことにした。駅の近所でブラブラして時間をつぶし、やっと夜になると駅の地下道の隅へ雑巾のように転ったが、寒い。地下道にある阪神マーケットの飾窓(ショウウインド)のなかで飾人形のように眠っている男は温かそうだと、ふと見れば、飾窓が一つ空(あ)いている。ありがたいと起きて行き、はいろうとすると、繩の帯をした薄汚い男が、そこは俺の寝床だ、借りたけりゃ一晩五円払えと、土蜘蛛のようなカサカサに乾いた手を出した。が、一銭もない。諦めて元のコンクリートの上へ戻ったが、骨が千切れそうに寒くて、おまけにペコペコだ。思い切って靴を脱ぎ、片手にぶら下げて、地下道の旅行調整所の前にうずくまって夜明しをしている旅行者の群へ寄って行き、靴はいらんか百円々々と呶鳴ると、これも廉いのかすぐ売れた、十円札にくずして貰い、飾窓へ戻り二晩分十円先払いして、硝子の中で寝た。昔馴染んだ飛田の妓の夢を見た。
夜が明けると、まず十円のカレーライス。はだしでは歩けないと八ツ割草履を買うと、二十円取られた。残った六十円を持って阿倍野橋へ出掛けたが、やはり大阪一点張りに張っているうちに、最後の十円札も消えてしまった。二晩分の飾窓の家賃を先払いして置いたのがせめてもの慰めであった。隣の飾窓で蝨をつぶしている音を聴きながら、その夜を明かすと、もう暮の二十八日、闇市の雑閙は急に増えて師走めいた慌しさであった。被っていた帽子を脱いで、五円々々。やっと売れたが、この金使ってしまっては餓死か凍死だと、まず阪急の切符売場で宝塚行き九十銭の切符五枚買った。夕方四時半から六時半まで切符は売止めになる。その時刻をねらって、売場の前にずらりと並んだ客に、宝塚行き一枚三円々々と触れて歩くと、すぐ売れてしまった。勘定すると五円の金が十五円五十銭になっていた。阿倍野橋へ行くにはもう時間が遅いし、何よりも腹がペコペコだ。バラックの天婦羅屋へはいって一皿五円の天婦羅を食べ、金を払おうとすると掏られていた。無銭飲食をする気かと袋叩きに会い、這うようにして地下道へ帰り、痛さと空腹と蝨でまんじりともせず、夜が明けると一日中何も食わずにブラブラした。切符を買う元手もなければ売る品物もない。靴磨きをするといっても元手も伝手(つて)も気力もない。ああもう駄目だ、餓死を待とうと、黄昏れて行く西の空をながめた途端……。
七
「……僕のことを想いだして、訪ねて来たわけだな」
「へえ」と横堀は笑いながら頭をかいた。今夜の宿が見つかったのと、餅にありついたので、はじめて元気が出たのであろう。
「電車賃がよくあったね」
「線路を伝うて歩いて来ましてん。六時間掛りました。泊めて貰へんと思いましたけど……」時計が夜中の二時を打った。
「泊めんことがあるものか。莫迦だなア。電車賃のある内にどうしてやって来なかったんだ」
「へえ。済んまへん」
「途中大和川の鉄橋があっただろう」
「おました。しかし、踏み外して落ちたら落ちた時のこっちゃ。いっそのことその方が楽や、一思いに死ねたら極楽や思いましてん」
そんな風に心細いことを言っていたが、翌朝冬の物に添えて二百円やると、
「これだけの元手(もと)があったら、今日び金儲けの道はなんぼでもおます。正月までに五倍にしてみせます」横堀はにわかに生き生きした表情になった。
「ふーん。しかし五倍と聴くと、何だかまた博奕にひっ掛りそうだな。あれはよした方がいいよ。人に聴いたんだが、あれは本当は博奕じゃないんだよ。博奕なら勝ったり負けたりする筈だが、あれは絶対に負ける仕組みだからね。必ず負けると判れば、もう博奕じゃなくて興行か何かだろう。だから検挙して検事局へ廻しても、検事局じゃ賭博罪で起訴出来ないかも知れない、警察が街頭博奕を放任してるのもそのためだと、嘘か本当か知らんが穿ったことを言っていたよ。まアそんなものだから、よした方がいいと思うな」
「いや、今度は大丈夫儲けてみせます」
と、横堀は眼帯をかけながら、あれからいろいろ考えたが、たしかにあの博奕にはサクラがいて、サクラが張った所へ針の先が停ると睨んだ、だから今度はまず誰がサクラと物色して、こいつだなと睨んだらその男と同じ所へ張れば、外れっこはないんだとペラペラ喋って、
「――ま、見てとくなはれ。わても男になって来ま」
そう言ってソワソワと出て行った後姿を二階の窓から見ると、痛々しい素足だった。まだ電車は来まいと、家人に足袋を持たせて後を追わせながら、しかし私は横堀をモデルにした小説を考えていた。
十銭芸者の話も千日前の殺人事件の話も阿部定の話も、書けばありし日を偲ぶよすがになるとはいうものの、今日の世相と余りにかけ離れた時代感覚の食い違いは如何ともし難く、世相の哀しさを忘れて昔の夢を追うよりも、まず書くべきは世相ではあるまいか。しかも世相は私のこれまでの作品の感覚に通じるものがあり、いわば私好みの風景に満ちている。横堀の話はそれを耳かきですくって集めたようなものである。けちくさい話だが、世相そのものがけちくさく、それがまた私の好みでもあろう。
ペンを取ると、何の渋滞もなく瞬く間に五枚進み、他愛もなく調子に乗っていたが、それがふと悲しかった。調子に乗っているのは、自家薬籠中の人物を処女作以来の書き馴れたスタイルで書いているからであろう。自身放浪的な境遇に育って来た私は、処女作の昔より放浪のただ一色であらゆる作品を塗りつぶして来たが、思えば私にとって人生とは流転であり、淀の水車のくりかえす如くくり返される哀しさを人間の相(すがた)と見て、その相(すがた)をくりかえしくりかえし書き続けて来た私もまた淀の水車の哀しさだった。流れ流れて仮寝の宿に転がる姿を書く時だけが、私の文章の生き生きする瞬間であり、体系や思想を持たぬ自分の感受性を、唯一所に沈潜することによって傷つくことから守ろうとする走馬燈のような時の場所のめまぐるしい変化だけが、阿呆の一つ覚えの覘(ねら)いであった。だから世相を書くといいながら、私はただ世相をだしにして横堀の放浪を書こうとしていたに過ぎない。横堀はただ私の感受性を借りたくぐつとなって世相の舞台を放浪するのだ、なんだ昔の自分の小説と少しも違わないじゃないかと、私は情なくなった。
「いや、今日の世相が俺の昔の小説の真似をしているのだ」
そう不遜に呟いてみたが、だからといって昔のスタイルがのこのこはびこるのは自慢にもなるまい。仏の顔も二度三度の放浪小説のスタイルは、仏壇の片隅にしまってもいいくらい蘇苔が生えている筈だのに、世相が浮浪者を増やしたおかげで、時を得たりと老女の厚化粧は醜い。
そう思うと、もう私の筆は進まなかったが、才能の乏しさは世相を生かす新しいスタイルも生み出せなかった。思案に暮れているうちに年も暮れて、大晦日が来た。私はソワソワと起ち上ると外出の用意をした。
