| 文学を志す者が、一度は入らざるを得ない建物がある。 それは、昭和4年に加賀藩前田家の本邸として建てられた欧州建築の茶色の建物であり、昭和42年からの東京近代文学博物館である。学生の頃、そこにいけば、漱石の、芥川の、永井の、谷崎の、井上の、生原稿を見ることができた。私は、嘗てそこで、彼らの生原稿を見て、たじろぎ、身震いし、動けなくなったものだ。彼らの気迫に、繊細な神経に。 10月1日から12月2日まで「幸田家の人々」を企画展示をしている。 第一展示室「幸田家の人々」 露伴は、慶応3年(1867)7月に幸田家4男として下谷三枚橋横町で生まれた。本名「成行」、8人兄弟であった。長兄成常は、実業家、次兄郡司成忠は、千島探検で有名な軍人、妹二人は、ピアニストとバイオリニスト。文学関係は、というともちろん、娘の文、孫の青木玉、孫娘の奈緒と続く。 そういった系譜や妹の写真の中で、露伴が俳句も作っていることを私は、初めて知った。 「塩鮭のあぎと風ふく寒さかな 露伴」 明治18年、彼は、北海道余市電信局に勤めた。その余市時代に作った句である。「あぎと」とは「あご」のこと。北海道の厳しい北風が刺すように吊るしてある塩鮭に吹き付け、塩鮭が泳ぐように揺れる姿が彷彿される。言葉を尽くすよりこの一行で露伴の東京へ帰って文学に身を躍らせたい、しかし収入の安定した今の状況を棄てることへの迷いがよくわかる。 第二展示室「露伴の谷中時代」 日本文学史で、必ず明治に紅露時代を私達は教えられる。つまり尾崎紅葉と幸田露伴である。紅葉が、椅子に座り、露伴が横に立つ 構図の写真があった。明治35年7月22日とある。二人は、同じ歳である。恰幅がいい紅葉となで肩の露伴。翌年に紅葉は、「金色夜叉」を未刊のままこの世を去っていく。 第三展示室「向島の幸田家」 明治30年、31歳になった露伴は、向島に移り住み、「蝸牛庵」と名づけた。明治37年文が生まれる。ここら辺りから、文の抜粋の文章が観るものを惹き付ける。彼女の文章は、常に冷静である。それは、対象が父であれ、物であれ変わることはない。 第四展示室「小石川蝸牛庵」 昭和2年から小石川で新しい蝸牛庵に住んだ。露伴にとって、家庭内が騒がしい時期である。文が、離婚して玉を連れて戻ってきたり、後妻と別居したり。 第一回文化勲章を授賞したのは、露伴である。昭和12年4月28日。腫れぼったい瞼の奥から「幻談」の中のウインバーが、仲間の遭難を冷徹に観察したような目でガラスの向うから見つめる。 第五展示室「露伴の死、文の出発」 昭和22年7月30日露伴は永眠する。この展示室で、児島喜久雄が描いたデスマスクの前でも立ち止まるが、もっと私を惹き付けた文章がある。 ―このあけがた、父はやヽ長く私と話し(そのことは「終焉」に書いておいた)、「ぢや、おれはもう死んぢやふよ」と云った。さつぱりと雲が晴れたやうに、父はかならず死ぬと私はきめた。−幸田文「父」菅野の記― 第六展示室「女流作家」・幸田文の活躍 父の死は、彼女にとって「解放」である。大きな大きな壁が、無くなるということである。彼女は、父を踏襲しなかった。新しい何か、女性だから書ける視点。それを模索して書かれたのが、「流れる」「おとうと」である。この展示室で、面白いものを見つけた。 中央公論社の広告である。どこに配ったものか解らないが、初秋に送る感動の名作と題され、向かって右側全面に「おとうと」作者幸田文、装丁谷内六郎、左面上から「おはん」宇野千代、装丁木村荘八、「なら山節考」深澤七郎、「鍵」谷崎潤一郎、装丁棟方志功。 今は亡き、錚々たるメンバーである。 第7展示室「見てある記の時代」 幸田文は、ルポルタージュとして「男の世界」へ踏み込んでいく。「ダム」や「ルポルタージュ男」などを書く。幸田文という人は、兎に角行動力の人である。桜島や有珠山に飛んだかと思えば、結核療養所に、そして奈良の斑鳩の法臨時三重の塔再建計画に興味を持った彼女は、あっさりと東京を離れ奈良に住んでしまう。父露伴があっさりと北海道の電信技士の職を棄て、東京へ帰って来た行動力に通じるものがあるのかもしれない。 第八展示室「受け継がれるもの」 幸田文から青木玉へそして青木奈緒へ。 露伴という一人の男性から受け継がれていくもの。青木玉の「秋の日」より 「この家の人達の来し方を思う時、よくその時代に適応し天性を発揮し得たことは誠実な人柄に依ると考える」 今この東京近代文学博物館が存続の危機に立たされているという。署名運動もしたのだと職員の方はおっしゃる。 その事実に、地方都市に住む、さして影響も無い筈の私は、ショックだったし、どうしようもないほど悔しかった。青春を懐古する暇などないはずなのに。 (高柳典子) ●所在地:〒153-0041東京都目黒区駒場4-3-53(駒場公園内) ●電話:03-3466-5482 ●開館時間:9:00〜16:30 ●休館日:毎月第1・第3月曜日(その日が休日のときはその翌日) 12月29日〜1月4日その他、展示替え等による、臨時休館有り |