私が小熊秀雄の英訳詩集Long, Long Autumn Nights: Selected
Poems of Oguma Hideo, 1901-1940 (Ann Arbor: Center for Japanese
Studies, University of Michigan, 1989)を編纂し出版したのはちょうど一〇年前のことである。今年(一九九九年)もう一冊の本『ユダヤ人陰謀説-日本の中の反ユダヤと親ユダヤ』(宮澤正典との共著、講談社刊)を上梓した。この二冊の間には強い関係があるのだが、小熊秀雄の詩を対訳で読みながらそれを考えたい。
小熊秀雄は一九〇一年九月九日小樽市に生まれ、一九一一年から日露戦争の結果として日本の領土になった樺太の新興都市泊居(とまりおろ)に移り育った。高等小学校二年を卒業してから「養鶏場番人、炭焼手伝、鰊漁場労働、農夫、昆布採集、伐木人夫、製紙工場職工……」などをして働き、北国特有の荒々しさ、新鮮さ、率直さ、現実感を身につけた。そのことを小熊は長編叙事詩「飛ぶ橇」につぎのように表現した。
ここに住む一切の人々は
…生活の経験が異状であり
個性もまた異状であった、
強い正義人たちがこれらの
人々の中に数多く混じって
大きな憤懣をいだきながら死んでゆく…
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There was . . . something abnormal in the life
experience
Of everyone who lived here,
And their personalities showed it.
Among them were many
With an overdeveloped sense of justice,
Who died embracing an all-consuming rage. |
北海道から受け継いだこの 正義感と憤懣をいだいて、小熊は一九二八年に上京した。プロレタリア文学運動がさかんになっていたころで、小熊はそれに加わって非常に興奮した。たとえば「散兵線」につぎのように書いている。
皿の上のものはみんな喰ってしまふ
貪慾極まりない、
みんな血となり肉となる
労働の肉体では
いま新しい細胞が
散兵線を敷いている。 |
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I eat everything on my plate
And am limitlessly voracious.
Throughout my laboring body,
Where everything turns to blood and flesh,
New cells now rearrange themselves
Along the battle line. |
「飯は喰えず / いたづらに詩が出来るばかりだ」(I can't eat, / I just keep producing
poems!)(「現実の砥石」)と興奮していた当時の詩はロマンチックで、マルクス主義色が濃すぎるが、一九三四年以降の作品、つまり多くの左翼の知識人がつぎつぎと転向していった時期の作品は円熟して優れている。この時期からより現実的になってきた小熊の詩の一例は「蹄鉄屋の歌」である。
私の歌はぞんざいだらう、
私の歌は甘くないだらう、
お前の苦痛に答へるために、
私の歌は
苦しみの歌だ |
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My song is unrefined.
It is not sweet.
My song
Is a song of pain
To respond to your pain. |
家永三郎はこの時期の小熊の詩を正確に転向文学の一例として位置づけている。「転向による一歩後退がかえって粗雑な政治主義を芸術的内面化に導く契機となったという逆説的現象も見られ、三五年ごろからの数年間は、すぐれた作品が数多く現れた。三五年の『小熊秀雄詩集』……など、その代表的な実例に数えてよいであろう。」(『太平洋戦争』(岩波書店、一九六八年)二三六頁)
しかし、小熊は同時に肯定の詩人だった。『歌のわかれ』を書き、「雨の降る品川駅」で詩歌に背を向けた中野重治に小熊は同意できなかった。その理由を「なぜ歌ひださないのか」で説明している。
さよなら、さよなら、
さよならと歌ふ
中野重治よ、君は
最後の袂別の歌を歌ふ
赤まんまの花を歌ふなと、
君は人間以外のものにも――
最後の否定的態度を示した詩人だ。
君は最後の――
そして私は最初の
肯定的詩人として今歌ってゐる
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"Farewell, farewell
Farewell!"
Nakano Shigeharu,
You sing the last songs of farewell to
tradition.
"Don't sing of scarlet blossoms," you say.
You are the last poet of denial:
Denying the world of things,
You in effect deny humanity as well.
