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作家・田山花袋は群馬県館林市出身であり、“誇る文豪 田山花袋” と上毛かるたにも詠まれるほど その業績は称えられ、群馬県民に親しまれている。
田山花袋記念館は群馬県館林市城町、東武 館林駅から東へ徒歩20分ほどの所にある。駅から市役所に向けては直線道路が続く。市庁舎付近まで来ると、木がうっそうと茂り、城跡の風情を残す。この日は、川に出てサイクリングロードを辿り、花菖蒲園に立ち寄った。「記念館」はそのすぐ近く。非常にこじんまりとした白壁平屋建ての建物である。
入ってすぐ左手に受付、右手にはモニターが設置されている。「花袋とその文学」(東洋大学元学長 小林一郎氏談)、「父を語る」(次男 田山瑞穂氏談)、「田山花袋」(ナレーション)の三本のビデオが用意されている。特に、父に連れられた旅行のこと、日露戦争や文学について悩む父の心情を思い起こしながら話す瑞穂氏の様子からは、ほのぼのしたものが感じ取れる。事務所の話し声が背後から聞こえてくるのが残念。次は通路に沿って「常設展示室」へ。
花袋(本名・録弥)は明治4年に武士の家系に生まれたが、廃藩置県、父の死により、貧しい幼年時代を過ごした。しかし、旧秋元藩儒者吉田陋軒(よしだ ろうけん)から漢学を、戸泉鋼作(こいずみ こうさく)からは和算を習い、中等科卒業までにめざましく成長、雑誌「頴才新誌(えいさいしんし)」に漢詩文を投稿するようになる。
14歳で上京、明治21年には漢詩集『買山桜初集』を自作している。17歳とは思えない見事な筆跡である。
明治24年に硯友社(けんゆうしゃ)の尾崎紅葉を訪ね、いよいよ文学活動が本格化してくる。雑誌「文学界」に投稿しつつ、島崎藤村・国木田独歩・太田玉茗・柳田国男らと交流、西欧文学に傾倒する。彼らと交わした書簡や集まり「龍土会」の写真も展示されている。太田玉茗の妹と結婚し、博文館に入社、その後は、多くの文芸雑誌の編集を手がけた。特に「文章世界」は花袋が主宰、自然主義文学の作品発表の場を提供する。評論『露骨なる描写』では、明確に自然主義の考えを述べている。また、日露戦争写真班員として従軍、戦争の悲惨さも経験した。この時代は、花袋にとって人間としての幅を広げる貴重な時代だったことが伺える。
小説家としてはやや出遅れた 感のあった花袋だが、明治40年『蒲団』を発表、自然主義文学の代表となる。赤裸々な私小説として知られるこの作品だが、発表にあたってはかなり苦悩したようだ。モデルとなった弟子・岡田美知代宛に詫び状を残している。また、『田舎教師』は、太田玉茗を通じて入手した青年教師・小林秀三の日記が元となっている。義兄弟となった太田、そこへ下宿した小林、人の縁のなせる業である。
40歳で博文館を退社、後は花袋の人生観を投影した作品が多くなる。『東京の三十年』は回顧録であり、前述の二作品の逸話も掲載されている。数々の初版本の展示は『百夜』で終わる。島崎藤村筆により「最も好きな五作品は、『生』『一兵卒の銃殺』『田舎教師』『時は過ぎゆく』『百夜』である」と結ばれているが、皆さんは如何だろうか。
記念館の特別展は、春と秋の年2回催される。記念館資料・特別展の冊子は館林教育委員会文化振興課より発行、記念館でも販売している。他にも企画展示室の公開があるようなので、事前に問い合わせを。道路を挟んだ第二資料館の奥には、幼年期を過ごした「田山花袋旧居」が復元されている。
また、記念館向かいには「向井千秋記念こども科学館」もあり、新たな名所として人気がある。(2000.6.20 丹羽倫子)
●所在地:〒374-0018 群馬県館林市城町1番3号
●電話:0276-74-5100
●開館時間:9:00-16:30
●休館日:月曜日 祝日の翌日 年末年始
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