「年の瀬の闇市でも見物して来るかな」
呑気に聴えるが、苦しまぎれであった。西鶴の「世間胸算用」の向うを張って、昭和二十年の大晦日のやりくり話を書こうと、威勢は良かったが、大晦日の闇市を歩いてその材料の一つや二つ拾って来ようと、まるで債鬼に追われるように原稿の催促にせき立てられた才能乏しい小説家の哀れな闇市見物だった。
「西鶴は『詰りての夜市』を書いているが、俺の外出は『詰りての闇市』だ」
そう自嘲しながら、難波で南海電車を降り、市電の通りを越えて戎橋筋の闇市を、雑閙に揉まれて歩いていたが、歌舞伎座の横丁の曲り角まで来ると、横丁に人だかりがしている。街頭博奕だなと直感して横丁へ折れて行くと果して、
「さア張ったり張ったり。度胸のある奴は張ってくれ。十円張って五十円の戻しだ。針は見ている前で廻すんだから、絶対インチキなしだ。あア神戸があいた。神戸はないか神戸はないか」と呶鳴っている。
横堀がやられたのはこれだなと思って、ひょいと覗くと、さアないかと呶鳴っているのは意外にも横堀であった。昨日出て行った時に較べて、打って変ったように小ざっぱりして、オーバも温かそうだ。靴もはいていた。
「よう」と声を掛けようとすると、横堀も気づいて、にこっと笑って帽子を取った。人々は急に振り向いた。街頭博奕屋がお辞儀をしたので、私を刑事か親分だと思ったのかも知れない。
こそこそ立ち去って雁次郎横丁の焼跡まで来ると、私はおやっと思った。天辰の焼跡にしょんぼり佇んでいる小柄な男は、料理衣こそ着ていないが天辰の主人だと一眼で判り、近づいて挨拶すると、
「やア、一ぺんお会いしたいと思ってました」とお世辞でなくなつかしそうに眼をしょぼつかせて、終戦後のお互いの動静を語り合ったあと、
「――この頃は飲む所もなくてお困りでしょう」と言っていたが、何思ったか急に、「どうです私に随いて来ませんか、一寸面白い家があるんですがね」と誘った。
「面白い家って、怪しい所じゃないだろうね」
「大丈夫ですよ。飲むだけですよ。南でバーをやってた女が焼けだされて、上本町でしもた家を借りて、妹と二人女手だけで内緒の料理屋をやってるんですよ」
「しもた屋で……? ふーん。お伴しましょう」
戎橋から市電に乗り、上本町六丁目で降りるともう黄昏れていた。寒々とした薄暗い焼跡を上本町八丁目まで歩き、上宮中学のまえを真っ直ぐ三町ばかし行くと、右側にこぢんまりした二階建のしもた家があった。
「ここです」天辰の主人が玄関の戸をあけると、その鈴(ベル)の音で二十(はたち)前後の娘が出て来た。唇をきっと結び、美しい眼をじっと見据えたその顔を見た途端、どきんとした。「ダイス」のマダムの妹だったのだ。妹は私に気づいたが、口は利かず固い表情のまま奥へはいった。やがて羽織を着た女が奥から出て来て、「あら」と立ちすくんだ。窶(やつ)れているが、さすがに化粧だけは濃く、「ダイス」のマダムであった。
「――どないしてはりましたの」
「どないもしてないが……」
「痩せはりましたな」
「そういうあんたも少し」
「痩せてスマートになりましたやろ」
「あはは……」
それが十銭芸者の話を聴いた夜以来五年振りに会う二人の軽薄な挨拶だった。笑ったが、マダムの窶れ方を見ながらでは、ふと虚ろに響いた。
「なんだ、お知り合いでしたか、丁度よかった。じゃ忘年会ということにして……」
天辰の主人の思いがけない陽気な声に弾まされて、ガヤガヤと二階へ上る階段の途中で、いきなりマダムに腕を抓られた。ふと五年前の夏が想い出されて、遠い想いだった。
けれど、やがて妹が運んで来た鍋で、砂糖なしのスキ焼をつつきながら飲み出すと、もうマダムは不思議なくらい大人しい女になって、
「――お客さんはまアぼつぼつ来てくれはりまっけど、この頃は金さえ出せば闇市で肉が買えますし、スキ焼も珍らしゅうないし、まア来てくれるお客さんはお二人は別でっけど、食気よりも色気で来やはンのか、すぐ焼跡が物騒で帰(い)ねんさかい泊めてくれ。お泊めすると、ひとりで寝るのはいやだ、あんたが何だったら妹を世話してくれ。まるで淫売屋扱いだす。つくづく阿呆な商売した思(おも)て後悔してますねんけど、といって、おかしな話だっけど妹と二人でも月に二千円はいりまっしゃろ。わてがもう一ぺん京都から芸者に出るいうても支度に十万円はいりますし、妹をキャバレエへ出すのも可哀相やし、まア仕様がない思(おも)ってやってまんねん」
世帯じみた話だった。パトロンは無さそうだし、困っても自分を売ろうとしないし、浮気で淫蕩的だったマダムも案外清く暮しているのかと、私はつぎの当ったマダムの足袋をふと見ていた。
新しい銚子が来たのをしおに、
「ところで」と私は天辰の主人の方を向いて、
「――あの公判記録は助かりましたか」と訊くと、
「いや焼けました。金庫と一緒に……」ぽつんと言って、眼をしょぼつかせ、細い指の先を器用に動かしながら、机の上にこぼれた酒で鼠の絵を描いていた。
「そりゃ惜しいことしましたな。帝塚山のお宅の方は助かったんだから、疎開させとけば……」と言い掛けると、
「阿呆らしい。帝塚山へあの本が置けるものですか。第一……」
そして暫らく言い詰っていたが、やがて思い切って言いましょうと、置注ぎの盃をぐっと飲みほした。
「――実はお二人の前だけの話だけど、あのお定という女は私と一寸関係がありましてね……」
「えっ?」
「話せば長いが……」
店が焼けてから飲み覚えた酒に、いくらか酔っていたのであろう、天辰の主人は問わず語りにポツリポツリ語った。
――天辰の主人は四国の生れだが、家が貧しい上に十二の歳に両親を亡くしたので、早くから大阪へ出て来て、随分苦労した。十八の歳に下寺町の坂道で氷饅頭を売ったことがあるが、資本がまるきり無かった故大工の使う鉋(かんな)の古いので氷をかいて欠けた茶碗に入れ、氷饅頭を作ったこともある。冷やし飴も売り、夜泣きうどんの屋台車も引いた。競馬場へ巻寿司を売りに行ったこともある。夜店で一銭天婦羅も売った。
二十八の歳に朝鮮から仕入れた支那栗を売って、それが当って相当の金が出来ると、その金を銀行に預けて、宗右衛門町の料亭へ板場の見習いにはいり、三年間料理の修業をした後、三十一歳で雁次郎横丁へ天辰の提灯を出した。四年の間に万とつく金が出来て、三十五歳で妻帯した。細君は北浜の相場師の娘だったが、家が破産して女専を二年で退学し、芸者に出なければならぬ破目になっていたところを、世話する人があって天辰へ嫁いだのだった。勿論結納金はかなりの金額で、主人としては芸者を身うけするより、学問のある美しい生娘に金を出す方が出し甲斐があると思ったのだが、これがいけなかった。新妻は主人に体を許そうとしなかった。自分は金で買われて来たらしいが、しかし体を売るのは死ぬよりもいやだと、意外な初夜の言葉だった。おれがいやかと訊くと、教養のない男はいやだと言って触れさせない。それでも三年後には娘が生れたのだから、全然そんなことはなかったわけではないが、そんな時細君の体は石のように固く、氷のように冷たく、ああ浅ましい、なぜ女はこんな辛抱をしなければならぬのかと、聖書を読むのである。
