青空文庫、この1作第6回●中島敦『文字禍』
「書かれたもの」の魂

LUNA CAT

 現代人は、現実世界での「手触り」「手応え」から、次第に遠ざかりつつあると言われて久しい。
 テレビという仮想空間が出現してから、早くも数十年が過ぎた。現実世界のごくわずかな断片を切り取って、あたかも唯一の真実であるかのように差し出すこの機械は、いまや、日常生活のごく普通の一部分となっている。その状況を憂えて、現実の痛みを伴わない仮想空間に接することで、暴力や殺人の歯止めがききにくくなってきたという声を耳にすることが多い。さらに、携帯電話やインターネットなどの通信手段が発達し、目の前にいない相手との、機械を通じたコミュニケーションが当たり前になってきた。一対一の会話さえも、仮想空間の力を借りずには成り立たない時代になっているのだ。
 『文字禍』は、テレビや携帯電話には程遠い、古代アッシリヤに舞台を借りた物語である。図書館で聞こえる謎の声の正体を探るうちに、老碩学ナブ・アヘ・エリバは、これは文字の霊のなせる業であろうと察しをつける。文字の霊がどんな性質を持つのかを調べていくうちに、彼は、人間の眼や身体を喰い荒らし、ついには「文字ノ害タル、人間ノ頭脳ヲ犯シ、精神ヲ痲痺セシムルニ至ッテ、スナワチ極マル。」という文字の霊の恐るべき性質を突き止めるに至る。
 老博士は、文字というものは事物の影のようなものではないか、と考えた。文字を読むようになって、人はものごとを直接に体験しなくなり、「今は、文字の薄被をかぶった歓びの影と智慧の影としか、我々は知らない。」と、彼は言う。テレビや電話、インターネットなどについて語られる現代の状況と、なんともそっくりではないか。
 彼の言葉を借りて、そこにあるのが影だとしたら、いつのまにか本体が消えてしまい、そのことを誰も気にかけなくなり、ついには影が一人歩きをはじめて、その結果、人の存在すらも影になってしまいかねないということなのだろう。歴史もそうやって影のみが残り、書かれた粘土板が歴史の全てということになる。本体がどうであったかは、既に問題ではなくなってしまっている。
 もちろん、文字が人間の知に対して果たす役割は計り知れない。人間は、最終的には自分の経験した範囲でものを考える。一人の人間が、たかだか数十年の間に経験できることには、自ずと限界があるだろう。直接会って話した誰かの経験を聞くにしても、一生の間に話す相手は、やはり限られている。ところが、書かれた文字を通じて、ある一人の人間が経験したものごとを、他の人間が共有することが可能となった。書かれた文字は、人の一生よりもはるかに長い間残るから、時間や時代の制約を超えて、経験を共有することもできるのである。
 しかしながら、書かれたものは、書いた当人が意図したとおりの意味を伝え続けるとは限らない。思いもよらぬ解釈がなされることもあれば、長い年月を経て、解釈が次第に変化することもある。さらには、本体とは似ても似つかぬ影が、意図して作り上げられることすらある。文字が生まれた昔から、インターネットの現在に至るまで、コミュニケーションツールというものは、そういう宿命を負っているのだろう。作者の中島敦は、文学者として文字と対峙し、文字の持つ底知れぬ力と格闘した結果、人間の経験を伝えるとともに、事物の影を生み出し、真実の姿を見えにくくするという文字の性質を、身をもって経験したに違いない。
 時は巡り、いまや、文字の霊がコンピュータという仮想空間上に住む時代である。インターネット空間に住む文字の霊たちの数は、古代アッシリヤの図書館どころではない。中島敦がこの作品を書いた時代の日本とも、比べものにならない。それらの霊たちが、口々にしゃべっている様子というのは、想像を絶する情景であるだろう。  文字が事物の影であるとするなら、コンピュータの中の文字は、影の影ということになる。影の影となると、これはいったい、どういった性質を持つことになるのか。我々は今、それを見きわめようとしている。文字の霊が、ナブ・アヘ・エリバの言うように、人間に復讐をくわだてるものだとしたら、この途方もない数の文字たちは、我々に対し、いかなる復讐を目論んでいるのだろうか。
 中島敦とて、自分の書いたものが、デジタルの「影」となってコンピュータという影の社会に出回るなどとは、この作品を書いたときには、思いもよらなかっただろう。しかし、古代アッシリヤにことよせて、もしかすると来るべきコンピュータ時代を予見し、皮肉っているのかもしれないと思わせるあたり、今も昔も、「文字の霊」の持つ、事物の影と化して人心を惑わせる性質は、変わらないというべきなのかもしれない。
 デジタル空間で「影の影」として日々増殖していく文字の霊といかにしてつきあっていくか。『文字禍』の作者の問いかけは、今後も延々と続いていく。文字の霊の恨みを買い、なだれ落ちる書物に圧死させられるよりは、少しは明るい未来が待っていることを願いたい。

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