| 青空文庫、この1作第9回●松平維秋『松平維秋の仕事』 |
| 「空白」を惜しみつつ読む |
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浜野 智 |
| 僕はこの本の「編者」である。雑多に保存されていた雑誌記事をひっくり返してまとめ、タイトルをつける。まとまったものが何本も揃ったら、順序を決めて、入力を依頼する。テキストがあがってきたら、電子本の形にしていく。そういった作業をした。だから、これは自分自身の作品でもあるわけで、そういった人間が読者を誘導する文章を書くのは、ルール違反と言われても仕方がない。 しかし、そうでありながらも、この本について誰かに書いてもらおうと考え、あれこれ候補を挙げたあげく、結局は自分で書くしかないという結論に達した。なぜか。僕はこの本の美点だけでなく、欠点を知っている。その欠点は、実際には目に見えないものだ。それは、著者と個人的なつきあいのあった人間だけ、それも共通の志をもつ同業者としてつきあった人間だけに感知できる性質のものなのである。 この本は青空文庫の登録作品としてはおよそ例外的な、丁寧な扱いをメディアの世界で受けてきた。2月27日の朝日新聞朝刊都内版には本ができあがるまでの経緯と意味をまとめた内容の濃い記事が掲載されたし、そのほか、僕が目にしただけでも3種の雑誌に書評あるいはそれに準ずる記事が載った。 『FM fan』4・17→4・30号では、北中正和が見開きのコラムの半分ほどのスペースを使ってこの本を紹介し、「音楽を愛するすべての人に読んでほしい」と、メッセージを送った。『レコード・コレクターズ』5月号には茂木健による書評が載り、「一人の批評家が日本語で書いたロック評論集として、メディアを問わず最重要の一冊」と断じた。さらに、『ストレンジ・デイズ』5月号では小西勝がやはり自身の常設コラムでこの本の紹介を行い、「英国のフォークが“トラッド”という特別な臭気を放っていた時代が確かにあったことを、本書から感じ取ることができるのではないだろうか」と書いた。 これらの文章はいずれも著者に対する、あるいは著者と体験を共有する音楽に対する愛情をもって書かれている。何も間違ったことは書かれていないし、どの文章からもまぎれもない誠意が感じられる。その点でいえば、文句をつける筋合いなど全くない。そうなのだ、松平維秋は素晴らしい書き手だった、彼がかつて心をこめて推薦したレコードはいまも一部の人の熱意をかきたてている、彼はたぐい稀な美意識と選択眼をもつすぐれた紹介者だった、バンザイ。 ところが、やっかいなことに、僕の中にはそれで終わりにはできないものがある、静かにかぶりを振るものがある。なぜか。傲慢に感じられるかもしれないが、僕は「彼が本来書くべきことをいかに多量に秘匿したまま逝ってしまった人間か」を知っているからだ。僕はそれが悔しい。それが残念でならない。だから、僕は『松平維秋の仕事』を、「彼がついに空白のままにしてしまったページを含む1冊」としてつくった。 いくつか、例を挙げよう。例えば、「イギリスにどんな“都市の音楽”があったか」と題された文章(1977年)の一節。 「そのぼくにしても、最初のロックへの開眼はビートルズでした。このビートルズの出現が、ロンドンではなくリヴァプールであった事へも、昔から様々な考察が加えられてきましたが、『リヴァプールであったからビートルズが生まれた』と言うためには、彼等の初期の音楽に対する従来の定説を、少々ずらせてみたい気がします。それは、彼等の音楽のそもそもが、テディー・ボーイの社会への反抗から発していた、というあの説です。恐らくはその通りだったでしょうが、しかし初期の“名曲”の多くは、余りに五〇年代のアメリカン・ポップスに似ていなかったでしょうか? 似ていたというより、ロックン&ロールの破壊的な要素よりもポップスの伝統的なコーケットリーの方をよく掴んでいたと思われます。それは六〇年代初期のアメリカン・ポップスよりも、もっと古いテイストを持つもので、ロンドンではもう風化しつつあったものです。それがなぜリヴァプールから蘇生し得たかと言えば、あの有名なスキフル・ブームの残影が、ロンドンではブルースを中心として分化し、地方ほど古い視点が保たれてきた、という背景があったのではないかと推測します」 リヴァプールについて「地方ほど古い視点が保たれてきた」と指摘する着眼点がおもしろい。