もともと潔癖性の女だったが、宗教に凝り出してからは、ますますそれがひどくなって食事の前に箸の先を五分間も見つめていることがある。一日に何十回も手を洗う。しまいには半時間も掛って洗っているようになり、洗って居間へ戻る途中廊下で人にすれ違うと、また引き返して行って洗い直すのである。
おまけに結婚後十日目には、頭髪がすっかり抜けてしまい、つるつるの頭になったのでカツラを被った。時々人のいない所でカツラを取って何時間も掛って埃を払っている――そんな姿を見ると、つくづく嫌気がさして来たある夜、どう魔がさしたのかポン引に誘われて一夜女を買った。ところが、その女はそんな所の女とは思えないくらい美人で、金で売り乍ら自分から燃えて行く肌の熱さは天辰の主人をびっくりさせた。この女が明日は自分以外の男を客に取るのかと、得体の知れない激しい嫉妬が天辰の主人をおろおろさせてしまった。すぐ金を出して、女を天下茶屋のアパートに囲った。一月の間魂が抜けたように毎夜通い、夜通し子供のように女のいいつけに応じている時だけが生き甲斐であったが、ある夜アパートに行くと、いつの間にどこへ引き越したのか、女はもうアパートにいなかった。通り魔のような一月だったが、女のありがたさを知ったのはその一月だけだった。黙って行方をくらませた女を恨みもせず、その当座女の面影を脳裡に描いて合掌したいくらいだった。……
「――うちの禿げ婆のようなものも女だし、あの女のようなのもいるし、女もいろいろですよ」
「で、その女がお定だったわけ……?」
「三年後にあの事件が起って新聞に写真が出たでしょうが、それで判ったんですよ。――ああえらい恥さらしをしてしまった」
ふっと気弱く笑った肩を、マダムはぽんと敲いて、
「書かれまっせ」と言った。
その時襖がひらいて、マダムの妹がすっとはいって来た。無器用にお茶を置くと、黙々と固い姿勢のまま出て行った。
紫の銘仙を寒そうに着たその後姿が襖の向うに消えた時、ふと私は、書くとすればあの妹……と思いながら、焼跡を吹き渡って来て硝子窓に当る白い風の音を聴いていた。
雪の宵
中原中也
青いソフトに降る雪は
過ぎしその手か囁(ささや)きか 白秋
ホテルの屋根に降る雪は
過ぎしその手か、囁きか
ふかふか煙突煙(けむ)吐いて、
赤い火の粉も刎(は)ね上る。
今夜み空はまつ暗で、
暗い空から降る雪は……
ほんにわかれたあのをんな
いまごろどうしてゐるのやら。
ほんに別れたあのをんな、
いまに帰つてくるのやら
徐(しづ)かに私は酒のんで
悔と悔とに身もそぞろ。
しづかにしづかに酒のんで
いとしおもひにそそらるる……
ホテルの屋根に降る雪は
過ぎしその手か、囁きか
ふかふか煙突煙吐いて
赤い火の粉も刎ね上る。
鮨
岡本かの子
東京の下町と山の手の境い目といったような、ひどく坂や崖(がけ)の多い街がある。
表通りの繁華から折れ曲って来たものには、別天地の感じを与える。
つまり表通りや新道路の繁華な刺戟(しげき)に疲れた人々が、時々、刺戟を外(は)ずして気分を転換する為めに紛(まぎ)れ込むようなちょっとした街筋――
福ずしの店のあるところは、この町でも一ばん低まったところで、二階建の銅張りの店構えは、三四年前表だけを造作したもので、裏の方は崖に支えられている柱の足を根つぎして古い住宅のままを使っている。
古くからある普通の鮨屋(すしや)だが、商売不振で、先代の持主は看板ごと家作をともよ[#「ともよ」に傍点]の両親に譲って、店もだんだん行き立って来た。
新らしい福ずしの主人は、もともと東京で屈指の鮨店で腕を仕込んだ職人だけに、周囲の状況を察して、鮨の品質を上げて行くに造作もなかった。前にはほとんど出まえだったが、新らしい主人になってからは、鮨盤の前や土間に腰かける客が多くなったので、始めは、主人夫婦と女の子のともよ[#「ともよ」に傍点]三人きりの暮しであったが、やがて職人を入れ、子供と女中を使わないでは間に合わなくなった。
店へ来る客は十人十いろだが、全体に就(つい)ては共通するものがあった。
後からも前からもぎりぎりに生活の現実に詰め寄られている、その間をぽっと外ずして気分を転換したい。
一つ一つ我ままがきいて、ちんまりした贅沢(ぜいたく)ができて、そして、ここへ来ている間は、くだらなくばか[#「ばか」に傍点]になれる。好みの程度に自分から裸になれたり、仮装したり出来る。たとえ、そこで、どんな安ちょくなことをしても云っても、誰も軽蔑するものがない。お互いに現実から隠れんぼうをしているような者同志の一種の親しさ、そして、かばい合うような懇(ねんごろ)な眼ざしで鮨をつまむ手つきや茶を呑(の)む様子を視合(みあ)ったりする。かとおもうとまたそれは人間というより木石の如く、はたの神経とはまったく無交渉な様子で黙々といくつかの鮨をつまんで、さっさと帰って行く客もある。
鮨というものの生む甲斐々々(かいがい)しいまめやかな雰囲気、そこへ人がいくら耽(ふけ)り込んでも、擾(みだ)れるようなことはない。万事が手軽くこだわりなく行き過ぎて仕舞う。
福ずしへ来る客の常連は、元狩猟銃器店の主人、デパート外客廻り係長、歯科医師、畳屋の伜(せがれ)、電話のブローカー、石膏(せっこう)模型の技術家、児童用品の売込人、兎肉販売の勧誘員、証券商会をやったことのあった隠居――このほかにこの町の近くの何処(どこ)かに棲(す)んでいるに違いない劇場関係の芸人で、劇場がひまな時は、何か内職をするらしく、脂づいたような絹ものをぞろりと着て、青白い手で鮨を器用につまんで喰べて行く男もある。
常連で、この界隈(かいわい)に住んでいる暇のある連中は散髪のついでに寄って行くし、遠くからこの附近へ用足しのあるものは、その用の前後に寄る。季節によって違うが、日が長くなると午後の四時頃から灯がつく頃が一ばん落合って立て込んだ。
めいめい、好み好みの場所に席を取って、鮨種子(すしだね)で融通して呉れるさしみや、酢(す)のもので酒を飲むものもあるし、すぐ鮨に取りかかるものもある。
ともよ[#「ともよ」に傍点]の父親である鮨屋の亭主は、ときには仕事場から土間へ降りて来て、黒みがかった押鮨を盛った皿を常連のまん中のテーブルに置く。
「何だ、何だ」
好奇の顔が四方から覗(のぞ)き込む。
「まあ、やってご覧、あたしの寝酒の肴(さかな)さ」
