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第11回●宮沢賢治「ガドルフの百合」
心象の百合

川上陽子

「はーい。みなさん、10分で描いてくださいね。」
 画用紙を渡され、せかされせかされクレパスで絵を描いています。
「あと、1分くらいですよー。」最後はええいっとばかりに、なぐりがきになってしまう。
 アートセラピー学校での授業でのことでした。芸術が人を癒すというので、アートセラピー学校を選んだのですが10分いや、12時間であろうが、時計を見ながら描かなければならないのがとても苦痛でした。そんな個人の思いとは関係なく、推し進められる合理的な絵の作業に、---絵はツールにしか過ぎない。まるでテストだ、絵テストだ、とずいぶん腹を立てたものでした。
 多くの技法や使い方を習ったのですが、その中でも最も合理的な方法のひとつが「風景構成法」だったと思います。おそらく現在でも、カウンセリングの現場で多く描かれている絵だと思いますが。
 B3の画用紙に細めの黒のフェルトペンで、端から5ミリ位の枠線をクライアントに引いてもらうか、セラピストがクライアントの目の前で引くかして始まります。
 川を描いてください。
 山を描いてください。
 たんぼを描いてください。
 道、家、木、人、花、動物、石、最後になにか足りないと思うものを描くなどと順番も決まっており、次にクレヨンで着彩、そしてフェルトペンで川の流れの方向の矢印を入れ、裏面に季節、時間、名前、実施年月日を書き入れて完成です。
 私の体験では、時間制限ありの絵テストとはいえ、描いているうちにその絵がだんだんいとおしくなってくるから不思議なものです。実際の現場ではクライアントに描いてもらってから、絵についての話を聴くだけが多いようですが、授業のやり方はこうです。
 絵は回収されて10枚位に分けて並べられて解釈の練習をします。その場にいる全員の心の内が絵から見えてしまうようで、これでよかったのだろうか、何を言われるんだろうかと、はずかしさでいっぱいになった不安定な気持ちで絵の前に座り込みます。
「はい、この絵はだれ?」
 一枚一枚尋ねられるので、誰がどの絵を描いたのかばれてしまいます。からだの大きい、見るからに強そうな女の人がちょこちょこした絵を描いていたり、男の人はひとクラス30人のうち2人しかいないのですが、ひげの濃そうな中年男性がやさしい絵を描いていたりとさまざまでした。
 むなしい絵、暗い絵、派手な色使いの絵、元気な絵、荒っぽい絵。川が目立つ、道がない、人が大きいなどつじつまがあわないことも、しょっちゅうです。最初に何を描くかを知らされないで、しかも大急ぎで描いていますからね。
 どんな絵を描いたとしても、ほとんど全員がきれいな花を、ていねいにていねいに描きます。私も桃色の花を描きました。何の花かは特定できませんが、確かに花です。花の絵を描いたり見たりする時が、人の心を合理的に見て解釈する、という作業の中でいちばんほっとする時間になりました。絵に書かれた花の話になると、時計をもってせかせていた講師も、いい絵がかけなかったとしょげていた人も、皆んな、うれしそうになったからです。誰もが胸の奥で大事に守っている、「私の花」の絵を描いていたのです。

 こんな絵テストでなくたって、「私の花」は、眼を閉じると花びらや葉っぱの一枚一枚、花びらにのった朝露までも、どんな環境でこれから何が起こるのかを克明に想像できるって思うんです。
『本当はこんな場所で咲いては欲しくないのに……』などと。
 「ガドルフの百合」に登場する、枯渇した空気、けだるい楊の並木道やいるかいないかわからないあいまいな犬も襲いかかる嵐も逃げ込んだ廃屋もガドルフ自身の心象の風景でした。そしてガドルフも心象の中のひとりの人にちがいありません。
 画用紙に引いた閉ざされた枠線の中と心象と同じです。絵の中の花は心象の花です。乱暴な心象であっても花はありました。
 花は白い百合でなければなりませんでした。月の女神ディアナのように潔癖な聖女の化身だからです。氷のように純粋なひとすじの光を百合が放ち、ずっと遠い奥にある深層の底をつらぬき通すのです。深層の底をつらぬいてからでないと、わき上がってこないものがばらや蓮、柘榴の花に変化させていくのですから。しかし、清らかで高潔な白い百合だってその凛とした立ち姿をもってみても、死に向かう程の葛藤の嵐に倒れず向かっていけるかどうか解かりませんでした。
 本当のところ心象に咲く百合は、嵐の凄い風や重たい雨粒にぼきぼき折られたぐらいでは、だめになったりしないのです。心象の中には、『もうひとむらの白い貝殻細工の百合』が原像として、写真のフィルムみたいにあるからです。『もうひとむらの白い貝殻細工の百合』から永遠に涸れることのない泉のように力がわき流れ出て、折れても折れても心象に美しい百合が咲き続けるのです。そう思うと不安は消え失せ、心がやすらいで落ち着いてきます。
 心象の風景を見ていると、いつも白い百合だけが見えているわけではなく、たいていはいやなものばかりが見えて辛くなってしまいます。でも、心象を見ないでいると、心象に嵐が起こっても理由がわからず、表層にあたる現実の生活でなんだか急に怒りや不満が渦巻いてきたことになってしまい、とんでもない行動をしでかしたりします。現実の嵐を止めることができないように、心象の嵐をなくしてしまうことはできませんが、心象を見ていれば嵐の来る予兆だって察することができるはずです。そのように現実に起こっていることと心象での出来事はとてもよく似ています。心象を見つめるやり方が解らなかったり、忙しくて時間がない時は、風景や優れた芸術作品を見たり聴いたりしてみたいと思います。そうすれば、深層は豊かに広がっていきます。豊かな自然や調和のとれた芸術作品の方がいいに決まっていますが、もし、都市の裏道で、みすぼらしい身なりで寝そべっている浮浪者や、ひっくり返ったゴミ箱をついばむ烏を見たとしても、見なかったことにしないことです。現実にあるもの全てが心象にもあり、おぞましく思えるものも自分の一部だと知ったら、いとおしくなって簡単に切り取ってしまえとは言えなくなります。とはいえ、もしも現実に烏が襲ってきたら、人に助けを求めたり逃げたりした方が無難ですけど。
  「ガドルフの百合」では、心象の百合をみつけて次の旅にでかける決心までの経過が、時間を追って書かれています。読んでいるうちに私の心の中でその心象が広がって、書かれていたことも書かれていなかったこともごちゃごちゃになって、たとえば、並木道を歩く時の足の重さ、空気の乾き、雨に濡れたときの感触、頭から顔をつたわってきた水滴の味、扉の開くきしんだ音、家の中の埃っぽさ、雷の音と光、階段の木の手摺に刻まれた飾りの手触り、遠くを見つめるように目を細めたり、蜘蛛の巣を払ったり、ちょっと進んでは振り返ってみたりと、自由に体験できました。またそのような体験に対しての感情は、もっと自由であったことに気がつきます。
 どうか、そういった内面の体験を1円にもならないとか、役に立たないと言って捨ててしまわない様、お願いします。それは、カウンセリングを受けたり、アートセラピーを解釈するよりも、ずっと深い安心感と勇気をもたらしてくれるからなのです。

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