僕が掲載誌の担当編集者なら、それをさらに具体的に検証し、発展させる文章を依頼したことだろう。しかし、そうはならなかった。 もう1つ、「どんどんポップになって来たボズ・スキャッグス」(1978年)から。 「仮に『シルク・ディグリーズ』をポップとするにしても、なぜ皆こうポップばかりを歓迎するに至ったのか? シリアスな音楽の復権を!なぞと言うつもりはないが、本来ポップなものほど飽きられやすい筈なのに……。これはやはり、ポップの概念を改める必要がありそうだ」 これまた「ポップ」という概念に視点を向けた発想がおもしろい。人はしばしば付和雷同的に時代の流れに追随し、それが「ポップ」を生む。それでは、追随する人たちは音楽に何を求め、そこから何を得ているのか? テーマはそう発展させることができそうだが、彼の指摘は「ボズ・スキャッグスという一人のシンガーの最近の動向を検証する」文章の一部分であるにとどまり、続編が書かれることはとうとうなかった。 そして、上記の文章で「家出少年に過ぎなかったロックは、ここに大成して故郷に錦を飾ったのである」と書いた彼は、そのわずか2年後に書く。 「しかし困るのは、断じて中産階級ではない、貯金ゼロのぼくが何を聴いているのか、それを突っ込まれる場合だ。数年前なら、そのことが多少は、相手にとっての情報になったかも知れない。その点、現在は全く役立たずである。『いえ、新譜はぜんぜん聴いてないので……』と、これで打切って頂きたいと願う。でもたいていはもう少しある。『じゃあ、どんなのをよく聴くの?』ここまで来れば仕方がないから正直に言う他はない。『実は何もよくは聴いてなくて、たまたまラジオで流した曲とか、テレビの歌謡番組ですね』」(「ロック生態学」) 松平維秋という人物のことをよく知らない方のために説明すると、これらはいずれも彼自身が生活上の大きな転機に立っていた時期に書かれたものである。1977年、彼は約8年間レコード係をつとめてきたロック喫茶「ブラック・ホーク」を辞めた。元来コレクター的資質に乏しく、音楽をたくさん聴くことに意義を認めるタイプでもなかった彼にとって、それは「現場を失う」ことを意味した。 正確に言うなら、彼はもう時の音楽=ロックに絶望していた。それが辞職の引き金になった。現場から退くと、音楽を探求する必然ももうなかった。さらには、80年代が進むと、音楽について書くこともいつしか稀になった。 やがて、彼はノンフィクション・ライターとして自立し、『松平維秋の仕事』の後半部を構成する旅もののルポルタージュを頻繁に書くようになるのだが、いま読むと、それらは「音楽エッセイの代理」であるようにも感じられる。彼は、例えばザ・バンドの面々のような、職人的気質のミュージシャンを愛した。同じように、旅のエッセイでも、彼の関心は地方の伝承料理の料理人など、手仕事を丹念に続けつつ生きている人たちに向けられている。 これらを読むたびに、僕は思うのだ。旅のエッセイには、音楽を語っていた当時にはなかった、書き手としての成熟がある。相当にきめ細かな取材がなされたのだろう、豊富な材料を丹念に選り分け、残されたものを丁寧に組み立てていくという根気の必要な方法で書かれたことが、どの文章を読んでもわかる。勢いだけで書いていた当時とは違って、彼は物書きとして一段上のレベルに達していた。 だからこそ、その次には、再度音楽について書いてほしかったのである。個人的関心を惹く音楽は、もう現代には存在しなかったかもしれない。それでも、過去の経験はたっぷりある。ジャズに開眼し、ロックからトラッドへと関心の範囲を広げていった1960〜70年代の経験。それらは果たして何であったのか、僕らはそこから何を得たのか。彼はそのことをまだきちんと整理してはいなかった。それをぜひともやってほしかった。 僕が「空白」というのは、そのことである。そして、空白を埋める間もなく、彼は遠くへ旅立っていってしまった。残念だが、もうどうしようもない。 仕方がない、何を言ったところですべてはもう遅いのだ。できることなら、もう一度共通のテーマで一緒に仕事をしたかったが、今度は僕がやってみよう。『松平維秋の仕事』に埋み火のように残されたものを探して、彼の代わりにやってみよう。いつも君と一緒にいるつもりで、僕はもう一度音楽を語ることにチャレンジしてみるさ、松平維秋よ。 |