亭主は客に友達のような口をきく。
「こはだにしちゃ味が濃いし――」
ひとつ撮(つま)んだのがいう。
「鯵(あじ)かしらん」
すると、畳敷の方の柱の根に横坐りにして見ていた内儀(かみ)さん――ともよ[#「ともよ」に傍点]の母親――が、は は は は と太り肉(じし)を揺(ゆす)って「みんなおとッつあんに一ぱい喰った」と笑った。
それは塩さんまを使った押鮨で、おからを使って程よく塩と脂を抜いて、押鮨にしたのであった。
「おとっさん狡(ずる)いぜ、ひとりでこっそりこんな旨(うま)いものを拵(こしら)えて食うなんて――」
「へえ、さんまも、こうして食うとまるで違うね」
客たちのこんな話が一しきりがやがや渦まく。
「なにしろあたしたちは、銭のかかる贅沢はできないからね」
「おとっさん、なぜこれを、店に出さないんだ」
「冗談いっちゃ、いけない、これを出した日にゃ、他の鮨が蹴押されて売れなくなっちまわ。第一、さんまじゃ、いくらも値段がとれないからね」
「おとッつあん、なかなか商売を知っている」
その他、鮨の材料を採ったあとの鰹(かつお)の中落(なかおち)だの、鮑(あわび)の腸(はらわた)だの、鯛(たい)の白子だのを巧(たくみ)に調理したものが、ときどき常連にだけ突出された。ともよ[#「ともよ」に傍点]はそれを見て「飽きあきする、あんなまずいもの」と顔を皺(しわ)めた。だが、それらは常連から呉れといってもなかなか出さないで、思わぬときにひょっこり出す。亭主はこのことにかけてだけいこじ[#「いこじ」に傍点]でむら気なのを知っているので決してねだらない。
よほど欲しいときは、娘のともよ[#「ともよ」に傍点]にこっそり頼む。するとともよ[#「ともよ」に傍点]は面倒臭そうに探し出して与える。
ともよ[#「ともよ」に傍点]は幼い時から、こういう男達は見なれて、その男たちを通して世の中を頃あいでこだわらない、いささか稚気のあるものに感じて来ていた。
女学校時代に、鮨屋の娘ということが、いくらか恥じられて、家の出入の際には、できるだけ友達を近づけないことにしていた苦労のようなものがあって、孤独な感じはあったが、ある程度までの孤独感は、家の中の父母の間柄からも染みつけられていた。父と母と喧嘩をするような事はなかったが、気持ちはめいめい独立していた。ただ生きて行くことの必要上から、事務的よりも、もう少し本能に喰い込んだ協調やらいたわり方を暗黙のうちに交換して、それが反射的にまで発育しているので、世間からは無口で比較的仲のよい夫婦にも見えた。父親は、どこか下町のビルヂングに支店を出すことに熱意を持ちながら、小鳥を飼うのを道楽にしていた。母親は、物見遊山(ものみゆさん)にも行かず、着ものも買わない代りに月々の店の売上げ額から、自分だけの月がけ貯金をしていた。
両親は、娘のことについてだけは一致したものがあった。とにかく教育だけはしとかなくてはということだった。まわりに浸々(ひたひた)と押し寄せて来る、知識的な空気に対して、この点では両親は期せずして一致して社会への競争的なものは持っていた。
「自分は職人だったからせめて娘は」
と――だが、それから先をどうするかは、全く茫然としていた。
無邪気に育てられ、表面だけだが世事に通じ、軽快でそして孤独的なものを持っている。これがともよ[#「ともよ」に傍点]の性格だった。こういう娘を誰も目の敵(かたき)にしたり邪魔にするものはない。ただ男に対してだけは、ずばずば応対して女の子らしい羞(はじ)らいも、作為の態度もないので、一時女学校の教員の間で問題になったが、商売柄、自然、そういう女の子になったのだと判って、いつの間にか疑いは消えた。
ともよ[#「ともよ」に傍点]は学校の遠足会で多摩川べりへ行ったことがあった。春さきの小川の淀みの淵を覗いていると、いくつも鮒(ふな)が泳ぎ流れて来て、新茶のような青い水の中に尾鰭(おひれ)を閃(ひら)めかしては、杭根(くいね)の苔(こけ)を食(は)んで、また流れ去って行く。するともうあとの鮒が流れ溜って尾鰭を閃めかしている。流れ来り、流れ去るのだが、その交替は人間の意識の眼には留まらない程すみやかでかすかな作業のようで、いつも若干の同じ魚が、其処(そこ)に遊んでいるかとも思える。ときどきは不精そうな鯰(なまず)も来た。
自分の店の客の新陳代謝はともよ[#「ともよ」に傍点]にはこの春の川の魚のようにも感ぜられた。(たとえ常連というグループはあっても、そのなかの一人々々はいつか変っている)自分は杭根のみどりの苔のように感じた。みんな自分に軽く触れては慰められて行く。ともよ[#「ともよ」に傍点]は店のサーヴィスを義務とも辛抱とも感じなかった。胸も腰もつくろわない少女じみたカシミヤの制服を着て、有合せの男下駄をカランカラン引きずって、客へ茶を運ぶ。客が情事めいたことをいって揶揄(からか)うと、ともよ[#「ともよ」に傍点]は口をちょっと尖(とが)らし、片方の肩を一しょに釣上げて
「困るわそんなこと、何とも返事できないわ」
という。さすがに、それには極く軽い媚(こ)びが声に捩(よじ)れて消える。客は仄(ほの)かな明るいものを自分の気持ちのなかに点じられて笑う。ともよ[#「ともよ」に傍点]は、その程度の福ずしの看板娘であった。
客のなかの湊(みなと)というのは、五十過ぎぐらいの紳士で、濃い眉がしらから顔へかけて、憂愁の蔭を帯びている。時によっては、もっと老けて見え、場合によっては情熱的な壮年者にも見えるときもあった。けれども鋭い理智から来る一種の諦念といったようなものが、人柄の上に冴(さ)えて、苦味のある顔を柔和に磨いていた。
濃く縮れた髪の毛を、程よくもじょもじょに分け仏蘭西(フランス)髭(ひげ)を生やしている。服装は赫(あか)い短靴を埃(ほこり)まみれにしてホームスパンを着ている時もあれば、少し古びた結城(ゆうき)で着流しのときもある。独身者であることはたしかだが職業は誰にも判らず、店ではいつか先生と呼び馴れていた。鮨の食べ方は巧者であるが、強(し)いて通がるところも無かった。
サビタのステッキを床にとんとつき、椅子に腰かけてから体を斜に鮨の握り台の方へ傾け、硝子(ガラス)箱の中に入っている材料を物憂そうに点検する。
「ほう。今日はだいぶ品数があるな」
と云ってともよ[#「ともよ」に傍点]の運んで来た茶を受け取る。
「カンパチが脂(あぶら)がのっています、それに今日は蛤(はまぐり)も――」
ともよ[#「ともよ」に傍点]の父親の福ずしの亭主は、いつかこの客の潔癖な性分であることを覚え、湊が来ると無意識に俎板(まないた)や塗盤の上へしきりに布巾(ふきん)をかけながら云う。
「じゃ、それを握って貰おう」
「はい」