You are the last, ―
And I am the first
To sing now as a poet of affirmation. |
小熊にとって「沈黙による抵抗」は抵抗を意味しなかった。それは卑屈の別名だと「しゃべり捲くれ」で指摘している。
沈黙が卑屈の一種だといふことを
私は、よつく知つてゐるし、
沈黙が、何の意見を
表明したことにも
ならない事も知ってゐるから――
私はしゃべる……
プロレタリア詩人よ、
我々は大いに、しゃべつたらよい、
仲間の結束をもつて、
仲間の力をもつて
敵を沈黙させるほどに
壮烈に――。 |
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I know well enough
That silence is a form of cowardice,
That silence
Does not constitute an expression of opinion.
[So] I talk.
. . . . .
Proletarian poets:
Talk and keep talking.
In solidarity with our comrades,
With the power of our peers,
Talk furiously!
Until our enemies fall silent. |
かといって、政治に服従する文学も小熊にとっては文学とはいえない。「政治に可愛がられる文学 / とんでもない話だ」("Literature
approved by politics? / Ridiculous!")と「政治と文学」に書いている。
政治も文学も
今は一つの桶に入ってゐる
二つの汚れものだ、
クリーニング屋は
まだ開業わずか一年だ。 |
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Politics and literature
Are both dirty laundry
Occupying the same tup.
And the washerman has only been in business a year. |
政治に追随せずしかもしゃべり捲くる小熊の作品の中でも、もっとも優れているのはしかし何といっても一九三五年に出版された一連の長編叙事詩である。これらの長い詩は戦争に抗議したり、近代化によって消滅されつつあったアイヌ民族の運命を憂えたり、朝鮮文化を根こそぎにしようとした日本の植民地政策を批判しているが、しかし、これらの詩はただ声高に不正義を弾劾するものではなく、殺されていく中国の兵士たち、消えていくアイヌたち、虐げられる朝鮮の老婆たちの観点から彼ら自身の実状を正確にえがこうとしたものだった。そしてそうすることによって、小熊は日本の文学にはほとんど見られない性格の作品を書くことに成功した。これらの詩は、みずからと決定的に異なる他者の目を通して世界を見る作品であり、真に多文化的世界観を表現する作品である。
たとえば「プラムバゴ中隊」は日本軍によって全滅させられてしまう中国の兵士たちの心の動きを、ユーモアをまじえて書いた作品である。
中国の軍隊は
プラムバゴ中隊、
ふらり、ふらりと曠野をさすらふ……
プラムバゴとは中隊の名ではない、
プラムバゴとは支那、満州の植物の名だ。 |
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The Tumbleweed Company
Of the Chinese Army
Rambles over the steppe. . . .
Tumbleweed is not the name of the company,
But a plant . . .
Found in China and Manchuria |
「ぶったをれる」まで全速力で走らされるプラムバゴ中隊はしだいに人間離れしていく。
人間界で醜態と名づけられる行為が、
だんだんと色濃く兵士たちの
行動の表面に現はれだしてきた。
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Slowly, acts that would be considered
atrocious
In the normal, human world
Began to surface in the soldiers' behavior. |
消耗しきった兵士たち……。
丁度その時、プラムバゴ中隊と
同じやうの心理状態、
同じやうなスピードで、
走ってきたのは日本の一個中隊、
丘の高みで二つの敵味方がぶつか(る)
……
プラムバゴ中隊の全員の上着は
みるみる真赤な上着になり
でも勇敢に、剣をふりまはし
日本兵に切りかゝり
口々に彼等は叫ぶ、
――こん畜生、
こんな豚喰へるか、
こんな豚喰へるか。
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Just then,
A company of Japanese soldiers appeared,
Running from the opposite direction,
At the same rate of speed,
In the same psychological state.
. . . .
Crimson stains began to spread
Over the jackets of the Tumbleweed Company.
But they raised their swords bravely,
Lunged at the Japanese,
And cried,
"Sonofabitch!
Fuck these pigs!
