
| 八巻(司会) 第一回目ですから、まず講師のみなさんに電子ルリユールについてお話ししてもらおうと思います。わたしは縁あって、設立間もないボイジャーで仕事をし、初代電子本ともいうべきエキスパンドブックができあがっていくのをリアルタイムで体験しました。青空文庫が生まれる3年くらい前のことです。電子本の歴史はわたし自身のコンピュータとの歴史ともほぼ重なっていたこともあり、電子本はいつもかたわらにあったのです。ご存じのように、電子本は紙の本をお手本にして発展してきました。でもそろそろ10年になるのだから、紙の本に似せるのではなく、ゆらめくようなコンピュータのモニタでしか読めない本の世界があってもいい、いや、あるのが自然だろうと思っています。 そう確信したのは泉井小太郎さんの作った電子本、中原中也『生ひ立ちの歌』を読んだ(見た)ときでした。びっくりしたのです。ルリユールって思想なんだと思いました。 泉井 わたしは以前から、一編の詩で一冊の本という形に惹かれてきたんですが、電子本ではそういう試みを思い切ってやれるところがありますね。これは詩を書く側からの発想だったんですが、実際そんなふうにして読んでみたい作品があります。その一つが中也の『生ひ立ちの歌』でした。雪に仮託した詩的自叙伝とも言える、じつに静かで美しい一編で、愛唱、愛着してきた作品です。 この本では、白い文字にシャドウをつけて、雪のアニメーション(注:動作するのはPowerMac上のみ)も加えました。単独の詩作品だからこそ出来る発想・実験だったかも知れません。詩の内容と本の装丁が珍しく響き合った一冊になって、これなら中也さんも電子ルリユールを認めてくれるかな…と(笑)。 ルリユールの際は、いつも、モニタ上での本の表情、一冊一冊にある世界感みたいなものを出したい、と思っていますが難しいですね。 LUNA CAT 本好きとしては、「自分好みの装丁」に、ずっと興味を持っていました。電子本への関心は、本の大きさや文字サイズなど、技術的なことから始まったのですが、「美しい」という形容詞がふさわしい電子本も存在しうると実感したのが、長谷川集平さんの『夜の三角形』でした。この本で、電子ルリユールの可能性を確信しましたね。 その後、泉井さんの六角文庫に出会い、電子本にも「手触り」があるということを知りました。紙の本で言えば、表紙や本文紙の質感、本自体のボリュームといったものに相当する部分だと思います。そういった感覚に訴えかける要素を、電子本でも表現できるのだと知って、目から鱗が落ちる思いがしたものです。 T-Timeは、エキスパンドブックよりも「紙の本」のイメージから離れ、その分だけ、電子本独自の表現を活かせる気がします。 仲 そうですね。T-Timeでは、たとえば、ページの大きさと形が、自由自在に設定できます。以前、LUNA CATさん制作のワイド・スクリーン型電子本を初めて見た時、実はかなりの衝撃を受けました。この手があった、こんなこともできるんだ、と。「紙の本」のイメージに囚われていた自分が、その瞬間、ふっとどこかへ飛ばされてしまった感じです(笑)。 それと、T-Timeに限ったことではないですが、泉井さんの『生い立ちの歌』の色づかいも、電子本ならではの冒険、新しい境地と呼んでいいのではないかと思います。「紙の本」でも不可能ではないのでしょうけど、あの味わいを醸し出すには、熟練の技と良質な材料、そして、かなりの数の試し刷りが必要でしょう。時間はかかるし、当然、コストの方も。 その点、電子本づくり、電子ルリユールはありがたいです。時間の許す限り、画面の上で、気のすむまで試行錯誤ができますから。まあもちろん、泥沼にはまっちゃう危険もあるのですが(笑)。 浜野 いいんじゃないですか、泥沼にはまってしまって(笑)。エキスパンドブックだろうとT-Timeだろうと、あるいはAcrobatだろうと、パソコンのアプリケーションというのは、きりなくバージョンアップされていくということだけ取り上げてもごく不安定なツールであって、すでにそれらを使うこと自体が泥沼ですね。しかも、自分一人で自由に加工できるから、よけいにそうなる。たかがタイトル1つ気に入るようにするのに、結局は採算を度外視してphotoshopで丸一日費やしてしまう…という嘆きを、DTPの世界に踏み込んでしまったデザイナーたちからいったい何度聞かされてきたことでしょうか。 要は、泥沼化も、やっていることの中心にあるものが本当に自分の好きな対象であればそれでいいということだと思います。これまで商品としての電子本をつくったことはありませんから、大きなことはいえませんが、自分の好きなテキストをより多くの人に読んでもらうために画面で読む本なりプリントして読む本なりに仕上げていく。いくら回り道をして時間を浪費しようと、それを楽しんでいる面があるのは事実でしょう。だから、おもしろい。だから、続けられる。 仲 おっしゃる通り。泥沼化よりむしろ、楽しみに存分に浸れる贅沢さ、と言うべき でした(笑)。 浜野 僕の場合、電子本の原点は、エキスパンドブックがHyperCard上で動くマック専用ツールだった頃にボイジャーからリリースされたフロッピー版の稲垣足穂作品『タルホ・フューチュリカ』、ことにその一部分の、縦組みのテキスト(画像)がBGMをともなってふんわり現れゆっくり消えていく「オルドーブル」なんです。あれをはじめて見たときのショックと満足度を100とすると、自分がつくってきたものについては、扱うテキストへの愛着度についても電子本としての出来具合にしても、まだまだですね。 