亭主はしぜん、ほかの客とは違った返事をする。湊の鮨の喰べ方のコースは、いわれなくともともよ[#「ともよ」に傍点]の父親は判っている。鮪の中とろ[#「とろ」に傍点]から始って、つめ[#「つめ」に傍点]のつく煮ものの鮨になり、だんだんあっさりした青い鱗(うろこ)のさかなに進む。そして玉子と海苔(のり)巻に終る。それで握り手は、その日の特別の注文は、適宜にコースの中へ加えればいいのである。
湊は、茶を飲んだり、鮨を味わったりする間、片手を頬に宛てがうか、そのまま首を下げてステッキの頭に置く両手の上へ顎(あご)を載せるかして、じっと眺める。眺めるのは開け放してある奥座敷を通して眼に入る裏の谷合の木がくれの沢地か、水を撒(ま)いてある表通りに、向うの塀(へい)から垂れ下がっている椎(しい)の葉の茂みかどちらかである。
ともよ[#「ともよ」に傍点]は、初めは少し窮屈な客と思っていただけだったが、だんだんこの客の謎めいた眼の遣(や)り処を見慣れると、お茶を運んで行ったときから鮨を喰い終るまで、よそばかり眺めていて、一度もその眼を自分の方に振向けないときは、物足りなく思うようになった。そうかといって、どうかして、まともにその眼を振向けられ自分の眼と永く視線を合せていると、自分を支えている力を暈(ぼか)されて危いような気がした。
偶然のように顔を見合して、ただ一通りの好感を寄せる程度で、微笑して呉れるときはともよ[#「ともよ」に傍点]は父母とは違って、自分をほぐして呉れるなにか暖味のある刺戟のような感じをこの年とった客からうけた。だからともよ[#「ともよ」に傍点]は湊がいつまでもよそばかり見ているときは土間の隅の湯沸しの前で、絽(ろ)ざしの手をとめて、たとえば、作り咳(せき)をするとか耳に立つものの音をたてるかして、自分ながらしらずしらず湊の注意を自分に振り向ける所作をした。すると湊は、ぴくりとして、ともよ[#「ともよ」に傍点]の方を見て、微笑する。上歯と下歯がきっちり合い、引緊(ひきしま)って見える口の線が、滑かになり、仏蘭西髭の片端が目についてあがる――父親は鮨を握り乍(なが)らちょっと眼を挙げる。ともよ[#「ともよ」に傍点]のいたずら気とばかり思い、また不愛想な顔をして仕事に向う。
湊はこの店へ来る常連とは分け隔てなく話す。競馬の話、株の話、時局の話、碁、将棋の話、盆栽の話――大体こういう場所の客の間に交される話題に洩れないものだが、湊は、八分は相手に話さして、二分だけ自分が口を開くのだけれども、その寡黙(かもく)は相手を見下げているのでもなく、つまらないのを我慢しているのでもない。その証拠には、盃の一つもさされると
「いやどうも、僕は身体を壊していて、酒はすっかりとめられているのですが、折角(せっかく)ですから、じゃ、まあ、頂きましょうかな」といって、細いがっしりとしている手を、何度も振って、さも敬意を表するように鮮かに盃を受取り、気持ちよく飲んでまた盃を返す。そして徳利を器用に持上げて酌をしてやる。その挙動の間に、いかにも人なつこく他人の好意に対しては、何倍にかして返さなくては気が済まない性分が現れているので、常連の間で、先生は好い人だということになっていた。
ともよ[#「ともよ」に傍点]は、こういう湊を見るのは、あまり好かなかった。あの人にしては軽すぎるというような態度だと思った。相手客のほんの気まぐれに振り向けられた親しみに対して、ああまともに親身の情を返すのは、湊の持っているものが減ってしまうように感じた。ふだん陰気なくせに、一たん向けられると、何という浅ましくがつがつ人情に饑(う)えている様子を現わす年とった男だろうと思う。ともよ[#「ともよ」に傍点]は湊が中指に嵌(は)めている古代埃及(エジプト)の甲虫(スカラップ)のついている銀の指輪さえそういうときは嫌味に見えた。
湊の対応ぶりに有頂天になった相手客が、なお繰り返して湊に盃をさし、湊も釣り込まれて少し笑声さえたて乍らその盃の遣り取りを始め出したと見るときは、ともよ[#「ともよ」に傍点]はつかつかと寄って行って
「お酒、あんまり呑んじゃ体にいけないって云ってるくせに、もう、よしなさい」
と湊の手から盃をひったくる。そして湊の代りに相手の客にその盃をつき返して黙って行って仕舞う。それは必しも湊の体をおもう為でなく、妙な嫉妬がともよ[#「ともよ」に傍点]にそうさせるのであった。
「なかなか世話女房だぞ、とも[#「とも」に傍点]ちゃんは」
相手の客がそういう位でその場はそれなりになる。湊も苦笑しながら相手の客に一礼して自分の席に向き直り、重たい湯呑み茶碗に手をかける。
ともよ[#「ともよ」に傍点]は湊のことが、だんだん妙な気がかりになり、却(かえ)って、そしらぬ顔をして黙っていることもある。湊がはいって来ると、つんと済して立って行って仕舞うこともある。湊もそういう素振りをされて、却って明るく薄笑いするときもあるが、全然、ともよ[#「ともよ」に傍点]の姿の見えぬときは物寂しそうに、いつもより一そう、表通りや裏の谷合の景色を深々と眺める。
ある日、ともよ[#「ともよ」に傍点]は、籠(かご)をもって、表通りの虫屋へ河鹿(かじか)を買いに行った。ともよ[#「ともよ」に傍点]の父親は、こういう飼いものに凝る性分で、飼い方もうまかったが、ときどきは失敗して数を減らした。が今年ももはや初夏の季節で、河鹿など涼しそうに鳴かせる時分だ。
ともよ[#「ともよ」に傍点]は、表通りの目的の店近く来ると、その店から湊が硝子(ガラス)鉢を下げて出て行く姿を見た。湊はともよ[#「ともよ」に傍点]に気がつかないで硝子鉢をいたわり乍ら、むこう向きにそろそろ歩いていた。
ともよ[#「ともよ」に傍点]は、店へ入って手ばやく店のものに自分の買うものを注文して、籠にそれを入れて貰う間、店先へ出て、湊の行く手に気をつけていた。
河鹿を籠に入れて貰うと、ともよ[#「ともよ」に傍点]はそれを持って、急いで湊に追いついた。
「先生ってば」
「ほう、とも[#「とも」に傍点]ちゃんか、珍らしいな、表で逢うなんて」
二人は、歩きながら、互いの買いものを見せ合った。湊は西洋の観賞用の髑髏魚(ゴーストフィッシュ)を買っていた。それは骨が寒天のような肉に透き通って、腸が鰓(えら)の下に小さくこみ上っていた。
「先生のおうち、この近所」
「いまは、この先のアパートにいる。だが、いつ越すかわからないよ」
湊は珍らしく表で逢ったからともよ[#「ともよ」に傍点]にお茶でも御馳走しようといって町筋をすこし物色したが、この辺には思わしい店もなかった。
「まさか、こんなものを下げて銀座へも出かけられんし」
「ううん、銀座なんかへ行かなくっても、どこかその辺の空地で休んで行きましょうよ」