Fuck these pigs!" |
一九三五年に出版された「飛ぶ橇」は滅びてゆくアイヌ民族を描く。「日本詩史上で稀にみる長編の傑作」と詩人の木島始は書いているが、私もそう思う。
「飛ぶ橇」が優れているのは、アイヌ民族がおかれた状況を冷静に描写しているからである。主流文化に同化するか、孤立した民族としてのアイデンティティを保ちつづけるかという二つの衝動に引き裂かれるジレンマは、移民者の国で、多民族国家であるアメリカの文学にはよく出てくる問題だが、在日の少数民族の存続の問題、アイデンティティの問題を扱う日本文学作品は少ない。アイヌの実存的問題を、日本人の山林検査官とアイヌの猟師権太郎の友情の文脈の中で取り上げる「飛ぶ橇」はそういう意味ではまことに貴重な作品である。
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アイヌの父は社民党の演説をきいて
ついフラフラと単純に加盟し、
息子は街へでゝて映写幕の前の
暗いボックスの中でクラリオネットをふく、
すべて和人(しゃも)なみになったことは
二人にとって出世であり誇りにちがひな
い。
ただアイヌの仲間が死に、村を去り、
住居をこりつさせられ、…………、
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The Ainu father had heard someone from the
Social Democratic Party give a speech
And had signed up on the spot;
The son had gone off to the city and was
sitting in a darkened orchestra pit beneath
an illuminated screen,
Playing the clarinet.
That they were no different from the
Japanese
Meant success and was a source of pride for
father and son.
It was just that their fellow Ainu were dying
off, leaving their villages, abandoning
their homes. . . . |
小熊は安っぽい「同情」ではなく、真の理解をもって異民族の気持ちを表現しようと試みた。しかも二〇世紀のもっとも排他的で、不寛容の時期にこれらの作品を書いていたのだから、なおさら驚くべき行為である。
当時の日本人の排他性、不寛容を身をもってもっとも鋭く体験したのは、おそらく朝鮮人だったろう。一九一〇年に併合されて以来、朝鮮に対する日本の植民地政策はしだいに厳しさを増して、三〇年代半ばごろから日本政府は朝鮮独自の文化を積極的に抹殺しようとするようになった。日本名を名乗らせたり、強制的に神道の神社に参拝させたり、朝鮮語の使用を禁じたりして朝鮮人を臣民化しようとした。日本の文人のほとんどは、この趨勢を弾劾したり、抗議したりするどころか、八紘一宇の「大義」を広めようとする大日本帝国を賛美した。
小熊秀雄は抗議する数少ない例外の一人だった。その抵抗の方法をもっとも雄弁に語るのは、小熊があえて朝鮮語の題名をつけた「長長秋夜(ぢゃんぢゃんちゅうや)」である。これは日本の朝鮮に対する文化政策を正面から弾劾し、犠牲者との連帯を宣言するような単純な作品ではなく、老婆というもっとも弱い者たちの苦しみをきめこまかく記録することで、朝鮮の悲劇を痛烈に描写する作品である。
「長長秋夜」は「白衣禁止令」およびそれに対する老婆たちの抵抗についてである。
幾千年の昔から
木や石の台の上で白衣をうって
糊をおとしてシワをのばして
男達にさつぱりとしたものを、
着せて楽しく、……
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For thousands of years
They have beaten their garments white
On rocks and blocks of wood,
Starched them and pressed out the creases,
And joyfully given their men
Fresh clothes to wear. |
老婆たちは、日本の手先たる面長(村長)に抗議する。
哀号、面長さま、この老い先
短い年寄に
難題といふものだ
いまさら白い朝鮮服を
哀号
よして色服を着ろとおっしゃるが
そんなら婆を殺してくだされや
哀号――、
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Woe is me! Mr. Headman, sir!
How many years do I have left?
And look at what you've done!
You say I have to stop wearing white Korean
dress
Woe is me!
And put on colored clothes.
Why don't you just shoot me?
Ah! |
しかし、老婆たちを苦しませているのは面長だけではない。白衣の伝統を守っても、それを受けついでくれる者はいない。
朝鮮よ、
お前はよし老婆達に
白衣永遠の伝統を死守させたとしても
自然の大地と、人間の心とは
その伝統を受けつがない
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O Korea!