仲 私は自作小説の幾つかを自分で電子本にしていますが、どこまで意図通りにできているかというと、満足できないことがやはり多いです。参考にしたくて他の人の作った電子本を見て回るわけですが、ちょっと長目の作品になると、背景の雰囲気が、やはり大切なんだなと感じます。ちょっとした画像の配置なんかで、画面の引力が増してくるというか。 それと、作品世界を象徴する表紙ですね。内容と表紙が、読後であれ読む前であれピタリ合致してると感じたときは、読後の満足感・幸せ度が大いにアップします。『夜の三角形』はその成功例ですし、『抜塞』や『日本人の顔をした若いアメリカ人』の表紙画像の選択・加工の妙にも「お見事!」と、やはり幸せな気分に包まれました。作品を丁寧に読み込みしっかり咀嚼した人が作ったんだなあと感じられて、ルリユールした人と、同じ読者同士、じっくり話し込みたくなるような嬉しさがあって。 八巻 みなさん、やっぱりぜいたくな泥沼歴が長いんですね(笑)。日本語の「電子本」ができて、そろそろ10年ですが、電子ルリユールについてはあまり話題にのぼることがなかったと思います。テキストが原稿用紙に書かれたままの原稿だとすれば、 それを本にしたてたものが電子ルリユール。誰の手も借りず、自分の思いどおりの本にするのは、テキストという思想にルリユールという思想をかさねることです。その楽しさは実際にやってみなければわからないもの。その楽しさをたくさんの人に味わってほしいと、浜野さんはこのシリーズを考え出したのですよね。 浜野 実際にやってみなければわからない、というのは、本当にそうなんですね。本音をいえば、僕自身は「紙の本の出版をこれからやるのはつらい、電子本なら大手と比べたってスタートは一緒だ」という気持ちがあってエキスパンドブックに手を出してきたりしたわけですが、縁あって青空文庫を手伝うようになって、「好きな作家の作品を選び、純粋に趣味として」電子本をつくる楽しみ、つまりは電子ルリユールにはまってしまったということがあります。大杉栄の『奴隷根性論他』なんて、ばかでかい文字で表紙をつけただけの電子本、それこそ拍子抜けするくらい簡単につくったものですが、つくっていると、この単純さこそが作品にマッチしているのではないかという快感がふつふつと湧いてくる。それがやみつきになってしまうわけです。 好きな作家だけではありません。啄木なんて、僕は中学生ぐらいのときから大ッ嫌いだったんですが、青空文庫のための作業をしていて、好きになっちゃった。これ、電子本をつくる過程でテキストを丁寧に読む、普通の読書よりずっと丁寧に読む。その結果だろうと思うんですね。 泉井 確かに、丁寧にいろんな角度で読むことになりますね。文体の性格や癖なども普段以上に見えて来るようです。その分作家が身近になり、作品の息遣いがより聞こえて来たりするんでしょうね。 電子ルリユールの楽しさをいち早くウェブで展開されたのは浜野さんでしたが、その成果は「楽」の「TTZの書庫」に並んでいて、そこでわたしも魅力の一端に触れました。そして、もう一つの面白い試みが「ちへいせん」の青空文庫アンソロジー。宮沢賢治の西域を題材にした作品、新美南吉の狐を描いた作品などが一冊に纏められていたり、『甘い酒、苦い酒』『食の情景』『水はめぐる』『走る人たち』など、タイトルだけで読書欲をそそられるようなアンソロジーが編まれています。これなどもルリユールの醍醐味ですね。 浜野 うーん。アンソロジーは促成栽培、脱線覚悟の特急列車ですから、中身はかなりいいかげんです。ただ、自分でアンソロジーを編むというのは、それこそ電子ルリユールの大きな楽しみの1つだとは思います。どうすれば簡単にやれるかという秘伝(笑)は、いずれこのシリーズで公開するつもりですが。 泉井 一口にルリユールと言っても、いろんな可能性がありそうで、それだけ、八巻さんのおっしゃる「テキストという思想にルリユールという思想をかさねること」という言葉が響いてきます。だからこそ、わたしも電子ルリユールに手を出したのだろうし、深みにはまっての試行錯誤も楽しく…。 ともあれ、ルリユールというものがこんなに身近になったことで、新しい「作品や作家との関係」が生まれ、読書の未来がここからも切り開かれていくことを期待したいですね。 LUNA CAT 電子本がCD-ROMからネットへと融けだしてきたところから、電子ルリユールははじまったのだと思います。CD-ROMだと、物理的なモノのパッケージが、そのまま装丁ということになってしまう。紙の本の発想と同じなのですね。けれども、ネットに浮かぶ本は、それとは全く違ったかたちで自己主張する必要に迫られたわけです。個々の電子本が、物理的なパッケージを離れ、デジタルの世界で自立したときに、ルリユールという思想が生まれたのではないでしょうか。 私が電子本の世界に足を踏み入れたのは、ちょうどWindows95ブームで、インターネットが日常のものになりつつある頃でした。その頃、ネットエキスパンドブックなどが出てきて、電子本をネットで配信する時代に移行しはじめた。いま思い起こせば、ちょうど面白い時代にめぐりあわせたのだな、という気がします。 本を読む楽しみの中で、「本に対する愛着」というのは、大きな部分を占めていると思いますが、好きな作品を自分で装丁したり、気に入った装丁の本を集めたりというような楽しみ方は、電子本のほうが、紙の本よりも格段に敷居が低いから、思う存分「贅沢」に浸ることができます。そういった切り口からの「読む楽しみ」が、ますます拡がっていくと嬉しいですね。 (この項了) |