湊は今更のように漲(みなぎ)り亘る新樹の季節を見廻し、ふうっと息を空に吹いて
「それも、いいな」
表通りを曲ると間もなく崖端に病院の焼跡の空地があって、煉瓦塀(れんがべい)の一側がローマの古跡のように見える。ともよ[#「ともよ」に傍点]と湊は持ちものを叢(くさむら)の上に置き、足を投げ出した。
ともよ[#「ともよ」に傍点]は、湊になにかいろいろ訊いてみたい気持ちがあったのだが、いまこうして傍に並んでみると、そんな必要もなく、ただ、霧のような匂いにつつまれて、しんしんとするだけである。湊の方が却って弾(はず)んでいて
「今日は、とも[#「とも」に傍点]ちゃんが、すっかり大人に見えるね」
などと機嫌好さように云う。
ともよ[#「ともよ」に傍点]は何を云おうかと暫(しばら)く考えていたが、大したおもいつきでも無いようなことを、とうとう云い出した。
「あなた、お鮨(すし)、本当にお好きなの」
「さあ」
「じゃ何故来て食べるの」
「好きでないことはないさ、けど、さほど喰べたくない時でも、鮨を喰べるということが僕の慰みになるんだよ」
「なぜ」
何故、湊が、さほど鮨を喰べたくない時でも鮨を喰べるというその事だけが湊の慰めとなるかを話し出した。
――旧(ふる)くなって潰(つぶ)れるような家には妙な子供が生れるというものか、大きな家の潰れるときというものは、大人より子供にその脅えが予感されるというものか、それが激しく来ると、子は母の胎内にいるときから、そんな脅えに命を蝕まれているのかもしれないね――というような言葉を冒頭に湊は語り出した。
その子供は小さいときから甘いものを好まなかった。おやつにはせいぜい塩煎餅(せんべい)ぐらいを望んだ。食べるときは、上歯と下歯を叮嚀(ていねい)に揃(そろ)え円い形の煎餅の端を規則正しく噛み取った。ひどく湿っていない煎餅なら大概好い音がした。子供は噛み取った煎餅の破片をじゅうぶんに咀嚼(そしゃく)して咽喉(のど)へきれいに嚥(の)み下してから次の端を噛み取ることにかかる。上歯と下歯をまた叮嚀に揃え、その間へまた煎餅の次の端を挟み入れる――いざ、噛み破るときに子供は眼を薄く瞑(つぶ)り耳を澄ます。
ぺちん
同じ、ぺちんという音にも、いろいろの性質(たち)があった。子供は聞き慣れてその音の種類を聞き分けた。
ある一定の調子の響きを聞き当てたとき、子供はぷるぷると胴慄(どうぶる)いした。子供は煎餅を持った手を控えて、しばらく考え込む。うっすら眼に涙を溜めている。
家族は両親と、兄と姉と召使いだけだった。家中で、おかしな子供と云われていた。その子供の喰べものは外にまだ偏(かたよ)っていた。さかなが嫌いだった。あまり数の野菜は好かなかった。肉類は絶対に近づけなかった。
神経質のくせに表面は大ように見せている父親はときどき
「ぼうずはどうして生きているのかい」
と子供の食事を覗きに来た。一つは時勢のためでもあるが、父親は臆病なくせに大ように見せたがる性分から、家の没落をじりじり眺め乍ら「なに、まだ、まだ」とまけおしみを云って潰して行った。子供の小さい膳の上には、いつものように炒(い)り玉子と浅草海苔(のり)が、載っていた。母親は父親が覗くとその膳を袖で隠すようにして
「あんまり、はたから騒ぎ立てないで下さい、これさえ気まり悪がって喰べなくなりますから」
その子供には、実際、食事が苦痛だった。体内へ、色、香、味のある塊団(かたまり)を入れると、何か身が穢(けが)れるような気がした。空気のような喰べものは無いかと思う。腹が減ると饑(う)えは充分感じるのだが、うっかり喰べる気はしなかった。床の間の冷たく透き通った水晶の置きものに、舌を当てたり、頬をつけたりした。饑えぬいて、頭の中が澄み切ったまま、だんだん、気が遠くなって行く。それが谷地の池水を距ててA―丘の後へ入りかける夕陽を眺めているときででもあると(湊の生れた家もこの辺の地勢に似た都会の一遇にあった。)子どもはこのままのめり倒れて死んでも関(かま)わないとさえ思う。だが、この場合は窪んだ腹に緊(きつ)く締めつけてある帯の間に両手を無理にさし込み、体は前のめりのまま首だけ仰のいて
「お母さあん」
と呼ぶ。子供の呼んだのは、現在の生みの母のことではなかった。子供は現在の生みの母は家族じゅうで一番好きである。けれども子供にはまだ他に自分に「お母さん」と呼ばれる女性があって、どこかに居そうな気がした。自分がいま呼んで、もし「はい」といってその女性が眼の前に出て来たなら自分はびっくりして気絶して仕舞うに違いないとは思う。しかし呼ぶことだけは悲しい楽しさだった。
「お母さあん、お母さあん」
薄紙が風に慄えるような声が続いた。
「はあい」
と返事をして現在の生みの母親が出て来た。
「おや、この子は、こんな処で、どうしたのよ」
肩を揺(ゆす)って顔を覗き込む。子供は感違いした母親に対して何だか恥しく赫(あか)くなった。
「だから、三度々々ちゃんとご飯喰べてお呉れと云うに、さ、ほんとに後生だから」
母親はおろおろの声である。こういう心配の揚句(あげく)、玉子と浅草海苔が、この子の一ばん性に合う喰べものだということが見出されたのだった。これなら子供には腹に重苦しいだけで、穢されざるものに感じた。
子供はまた、ときどき、切ない感情が、体のどこからか判らないで体一ぱいに詰まるのを感じる。そのときは、酸味のある柔いものなら何でも噛んだ。生梅や橘(たちばな)の実を※(も)いで来て噛んだ。さみだれの季節になると子供は都会の中の丘と谷合にそれ等の実の在所をそれらを啄(ついば)みに来る烏(からす)のようによく知っていた。
子供は、小学校はよく出来た。一度読んだり聞いたりしたものは、すぐ判って乾板のように脳の襞(ひだ)に焼きつけた。子供には学課の容易さがつまらなかった。つまらないという冷淡さが、却って学課の出来をよくした。
家の中でも学校でも、みんなはこの子供を別もの扱いにした。
父親と母親が一室で言い争っていた末、母親は子供のところへ来て、しみじみとした調子でいった。
「ねえ、おまえがあんまり痩(や)せて行くもんだから学校の先生と学務委員たちの間で、あれは家庭で衛生の注意が足りないからだという話が持上ったのだよ。それを聞いて来てお父つあんは、ああいう性分だもんだから、私に意地くね悪く当りなさるんだよ」
そこで母親は、畳の上へ手をついて、子供に向ってこっくりと、頭を下げた。
「どうか頼むから、もっと、喰べるものを喰べて、肥ってお呉れ、そうして呉れないと、あたしは、朝晩、いたたまれない気がするから」
