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「広島文学館(仮称)」は、2001年7月現在、まだ地球上のどこにも存在していない。「広島に文学館を! 市民の会」が中心となり、被爆建物である旧日本銀行広島支店ビルを文学館にしよう、という活動を展開中なのである。「5人のヒロシマ」展は、その「まだ存在していない文学館」を会場とした文学展だ。(2001.7.21〜7.26、8.2〜8.7開催 8.5〜8.6は別企画のため休み)
5人のメンバーは、原民喜(1905-1951)、大田洋子(1903-1963)、峠三吉(1917-1953)、正田篠枝(1910-1965)、栗原貞子(1913-)という顔ぶれ。女性のほうが多数派というのが、ちょっと興味深い。
会期前半は、建物の1階で「世界のヒバクシャ」写真展、地下の金庫室で「5人のヒロシマ」文学展という部屋割である。建物の所有者である広島市の都合で、後半はフロアを移動するとのことだ。

2階から1階フロアの写真展を見下ろす
銀行の金庫室で開催された文学展というのは、空前絶後ではあるまいか。日頃は使用されていない建物ゆえ、エアコンがないのだが、金庫室で壁が厚いためか、階段を下りていくと、途中から空気がひんやりしてくるのがわかる。地上の炎暑をよそに、現実世界から切り離された異次元の空間が目の前にひろがっていくようだ。歳月を背負って立ち続けた建物の持つオーラが、圧倒的な存在感で迫ってくる。

建築当時から残る金庫の扉に、展示室の案内が
鉄格子の向こうに金庫の重たげな金属扉が並び、原民喜と峠三吉、大田洋子と正田篠枝のペアで展示室がしつらえられている。存命中の栗原貞子は、一人一室で、旧公文書室を割り振られていた。

各展示室の入り口に置かれた机には、それぞれの作家の著作が置かれていて、手に取ってみることができるのが嬉しい。会場に並んだパネルには、作家の写真、自筆原稿、書簡、掲載誌の表紙などが展示され、1945年を赤い文字で書いた、大きな略年表も貼り出されている。
途中で会場を移動したり、警備が追いつかない、といった事情もあって、自筆原稿をはじめとした展示作品は、カラーコピーによる展示。貴重な資料をひとつひとつコピー機にかけ、パネルに貼り付け、説明をつけるという地道な準備作業に、頭が下がる。
コピーといえども、作家自身の手で書かれた文字は、歳月を超えて、見る者に訴えかけてくる。推敲の跡が残る原稿などであればなおさらだ。文学館や文学展で自筆原稿を眼にするたびに、ワープロ時代の作家たちは文学館を持つことができるだろうか、と、つい考えてしまう。
そして、作家たちと同じ時代を生きてきた建物の持つオーラもまた、強烈だ。建物という目に見えるかたちと、言葉という目に見えない力とが相まって、見る者に迫ってくる。これらの展示物が、もしもきれいな新築の建物に展示されていたとしたら、歳月の持つ重みは拠り所を失い、作家たちが訴えかける言葉も、たよりなげに宙に浮かぶのではないか。
市民の会では、リアル文学館と並行して、ネット上にバーチャル文学館を構築しよう、という計画も進行中。そこには、建物どころか、紙という物質からも解き放たれて、作品が並ぶ予定だ。両極端の、2つの文学館。どちらも目が離せない。
(2001.7.22 LUNA CAT)
●広島に文学館を! 市民の会
●HP:http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/
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