Even if you make old women
Defend to the death the hoary tradition of
white,
No one is left to inherit it,
Neither nature nor man. |
小熊秀雄はこうして朝鮮の苦しみを中国の兵士やアイヌの苦しみと同じように理解し表現する。近代化や侵略はむろん過酷だが、彼らの真の悲劇は近代化とか侵略によってのみもたらされているのではないく、悲劇の真髄は伝統に背くアイヌ自身、朝鮮人自身にあることも小熊は指摘する。しかも、この上ない悲しい事実を小熊は批判として記すのではなく、ただ深い思いやりをもって、憂えつつ書きとめたのである。小熊が老婆たちをこの詩の主人公にしたのは、彼女らをとおすことによって深遠な悲しみと喪失感を語ることができるからであった。この詩の結びの数行にそれがはっきりとうかがえる。
かよわい手をふりあげて
強く石をうつ
強く朝鮮の歌を歌ひだす
黒く汚れた白衣を棒(パンチ)でうつ
うつパンチも泣いてゐる
打たれる白衣も泣いてゐる
うつ老婆(ロッパ)も泣いてゐる
打たれる石も泣いてゐる
すべての朝鮮が泣いてゐる。 |
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They raise frail hands
And strike the rocks.
They sing songs of Korea.
They beat the defiled robes with their mallets.
The mallets that beat weep.
They clothing that is beaten weeps.
The old women who beat weep.
The stones that are struck weep.
All Korea is weeping. |
しかし、絶望的に暗い時代に絶望しないで、希望を失わずにこれだけ深い洞察をもって書きつづけた小熊秀雄の秘密は何だったろう。「馬車の出発の歌」を読めばヒントが得られる。
私は暗黒を知っているから
その向うに明るみの
あることも信じている
君よ、拳をうちつけて
火を求めるような努力にさえも
大きな意義を感じてくれ |
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I know the darkness,
And that is why I believe
That beyond it there is light.
I implore you,
Strike out at the darkness,
Sense the great meaning
Even in the mere quest for fire. |
暗黒を知らなければ、明るみもわからない。人間の心の暗い隅、社会や歴史の暗黒な部分をじっと見つめる勇気がなければ、そこにひそんでいる明るみを見出し表現することもできない。
『ユダヤ人陰謀説』の巻頭にハンナ・アーレントの『全体主義の起源』からつぎの言葉を引用した。「理解するとは……現実がいかなるものであれ、また(過去に)いかなるものであったにしろ先入観なしに注意深くそれを直視し、さらにそれに抵抗することを意味する。」小熊秀雄が模範的な人物だと私が思うのは、現実を直視しそれに抵抗したからである。かつての仲間が「愛国詩」をよんでいたころに、彼はアーレントのいう意味で世の中を理解しようとした。当時それは犯罪に類する営為であったが、小熊は検挙されないうちに、一九四〇年に三九歳の若さで肺結核で他界した。
小熊秀雄とハンナ・アーレントにならって、私たちは『ユダヤ人陰謀説』で日本の闇の部分、不寛容な部分、排他的な部分を「先入観なしに注意深く…直視し、さらにそれに抵抗」しようとした。その部分がわかれば、小熊秀雄が代表するような明るみの部分、寛容な部分、貴い部分もわかるようになると確信していたからである。小熊秀雄の英訳詩集Long,
Long Autumn Nightsを編纂して私は近代日本のもっとも貴い部分に接っすることができたと、『ユダヤ人陰謀説』を書いてからことさらに思うようになったのである。(1999年12月)
●執筆者プロフィール
1946年、米国ウィスコンシン州に生まれる。専門は日本文学。大学在学中の1966年に来日し、中学の英語教師となる。1969年、日本の演劇を扱った英文機関誌を創刊し、評論活動を開始。『走る』『逃亡師』『イスラエル』など、日本語による著書もある。イリノイ大学教授。ホームページはhttp://www.staff.uiuc.edu/~dgoodman |