子供は自分の畸形(きけい)な性質から、いずれは犯すであろうと予感した罪悪を、犯したような気がした。わるい。母に手をつかせ、お叩頭(じぎ)をさせてしまったのだ。顔がかっとなって体に慄えが来た。だが不思議にも心は却って安らかだった。すでに、自分は、こんな不孝をして悪人となってしまった。こんな奴なら自分は滅びて仕舞っても自分で惜しいとも思うまい。よし、何でも喰べてみよう、喰べ馴れないものを喰べて体が慄え、吐いたりもどしたり、その上、体じゅうが濁り腐って死んじまっても好いとしよう。生きていてしじゅう喰べものの好き嫌いをし、人をも自分をも悩ませるよりその方がましではあるまいか――
子供は、平気を装って家のものと同じ食事をした。すぐ吐いた。口中や咽喉を極力無感覚に制御したつもりだが嚥(の)み下した喰べものが、母親以外の女の手が触れたものと思う途端に、胃嚢(いぶくろ)が不意に逆に絞り上げられた――女中の裾から出る剥(は)げた赤いゆもじや飯炊婆さんの横顔になぞって[#「なぞって」に傍点]ある黒鬢(びん)つけの印象が胸の中を暴力のように掻き廻した。
兄と姉はいやな顔をした。父親は、子供を横顔でちらりと見たまま、知らん顔して晩酌の盃を傾けていた。母親は子供の吐きものを始末しながら、恨めしそうに父親の顔を見て
「それご覧なさい。あたしのせいばかりではないでしょう。この子はこういう性分です」
と嘆息した。しかし、父親に対して母親はなお、おずおずはしていた。
その翌日であった。母親は青葉の映りの濃く射す縁側へ新しい茣蓙(ござ)を敷き、俎板(まないた)だの庖丁だの水桶だの蠅帳だの持ち出した。それもみな買い立ての真新しいものだった。
母親は自分と俎板を距てた向側に子供を坐らせた。子供の前には膳の上に一つの皿を置いた。
母親は、腕捲りして、薔薇(ばら)いろの掌を差出して手品師のように、手の裏表を返して子供に見せた。それからその手を言葉と共に調子づけて擦(こす)りながら云った。
「よくご覧、使う道具は、みんな新しいものだよ。それから拵(こしら)える人は、おまえさんの母さんだよ。手はこんなにもよくきれいに洗ってあるよ。判ったかい。判ったら、さ、そこで――」
母親は、鉢の中で炊きさました飯に酢を混ぜた。母親も子供もこんこん噎(む)せた。それから母親はその鉢を傍に寄せて、中からいくらかの飯の分量を掴み出して、両手で小さく長方形に握った。
蠅帳の中には、すでに鮨の具(ぐ)が調理されてあった。母親は素早くその中からひときれ[#「ひときれ」に傍点]を取出してそれからちょっと押えて、長方形に握った飯の上へ載せた。子供の前の膳の上の皿へ置いた。玉子焼鮨だった。
「ほら、鮨だよ、おすしだよ。手々で、じかに掴(つか)んで喰べても好いのだよ」
子供は、その通りにした。はだかの肌をするする撫(な)でられるようなころ合いの酸味に、飯と、玉子のあまみ[#「あまみ」に傍点]がほろほろに交ったあじわいが丁度舌一ぱいに乗った具合――それをひとつ喰べて仕舞うと体を母に拠りつけたいほど、おいしさと、親しさが、ぬくめた香湯のように子供の身うちに湧いた。
子供はおいしいと云うのが、きまり悪いので、ただ、にいっと笑って、母の顔を見上げた。
「そら、もひとつ、いいかね」
母親は、また手品師のように、手をうら返しにして見せた後、飯を握り、蠅帳から具の一片(ひとき)れを取りだして押しつけ、子供の皿に置いた。
子供は今度は握った飯の上に乗った白く長方形の切片を気味悪く覗いた。すると母親は怖くない程度の威丈高になって
「何でもありません、白い玉子焼だと思って喰べればいいんです」
といった。
かくて、子供は、烏賊(いか)というものを生れて始めて喰べた。象牙(ぞうげ)のような滑らかさがあって、生餅より、よっぽど歯切れがよかった。子供は烏賊鮨を喰べていたその冒険のさなか、詰めていた息のようなものを、はっ、として顔の力みを解いた。うまかったことは、笑い顔でしか現わさなかった。
母親は、こんどは、飯の上に、白い透きとおる切片をつけて出した。子供は、それを取って口へ持って行くときに、脅かされるにおいに掠(かす)められたが、鼻を詰らせて、思い切って口の中へ入れた。
白く透き通る切片は、咀嚼(そしゃく)のために、上品なうま味に衝(つ)きくずされ、程よい滋味の圧感に混って、子供の細い咽喉へ通って行った。
「今のは、たしかに、ほんとうの魚に違いない。自分は、魚が喰べられたのだ――」
そう気づくと、子供は、はじめて、生きているものを噛み殺したような征服と新鮮を感じ、あたりを広く見廻したい歓びを感じた。むずむずする両方の脇腹を、同じような歓びで、じっとしていられない手の指で掴み掻いた。
「ひ ひ ひ ひ ひ」
無暗(むやみ)に疳高(かんだか)に子供は笑った。母親は、勝利は自分のものだと見てとると、指についた飯粒を、ひとつひとつ払い落したりしてから、わざと落ちついて蠅帳のなかを子供に見せぬよう覗いて云った。
「さあ、こんどは、何にしようかね……はてね……まだあるかしらん……」
子供は焦立(いらだ)って絶叫する。
「すし! すし」
母親は、嬉しいのをぐっと堪える少し呆けたような――それは子供が、母としては一ばん好きな表情で、生涯忘れ得ない美しい顔をして
「では、お客さまのお好みによりまして、次を差上げまあす」
最初のときのように、薔薇いろの手を子供の眼の前に近づけ、母はまたも手品師のように裏と表を返して見せてから鮨を握り出した。同じような白い身の魚の鮨が握り出された。
母親はまず最初の試みに注意深く色と生臭の無い魚肉を選んだらしい。それは鯛(たい)と比良目(ひらめ)であった。
子供は続けて喰べた。母親が握って皿の上に置くのと、子供が掴み取る手と、競争するようになった。その熱中が、母と子を何も考えず、意識しない一つの気持ちの痺(しび)れた世界に牽(ひ)き入れた。五つ六つの鮨が握られて、掴み取られて、喰べられる――その運びに面白く調子がついて来た。素人(しろうと)の母親の握る鮨は、いちいち大きさが違っていて、形も不細工だった。鮨は、皿の上に、ころりと倒れて、載せた具(ぐ)を傍へ落すものもあった。子供は、そういうものへ却って愛感を覚え、自分で形を調えて喰べると余計おいしい気がした。子供は、ふと、日頃、内しょで呼んでいるも一人の幻想のなかの母といま目の前に鮨を握っている母とが眼の感覚だけが頭の中でか、一致しかけ一重の姿に紛れている気がした。もっと、ぴったり、一致して欲しいが、あまり一致したら恐ろしい気もする。
自分が、いつも、誰にも内しょで呼ぶ母はやはり、この母親であったのかしら、それがこんなにも自分においしいものを食べさせて呉れるこの母であったのなら、内密に心を外の母に移していたのが悪かった気がした。
「さあ、さあ、今日は、この位にして置きましょう。よく喰べてお呉れだったね」
