楽しい電子ルリユール教室-2

LUNA CAT(電子ルリユールの会)


カルチャー教室などで手製本が盛んだった頃には、
よく使われた言葉、ルリユール。
その意味するところを基本から説明。
1. 「ルリユール」という言葉

「ルリユール」、あまり聞き慣れない言葉ですね。この講座ではじめて知った、という人も多いのではないでしょうか。
聞いたことがある、という人にとっても、「ルリユール」というと、何か専門的、あるいは芸術的な印象が強いかもしれません。実際、日本で「ルリユール」というと、「装丁芸術」等と訳されることがほとんどで、日常生活からは遠いもの、というイメージでとらえられているようです。
reliure という単語自体には、「芸術的なもの」と限定された意味はなく、フランス語の辞書で reliure を引くと、単に「装丁」「製本」とだけ書かれています。つまり、「本をつくる」という、広い意味を持つ言葉のようです。ものの本によれば、日本での「ルリユール」と同様の意味を明示的にあらわすときには、reliure d'art 等の修飾語をつけているとのこと。「仮綴じ本を製本しなおす」という伝統を持つヨーロッパでは、仮綴じ本を作ることと、それを革装などで装丁することも含めて「製本」という概念があるのでしょう。
日本では、西洋式製本がとりいれられた当初から、本を量産品として作成することを前提としていたためか、未完成品を販売して購入者が完成させるという形態は、発達しませんでした。本そのものは完成品として売られているのが普通で、単語としては、逆に、「製本」と「装丁」は、はっきり分かれています。そういった事情も手伝って、「ルリユール」という言葉の表す範囲が、ますますわかりにくくなっているのかもしれません。
「一品制作の装丁をほどこした本」という意味を持たせた「ルリユール」という言葉が、日本で一般的に使われ始めたのは、栃折久美子さんの『モロッコ革の本』(1975年)あたりからだと思われます。とすれば、日本での、この言葉の歴史は、紙の本の長い歴史から考えれば、まだ30年程度の、短いものにすぎないということになります。

2. ヨーロッパでのルリユール

書物の歴史をひもといてみると、表紙代わりに使われたとみられる木の板の写真が載っています。紀元2、3世紀に作られたものとのことですが、面白いことに、その表面には文様らしきものが刻まれていて、この時点で既に、後のヨーロッパの革表紙を彷彿とさせるものになっているのです。「本をつくること」と「本をデザインすること」とは、ヨーロッパの本作りの歴史の中では、分かちがたく一体となってきたのだということが実感されます。
その後、中世を通じて、知の支配者としての教会が、書物に大きな影響を与えることになります。知識を集約したものとしてのコンテンツが教会の権威を裏付けるとともに、権威を目に見えるかたちに表す手段として、表紙に宝石をちりばめるなどの装飾をほどこした豪華本が作られました。世俗の支配者である王侯貴族も、同じ手段を用います。この時代には、書物の中身が知識という情報を伝え、装丁は支配者の持つ権力や財力という情報を伝えるものとして機能したわけです。
時代が下って、本が量産されるものとなり、宝石で飾り立てた祈祷書などが作られなくなってからも、本を装丁しなおすという楽しみは、愛書家のあいだに受け継がれました。衣服の世界でプレタポルテに対するオートクチュールが存在しているのと同様、長い歴史を持つ分野では、始まりの頃の形態が、一種のステータスシンボルとして、長く維持されたようです。
特に、フランスの文化圏では、仮綴じ本の歴史が長く続き、「ルリユール」という言葉がフランス語であることが示しているように、独特の文化を発達させました。日本で「装丁」というと、デザイナーがデザインしたものを、本を量産する製造工程の中で組み込む、ということになるわけですが、ここでいう「ルリユール」には、仮綴じ本を分解し、綴りなおして表紙を付けるという作業が含まれています。フランスで仮綴じ本が販売され続けたのは、印刷と製本との兼業を禁じた法律の副産物ということですが、結果として、実用品としてのルリユールを浸透させることにつながりました。現在の日本でも、ルリユール作品というと「総革張り金箔押し」といったイメージがありますが、この形態も、仮綴じ本を装丁するという長い伝統の中で定着してきたものです。

3. これからのルリユール

以上のような経緯を経て、ルリユールは「紙の本」と切っても切れない関係を持ちつつ、発展してきました。
おそらく、紙の本の質感、存在感といったものを抜きにしては、一般の量産本の装丁を含め、ルリユールという分野は存在し得なかったでしょう。
さて、この講座のテーマである「電子ルリユール」は、「ルリユール」という言葉を、どう変えていくのでしょうか。
コンピュータで読む本は、物理的な質感や重量感などを持ちません。その意味では、「書斎を持ち、革装丁の蔵書を並べ、表紙をなでて満足感を得る」といった楽しみ方は不可能です。加えて、これまでは「コンピュータで読むもの」として、メールやホームページが中心だったこともあり、製本や装丁といったことには、あまり関心が寄せられていなかったというのが実状でした。
しかし、ここ数年のあいだに、高解像度の液晶モニタが大きく進歩してきました。それに伴って、携帯情報端末での読書が実用化のレベルに達し、デスクトップパソコンでも、文字や挿し絵を読みやすく表示できるようになりました。読書のための基盤は整ってきているのです。
さらに、インターネットが発展して、電子本の媒体はCD-ROMからインターネットへと移行してきました。電子本の装丁は、「CD-ROMに代表される物理的な媒体のパッケージを、紙の本と同じようにデザインする」ことから、「モニタ上に表示される本そのものをデザインする」ことへとシフトしてきています。
あくまでも予想ですが、こういった変化を土台にして、今後、電子本の製本や装丁は、紙の本とは逆の方向で発展するのではないか、すなわち、量産から一点制作へと移行していくのではないかと思われます。たとえば、T-Timeで制作するTTZというファイル形式は、いわば「仮綴じ本」に近いものです。紙の本では、仮綴じ本といえども、使っている紙や文字のサイズまでは変えられませんが、TTZの場合は、フォントや文字サイズ、字間や行間、本のサイズまで自在に変えることが可能となりました。「電子ルリユール」は、作品の選択から背景画像の作成に至るまで、本全体をトータルでとらえたものであり、その意味では、紙の本のルリユールよりも、さらに本作りの原点に近いものであるとも言えそうです。
そして、もうひとつのメリットは、本そのものに加え、道具の入手も簡単で、費用もさほどかからず、場所もとらないことでしょう。パソコン1台で、写真集から文学全集まで、あらゆる種類の本を作れることは、大きな魅力です。
権力や財力の象徴として発達したルリユールから、自由な読書の象徴としてのルリユールへ。
身近になった「本作りの楽しみ」は、これからの読書シーンで、重要な地位を占めるのではないでしょうか。(この項了)


参考文献:
『モロッコ革の本』栃折久美子 集英社文庫、1980年
『装丁ノート 製本工房から』栃折久美子 集英社文庫、1991年
『美しい書物の話』アラン・G・トマス 小野悦子訳 晶文社、1997年
『西洋の書物工房』貴田庄 芳賀書店、2000年
  

目次へ