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信州・長野県の南部、南アルプスと中央アルプスに挟まれた伊那谷の南に飯田がある。飯田は古い城下町で後ろに中央アルプスの南端恵那山をひかえ、遠くに南アルプス南方の山々の山並みを見ることができ、中央に諏訪湖に源を発する天竜川が流れ、下流には名勝天竜峡を抱える。この天竜川を望む地、飯田城址に飯田市美術博物館がある。
飯田市美術博物館は、美術館、博物館、プラネタリウムと市民ギャラリーを併設した建物で飯田城を象徴する白壁に囲まれた敷地に立っている。館の屋根は、遠くアルプスの山々を象って、ギザギザの形になっている。この飯田市美術博物館と同じ敷地、橋を隔てたところに、日夏耿之介記念館と柳田國男館が建っている。
日夏耿之介は飯田市出身の詩人で、明治23年飯田の旧家樋口家に生まれた。旧制中学時代に上京、早稲田大学を卒業し、その後、早稲田大学で教職につき昭和20年(55歳)まで在職した。戦後は、青山大学教授等を経て、昭和46年81歳で亡くなっている。この間、詩人として知られるとともに、ポーの詩の翻訳や「日本現代詩大系」により日本の現代詩を体系的に整理するな どの業績を残している。この小さな庵のような日夏耿之介記念館は日夏耿之介が死ぬまで暮らした住宅を移築、記念館として整備したもので、貴重な資料とともに日夏耿之介が死の床に就いた部屋が当時の姿で再現、保存されている。
館内は落ち着いた感じに作られ、古い家ながら補強がされているのか、ぎしぎしという様子もない。特に居室は中に入ることが出来るが、ついそこに日夏耿之介が横たわっていたような気がして、厳粛な気持ちになった。
一方、柳田國男は明治8年(1875年)兵庫に生まれている。その後、明治34年に東京で旧飯田藩藩士・柳田家の養子となって、柳田姓になっている。3年後、養父の四女と結婚しているが、昭和37年(1962年)に亡くなるまで飯田には住むことはなかったという。ちなみに、日夏耿之介の樋口家と柳田家とは親戚筋である。とはいえ、信州・飯田と柳田國男は決して無縁のものではなく、信州に関する多くの研究を残すとともに、この地の研究者と交わり信州の民俗学研究の素地を作った。
柳田國男館は、柳田國男の書斎「喜談書屋(きだんしょおく)」を東京から移築したもので、1階は研究室と書斎、2階は柳田國男の歩みを辿る展示となっている。特に特筆すべきは現在も使用できる書斎で、4面ともに作り付けられた壁全面の書架に多くの民俗学関係の書物を閲覧できるようになっている。「民俗学の土俵」と呼ばれたこの部屋の中央に置かれた椅子と机に坐り、じっくりと柳田たちの民俗学研究会のやりとりを想像しながら、遠い祖先の暮らしに思いを馳せるのも面白いかもしれない。
日夏耿之介、柳田國男ともにまだまだ青空文庫に入れるには日がかかる。しかし、それぞれが日本の思 想史上、重要な人物であることは違いない。ぜひ、何らかの形でいずれ電子化され、誰でも入手可能な形になることを望みたい。
ちなみに、日曜日以外は両館ともに、わざわざ、飯田市美術博物館の職員の方に開けて頂く必要があり、2時間も3時間もひとりで居続けるのは非常に心苦しい。是非、長居をしたい方は数人で来るか、日曜日に訪れることを薦めたい。
(1999.9大野 晋)
●所在地:〒395 長野県飯田市追手町2丁目655−7
●電話:0265-22-8118
●開館時間:9:30-17:00(入館は16:30まで)
*日曜以外は博物館受付へ連絡(2館への入館は無料)
●休館:月曜日(祝日と重なる場合には翌日)、
祝日の翌日(日曜と重なる場合は開館)、
12月29日〜1月3日、
その他、飯田市美術博物館閉館日
●HP:http://www.iidanet.or.jp/iida/14ikoi.html
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