目の前の母親は、飯粒のついた薔薇いろの手をぱんぱんと子供の前で気もちよさそうにはたいた。
それから後も五、六度、母親の手製の鮨に子供は慣らされて行った。
ざくろの花のような色の赤貝の身だの、二本の銀色の地色に竪縞(たてじま)のあるさより[#「さより」に傍点]だのに、子供は馴染(なじ)むようになった。子供はそれから、だんだん平常の飯の菜にも魚が喰べられるようになった。身体も見違えるほど健康になった。中学へはいる頃は、人が振り返るほど美しく逞しい少年になった。
すると不思議にも、今まで冷淡だった父親が、急に少年に興味を持ち出した。晩酌の膳の前に子供を坐らせて酒の対手(あいて)をさしてみたり、玉突きに連れて行ったり、茶屋酒も飲ませた。
その間に家はだんだん潰れて行く。父親は美しい息子が紺飛白(こんがすり)の着物を着て盃を銜(ふく)むのを見て陶然とする。他所(よそ)の女にちやほやされるのを見て手柄を感ずる。息子は十六七になったときには、結局いい道楽物になっていた。
母親は、育てるのに手数をかけた息子だけに、狂気のようになってその子を父親が台なしにして仕舞ったと怒る。その必死な母親の怒りに対して父親は張合いもなくうす苦く黙笑してばかりいる。家が傾く鬱積を、こういう夫婦争いで両親は晴らしているのだ、と息子はつくづく味気なく感じた。
息子には学校へ行っても、学課が見通せて判り切ってるように思えた。中学でも彼は勉強もしないでよく出来た。高等学校から大学へ苦もなく進めた。それでいて、何かしら体のうちに切ないものがあって、それを晴らす方法は急いで求めてもなかなか見付からないように感ぜられた。永い憂鬱と退屈あそびのなかから大学も出、職も得た。
家は全く潰れ、父母や兄姉も前後して死んだ。息子自身は頭が好くて、何処(どこ)へ行っても相当に用いられたが、何故か、一家の職にも、栄達にも気が進まなかった。二度目の妻が死んで、五十近くになった時、一寸(ちょっと)した投機でかなり儲(もう)け、一生独りの生活には事かかない見極めのついたのを機に職業も捨てた。それから後は、茲(ここ)のアパート、あちらの貸家と、彼の一所不定の生活が始まった。
今のはなしのうちの子供、それから大きくなって息子と呼んではなしたのは私のことだと湊は長い談話のあとで、ともよ[#「ともよ」に傍点]に云った。
「ああ判った。それで先生は鮨がお好きなのね」
「いや、大人になってからは、そんなに好きでもなくなったのだが、近頃、年をとったせいか、しきりに母親のことを想い出すのでね。鮨までなつかしくなるんだよ」
二人の坐っている病院の焼跡のひとところに支えの朽(く)ちた藤棚があって、おどろのように藤蔓(ふじづる)が宙から地上に這い下り、それでも蔓の尖(さき)の方には若葉を一ぱいつけ、その間から痩せたうす紫の花房が雫(しずく)のように咲き垂れている。庭石の根締めになっていたやしお[#「やしお」に傍点]の躑躅(つつじ)が石を運び去られたあとの穴の側に半面、黝(あおぐろ)く枯れて火のあおりのあとを残しながら、半面に白い花をつけている。
庭の端の崖下は電車線路になっていて、ときどき轟々(ごうごう)と電車の行き過ぎる音だけが聞える。
竜(りゅう)の髭(ひげ)のなかのいちはつ[#「いちはつ」に傍点]の花の紫が、夕風に揺れ、二人のいる近くに一本立っている太い棕梠(しゅろ)の木の影が、草叢(くさむら)の上にだんだん斜にかかって来た。ともよ[#「ともよ」に傍点]が買って来てそこへ置いた籠の河鹿が二声、三声、啼(な)き初めた。
二人は笑いを含んだ顔を見合せた。
「さあ、だいぶ遅くなった。とも[#「とも」に傍点]ちゃん、帰らなくては悪かろう」
ともよ[#「ともよ」に傍点]は河鹿の籠を捧げて立ち上った。すると、湊は自分の買った骨の透き通って見える髑髏魚(ゴーストフィッシュ)をも、そのままともよ[#「ともよ」に傍点]に与えて立ち去った。
湊はその後、すこしも福ずしに姿を見せなくなった。
「先生は、近頃、さっぱり姿を見せないね」
常連の間に不審がるものもあったが、やがてすっかり忘られてしまった。
ともよ[#「ともよ」に傍点]は湊と別れるとき、湊がどこのアパートにいるか聞きもらしたのが残念だった。それで、こちらから訪ねても行けず病院の焼跡へ暫く佇(たたず)んだり、あたりを見廻し乍ら石に腰かけて湊のことを考え時々は眼にうすく涙さえためてまた茫然として店へ帰って来るのであったが、やがてともよ[#「ともよ」に傍点]のそうした行為も止んで仕舞った。
此頃(このごろ)では、ともよ[#「ともよ」に傍点]は湊を思い出す度に
「先生は、何処(どこ)かへ越して、また何処かの鮨屋へ行ってらっしゃるのだろう――鮨屋は何処にでもあるんだもの――」
と漠然と考えるに過ぎなくなった。
●本文中に出てくる外字
■電子テキスト化スタッフ一覧
●石川啄木
底本:集英社版日本文学全集12国木田独歩・石川啄木集
一九六七(昭和四二)年九月七日初版
一九七二(昭和四七)年九月一〇日9版
入力:j.utiyama
校正:八巻美惠
●芥川龍之介
底本:筑摩書房刊 ちくま文庫『芥川龍之介全集6』
一九八七(昭和六二)年三月二四日第1刷発行
一九九三(平成五)年二月二五日第6刷発行
親本:筑摩全集類聚版芥川龍之介全集
一九七一(昭和四六)年三月〜一一月に刊行
入力:j.utiyama
校正:田尻幹二
●太宰治
底本:新潮文庫『ヴィヨンの妻』
一九五〇(昭和二五)年一二月二〇日発行
一九八五(昭和六〇)年一〇月三〇日63刷改版
入力:細渕紀子
校正:小浜真由美
●小熊秀雄
底本:「新版・小熊秀雄全集第2巻」創樹社
一九九〇(平成二)年一二月一五日第1刷
入力:八巻美恵
校正:浜野智
●武田麟太郎
底本:「現代文学大系44」筑摩書房
入力:山根鋭二
校正:伊藤時也
●織田作之助
底本:「定本織田作之助全集 第五巻」文泉堂出版株式会社
一九七六(昭和五一)年四月二五日発行
一九九五(平成七) 年三月二〇日第3版発行
入力:小林繁雄
校正:伊藤時也
●中原中也
底本:「中原中也詩集」岩波文庫、岩波書店
一九八一(昭和五六)年六月一六日 第1刷発行
一九九七(平成九)年一二月五日 第37刷発行
親本:「中原中也全集第六巻」角川書店
入力:浜野安紀子
●岡本かの子
底本:「岡本かの子全集5」ちくま文庫、筑摩書房
一九九三(平成五)年八月二四日第1刷発行
底本の親本:「老妓抄」中央公論社
一九三九(昭和一四)年三月一八日発行
初出:「文芸」昭和一四年一月号
入力・校正:鈴木厚司
アンソロジー編:浜野智
◆青空文庫作成ファイル:
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